表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第七章 開花少女
245/379

苦手な種類の世間話

「いってらっしゃい」

「うん。送ってくれて、ありがと」

 アルバイト先の書店の前でいつものやり取りをしたのに、有村は一緒に自動ドアを潜った。

「まだ、少し時間があるでしょう? 少し、買い物をしようかと。大丈夫。君が入るまでには帰るから」

 照れ臭いだけで、店員として振舞う姿は他の誰にも見られたくない草間は嫌というわけでなく、有村はそれを知っているので、草間は笑顔を残し、客になった有村と入店してすぐに分かれた。

 今日の草間には、勤務時間前にしておきたいことがあった。堀北が作り、自分用に事務所に置いておいてくれているはずのリストへ目を通し、エプロンを着けるだけの簡単な着替えの最中もレイアウトを考えたいのだ。

 ファン待望の新刊を出した作家がいる。堀北は過去作を一覧にし、棚番号を振ってくれていた。草間はそこから新刊への興味に繋がる三作ほどを厳選し、類似した他作家の作品を五つほど提案する。堀北と店長に言わせれば読書家の草間だからこそ出来る大役であり、この責任感には背筋が伸びれど、数回目でだいぶ慣れてきた。

 毎月、新刊はたくさん出る。そこで、埋もれてしまう名作がある。

 そうした本が誰かの目に留まり、心に残る一冊になったら、どれほど嬉しいだろう。

 前回、堀北に指摘され、草間は今回のチョイスをロッカーへ向けての笑みへ変えた。

 以前の草間はキレイなばかりの恋愛小説を推していた。今は、恋愛の中で揺れ動く心理描写が素晴らしい作品を選びがちだ。

 迷って、悩んで、ぶつかって。

 恋をしたから選び出せた名作は草間のセレクトに多いと、会ったことも殆どないスタッフも太鼓判を押してくれている。

 荷物を押し込んだロッカーを閉めた草間が候補作を八つまで絞った頃、以前、顔を合わせた擦れ違い際に「草間さんが選んだ本、めちゃくちゃ泣いたよ!」とかけてくれた声が、開く事務所のドアから聞こえた。

「久々に見たけど、マジで美形! ああもう、生きててよかった」

「美形は世界を救うわ。アレはホント、冗談抜きでそのレベル」

 普段、堀北に合わせて他の遅番より三十分遅い六時から入る草間とは微妙に入れ違いになる、五時で上がる中番の大野さんと菅井さんだ。草間が事務所にいるとは思っていなかったようで、軽い会釈と共にかけた「おつかれさまです」の声に、閉まるドアを背にしたふたりの肩が僅かに跳ねた。

「草間さん? あれ、今日って……」

「六時からです。でも、入る前に確認したいことがあって」

「そう」

 実を言うと、ほぼ年二回の棚卸でしか会わないこのふたりが、草間は少し苦手である。

 声が大きいというのがまず、ひとつ。一番は他人の噂話が好きなこと。気持ちの良い人たちではあるのだ。先のように、機会さえあれば草間の頑張りを満面の笑みで褒めてくれるので、決して悪い人たちではない。

 因みに、堀北とは仲が良い。堀北が仲良くないスタッフを、草間はひとりも知らないが。

「なにか手伝う?」

「大丈夫です。考えるだけなので」

「草間さんセレクション?」

「はい」

「期待してる。おかげで最近、マンガより小説読んでるよー。最高」

「ありがとうございます」

 ふたりは二十代の女性だった。正確な年齢は知らないが、二十三歳の堀北よりも年上らしい。

 親切には礼を告げ、草間は思い浮かんだ作品の在庫をパソコンで調べる。八つの内、二作はゼロになっていた。あと一作。この選択が毎度、中々に難しい。

「あのさ、草間さん。いま、話だけ、無理?」

「いえ。選びきれなくて、使わせてもらっているだけなので。なんでしょう?」

 エプロンをしたままで、大野さんが話しかけて来た。振り向いて見遣る、ふたりの表情はとても似ている。

「今、フロアにいる男の子。たまに草間さんと入口でバイバイしてる、背が高くてスタイルがいい茶髪の子ってさ、草間さんの、彼氏?」

 グリン。マウスを動かしていた草間の右手が悪さをし、随分下の方までリストを送った。

 答える前に、おずおずと振り返ってみる。まるで、だるまさんが転んだ、のよう。先ほど見た時より近付いている気がする大野さんと菅井さんは固唾を飲むという様相で、草間の返事を待っていた。

