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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第七章 開花少女
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何気ない、些細なことを

 先に久保を、次に落合を家まで送り、佐和の赤い車は草間の家近くの大通りに停車した。

 そこから直線距離で数メートルの自宅までは、有村とふたりきり。きちんと話さなくて、驚かせてごめんと詫びられたから、草間は正直に答えた。もう気にしていない。でも、これからは詳しく教えてほしい。言いたくないことは言わなくていいと付け加えたら有村が足を止め、繋いだ手が腕を伸ばした。

「君に言いたくないことはない。話して、心配をかけたくないとは思うけど」

 ソックリな台詞を前にも聴いた。その時も有村はこんな風に沈痛な面持ちでいたし、本心なのはわかっている。気を遣わせたくないのだ。他人に遠慮し過ぎる彼らしい。

 だから、何をどう伝えよう。この胸の素直な気持ちを、向かう想いを、どんな言葉で届けよう。

 草間は微笑み、腕の向くまま身体を返した。

「私ね、有村くんに、とっても興味があります」

「興味?」

 初めて手を繋いでこの道を歩いてから、草間は色々なことを知った。

 素敵な外見通りに健やかで、何でも出来る王子様。そんな風に思っていた。考えも、当然、気付きもしなかった。笑顔で隠す胸の奥に大きな傷があること。まだ、その痛みが癒えていないこと。たくさんのつらい想いをしてきたこと。なのに、こんなにも素直な人で、だからこそ深い優しさをくれる彼が、心の底から大好きだ。

 笑ってほしい。何も怖がらないでほしい。囚われないでほしい。

 寂しいなんて思わないでほしいから、繋いだ手を強く握る。

「有村くんは何を見て、どんな風に思うんだろう。ちょっと良いな、とか、ちょっとヤだな、とか。そういうね、ちょっとのことが知りたいです。例えば、昨日の夜は、なに食べた?」

「昨日? 昨日は……ニンジン」

「にんじん? ニンジンの、サラダ?」

「ううん。ニンジン。冷蔵庫にあったから、そのまま」

「そのままって、まるごと? スティックとかじゃなくて?」

「切らない。面倒だし」

「よくするの? そういうの。そのまま食べて、ごはん、とか」

「皮を剝かない果物があれば、そっちを食べる。昨日はなくて」

「皮ごと食べたの?」

「うん。食べればゴミも出ないし」

「えっ、ヘタは? 上のトコ。上は切った?」

「食べた」

「美味しいの?」

「空腹ではなくなったから、別にいいかなって。味は、特に」

「面倒なんだ?」

「そうだね。ひとりなら、本当は食べるの自体が面倒臭い」

「そっかぁ……」

 こんなこと、藤堂が知ったら大変だ。炭水化物がどうのの前に夕食が生のニンジンだなんて、ウサギみたいなこと。やっぱり野菜を食べていたという点では、どこまでも有村らしいが。

 可笑しくなって草間は笑い、何でもないよと首を振る。思い付きでも、どんなことで訊いてみるものだ。極端に自分に無精な有村の限界は、冷蔵庫から出すまで。出した食材を洗うのも面倒で、何か洗い流さなくても死にはしない、などと言う。当然、料理なら洗うし、皮も剥く。自分の為にほとほと何もしない人だと知って、今はまだ昼に見た立派なお弁当が目に焼き付いていたから余計に、草間はクスクス、中々笑いが止まらない。

