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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第七章 開花少女
263/379

少しでも、喜んでもらえたら

 全校女子生徒を疲弊させた玉入れ終了後、校庭中に散らばった残りの玉が回収され、応援はいいから休んでいろと言い残した藤堂が出場した平均台での押し相撲で圧勝を決める頃に、草間たちはようやく支えをなしに座り、拍手程度は送れるまでに回復した。

 次の種目で午前は終わり。まだ疲労が残る中、放送部が前半戦の最終種目をアナウンスする。

『これより騎馬戦を始めます! 男子は全員、校庭の真ん中へ!』

 応援しなくてはと顔を向けた草間の頬を、有村の手が、指先が、軽く撫でる。

「無理しなくていいからね。行ってきます」

「うん。いってらっしゃい。頑張ってね」

 立ち上がる有村に続く鈴木にも山本にも、移動して行く男子全員へ向けて、草間たちは「頑張ってね」を送った。回復の遅い女子が先だったのに狙いがあるなら、この順番は中々見事だ。

 とはいえ、残されて休んでいられるはずの女子がこの種目で、素直に大人しくしていられるわけもなかった。

 さっきまではそこかしこで、落合曰く『屍』のように休んでいた女子たち。草間の周りでもC組の女子が立ち上がり、今度は必死に声を張る。まず聞こえるのは、甲高い悲鳴。声援のつもりなのかもしれないが、キャー、イヤー、と湧き起こるのは、悲鳴というか絶叫だ。

「ちょぉ! 今年は脱がんのか、男子!」

「ジャージじゃつまらん! 脱がせろ、生徒会!」

 そういえば、騎馬戦といえば上を脱ぐ半裸姿が定番で、草間は特に苦手だった。

 今年はジャージのまま行うようだ。天気はいいけれど、吹くと冷たい風に配慮したのだろうか。

「コレ、姫様対策だったりして」

「え?」

 悲鳴を邪魔にして、落合が耳打ちをしてくる。どうせ、文句言ってる人たちが見たいのは姫様とセコムの裸体。誰が見せるか、と呟いて落合は離れ、戸惑う草間の肩に久保の肩が近付いた。

「見える? 仁恵。向こうの、一眼レフ部隊」

「うん」

 久保が顎で指し示すのは、新聞部を兼任する写真部が主体の撮影隊だ。灰谷もいるし、去年もいた。

「行事は忙しいから有志を募るらしいのよ。で、マオに訊いたら、今年は去年の倍ですって」

「倍? すごいね」

「で、増えた中に痛いのがいる。仁恵も多分、顔見たらわかるんじゃない? 毎朝毎朝懲りもせず、受け取らない有村に何かしら渡そうとしたり、ウッカリ、みたいな顔して抱き着いたりしてたヤツら。所謂、ガチ勢ね。親衛隊がマークリストに載せてる」

「えっ」

 言われてみれば確かに、そういう人の顔はすぐにでも何人か思い浮かぶ。偶然以外は有村に触れないのが、朝の時間の決まり事。なのに、それを破る人はたまにいた。その度に親衛隊が出動して怒号が飛び交ったので、草間も数件は覚えている。

 抱き着く。腕を組む。されて、流れるような身のこなしで擦り抜ける有村も。今にして思えば、ああいう時の有村の顔は大概に嫌そうだった。それも、今ならわかる。有村はあまり、触られるのが好きじゃない。

「それで、マオが言うには部長が内密に、先生に報告したいみたいね。それで言ってるんでしょ、君佳。有村対策」

「んだ。余計な餌は撒くまいよ。そもそも脱ぐ必要なくない? やめたんじゃん」

「えさ?」

「男だからって身体撮られてバラ撒かれたんじゃ、さすがに気の毒」

「ばら撒く、って……」

「なんか、めっちゃキモい女子とかデカくして、ポスター大で眺めそう」

「え!」

「やめてよ、君佳。気持ち悪い」

「だってさぁ、痛いのはマジで痛いよ? あたし聞いたもん。姫様の脇に顔を埋めたい勢がいるんだぜ」

「やだぁ」

「いるんだって! 廊下で話してて、死ぬほど引いた」

 草間はいま引いている。干潮より遠くまで、果てしなく。

 これが特定の女子に対してならもっと問題になるのだろうに、男子だから見逃されているのだとしたら疑問だ。性別は関係ない。思うことまで否定はしないが、言われて気分の良くないことは誰にであれ、口に出してはいけないこと。今年からジャージ着用になったのは、よかった。

