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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第一章 初恋少女
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クラスメイトになれた頃

 草間が勇気を振り絞って話しかけてからというもの、彼はそれまで挨拶だけだった彼女への声掛けを、日々の中でさり気なく増やすことにしたようだった。

 休み時間やちょっとした隙間を見計らっては、有村の方から進んで話しかけてくる。

『集めたノート、持ってくの手伝うよ。半分貸して? 教員室でいいのかな』

『さっきは残念だったね。でも、きっと次は上手くいくよ。応援してる』

『草間さんもどう? いちごポッキー、きらい?』

 席が隣同士だから。

 ただそれだけというには有村は草間をよく見ていて、特にこんな性格のくせに担っているクラス委員の仕事で戸惑っている時にはすぐに手を貸してくれたし、声が小さい、動きが鈍いと指摘されて落ち込んでいると「気にすることないよ」と励ましてもくれた。

 対して草間はまだそれに頷くか短い返事を返すのが精一杯で、未だ彼の顔を正面から見るのもままならない状態でいる。

 それが徐々に申し訳なくなってきて、草間は上手く話せない分、自宅で不慣れながらもクッキーや簡単なチョコレート菓子を作っては、他のクラスメイトの目を避けて有村に手渡すようになっていた。

 あとから聞いた噂話では有村は手作りの品は受け取らないらしかったが、草間が「よかったら」と差し出す菓子は一度も拒まれず、彼はそれをいつも「美味しかった」と褒めてくれた。

 どこまでも優しい人なんだろうな。私にまで優しくしてくれるなんて。

 草間は有村と話す度、少々卑屈に、強くそう感じた。



 そんなある日の放課後のこと。

 ふたりで会話をするのに草間が酷い息切れを感じなくなってきた頃を狙ったように、有村がふと切り出した。

「今だから言うけどさぁ。俺、草間さんに嫌われてるって思ってたんだよねぇ」

 教室の掃除をするので同じ班の面子が散り散りになってる中、事も無げに投げられた言葉に驚き、草間はほうきで集めた埃や塵を危うく彼に向けて履き飛ばしてしまいそうになった。

「なっ、なんで、そんな」

「だって席隣りなのに一回も話したことなかったし、こうやって掃除で一緒になっても、さりげなーく場所被らないようにしてたでしょ?」

「そんなこと……ないよ」

 言い淀む先で、ほうきを握る手が小刻みに震える。

 俯いてしまった草間に、有村は「別にだからどーってことじゃないよ?」と笑顔を繕ってみせた。それがまた申し訳なくて、草間は益々項垂れる。

 まったく返す言葉もない。彼の言ったことは紛うことなき事実で、確かに草間は話せるようになってからも、班毎に回って来る掃除当番で有村と一緒になるのを避ける為、彼がいない場所を選んで掃除についていた。

 理由は、席と席というわかりやすい距離が、そこにはないから。人から見れば『はて』と思うような理由かもしれないが、草間にとっては大事だ。

 少し距離感を間違えれば、よもや接触してしまうかもしれない。それで有村に不快な思いをさせるかもしれないし、また失礼な態度を取ってしまうかもしれない。などと考えれば恐ろしくて、気付けば人気のない廊下の拭き掃除ばかりしていたのだが、そうしている間に通路さえ挟めば有村と話すのにも幾らか慣れて、草間はやっと今日、自由に動き回れる状態で有村を呼び止めるのに成功した。

 大した進歩だ、と自分では思う。そこには草間の努力以上に、美しさが真っ先に来る有村の外見のお陰というのが大きかったのだけれど。

 男の子なのに男の子過ぎなくていい、なんて本人には到底言えないが、彼がもしあと少しでも強く異性を感じさせる風貌だったら、ここへ辿り着くまでにも草間はより多くの時間を要したことだろう。

 人当たりが良くて、爽やかで。そうした雰囲気のお陰もあって、草間は有村に対してだけ不思議と恐怖心を煽られずに済んだ。覚えてしまうのは、どうしようもない照れ臭さだけ。

