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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第一章 初恋少女
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『color』

 話してみると鈴木も山本も本当に楽しい人たちで、クラスメイトたちも優しくしてくれて、ついでに廊下の野次馬も一掃されていたものだから、草間はゴミを捨てに席を立ったままこっそりと教室を抜け出した。

 なるべくひとりにならないようにとは言われていたけれどトイレに行くのに誰かを誘うのは恥ずかしいし、久保も落合も楽しそうに話し込んでいたから邪魔をするのも悪いと思って。

 昼休みももうすぐ終わるからと駆け足で急いだ行きには誰とも擦れ違わず、それで一層気を緩めてしまっていた草間は、手を拭いたハンカチをスカートのポケットにしまいつつ、みんなが優しくて嬉しいな、なんて、つい零した笑みに舌打ちが返って来て血の気が引いた。

「なにひとりでニヤニヤしてんのよ、気持ち悪い」

「そりゃ笑いが止まらないでしょうよ。有村くん捕まえて、一気に勝ち組だもんねぇ」

 たったひとつ曲がるだけの角を過ぎてすぐの場所にむろしていた数名の女子生徒たちが、薄笑いと冷たい視線で草間の歩みを止める。通りすがりに呼び止めるのではなく、道を塞いで行く手を阻む格好だ。

 腕組みをしていたり、不遜に顎先を上げていたり、舌打ちをした人も続けて吐き捨てた人たちも草間にはひとりも見覚えがなかった。こんな時間にこのフロアにいるのだから同学年だろうとは思うが、それより確かなのは彼女たちが有村に好意を寄せていて、草間を快く思っていないということ。

「つか、ホントにこんな地味なのが選ばれたわけ? 信じられないにも程があるんだけど」

 恐らく最初に舌打ちした人が、俯きかけた草間の顔をじめっとした目付きで覗き込みながら言った。軽く上げた口角がひどく意地悪気だ。

 その気迫に圧されて足が竦んでいる間に、他の何人かが背後へ回る気配がした。すぐに逃げ出せばよかったのに、あまりに突然のことでそう出来なかったばっかりに。

 言いつけを守らなかったことも含め、退路を断たれてから後悔しても、もう遅い。

 完全に油断していた。見える範囲内が大丈夫そうだったから。

「ねぇ草間サン、一体どうやって取り入ったの? そんな大人しそうな顔して、色仕掛けとか言わないでよね」

「ないない。こんなのがどんなに頑張ったって無理だって。あるとしたら泣き落とし? 有村くん優しいから、仕方なく付き合ってあげたんじゃん?」

「やだぁ、そういうところにつけ込むとか最低過ぎるんだけど。有村くん、可哀想」

 浴びせられる言葉に、草間は何ひとつ言い返せなかった。顔を上げる勇気すらなく、後ろから小突かれるまま身体が揺れる。怖い。でも、どうすれば逃げ出せるのかすらわからない。チャイムが鳴るまでまだ少し時間があった。ただ耐えるには長過ぎるくらいの時間が。

「いい気になんなよブス。ぶりっことかマジでウザいし」

「黙ってれば済むとか、甘いから」

 焦る思考が空回りして、頭の中は真っ白で、草間は間もなく真下を向いた。

 何か言えともう一度小突かれて、思わず零した「ごめんなさい」を笑う声が幾つもする。助けて。気が付くと、そればかりが駆け回っていた。助けて。助けて。誰か。

「――誰が可哀想だって?」

 背中を押され、肩を押され、されるがまま固く奥歯を縛っていた草間の耳にそうひと言投げて寄越した低い声が届いたのは、一際強く叩かれた場所がじわりと痛みを覚えた折のこと。

 地面を這うような重低音。その持ち主に、取り囲む女子たちが怯むのがわかる。

「藤堂くん……いや、違うの、これは――」

「お前ら、あまり見ない顔だな。て、ことは然程根性入れて付き纏ってなかったクチか」

「ちがっ、あたしたちは……」

「遠巻きに見てただけのくせに、弱そうなのは捕まえて虐めてやろうって? 口だけ動かしてるヤツらはラクでいいな」

「待って、あの……」

「散れ。目障りだ。お前らの為に教えてやるが、お優しい有村くんも今日は若干ご機嫌斜めと来てる。アレをキレさせると面倒だぞ? 死ぬほど後悔したくないなら、さっさと消えろ」

 行こうと切り出す声は草間の後ろから聞こえた。それから擦れ違い様にもう一度、舌打ちが一回。

 再び人気のなくなった廊下でおずおずと顔を上げた草間の前には、缶珈琲をぶら提げて不遜に顎を上げる藤堂が立っていた。そうした態度も、角度的にも目付きとしても見下ろしているという風な視線もいつも通りだったのだが、それでも草間は彼が相当に腹を立てているのだと思った。