「そういうのがね、もっと知りたい」

「こんなことを? しょうもなくない?」

「それでいいの。聞いて、そうなんだぁって、それだけなのが嬉しいの」

「……へぇ」

「うふふっ」

 不思議そうな顔をして、有村が見ている。そういう顔も、もっと見たい。何でもない彼が知りたい。どんなことでも。どんなに些細なことでも。良いことも、悪いことも。

「気になるんだよ、有村くんのこと」

「気になる場所が、よくわからない」

「じゃぁ、有村くんは色々話さないとだね?」

「本当は何が知りたいの?」

「だから、有村くんのことを、だよ。なんでもいいの。話してもいいかなって話してくれたら、私は嬉しいよって、言いたいの」

「嬉しいの?」

「うん。すっごく、嬉しい」

 まだ不思議そうな有村が根負けしたみたいに笑って、草間は得意気に唇を噛んだ。

 草間の自宅は住宅街の真ん中にあるので、日が暮れた夜の時間はとても静かだ。ただ、明かりは方々の家から漏れ出していて、たまに家の中から笑い声が聞こえる。団らんの音。家族が楽しく過ごす音。それらをいま有村と共に聞くのは少し、草間の心を重くする。

 仕事で忙しい人たち。その所為であまり両親と過ごした想い出がない、彼。今ここで過去の無神経な質問を詫びるのは違うだろうから、草間は伸びてしまった腕の分の距離を笑顔で引き返した。

「いつ、行こうか、動物園。ふたりで」

「いつでも。君の都合がいい時に」

「なら、明日?」

「タフだなぁ。疲れてるだろうに」

「有村くんが疲れてるなら、やめる」

「僕は、君に会えたら元気になるよ」

「じゃぁ、明日。この間と同じでもいいし、別の所でも。どっちがいい?」

「なら、別の所。でも、映画も観たいのがあるって言ってなかった? 明日はそっちでも」

「覚えてたんだ」

「もちろん。君は正直、どっちの気分?」

「……映画。足が、ちょっと怠くて」

「決まりだ。映画を観たあとは……本屋さん?」

「見つけたらね」

「見つけそうだなぁ」

「有村くんが言うんでしょ? あ、本屋さん、って」

「だって、君が喜ぶから」

「顔に出てる?」

「うん。すっごく可愛い顔をする」

「しないよ、もう!」

 照れ臭くて頬を膨らますが、草間はすぐに笑ってしまう。

 こんなに優しい彼のことを、どうして大事に思わないのだろう。つい、頭の隅っこで考えてしまうけれど、それが意味のないことで酷な疑問であることを草間はよく知っていた。

 考えても仕方がないことだ。そういうことが、そういう親が世の中にはいるし、ある。

 草間はコツンと有村の胸へ額を当て、悔しい想いを胸の奥にしまい込んでから顔を上げた。

「草間さん」

「なに?」

 微笑む草間を見下ろして、有村はそっとバンドエイドだらけの右手を浚って行く。

「今日、お弁当、本当に嬉しかった。美味しかったし、なにより君が頑張ってくれたのが、とても嬉しい」

「よかった」

「だから、本当に待っていてもいいかな。また、今度を」

「もちろん! 待ってて。本当に美味しいのを作って、驚かせるから!」

「美味しかったよ」

「次は、食べた瞬間にウッカリ、くらいを目標にしてる」

「それはそれは」

「私も嬉しかった。いいね、料理って」

「そう?」

「うん。もっと練習したくなった。頑張る。もっと」

 碌な出来ではなかったのに、待っていてくれると言ってくれるのが嬉しい。

 やはり、料理には愛情が不可欠なようだ。少し現金な気もするけれど、有村が食べてくれると思えば草間はもっと頑張れる自分を想像出来た。彼も、こういう気分なのだろうか。誰かの為になら何品でもパパッと、苦も無く。それでもやっぱり極端だ。

 たくさん練習して、たくさん作って。絶対に食べた途端に『美味しい!』と、心の底から言わせてみせる。誓う草間へ微笑みかけて、有村は浚った右手を引き寄せた。

「君が怪我をするのは嫌なんだ。でも、それが僕の為にと頑張ってくれたからなのを、本当は喜んではいけないのだろうに、どうしても、嬉しくて」

「これは、私が不器用だからだよ。結構、転がるんだね、野菜って」

「ニンジン?」

「トマトも。掠っちゃったのは、お肉を切る時。皮が……」

「痛い?」

「ううん。ちょっと切れただけで、今はもう、かゆい」

「あははっ」

 そうして有村は、不器用な草間の指にキスをした。口をグッと押し付けて、小さな怪我を治してくれるみたいに。

 ふと、器用な有村でも包丁で手を切ったことはあるのかと、気になったので訊いてみる。あるよと答える表情は本当のように見えるけれど、草間が触れて持ち上げた有村の右手は指の先までとても綺麗だ。

