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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第七章 開花少女
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素直な気持ちは、罪じゃない

 新しく出来た年上の友達のことは、有村にしか話していない。

 急いで下校する草間を落合たちはバイトだと思っていて、頻繁になったメールのやり取りも恐らくは、先輩との業務連絡だと思っている。

 思い返せば草間が自分から友人を作るのは初めてで、この内緒の友達という感じが、ようやく次の約束にありつけた草間の駆け足を応援してくれるようだった。

 彼女の通院は週に一度。他にも用事があって外出する日に、草間はタルトの美味しいカフェへ行く。とはいえ、そういう約束をしたというだけで、会うのはこれで三回目だ。最初の出会いを入れて、三回目。

 今回も、草間はタルトを大いに悩んだ。

「なら、運命のひとめ惚れっていうやつね。初恋を叶えるなんて、やるじゃない」

「ふふっ。はい」

 今日の草間のお供はベルガモットティー。口へ含むと、爽やかなオレンジの香りが鼻へ抜ける。

 好きでよく色々な店で飲んでいるが、ここのは中でも香りがいい。ガラスの向こうの空も清々しく晴れていて、揃えたローファーの爪先が交互にふわふわ浮いてしまった。

「でも、自分のどこが良かったんだか、なんて、言ったら彼が可哀想よ? 見る目があったの。本当の草間さんがこんなに素敵な子だって、気付いてたのよ」

「もし、そうだったら嬉しいです」

「絶対にそう」

 草間が嬉しい理由のもうひとつは、彼女の顔色が良かったこと。病院でも経過は良好だと言われたそうだ。

 彼女はいま投薬治療をしていて、副作用であまり食欲が出ないらしい。食べられないからこそ美味しそうに食べるのが見たいと言われて、選ぶタルトはチョコレートの物にした。こちらもまた、かなり美味しい。

「デートはどういう所へ行くの? 学生の定番って何かしら。気になるわ」

「私は……図書館が一番多いと思います。私も彼も、本が好きなので」

「可愛い。ねぇ、そういう時って、並んで別の本を読むの? それとも一緒に、同じ本?」

「別の本を読んでいます。でも、お互いに面白かった本を貸し合っていて、そういう時は、感想を言ったり」

「楽しそうね。素敵だわ。一緒にいるのに別のことをしていても楽しい。これってね、本当に想い合っていて、心が繋がっていないと難しいのよ?」

「そうなんですか?」

「そうよ。一緒に何かしていないとダメな関係は、いつか疲れる。自分は自分、彼は彼。でも、きちんと一緒にいる。そういう関係を築けるのは、愛があってこそ」

「愛……照れますね」

「ふふっ」

 今日も静かに珈琲を飲む彼女は前回のように様々な思い出話も聞かせてくれたが、出会って早々に草間の話も聞きたいと言って来た。最初はバイト先のことや学校でのこと、落合や久保といった友達の話をしていたのだけれど、彼女の希望は草間の恋の話だった。

 とてもキレイな人なのに、恋人はずっといないのだそう。仕事柄、一ヵ所に長く滞在しない生活では、持とうとすら思わなかったそうだ。

 会って食事をしたり、お酒を飲んだり、楽しく過ごせる相手はいて、それをひとりに絞らないのは会いたい時にだけ会いたいワガママな自分の身勝手だと、彼女は笑った。

「いいわねぇ。一回くらい、そういう恋をしてもよかったかも」

「なかったんですか?」

 有村を知らない人に有村との話をするのは楽しかったが、草間はやはり照れ臭く、喋り疲れてきていたのもあって気軽に訊いた。

 何を話しても笑ってくれる彼女は、人見知りをする草間でも気兼ねなく話し、素直に質問出来る人だったのだ。今回も少し笑って、頬杖をついた。

「初めてカメラに触れたのは、中学生の頃。父の趣味でね。でも、好きなだけで下手過ぎて、家族写真がいつもブレるの。ブレブレ。私が撮った方が上手くて、撮り始めたらハマって、学生時代はバイトしてお金を貯めてカメラを買って、休みに入ると旅行へ出てね。彼氏を作る暇も、友達と遊ぶ時間もなかった」