 それならば克服出来るはずと草間は弱気な自分をもう一度奮い立たせ、有村が教室の履き掃除のあと塵取りを持って一周回るのを知っていて、「こっちもいいかな」とそれを待ち伏せたというわけだ。その時の覚悟を決めて戦に挑む武将のような、勇ましい草間の面持ちといったらなかった。

 それをひとしきり笑ったあと、「草間さんから話しかけてくれたのは二回目だ」と目を細めた有村が『嫌われているんだと思った』などと零したので、草間は反応に困ってしまった、というのが事の流れ。

 ただ勇気が出なかっただけなのに、それこそが有村に嫌な思いをさせていたなんて。

 後悔に押し潰されそうになっても上手い言葉のひとつも出てこない自分が、草間は心底嫌だった。

「…………」

 そうしてすっかり表情を暗くした草間に気遣いの笑顔を向けるのが忍びなくなったのか、有村もさすがに少しばかり気まずそうに黙ってしまう。

 彼にとってはただの雑談に過ぎなかったのだろう。何も草間を困らせたくてというはずもない。それは草間自身もわかっていたが、一度落ちてしまった沈黙の破り方がよくわからなかった。

 ほうきを動かすサッサッという音と、時折有村が塵取りのゴミを手前に寄せるカンカンという音だけがする。

 重苦しくて気まずい静寂が占める、数十秒から一分、二分ほどの空白。

 それに耐えかねて口を開いたのは、やはり草間ではなく有村の方だった。

「そういえば。この間貸してくれた本、面白かったよ」

 この間、というか、草間が有村に文庫本を貸したのはつい先日のことだ。

 草間は弾かれるように顔を上げた。

「え……もう、読んでくれたの?」

「もちろん。だから借りたんだもん。やっぱり気になってる時が読み時だよねぇ。一気に読んじゃったよー」

「だってまだ、三日くらい……上下巻あったのに」

「それだけあればじゅうぶんだって。ああ、昨日と一昨日は早く続き読みたくて、バイト終わって即行帰ったけど」

 五百ページほどの文庫本二冊を、三日足らずで。

 自宅でしか本を読まないと言った有村がアルバイトを終えて何時に帰宅したのかはわからないが、自分と同じくらいなら、草間は久しぶりに自分と同じかそれより速いペースで本を読む人に出会った。

 それが妙に嬉しくて、ふっと草間の頬が緩む。

「はやい、ね」

「いやぁ。登場人物多くって後半ちょっと戻ったりしたからなぁ。お恥ずかしい」

「なに、それ」

「だってボブとかボビーとかヴィッキーとか混ざってきちゃって」

「……ふふっ」

 思わず零れた笑みを見て、有村もようやくホッと肩の力を抜く。

 言葉が上手く紡げない草間と、誰とでもすぐに打ち解ける社交性豊かな有村のやり取りというのは、得てしてこの繰り返しだった。

 草間の落とす沈黙を有村が破り、次の話題、次の話題となんとか会話を繋げていく。彼女らの関係は九割方有村の気遣いで成り立っており、草間もそれなりに努力はしているのだが、どうにもそれが足りていない毎日だ。

 そんなふたりが唯一テンポよくやり取り出来る話題といえば、共に活字中毒を患っていると言ってもいいくらいの熱心な読書家という共通点を生かした、本の話だった。

 本のことなら幾らでも話せる。勿論、語り口調はたどたどしいが、話したいことはたくさんある。大好きな恋愛小説のことなら、もっと。

 これまで何十冊読んだか覚えていないほど読んで来た恋愛小説の中で一番のお気に入りは、有村が転校して来た日に読んでいた『Color』という童話風の作品である。人との関わりを極力避けてひとりきりで暮らしていた少女が、ある日迷い込んだ紳士にひと目惚れをされ、彼の深い愛情を一身に受けて、少しずつ美しい女性へと変わっていく物語だ。