「本当にそう? すごくキレイだよ?」

「よく見れば小さい傷が残ってると思うよ。火傷は、今もしょっちゅう」

「……ないよ?」

「見過ぎ。眉間に皺寄ってるから、そのくらいで」

「本当にした?」

「したって。誰でもするよ。ほら、返して?」

「うーん」

 近くで観察して不器用の名残を見つけようとしたはずが、草間はまじまじ見つめた有村の右手を手放し難くなってしまう。

 料理が出来て、楽器も使えて、動物に撫でてくださいと擦り寄られる手。肉厚でなく、骨張っている手。なのに、あまり節の目立たない長い指。本当に、有村の手はとても綺麗だ。

「……買った色鉛筆で、リリーちゃん、描いてみた?」

「まだ。実は鞄に入れたまま」

「そっか。描いたら見せてほしいな。リリーちゃんの顔、知りたくて」

 可愛げのない口は、黒いシェパードだよ、などと言う。それはもう知っているのだ。草間が知りたいのは、リリーの顔。有村に寄り添い続けた、彼の一番の友達の顔。リリーを想う、有村が描いた絵。

 来週はまた放課後に美術室へ行こうと持ち掛けた。返事は、うん。

 安田先生が出すお題ではなく有村が描きたくて描く絵を、草間はそろそろ見たくなっていた。

「なんとなく好きなの。有村くんの右手」

「右限定?」

「どっちかというと、右の方が好き。なんとなく」

「君って、そういうところあるよね」

「よくないところ?」

「良いところ。好きな方がある君のこと、好きだよ」

 右手を取り返すのを諦めたらしい有村は、右手が好きな草間を少数派のように言う。

 どっちでもいい、が、草間には少ないと言うのだ。指摘されてみれば、そうかもしれない。

「君は、好きな動物も色も、すぐに答えた。君のそういうところ、好き」

「有村くんは答えないの?」

「出て来ないかもね。みんな好きだから」

「私も、みんな好きだよ?」

「でも、答える。そこがいい」

 よくわからないなと思い、草間はようやく右手を解放してあげた。

 どれも深い意味はないのだ。尋ねられると、口から答えが出るだけで。草間は単純なだけだと思ったが、有村に良いと思ってもらえたのなら悪くない。

 手を離してもすぐ後ろにある家に帰るには名残惜しく、まだ何か話していたい気がして有村を見上げる。別に話さなくてもいい。草間はまだ有村に『また明日』を言いたくないのだ。

 互いに見つめ合うだけの時間が流れ、有村は笑顔で軽く首を傾げた。見送ってくれて、もう帰る時間なのはわかっている。それでも無性に名残惜しいのだ。明日もまた会えるのに。

「……あのっ、あのね、有村くん――」

 次の会話など思い付かないまま、口を開いた。

 その口に、有村がキスをした。

「……ごめん。断りもなく」

「……ううん」

 軽く、触れるだけのキス。してすぐに申し訳なさそうな顔をするから、草間は他に誰もいないし、と、周りを碌に見もせず答える。

「……もう、しないのかも、って、ちょっと思った」

 あの雨の日から、有村の様子がどこか余所余所しかったから。この際だと心に決めて、久保に強く言われたのではと尋ねたが、藤堂が言っていた通り、有村も別に久保からは何も言われていないという。