「大人になってからは? カコさん、カッコイイからモテそうなのに」

「ありがとう。でも、生活が本当に写真中心だったしね。撮りたいものが幾らでもあった。見たいもの、行きたい場所がたくさんあり過ぎて、ひとりの方が気楽だったっていうのが本音」

 熱心に打ち込めるものがあり、それだけに集中したいから恋人は作らない。確か、佐和も似たようなことを言っていた気がする。仕事が忙しくてそれどころじゃない。佐和の場合は家に帰れば有村がいて、寂しいとも思わないからというのが一番の理由だったようだけれど。

 それでも、有村が言うには、一緒に住み始めてからも恋人は何人かいたという。忙しくていらないと思っていても作る人がいるわけで、それは所謂、出会いなのかもと思うから、草間はティーカップを下ろした手をテーブルへつき、少しだけ身を乗り出す。

 あまり馴染みのない『恋バナ』に、草間は少々浮かれていたのだ。

「じゃぁ、お付き合いをしたことはないんですか? 好きな人とか」

「うーん。彼氏が一回もいなかったわけじゃないけど、言われて付き合うだけで面倒だった。好きな人は……」

「いました?」

「うん。いた。ひとりだけ」

「その人とは?」

「三ヶ月くらいだったかな。でも、会わないって決めて、それきり」

「どうして?」

 目が合って、彼女が笑う。草間の目はキラキラと輝いていた。

 仕事の話。世界中を飛び回る話。勿論、それらも聞きたいし楽しいが、彼女自身の話はもっと知りたい。待ち構える草間を笑い、彼女はひと口、珈琲を飲んだ。

「写真より好きになりそうだったから、かな。でも、ファインダーから覗いて結局、一枚も撮れなかった。写真にするより、一秒でも長く抱き合っていたかったのは初めて。でもね、その子、すごく年下だったの。ここだけの話、大きな声で言ったら捕まっちゃうくらい」

「……未成年?」

「て、いうか、まだ子供。身体が出来上がってない感じ。とにかく華奢で小さくて、どこにも厚みがない感じって、わかる? 男になる前。見るからに、これから育つ少年、っていう」

「身長が伸びていく途中、成長期?」

「そう。実際、その三ヶ月でも結構伸びてね。離れる頃には、私を少し追い越してた。可愛いと思ってた少年がいつの間にか、簡単に私を抱きしめるようになってて。それがね、怖かったから、離れた」

「怖い?」

 楽しい恋の話だと思っていたので、返した草間は首を傾げる。

 当時の彼女が何歳であったとして、相手が未成年で自身が成人済なら公には出来ず、一般的な恋人同士になるのは難しいかもしれない。けれど草間は、出会ったふたりが想い合うこと自体は罪でないと思う。

 小説好きの悪い癖なのか、恋に障害はつきもので、寧ろロマンチックに思えてしまった。映画、『愛を読む人』みたいに。

 それがそうでもなさそうだと気付いたのは、彼女の長い睫毛が伏せたから。下ろしたカップの縁を、彼女の細い指先が撫でる。

 湯気を消した珈琲の黒に彼女が何を見て、何を思い出しているのか、草間にはやはり、目の前の彼女がハンナに見えた。

「私はひとりでよかったの。そういう生き方を気に入ってた。だけど、あの子といると全部が強がりになりそうで。ずっといられたら幸せだろうなって、何度も思った」

「少し待って、その子が大人になってから、お付き合いをするとかは」

「出来ないわ」

「どうして?」

「私はその子に、一番してはいけないことをしたの。簡単に言うと、手を出してしまった。しかも最初は、ただの意地悪。もう来ないだろうと思ったのに、あの子は戻って来た。迷子みたいな顔をして、傷付けた私に助けを求めて来た。可哀想で抱きしめたんじゃない。震えてるあの子を抱きしめた時、私はきっと、とっくにあの子が好きだった」