 それでも、ふと思ってしまいはする。やっぱり、あるんだな、と。

 待ち伏せや付き纏い、果ては校外でのストーカー事案など、噂でなら幾つか聞いて来た話だ。しつこくされて困っている、と。春先にはよくそういう話を聞いたけれど、そういえば夏以降、交際を始めてからはあまり聞かなくなった。草間が敢えて噂を耳に入れないようにしているからか、思えば、有村がそういう件で困っているのを見たことがない。

 言わないでいるだけ。有村なら、それもあり得る。今度、それとなく聞いてみるとしよう。藤堂に。

 そうこうしている内に前方では、学年毎の陣形が組まれつつある。悲鳴と絶叫は相変わらず。藤堂を先頭に鈴木と山本で組んだ騎馬に有村が跨ると、それはもう正に割れんばかりの大合唱になった。

「落ちないでー! 有村くーん!」

「怪我しないでー! 姫に傷付けたヤツ、殺してやるからなー!」

 しかも、物騒なこと、この上ない。

 校舎前に設置されたテントの中で読まれているはずの放送部の原稿も聞き取れないほどの雑音に負けじと、C組の女子たちは真っ当な声援を送る。下で騎馬を組む藤堂に、鈴木に、山本に、他の男子に満遍なく。

 けれど、やはり有村への声援がダントツだ。人気は藤堂と二分しているが、愛想の良い有村の方が集めやすいとは、久保の談。

「有村くん!」

 草間も精一杯に叫んでみるが、出した声は自分の耳にも届かない。

 校庭まで、騎馬に乗る有村にまで届くわけがない。わかっていても草間は肺一杯に息を吸い、吐き切るまで叫んだ。

「最後まで残って! 勝って! 有村くん!」

 届かなくても、じゃない。絶対に届けてやるんだと、力の限りに声を出す。

 振り絞った草間の右手には、四ヵ所のテーピング。指に巻き付いた、四個のバンドエイド。

 僅かに、有村がこちらを振り返った気がした。

「……あ」

「なに? どした!」

 振り返って、自分を見たような気がした。声が届いた自信はない。視力の良くない有村がこの距離で、自分だけを見つけられるとも思えない。

 なのに、草間はいま有村と目が合った気がしたし、何故だか無性に予感がした。

「残る」

「ん? なに?」

 周囲の音で聞こえない落合へ、草間は大声で応える。

「有村くん! 残る!」

「は?」

「なんとなく! そうするって決めた気がする!」

「なんじゃそれ!」

 言った草間も、そう思う。なんだろう、これ。

 あそこには勝つ気でいる人しかいない。全員が、相手のハチマキを奪い、他学年の騎馬を全滅させようとしている。そういうつもりで、あそこにいる。けれど、草間はやはり、有村の騎馬は残ると思うのだ。相手を倒して、最後まで。

 騎乗したまま背中を丸めた有村が、前の藤堂に何か話しかけている。次いで、後ろの鈴木と山本にも何か声をかけたようだ。それから間もなく、開始の号令とピストルが鳴った。

 予想通りというべきか、闘争心の塊である藤堂はより激しい攻防が繰り広げられる中央へと突進していく。伸びて来る手をゆらりとかわし、先に仕掛けられた有村が相手の緑のハチマキを取ったのが見えた。

 そこからは目立つ有村の茶色の髪さえ見分けるのが困難だった。崩れた騎馬が四人の徒歩で陣地へ戻り、数が減ってようやく見える。有村はまだ戦っていた。藤堂たちはクルクルと向きを変え、崩れずに校庭を駆けている。