 なのに固く結び過ぎた口は開かず、謝ることも、助けてくれてありがとうとも言い出せない。

 ただスカートを握る手だけが益々の力を込めた。

「有村はひとりになるなと言ったはずだが、お前はその程度の言いつけも守れない馬鹿野郎なのか」

「…………っ」

 淡々と紡がれるその声が怖くて、怖くて。見知らぬ人たちに取り囲まれるよりずっと泣き出しそうな顔をした草間に、藤堂は溜め息を吐く。

「いや、お前だけの所為じゃないな。目を離した俺も悪い」

「…………」

「怪我はないか」

 怒っていても、気遣ってくれていても、基本的に藤堂の声は低いまま。

 やはり何も言えずに俯く草間を前に藤堂はもう一度溜め息を吐き、「少し付き合え」と言った。

「予鈴までにまだ十分近くある。そう手間はかけないから、ついて来い」

「…………」

「首根っこを掴んで無理矢理連れてってもいいんだが?」

「…………っ」

 先に歩き出した藤堂が擦れ違う際にふと足を止め、大きな影を落として凄むので、草間は強く唇を噛んで後に続くことにした。

 そうする以外、何が出来よう。藤堂はまだ、すごく怒っているんだと思った。



 草間は確かに藤堂が一番苦手だが、有村が特例中の特例であっただけで男子と接する時は大抵下を向いているし、殆ど言葉を返さない。

 それが失礼に当たることもわかっているし、直したいと思っているのも本当だ。変わりたい。その想いの中にだって勿論、この人見知りをどうにか改善したいという強い願いがある。

 歩き出してから一分と経たず、草間は階段を上り始めた藤堂の背中をチラと見上げ唇を震わせた。何か言わなくちゃ。そう思うのだけれど、喉が酷く強張っている。

「あ、あの……どこに」

 タンタンタンと単調な音を立てて階段を上がって行く藤堂に問いかけると、彼は歩みを止めないまま「屋上だ」と答えた。

「普段は締め切りだが、コレがある」

 人差し指にひっかけて晒した鍵を二度ほど揺らし、藤堂が先に踊り場を曲がる。

「保健室まで押し掛けるヤツらがいたんでな。息つく暇もない有村に、悪さをしたら即没収って条件付きで教頭が渡してる」

 今はそれを自分が持っているから丁度良いと言い、藤堂は本当に三年のフロアも過ぎて屋上へと向かって行った。入学してから一年と少し、これから先も足を踏み入れるとは思っていなかった場所へと、真っ直ぐに。

 ガチャン。立ち入り禁止の張り紙があるから掃除も碌にされておらず、誇りっぽくて物置みたいになったドアの前へ辿り着き、草間は苦しい胸の内を深い息で吐き出した。

 場所を移してまで何を言われるのだろうか、と。気分は先程より最悪で、死刑囚になった気すらした。きっと怒られるんだ。それで済めばいい方なのかもしれない。

「草間」

 入れと促されて潜ったドアに、藤堂が内側から鍵をかけた。

 初めて入った屋上は当然に閑散としていて、見渡す限り何もない。乗り越え防止の高いフェンスが妙に寒々しく、吹き込む風も教室に舞い込むものより冷たく感じた。単に、緊張を高めた草間が熱を籠らせていたから、そう感じたのかもしれないが。

 藤堂の射貫くような鋭い視線はそうしていよいよ死にそうな顔をする草間を映し、不意に横へと逸らされた。

「別に、本当に首根っこを捉まえやしねぇよ」

「…………」

「女には手を上げない。だが、言い方は悪かった。すまん」

「……わ、わるいの、わたし、だから……」

 ごめんなさい。そう言って深々と頭を下げると、藤堂は粗っぽい仕草でうなじを撫でた。

 そして心底重苦しそうに言ったのだ。こんな顔しか出来なくて、すまん、と。

 なのに覗き見た藤堂が今日見た中で一番腹を立てているように見えたから、草間は少しだけ戸惑い、握り続けていたスカートを手放した。

 怒ってるように見えるだけ。藤堂にそういう面があることは、昔から知っていたから。

「お前とサシで話すのは二年ぶりくらいか」

「う、うん……」

「その二年前のことも謝りたくてな。あの頃は俺も余裕がなくて、ついきつく当たっちまったが、絵里奈の為にでもお前がウチに来るのは大変だったろう。悪かった。関係ないとか言って、追い返しちまって」

 久保の言葉を借りるなら、藤堂が本気で腹を立てた時を知っていれば、普段滅多なことで憤っていないことくらいわかるはず、とのことだ。先程の女子たちへ向けた物言いといい選ぶ言葉が鋭利なのは常だけれど、それとこれとは別の話。

 唐突に持ち出された過去の話題を振られ、気にしていないと答えると、そうかと返した藤堂はまた涼しい目付きで顎を上げた。

「俺はお喋りってヤツが得意じゃないんでな。単刀直入に訊かせてもらうが――」

 訊くと言ったのだ。藤堂は別に責めているわけじゃない。

「――お前は、有村の見てくれだけでアイツを受け入れたのか」

 でも、責められているのと変わりないと思った。

 咄嗟に違うとは言えなかった。藤堂を前に萎縮していたのもあるし、それが全くの見当違いでもなかったからだ。

 最初はそう、有村の見目麗しい外見に惹かれた。だって一目惚れなのだから、ひと目見て惹きつけられるというのは外見に魅了されたと言って間違いではない。

 けれど今の草間はそれだけで有村に憧れているわけではない。彼の持つ穏やかさや誰に対しても平等に振る舞う優しさ、そばにいて心地良いと感じられる温かさに触れたから好きになったのに。しかし、それが『もっと』好きになっただけだったのも確かで、口にすべき答えは大いに草間を迷わせる。

 すると再び腕時計を眺めた藤堂が、視線をそのままに口を開いた。

「『color』、とかいったか」

 軽やかな風が草間の髪を揺らし、同じように藤堂の短い毛先も遊ばせる。

「お前、その小説が一番好きなんだろ」

 露わになった藤堂の双眸はどこまでも静かに、やはり何の温度も感じさせない輝きで草間を真っ直ぐに見つめていた。

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