 語る彼女は表情を変えない。けれど、カップに落ちたままの視線や変わらない表情が草間に、彼女が抱える深い後悔の念を教えて来る。

 悔んでいる。悔み、彼女はいま懺悔している。罪の告白を聞きながら、草間は彼女を見つめ続けた。

「酷い女。最低な女。心の準備も出来てない子供に女を教えて、自分好みに育てようとした。ミイラ取りがって言うじゃない? 自分で育てて、イイ男に見えて、離れるのが惜しくなる。でも、それは私が教えたからで、あの子は教えられた通りにしてるだけ。頭の良い子でね。なんでも飲み込みが早かった。わかるのよ? 本心しか言わない子だったから。なのに、素直に受け取れない。あの子の言葉が全て、振る舞いが全て、教科書通りの模範解答に見える。私が教えた。私が変えた。なのに、あの子の目は変わらない。いつまでも憧れるみたいに私を見てて、嫌でもわかるの。私がほしいわけじゃない。あの子は私の、女を見ない。どこまでいっても、カコさん」

「…………」

「男にして、ただのつまらない女にされた。世間知らずで年端も行かない、子供に」

 真摯な面持ちで話を聞く草間へ息吐くような笑みを零した彼女は「ごめんなさいね」と詫びて来て、珈琲へ垂らした懺悔を「つまらない話」と片付けた。

 そうだろうか。今の話は本当に、つまらない話だろうか。

 草間は、「いいえ」と答えた。

「愛を読む人って映画、知ってますか? 年上の女性が少年とそういう関係になってしまう話なんですが、彼女は自分から離れて行くんです。色々な葛藤も、あるんですけど」

「そう」

「その映画を観て、私は、色んなことが残酷に思えました。設定とか時代背景とかもありますが、例えば、年齢が近かったらよかったんでしょうか。最初から、優しい気持ちだけだったらよかったんでしょうか。そばにいたいから、好きだからそばにいた。状況が違えば、それまでの経験が違えば、全く同じ好きではないかもしれない。でも、結末がどうであろうと、好きな人と一緒に過ごした時間は、悲しい想い出にしてはダメだと思います」

「…………」

「よく、わかりもしないで、偉そうなことを言ってごめんなさい。だけど私、思います。カコさんはその人が好きだった。その人も、カコさんのことが好きだったから、そばにいたんだと思います。一緒にいた時間は、想い合っていたんだろうと、思います」

 言うだけ言って、草間は深く頭を下げる。自分だって、恋などひとつしか知らない。目上の、それも、様々な経験をして来た彼女に何を言えた口でもなければ、資格もない。

 それでも草間は伝えたかった。彼女がしたその恋は決して、つまらないものなどではないと。

「顔を上げて? 優しいのね。慰めてくれるの?」

「思ったことを言っただけです」

「あなたのそういうところ、少しだけ、あの子に似てる。似てるから、あなたは悪い大人に捕まっちゃダメよ。酷いことをする人はいるの。頼るなら、自分を叱ってくれる人がいい。あなたの良くないところをちゃんと、良くないって言ってくれる人」

「怒る人、ですか?」

「ええ。泣いてくれる人もいいけど、叱るって下手をすれば嫌われてしまうでしょう? それでも言ってくれる人は、大事にね」

「はい」

 元気良く返事をした草間は、飲み干してしまったカップに保温用の小さなミトンのようなキルトの帽子を被ったティーポットから、二杯目の紅茶を注ぐ。

 注ぎ切ってしまった紅茶を、一杯目よりもっとゆっくり飲もうと思う。彼女が珈琲のおかわりを注文するくらい。

「そうだ。さっき言ってた、夏休みにずいぶん遠くの図書館まで行っても見つからなかった本、児童書? 絶版になってるかもしれないなら、古書店を回るのはどう? 見てみた?」

「いえ。近くに一軒あるんですけど、そこのおじさんが、どこに行っても目が合って、怖くて」

「ああ、いるわね、そういう人。なら、いいお店を教えてあげる。そこの主人は珈琲を飲んで本を読んでるだけだから、全くの無害。相談すれば、知り合いの古書店から探し出してくれるかも」

「探してもらうって出来るんですか?」

「してもらったことがあるわ。だいぶ前で、何年前か忘れたけど、家に帰れば古い手帳に住所が残ってると思う。あとでメールするね」

「ありがとうございます。行ってみます」

「うん。見つかるといいね、想い出の本」

「はい!」

 日が暮れて、空がすっかり夜の色になる頃に、草間は店の前で帰って行く彼女を見送った。

 歩いて行く後ろ姿は、特にふらついているでもない。スタスタと遠くなっていくのを眺め、草間は逆方向へ、駅へ向かって歩き出した。

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