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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第七章 開花少女
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出発地点がひどすぎる

 ひとりの男の未来を救ったとは、はて、どういう意味だったのだろう。

 考えても答えが出るはずもなく、草間はリビングの本棚で、母親の貯蔵本を物色中。ズラリと文庫本がひしめく本棚の一番下段は、テキスト本専用だ。

 編み物。刺繍。ガーデニング入門。世界のケーキ。燻製の作り方。

 端から背表紙を指でなぞり、また溜め息を吐く。

 男の未来を救うって、どういうこと?

 全く意味がわからない。

「あら仁恵、どうしたの? また料理?」

「あ、お母さん」

 しゃがむ草間の揃えた膝の上には、二冊の本が乗っている。

 三冊目を取り出して、草間はスクリと立ち上がった。

「美味しくて可愛いお弁当、私でも作れるかな」

「お弁当?」

 中学の学校行事まで母親が作ってくれた『キャラ弁』のように可愛くて、今も毎日作ってくれる色味がよくて栄養バランスの良い、お弁当。

 三冊のレシピ本を前へ突き出して険しい顔をする草間は、そんなお弁当を作りたいのだ。

「なるほどねぇ。色々持ち寄って、みんなで。面白いわね。ピクニックとか、お花見みたいで。で、作ってあげたいんだ? 洸太くんに」

「うん」

 発案者は落合だ。運動会の当日、藤堂と自分の分の弁当に何を詰めるか考えていた有村に鈴木と山本が便乗し、落合までが乗っかった。それなら七人分作ると有村が言い出して、さすがに負担が大きいと、久保が持ち寄りを提案したのだ。

 主体はあくまで、名料理人こと有村が作る弁当。それ以外は二品、三品、何かしら作って持って来ようと。男子は面倒臭がったが、それぞれ、藤堂は米担当、山本は飲み物担当、鈴木はデザート担当ということで決着し、その中で草間はひっそりと、自分はみんな用のおかずの他に、有村の弁当を作れないか考えた。

 きっと、落合や久保だって有村の手作り弁当をアテにして、それほどお弁当らしいおかずを持って来ない。帰りがけ、落合などは、姫様はいっぱい作るだろうから邪魔にならないくらいちょっとでいいよね、なんて言っていた。草間たちはまた有村の美味しい手料理を食べられて嬉しいけれど、それでは有村だけ楽しくないような気がしたのだ。

 料理なんて、まだ、全然上手じゃないけど。

 娘のことはよくわかっている母親だ。三冊のレシピ本を広げつつ、電話機の横に置いているメモ帳を取って、草間が待つソファへと戻って来た。

「まだ時間はあるし、今から練習すれば作れるよ。私も手伝うし、教えるから」

「手伝いはいいの。私が、自分で作らないと。色をね、キレイにしたいの。だけど私、包丁が得意じゃないから、どれだったら出来そうかな」

「そうね。洸太くんは野菜が好きって言ってたし、盛り付け次第で彩りは問題なし。他に好きな物は? お肉とか、魚とか。あと味付け。あっさりか、こってりか。それがわかるとグッと選びやすくなるわね。和食系が好きとか、洋食系とか」

 レシピ本を捲る手を止め、草間はウーンと考えてみる。

 これまでに有村と取った食事を思い返し、交わした会話の記憶を漁る。彼は何を食べていて、何が好きだと言っていただろう。スッパイ物が苦手なのだ。梅干しとか、レモンとか。あと、餡子を食べると咳が出る。緑茶も飲むと咳が出る。粉っぽい物も苦手なのかもしれない。

 それ以外の好き嫌いは特にないと聞いた気がするが、その時、藤堂がそうでもないと言っていたような。あの時、藤堂は確か――。

「……よく噛める物が好き」

「え?」

「藤堂くんが言ってたの。噛むのが好きだ、って」

「えぇ……」

 そういうことじゃないのよ、と諭され、草間もそんな気がしてまた悩む。

 よく食べているのは甘い物。お菓子。野菜。果物。思い付くまま言い連ねると、母親が小動物みたいねと言った。本当だ。思い付く物が料理ではなく素材ばかり。有村はそれを大体、手を加えずに丸齧り。自分の為に料理はしないと話していた時、藤堂が包丁くらい使えと言っていた。

「自然志向なのかしらね。素材の味を大事に。ナチュラリスト」

「なら、あっさり系かな?」

「すごくね。よくわかった。それじゃ、あれだけ痩せるはず。そうだ! ならいっそ、定番のお弁当を作るのはどう? 唐揚げとか、卵焼きとか。お米の担当は圭一郎くんなんでしょう? なら、奥さんがきっと色々作って持たせるだろうし、仁恵のお弁当には、定番のおかずを詰めるの。いっぱい!」

「いっぱい?」

「そう! いっぱい!」

 いっぱい。お弁当箱いっぱいに、定番のおかず。

 閃いた顔の母親を見つめて思い返せば、料理からは少し離れてしまうけれど、有村は時々旅行で日本へやって来た外国人のように、王道とか古き良き、という物にとても良いリアクションをする。そう考えると、『オー! ジャパニーズ、オベントウ!』という弁当は確かに、アリかもしれない。ただ。

「でも、鈴木くんが、有村くんの唐揚げはこの世で一番美味しいって」

「関係ないわよ、仁恵」

「あるよ」

「ないの。料理の一番の隠し味はね、愛情!」

「愛情?」

「そう! 洸太くんの為に、洸太くんのことを想って一生懸命に作ったら、仁恵のお弁当は世界一にも負けないんだから!」

「世界一の上って、なに?」

「いいのよ! そんな、細かいことは!」

「えぇ……」

 そこからは、本棚から定番の家庭料理という本も取り出して、ああでもない、こうでもないと一時間近く、母娘のお弁当会議が続いた。

 運動会は、今週の金曜日。草間に残された時間はあと、たったの二日間だけ。

 作ると決めたからには、もう一分だって無駄には出来ない。草間にいま出来ること。それはただひたすら練習すること。作って、作って、身体に覚えさせること。

「今日の晩御飯は随分と豪華だねぇ。品数も多くて、量も多い……ピクニックみたいになってるけど。ちょっと、カオスな……」

 仕事から帰って来た父親が、食卓に所狭しと並ぶ皿からすぐ、気持ちはまだ折れていないが置物のように固まっている娘へと視線を移す。

 山積みの黒い唐揚げ。切ってバラバラのグチャグチャになった大量の甘い卵焼きだった黄色い物体。キュウリも人参も厚切りで雑な和え物のようになったポテトサラダらしきもの。サツマイモの甘露煮だった赤紫の皮だけが漂っているドロドロの液体。

 無言を貫く娘を見つめて、父親は静かに席へ着いた。

「……大事なのは、やってみることさ。その気持ちを大切にね。始めたらもう、上がって行くだけ。それだけ、伸びしろがあるってことだ。大丈夫」

「ごめんね」

「明日も、楽しみにしているよ。怪我だけは気を付けて」

「ごめんなさい」

「…………」

 出来るかなぁ。あと二日で、美味しくてキレイなお弁当なんて作れるのかなぁ。いま、こんなで。

 現実を受け止めきれない草間の横で、父親が唐揚げを奥歯で噛み直した。

 ガリッ。バリッ。ゴリッ。そんな音がする唐揚げを作っていて本当に、あと二日で美味しい料理が作れるようになる気がしない。頑張るけど。

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