 でも、反省はしていたようだ。有村はあの日のキスを、好き勝手にしてしまったキスだと言った。

「私は、嬉しかったよ……?」

 告げて、恐る恐る目線を上げる。有村はまた目元を手で覆い隠して、だいぶ上を向いていた。

 これが、よくないのかな。思ったことは伝えなくてはと言葉にしているのだけれど、この話題の時だけ有村の反応が芳しくない。

 寧ろ、困らせてしまっている気がする。こういうことはあまり、女の子は言わない方がいいのだろうか。情けなくも草間にはまるで知識がないもので、実はとても恥ずかしいことをしているのではないかと不安になる。

「……君ってさぁ、すごいよね。ホント、すごい」

「こういうの、言わない方がいい? 思ってても、黙ってるもの、なのかな」

「如何とも言い難い」

「え?」

「言ってくれるのは嬉しい。けど、苦しい」

「苦しい?」

「ううん。今のは忘れて。しょうもない話だから」

「しょうもない」

「いや、本当にね、本当の意味でしょうもない話だから、言わないよ」

 結局、口にして良かったのか、悪かったのか。

 わからない草間はそろそろ大人しく帰ることにして、明日の連絡はあとですると、それだけ伝えた。

「ごめんね。私が帰らないと有村くんも帰れないのに、いつまでも。佐和さんだって待ってるのに。なんだか、あともう少しだけ、有村くんといたくて……」

「…………」

「それじゃぁ、また明日ね。おやすみなさい」

「…………っ」

 踵を返そうとした草間の腕が、捉まった。

 手首の辺りを掴まれて引かれるままに、気付けば温かい胸の中にいる。抱き寄せられたのだと理解した時には、草間の頬に大好きな右手が滑り込むところだった。

「…………っ」

 あれ。この顔、知ってる。

 少し開いた口が唇に重なる直前、見上げた有村の顔を見て、草間は思った。

 知ってる。この顔。この目。この、瞳の色。

 食らいつくみたいに重なって、草間はまた苦しくないキスに溺れた。

「…………っ」

 この前よりは短い時間。それでも呼吸が上がっていく。

 鼓動が速まり、体温が上昇していく。

 覚束ない舌を舐め上げて唇を離していく有村の目を、草間は知っていた。

 光を集めるようなヘーゼルグリーンが色を落とす。並んでいた色鉛筆の縦列を下へ行くみたいに、黒へ近い所まで落ちているみたいに見える。夜の海のよう。けれど、いつか見た暗いだけの海じゃない。飲み込むような、暗闇じゃない。白い波が立つように、奥で何が揺れている。

 知ってる。彼が彼でないようなこの目は、絵を描いている時の。

 不思議な黒はすぐに元のキレイな色へ戻り、有村の指が閉じ損ねた草間の唇を撫でた。

「……ごめん。早く行って。八時を過ぎてしまうから。引き留めてしまいたくなるから、早く、中へ」

 目は合わず、顔も僅かに逸らして告げる有村の表情は、本当に強く堪えているよう。草間にはそう見えたので、そっと腕に触れ、「また明日」のやり直しをした。

 言葉では同じく返してくれたし、玄関扉を開ける前に手を振れば振り返してもくれる。見間違いではないとわかって、草間は元気に告げた「おやすみ」と聞こえた「おやすみ」を最後に扉を開いて中へ入った。

 まだ、心臓がドキドキしている。上がってしまう頬も、すぐには戻りそうにない。

「おかえり、仁恵! どうだった? お弁当、どうだった?」

 ドアを背にしたまま、リビングから飛び出して来た母親に「ただいま」を言うと、草間は自慢げに胸を張る。

 玄関へ下ろした通学鞄の中から小さなバッグを取り出し、入れていた弁当箱の蓋を持ち上げて見せる時には、更に誇らしげにツンと顎まで上がっている。

「すっごく喜んでくれた。美味しいって、ホラ! 全部食べてくれたの! ありがとう、お母さん。いっぱい助けてくれて」

「そう! よかったね、仁恵! 私は教えただけよ。仁恵が、頑張ったの!」

 彼も、そう言ってくれた。嬉しくて閉じない口で伝えると、母親は草間を思いきり抱きしめた。

 抱きしめながらゆらゆら揺らして、よかったね、の弾む声が何回も耳のそばで降る。そうして玄関を上がらないまま抱き合っていたら、今日は帰宅が早かったらしい父親がいつの間にか、リビングのドアに肩を預けて立っていた。