「……そう、です……」

「やっぱり!」

 ピタリと重なったふたりの声が、やはり大きい。事務所の外まで聞こえたのではなかろうか。

 構えていても衝撃で肩が跳ねた草間はふたりの輝く目を見て、忽ち後悔する。答えなければよかった。入って来る時の会話は、聞こえていたのに。

「教えて、草間さん!」

 パソコンがある店長のデスクまで駆けた大野さんが、草間の右手を取り言う。

「あの子、名前は!」

 一秒遅れで駆け付けた菅井さんが、逆の左手を取って引き寄せる。

 そうして草間は改めて思う。答えるんじゃなかった。

「彼、前はよく買いに来たの! 二十冊くらいまとめ買いでカバーなし! 顔がイイから、最近来なくて寂しくて! 癒しなの! イケメンは心の糧!」

「名前だけ! 同じ学校の制服だよね! 付き合ってどのくらい? ねぇ、紹介してよ! 今度、ついでがある時でいいからさぁ! 話してみたいだけ! ね、お願い!」

「ええ、と……」

 こういう所が、とても苦手だ。

 恋愛話が好きなのだと思う。菅井さんには店員のプライベートを詮索する癖があり、その突撃を大野さんは止めない。寧ろ仲間に加わり、根掘り葉掘り聞き出そうとして来る。悪気はないという顔とスタンスが尚更、性質が悪い。

 とはいえ、ここは答えてしまった草間が悪い。人見知りがだいぶ改善されたとはいえ、まだ言葉を濁してやり過ごせるほどのコミュニケーション能力は草間にないのだ。

 せめて、溜め息を吐く。答えたくない、話したくないというアピールは、この辺りが限界だ。

 ひとまず手は解放してもらえたので、草間は背後のデスクと椅子に寄り掛かるような後ろ体重で観念した口を開いた。

「有村くん、といいます。同じクラスで、隣りの席で……」

「ヤバい! 席が隣りで付き合うとか、甘酸っぱい!」

「で? いつから付き合ってんの?」

「……夏前からです。六月の、おわり……」

「そうだよ。それくらいから来ないもん。レジにいる時、マジで呼んだ。こっち来い! アタシのレジに来いって、めっちゃ念じた」

「だから避けられたんじゃん。アタシは結構受けたよ。少し笑うと破壊力が!」

「わかる! 制服だから高校生なのわかるけど、あの仕上がりはヤバい! 有村くんね。覚えた。今度、一緒の時、声かけていい?」

「必死過ぎ。草間さん、困ってんよ」

「だって! あんな美形ほかにいる? 声もイイんだよ! 落ち着いてて、死ぬほどウィスパー!」

「出たよ、声フェチ。アタシはたまに一緒にいた、背が高い方の友達のがタイプだなぁ。がっしりしてて、抱き着きたい!」

「わかる! あの子もイイよね、俺様系で! ねぇ! あの背が高い子も知り合いだったりする? ちょっと日に焼けてて、髪は黒で短くて、ツリ目でちょい目付き悪い子!」

「……藤堂くん、かな……」

「藤堂! そうかも! キレーな子が呼んでた気がする!」

「有村くん! いいなぁ、草間さん。近くにあんな美形がふたりもいるなんてハーレムじゃん!」

「代わってほしー!」

「…………」

 悪気はない。たぶん。

 盛り上がるふたりを交互に見遣る閉ざした口に、若干の力が籠る。上がったのなら早く帰ってくれないかなぁと思うのは、性格が悪いだろうか。仕事でないし終わりかけではあるが、やりたい作業もある。ふたりは草間をダシにしているだけで、ふたりで話しているのが楽しいのだ。