 高校生にもなればそれが有り触れた物語なのはわかったし、だからベストセラーにならなかったのだと納得もしている。今では書店で見かけることも滅多にない、世の中にたくさんある昔々の恋愛小説だ。人に薦めるのも憚られるような他愛のない本だけれど、草間は今でもその本が一番好きだった。

 理由は簡単だ。草間はそのヒロインに自分を重ね、空想の世界に浸るのに夢中だった。

 最初は表紙に描かれていた少女と似た髪留めを持っていたからだった気がするが、最近はそこに紳士に見立てた有村も登場させている。それは彼女にとって命に代えてでも、というくらいの大きな秘密だ。

 空想や妄想も彼女の趣味で、癖でもある。だから草間は大した読書家であったのだけれど、その材料にもなるような恋愛小説しか読まない読書家であった。

 対して有村はといえばその逆で、面白そうだと思えばある程度広いジャンルに手を出すタイプの読書家であり、雑食だから読まないことはないと前置きした上で、恋愛ものや涙を誘うような人間ドラマは苦手だから好んでは読まないと言葉を濁した。

 好みはサスペンスや推理物、若しくは軽いSF小説。

 可愛らしい話だが、草間が得意なラブストーリーなどは、読んでいるうちに気恥ずかしくなるのだと言う。

 だから草間は彼がたまに鞄に忍ばせている読みかけの本などをチラと覗き、中でも“少々ゾクリとするような本”が好きだと知るや否や、ジャンルは違えど本は本と恋愛小説から一度離れ、大の苦手分野であるホラー小説に手を出していたわけだ。

 怖くて震えもしたし眠れなくなった日もあったが、それでもそれがいつか彼との会話の足しになればと、草間は顔を真っ青にしながら来る日も来る日も残虐で残忍な悪魔の所業を読み続けた。

 そして、それが報われたのが三日前のこと。

『それ、今度映画化するやつだよね。公開前に読みたいと思ってたんだ』

 ようやく、草間のチョイスが彼の琴線に触れた。

「いやぁ、でもホント後半途中で止めるのつらくてさぁ、徹夜しちゃった。視点が違うって、なにそれ。騙されたわぁ」

「伏線多かったもんね。私、最後の最後まであの刑事が犯人だと思ってて」

「そう! 俺もそう思ったの。それがまさかのおばちゃん黒幕とか余計怖いよね。て、言うかさ。思ったより内容エグかったけど、草間さん、あーゆーの大丈夫な人なんだ? ホラー映画とかもいけちゃう人?」

 件の本は冒頭から何名もの女性が無残に殺害される所謂サイコスリラーで、そうした殺人の描写が丁寧で生々しいのが話題の一冊だ。それを読み終えて人に薦めたとあらば、寧ろ好きな方だと思われて当然であろう。

 草間は戸惑いつつも「そう、だね」と詰まり気味に返した。

「そんなにすごいのじゃなかったら……」

 実は二時間ドラマの殺害シーンも見ていられないとは言えず、草間の視線は床と爪先とほうきの間を彷徨う。

 また、つまらない嘘を吐いてしまった。

 そんな後ろめたさは確実に草間の心に影を落とし、有村が「そうなんだ!」と向けてくる無邪気な笑みに、絞めつけられるような痛みを覚えた。

「草間さんてもっとほわっとしてんのかと思ってたから、なんか意外だけど。でも嬉しいよ、なかなか趣味合う人っていなくてさぁ。やっぱ夏と言ったらホラーだよねぇ。淳二に会いたくなるよねっ!」

 なんて屈託なく笑う人なのだろう。

 合間に一足早く掃除を終えた班の面々が「お先ー」と声を掛けてくるのに、「また明日ー」と元気に手を振る時でさえ彼は満面の笑みで、そこには一切の曇りがない。遠くから見ていたら、ホラーの話をしているなんて想像もつかないだろう。