「ヤバ。数減って狙われてる? 集まって来てんぞ!」

「有村! 後ろ! 後ろと、左から来てるわ!」

「有村くん! 避けて!」

「え、どれだけ反るの。後ろ低いのフル活用かよ」

「あの体勢で避けて取るって、体幹どうなって――」

「有村くん! その緑崩したら、緑、ゼロ!」

「……ねぇ、アレ絶対、仁恵の声、聞こえてない?」

「ホント、キモい。腕長過ぎてキモい」

「あと少し! 頑張って、有村くん!」

 騎馬戦は下での攻防もキモだと、草間は前に本で読んだ。騎馬を崩さぬよう食らいついた鈴木と山本、恐らくは強面を最大限に活用し鬼神の如き睨みを利かせていたであろう藤堂の努力もあって、再度のピストルが鳴り響いた時、荒々しく揺れて弾む茶色の髪にはまだ赤のハチマキが巻かれていた。

 残基が減り、見晴らしがよくなってからの有村は、まるで乱舞しているようだった。かわして、避けて、不意を突いてハチマキを取る。危うい場面は何度もあったが、彼らは残ったのだ。

「やったー!」

「マジだ! マジで残った! なに仁恵、エスパー?」

「残数は?」

「最後にバタバタ、自滅もしたみたいだから……ああでも、赤じゃない? もう一個いる!」

 校庭の中央には、生き残った三組だけが残る。黄色いち、赤に、緑ゼロ。放送で残数が告げられると、先程までの悲鳴を越えて二年生の歓喜の声が突き抜けた。



 痛々しい鈴木の足を見て、落合が心配そうにしている。

「蹴られたん?」

「しこたま。下、蹴り合いだぜ。俺も蹴ったけど」

「マジか」

「蹴られたらな。始まる前にフェアにやろうって、有村が」

「ああ、そう言ってたの」

 そんな話をしてたんだ。聞こえて来る会話に気を取られた草間の近くでは、藤堂が「見せろ」と言って有村の体操着を捲る。

「何発食らった」

「覚えてないよ。いいじゃない、別に。勝ったんだから」

 有村の腹部に痣が残るのを心配する藤堂へは、「俺もう痣になってんだけど!」と元気な鈴木が食って掛かった。直前の作戦会議で有村は藤堂に、鈴木と山本に無理をさせるなとも言ったようだ。

 一位から三位まで得点の入る全員参加種目や、花形で高得点が期待出来るリレーなどが続く午後からの第二部を考えると、前半戦を終えた面々の疲労感は昼休憩に充分な休息を取る必要があるほどだった。

 直後には動くのも辛かったが、さすがに玉入れの疲労は癒えつつある。なので、応援場所を出て移動する草間は主に叫び疲れ、喉が少しヒリヒリしている程度だ。

「のう、姫様。仁恵の声、聞こえてたやろ」

「愚問だね。どこにいたって、草間さんの声だけは聞き分けるよ」

「ひゅー、ひゅー」

「照れないけど?」

「チッ。つまらん!」

 あと、足は少し疲れている。だから、ということにして、草間は照れてしまいそうだから、みんなの後ろをついて行った。緊張している所為でもある。草間にはこのあと、内緒の一大イベントが待っているのだ。

 昼食は校舎内に入らなければ、どこで取っても構わないことになっている。校舎の裏手へ回った人もいるし、解放されている体育館へ向かう人、そのまま校庭で食べ始めた人たちもいたが、草間たち七人は中庭にある桜の木の下に三枚のレジャーシートを敷き詰めて円形に並び、それぞれに腰を下ろした。

「あ。昼イチ、仁恵の三輪車じゃん。次が女子の棒倒しで、その次が姫様と山もっちのおたまリレー。綱引き。大玉転がし。で、最後の学年対抗リレー。え、姫様、おたまからずっと出ずっぱりじゃない? 死なない?」

「ねー。応援で声枯れるかと思って、朝、のど飴買って来ちゃった」

「準備よすぎ。お母さんか」

 紙皿と紙コップと割り箸をセットにして人数分を配り終え、草間は『お母さん』なんて上手いことを言う落合に笑みを零す。確かに、七人分の昼食の主体になる弁当を三段の重箱に詰めて持って来た有村は、古き良き『お母さん』のよう。おかずのラインナップは一段ずつ、和、洋、中。どの段も彩り豊かで品数豊富であるのが、如何にも有村の料理という感じだ。

 全部が美味しそうで、見た途端に空腹感が増したのは、素直に腹の虫を鳴かせた山本だけじゃない。草間たちの口からは「うわぁ」や「すごい」というような感嘆が漏れたし、藤堂は早速と箸をつけようとして、「いただきますくらいしなさいよ」と久保に叱られたりした。