 当人たちを知っているからか、好き勝手に妄想してイメージで会話をするふたりが、草間は徐々にあまり見られなくなってくる。有村は確かにモテるが常に女子に囲まれて楽しそうにはしていないし、藤堂は目付きと口調が怖いだけで女子には優しい。訂正したい気持ちにもなって来るが、これ以上の燃料を投下しようとは、どうしても思えない。

「ねぇ! 藤堂くんの方はフリー? やっぱ、彼女いる?」

「どう、かな……」

 本当は知っている。今はいない。面倒臭いのだそう。

 堀北が来るいつもの時間まで、あと五分。このまま誤魔化して終われるといいが。

「なに。まさか狙ってんの? 相手、高校生だよ!」

「知ってるよ! でも、制服着てなければ見えないもん! 歳じゃないの。あの硬派っぽさがイイ!」

「根に持ってんねー。別れたんでしょ? ウワキ男」

「当然! 二股どころか三股だよ! マジ許せん!」

「それなー!」

 ガハハハ、という豪快な笑い声の最中、草間の口が更にキュッと閉じる。

 なんだろう。最近よく、その単語を聞く気がする。浮気。浮気をする彼氏さん。久保の方はただの疑惑であるけれども、聞いて気持ちの良い言葉ではない。

 早く終わってくれないかな。俯く草間はただ、この嵐が過ぎるのを待つしかない。

「つかさ、開き直って飽きたとかクズ過ぎん? 向こうから付き合おうって言って来たのに!」

「マジでそれ。半年くらい?」

「以下! ちょっと顔がイイからって、ヤッたらすぐ次に行くんだよ! いつか刺されろ! マジでクソ!」

「それなー。アイツら知ってんだよ。自分がイケメンで、声かけたらすぐ女が引っかかるの。アタシもあった。落とすのまでが楽しいんだとか言って! ゲームちゃうぞ!」

「クソ過ぎ! もう絶対、顔がイイ奴の可愛いね、とか、付き合って、なんて信じない! 死ね! クソイケメン!」

「そうだ! 消え失せろ! クズイケメン!」

「…………」

 既に、草間の表情は貼り付けた笑顔で固まっていた。今のは酷い別れを経験した大野さんと菅井さんの話。自分とは無関係のはずが、閉じた口が早くも頬を疲れさせている。

 容姿の良い人は、それを自覚している。仕方がないかもしれない。有村も藤堂も、黙っていても女性の方から引っ切り無しに言い寄られてしまうのだから。シャワーのように日々、ステキだ、カッコイイ、付き合ってと、言われているのだから。

 それでも好意のない人に応えないふたりは大丈夫。いや。藤堂の方は告白された時に彼女がいなければ、はじめましての人とも付き合うと前に聞いたことがある。それで、一ヶ月以内に別れたりすると、いつか鈴木が言っていた。

 やってる。藤堂くんは、好きじゃない女の子ともお付き合いをしたりする。でも、有村くんは、有村くんは――好きじゃない女の人の家に、泊まったりしてた。

 いや。それとこれとを一緒にしてはダメだ。あれには事情があって、彼が進んで、したくてしていたことじゃない。眠れないから、仕方なく。でも。でも。

 でも、出来てしまう人ではあるんだよなぁ。思い至ってしまった草間は、全てを振り払うように頭を左右へ振った。彼は違う。大丈夫。

「でさ。草間さんのトコは、どっちから告ったの?」

「……彼の方から、です……」

「…………」

 事務所の中に、微妙な空気が流れた。

「……アタシ、そろそろ帰ろっかなぁ」

「アタシも。ファミレス、行く?」

「行く!」

「…………」

 そそくさと着替えを済ませ、大野さんと菅井さんは逃げるように帰って行った。

 念願叶って、静かな事務所でひとりきり。いつもの時間にやって来た堀北が来るまで、草間はついに陳列を断念するあと一作を選べなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