「おかえり、仁恵。お弁当もいいけど、運動会はどうだった?」

「ただいま、お父さん! 今年はね、すっごく楽しかったよ!」

 浮かれた草間の口は止まらずに、すぐさま今日のダイジェストを披露し始める。

 三輪車リレーで生まれて初めての一位になったこと。すばしっこい鈴木の障害物競走がビックリするほど速かったこと。棒倒しで張り切った落合が足に怪我をしてしまい、一緒に保健室へ行ったこと。他にも、騎馬戦で有村たちが大活躍したことや、綱引きで藤堂が一歩も前へ出なかったことなどを矢継ぎ早に捲し立てた。

「今年もね、絵里ちゃん、リレーですごく速くて。一緒にウチのクラスから出た子も速くてね、女子は二位だったの。ちょっとの差で。それで男子が一位を取れば優勝ってことになったんだけど、今年も三年生のアンカーの人がすごく速い陸上部の部長さんで。最初から抜いたり抜かれたりしてて、鈴木くんがアンカーの藤堂くんまでに引き離してないと厳しいって、私たち、必死で応援したの。有村くんの前の人が抜いて少し前に出て、有村くんがその差を校庭の半分はいかなかったんだけど、すごく開いて藤堂くんに渡して。それでね、今年は勝てたの! ゴールした時は同時に見えてダメかもって思ったけど、勝ったの、藤堂くん! それでね、総合優勝、私たちだったんだよ!」

 すごいでしょ。そんな風に満面の笑みを浮かべると、父親も母親も「すごいね」と「よかったね」で大きな笑顔を返してくれた。それがまた草間は嬉しかったのだ。嬉しくて嬉しくてもっと話そうとしたら、しっかりと笑い出した父親に「まだ玄関だよ」と止められた。

「せっかくだから、ゆっくりお茶でも飲みながら、もっと聞かせて。とりあえず、先に着替えておいで。紅茶でいい? 美味しいのを淹れて待ってるから」

「うん! わかった。着替えてすぐに下りて来るね!」

 慌ただしく靴を脱いで上がる草間から、母親が弁当箱を受け取ろうとする。

 確かにすぐに洗わないといけないし、二階へ持って行く必要はないのだけれど、草間は出された手には応えずに、あとで自分で洗うからと階段を駆け上がった。

 洗って返すと言った有村に、戦利品だから返してくれと頼んで持って帰って来た弁当箱だ。なんとなく、片付けるまで誰にも触らせたくなかった。それだけは、お喋りな今夜でも絶対に言わないけれど。

 逃げるように二階へと駆け上がって行く娘を見送り、階段を下から見上げた母親と父親は、そっと顔を見合わせる。

「仁恵が運動会が楽しかったなんて言うの、初めて聞いた」

「そりゃそうよ。だって今年は、洸太くんがいるもの。本当にいい子。あのお弁当、あんなにキレイに食べてくれて」

「美味しかったんだよ」

「美味しいわけない。本番は自分ひとりで作るって、あの子、近くで見せてもくれなかったのよ? 詰める時に少し口を出したけど、洸太くん、胸やけとかしなかったかしら。心配」

 料理下手の娘を知る母親が、耐え難いとばかりに瞼を閉じる。目も口も固く閉ざした母親の背中を撫で、父親はもう一度「美味しかったのさ」と微笑んだ。

「少しくらいはイイ男だと思ってあげてもいいかな。あの料理の美味しさがわかるなら」

「なに? その顔。自分は食べたって言ってる?」

「思い出すねぇ。米粒が消えたオニギリ」

「貴志くん?」

 笑顔の父親はひと足先にリビングへ戻り、二階で忙しく駆け回っている娘が降りて来るまでに、とっておきの紅茶を淹れた。

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