 それぞれが持ち寄った食料を中心に広げ、七人で囲む盛りだくさんの昼食は、まるで花見。横にある桜の木が余計に草間を春の気分にさせる。

 天気もいいし、気持ちの良い日だ。重箱の蓋を自分の後ろへ片付けた有村を見届けて、草間は後ろに置いていた小さなバッグを膝へ乗せる。持ち手を掴む指先の、バンドエイドが恥ずかしかった。

 母親の予想通りに藤堂の母親が用意したおにぎりやいなり寿司も七人分には充分で、草間たち女子組が持ち寄ったおかずを合わせれば、食べ切れるかもわからないくらい。

 充分なのだ。量も、豪華さも。なにより有村が広げた重箱の中身が素晴らし過ぎて、この期に及んで取り出すのを躊躇ってしまう。

 持って来るとは言っていないし、落合と久保にすら練習したとも話していない。出さないで持ち帰っても、誰も気付かない。出さなければ、知られずに済む。その方が、とも思ったのだけれど、草間はバンドエイドが四つも巻き付く左手の指で小さく、隣りに座る有村の袖を引いた。

「有村くん、あのね……」

「うん?」

 喜んでもらえるだろうか。寧ろ、迷惑にならないか心配だ。

 有村は優しいから、渡せばきっと食べてくれる。多少はマシになっただけの、そこから更に厳選した見栄えの酷くない品を詰め込んだ、お弁当。午後は一層活躍の場が増える有村を腹痛にさせてしまっても、とも考えたのだ。それでも草間は両手で持ち手を握りしめ、ランチバッグを有村へと差し出した。

「あっ、これも広げる?」

「ううん。あの……あのね。その、作って、みたの……有村くんに。ちょっと、見た目は悪いんだけど……」

 ちょっとじゃない。本当は、だいぶ悪い。妙な見栄を張ってしまい、草間は俯いて唇を噛む。

 詰め終えた弁当箱を改めて見た時の草間の純粋な感想は、なんか黒い。

 可愛くないし、美味しそうじゃない。彩りで入れたプチトマトまで、食材を殺す草間の料理の端っこでは新鮮さを失くすよう。武骨で、不格好で、そんな弁当を料理上手な有村に渡す草間は、今すぐにでも泣けと言われたら号泣出来る。

 でも。だけど。

「みんなの分、有村くんは作ってくれたでしょう? キミちゃんも絵里ちゃんも、藤堂くんのお母さんも作って来てくれたけど、有村くんに、のお弁当、作りたくて……」

「僕の為に?」

「うん……でも、無理して、食べなくていいか、ら……っ」

 困ってないかな。草間はそれが心配で、目線を少しだけ上げたのだ。

 その目が、大好きな宝物を映して大きく見開く。渡したバッグを持ったまま、面食らっていた有村の顔に少しずつ、ゆっくり笑顔が咲いていく。ゆっくり、じわじわと咲いていって、柔らかく目を細めた有村が尖った犬歯を覗かせて満面の笑みを浮かべた。

「嬉しい! 開けて、見ていい?」

「う、うん」

 胡坐の形の足に置いたバッグから弁当箱を取り出し、有村の骨張った白い手が上から掴んだ蓋を持ち上げて行く。露わになった中身を見て、草間は再び思った。黒い。黒いし、不味そう。

「すごい。こんなにたくさん作ってくれたの? 朝、早く起きて? 昨日の夜から?」

「……昨日、作れるのは作って、朝は、四時、から……」

「そんなに頑張ってくれたんだ……ねぇ、食べていい?」

「……うん」

「いただきます!」

 きちんと手を合わせて言ってから、有村の箸は草間が最も黒くて不味そうと思っている唐揚げへと伸びた。

 みんな何も言わずに見ているから、きっと思っているはずだ。真ん中にはお手本のような唐揚げがあるのに、それを作った人によくも渡せたものだ、と。ずっと無言でいるのはきっと、みんな呆れているからだ。

 持ち上がる固そうな唐揚げを目で追いかけ、草間はそれが放り込まれる口を見た。不味くないかな。焦げ臭くないかな。山積みの中では上手に出来た方でも、単体だとあまりに酷い。