 草間は彼のそんな笑顔が好きだった。口は閉じて横に裂き、目は細めて、首を僅かに傾ける。そのほんわかとした笑みには不思議な力があって、見ていると何故か身体の力が抜けていくようだった。

 その所為だ。

 些細な嘘で胸に痛みを覚えても、彼が笑うと嬉しい気持ちが勝ってしまう。

 そうなると言い訳を始めるまではとても早くて、何十冊も読んで来た恋愛小説のヒロインたちは大抵そうやって意中の男性の好みに合わせようとしていたし、それが愛らしいという風に描かれていることが多かったし、と次から次に並べ立てた。

 草間は頭のどこかで『人を好きになるのはそういうこと』と思っている節があったのだ。

 しかも相手は小説の中のヒーローにも劣らない理想の男子である。遅い初恋にうつつを抜かす草間は、常に妄想と現実の間を危うく行き来していた。

 つまるところ、草間は王子様に恋をしている自分に酔っていたのだ。

「有村くんは、ホラー映画とか観たりするの?」

 気付けば最後にゴミを捨てに行く当番である有村と自分だけが残る教室に気を大きくして、草間はそっと問いかけてみた。

 今日はもう少しだけ、彼のことを訊いてみたい。

 それにも有村は淀みなく答える。

「観るよー。夏になるとコーナー出来るじゃん? レンタルショップで。そこからゴソッと借りてきて夜通し観たり」

「部屋を暗くして?」

「そー、そー。ポテチ食べながら」

「ポップコーンじゃないの」

「言うねぇ。そういう草間さんはどーなのさ。夜中にホラー観て、風呂こわーとかなるの?」

「たまに、は」

「あはは。なるんだ」

「髪を洗う時とか、ちょっと」

「あー、草間さん髪の毛長いのにキレーだもんなぁ。洗うのも倍くらい時間かかりそー」

 何気ない返答に含まれた『キレー』の響きに、草間はまた言葉を詰まらせた。

 この程度で狼狽えてどうする。彼はそういう人なのだ。そうやって普通の会話の中でごく自然に、その手の単語を放り込んでくる。

 鈴木と山本はそれを“性根がイケメン”だからだと言い、藤堂は何も考えていないのだろうと呆れているみたいだが、心臓に悪いのには違いがなかった。

 ドクン。ドクン。

 痛いくらいの鼓動が内側から草間の胸を叩く。

 それは閉ざそうと決めていた妄想越しの恋心を明かしてしまえと、煩くはやし立てる悪魔の囁きのようだった。

 言ってしまえ。もう少しくらい、近付いても大丈夫さ。

 きっと彼は優しいから、バッサリ切り捨てて傷つけるようなことは言わないさ。

 そんな風に背中を押すのもまた、草間の中にある願望なのだ。これでじゅうぶんだと言いながら、彼女はどんどん欲張りになっていくここ数日の自分に戸惑っていた。 

「あー、最近映画観てないなぁ。話してたら、なんか観たくなってきた」

 そう独り言のように呟く彼を見ながら、高鳴る胸の内では期待の種が膨らんでいく。

 雰囲気は良好だし、幸い廊下からも人の声は聞こえてこなかった。

「……わ……わたしも……」

「ん?」

 あと少し。もう少しだけ、近付きたい。

 心の囁きにたぶらかされて、草間はほうきをぎゅっと握り締めるとゆっくり口を開いた。 

「私も。さ、最近観てなくて……夏だし。観たいなって、ちょっと思う……」

「あ。そーお?」

 コンコン。

 集め終わったゴミを掬って立ち上がり、有村は近くにあるゴミ箱にそれを捨てた。

「じゃぁ、なんか観に行く? いま面白そーなのやってるか知らないけど」

「へ? ……え?」

 思いもよらない台詞を返した彼に、草間の漏らした間抜けな声。

 空になった塵取りを持って振り返る有村が湛えるのは、本来なら草間が浮かべるべき不思議そうな面持ちだった。

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