「…………」

 でも、揚げ過ぎの黒い唐揚げを頬張る有村の口角は上がっていて、モグモグと動いた頬からまた顔中に、ゆっくり上がっていく肩から身体中に、喉が大きく上下してすぐ浮かんだ笑顔と同じ『うれしい』が満ちて行くみたいだったのだ。

 花が咲いて、咲き誇って、花弁を撒き散らすように振り向いて――溢れるように、有村が笑った。

「美味しい! ありがとう、草間さん!」

「…………っ」

 弾む声で、弾ける笑顔で言った有村が、子供みたいに笑っていた。

 絶対に、美味しくなんかない。どちらかと言えば不味いはず。なのに、すごく美味しそうに食べてくれる。美味しいよって言いながらパクパク食べて、有村はずっと笑っている。

 息を飲んだ口を閉じ、草間は泣いてしまいそうになった。だって、見せてくれたのだ。見られたのだ。大きくて、無邪気で、言葉よりずっと『うれしい』を伝えてくれる、大好きな笑顔を。たまに会える、草間の大事な宝物を。泣くのを堪えて、草間は強く目を瞑った。

 私はまた、あげようとして貰ってしまった。

 有村くんは、またくれた。あげたかった私に、こんなに大きな『うれしい』を。

「…………っ!」

 堪らなくて、抑えきれなくて、飛び込んだ草間の額が、弁当を食べ続ける有村の肩へ落ちた。

「……私、もっと上手になるから……もっと、本当に美味しいの、作れるようになるから……そうしたらまた、食べてくれる?」

 もっと、たくさん頑張るから。いっぱい練習するから。ちゃんと、美味しい料理を作るから。

 声に出せなかった言葉を胸に詰まらせる草間を、弁当を下ろし額から離れた有村の両腕がしっかりと、包むように抱きしめた。

「もちろん。いつでも、待ってる」

「…………っ」

「けど、これより美味しいお弁当を食べたら、僕、きっと幸せ過ぎて壊れちゃうよ」

 ギュウっと強くなっていく腕に身体を起こされた草間の首筋に、肩に顔を埋めて擦り付けられる柔らかい茶色の髪が、青空を映す草間の視界でキラキラ揺れる。

「ありがとう、草間さん。僕、こんなに嬉しくて美味しい料理、はじめて」

 しなくちゃと思う前に、したいと感じる前に、持ち上げようとする前に草間の両手は有村の背中に触れて、羽織るジャージの布を掴んだ。

 少し、わかったかもしれない。料理の最後の隠し味。

 彼を想って、彼の為に。

 彼のことだけを考えて作ったから、だからきっと、こんなにも嬉しくて堪らない。届いたのが、伝わったのが、嬉しくて堪らない。

「大好き、草間さん。大好き」

「…………っ」

「ねぇ、ずっと好きになってって、どこまでも好きになってって、僕、どれだけ草間さんを好きになったら、大好きが大きくなるの、止まるのかなぁ?」

「……わたしも、わかんない」

 答えて、力一杯に抱き寄せた。これ以上の力は出ないのに抱き着き足りなくて、草間はキュッと目を閉じた。

 もっと。もっと。『応えたい』より溢れ出して、草間の顔が有村の肩口に埋まった。

「……あのぉ、一応、うちらもいるんですけどぉ」

「……ハッ!」

 そろそろと手を上げる落合の声で感無量に浸っていた草間は我に返り、離れない有村の背中を叩いて腕の中から逃げ出した。

 みんなの前では、なんて言っておきながら、昼食時間の中庭で抱擁を交わすなど、なんたること。慌てた草間が見渡すと、レジャーシートで円になるいつものメンバーはまだしも、その向こう側から、奥から、あちらかもこちらからも向けられていた視線の数たるや、まさに無数。

 気付いた途端、草間の肌という肌が真っ赤に爆ぜる。

「ねぇ、キスしていい? したいの、いま。軽くでいいから」

「ダメに決まってるでしょ!」

 キレイでもカッコイイでも色っぽいでもなく可愛い顔をして強請る有村を怒鳴りつけ、草間は張り上げた大声のまま叫んだ「いただきます!」で、神頼みするみたいに力強く、掌を打ち鳴らした。

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