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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第七章 開花少女
243/379

たとえば可愛い猫みたいに

 生物(いきもの)界全体の王子様である有村のそばには、動物の方から続々と集まって来る。

 今は多種多様な猫たちが所狭しと、足元や近くの棚の上で抱っこの順番待ちだ。上下左右からナァナァ鳴いて、時にはふわふわの手を伸ばしたりして可愛くおねだり。

「好かれる人としての格が違うって感じするわぁ。来たら応えて少し構ってあげるあのスタンス、ちょいマネしてみようかな」

 毛足の長い猫を抱き、もう何匹目かになる鼻同士のキスで挨拶を交わす有村を眺め、しゃがんだ姿勢の落合が言う。彼女の手には猫じゃらし。惹かれてやって来た猫は皆、先に有村と触れ合ったあとだ。

「その子は、キミちゃんの猫じゃらしがお気に入りみたいだよ?」

 返す草間は、落合の傍らでソファに腰かけている。隣りには、携帯電話を弄る久保。動きが単調になった猫じゃらしへ手を伸ばし、落合の足元に寝転がる白い猫が『早く遊べ』と催促しているようだった。

 訪れた動物園にはキャットハウスと名付けられたこの建物の他にも、ドッグハウスや、ウサギやモルモットと触れ合える小屋があった。勿論、ワラビーやカピバラがいた屋外のふれあいコーナーもある。柵の向こうに様々な動物たちを見たあとで昼食を挟んだ草間たちの午後はずっと、動物とのふれあいタイム。あまり触れなくても、草間には最高の癒しだ。

 ただ、動物に求められ、それに応えて笑みを浮かべる有村を見つめると、手本にしようとする落合とは別の感情が湧く。わたしをみて。さわって。だっこして。そんな風に素直に甘え、可愛がられる動物たちが少し、羨ましくなってしまうのだ。

 次の猫は鼻先で、有村の口にキスをした。

「でさぁ、仁恵はどうして今日、スカートなん?」

「へっ? えっ、いや? べ、別に、大した意味はないよ?」

 再び猫じゃらしで猫と遊び始めた落合が、そっと目を細めて言う。あったとして、言えるものか。みんなで一緒でデートじゃなのに、デートのつもりで服を選んだなんて。

 ほんのちょっとだけ意識してもらえたら、なんて、少しでも考えた心の内を覗かれそうで、草間は落合を見られない。見られないことがまた墓穴を掘り、落合を意地悪にしていく。

「そーかなぁ? だって仁恵、結構歩く時とかしゃがむだろうなって時はパンツじゃない? スニーカーじゃない? 髪も一個に結んでない?」

「そう……でも、ないよ。たまたま。たまたまだよ」

「そぉお? たまたまぁ?」

「……もう、キミちゃん!」

 わかっているくせに敢えて揶揄って来るから困るのだ。一軒家風の造りでそれなりに広いとはいえ、隣りの部屋へのドアもないキャットハウスは端から端まで見晴らしがいい。草間たち以外にも人がいて話し声が賑やかだといっても、草間にとっては七人で満員のカラオケボックスと気分は同じだ。こっそり話せば聞こえないとか、そういう問題ではない。

 静かに窘める草間を、落合は尚もニヤニヤと含みたっぷりの笑みで見つめている。

「いいんじゃないかしら。子供の頃と違って駆け回るわけでもないし、スカートくらい普通でしょ。可愛い恰好をして何が悪いの?」

「絵里ちゃん……」

 助けに入ってくれた久保の本日の服装は、モノトーンで纏めたシックな大人スタイル。タイトめなシルエットのロングスカートが似合うのも、身長が高くてスタイルの良い久保ならでは。

 ソファに腰かけて脚を組む姿などはとびきり大人に見えるし、同じ高校二年生、同じ年齢には草間自身、とてもじゃないが思えない。今日の久保は特別、本当にお姉さんのようだ。

 しかし、内面も大人びているかというと、久保は今日もそうでもない。

 携帯電話から視線を移し、落合を眺めて短く笑う余裕綽々なその笑い方は、まるで落合がおかしなことを言っているかのような、バカにして、見下しているかのよう。ここ数日、度々見る表情だ。

「しかも、彼氏に会う休日よ? 私でもオシャレする。ま、彼氏がいたことない君佳には、わからないでしょうけど」

「は? なに、またケンカ売ってる? 全然、買うけど」

「ちょっ、ちょっと!」

 久保の表情を見て一回、落合の返しで立ち込める険悪な雰囲気でもう一回、ふたりの間に座る位置でも立ち位置でも挟まる格好の草間が想うは、『まただ』のひと言。まるでデジャヴだ。今日がデートでなくなった時と全く同じ。

 どう取り持つのが正解かわからず、ひたすら戸惑う草間の心情までが同一だった。一瞬にして、一触即発の緊張感が張り詰める。猫じゃらしが停止したのを機に、落合の前で寝転がっていた猫が退屈そうに去って行った。それが正解のように思う。正しい判断だ。草間も出来れば、そうしたい。

「遊びに来たのに、ケンカはやめよう? キミちゃんも、そんなに怖い顔しないで。絵里ちゃんも、そんな言い方しなくても。どうしたの? ちょっと変だよ、絵里ちゃん。一昨日から、キミちゃんに。なにかあったの? 仲良くしようよ。せっかく、なんだし……」

 ふたりは殴り合いなどしないけれど、壮絶な口喧嘩の末に数日間の険悪を纏うことはある。今までにも、何度か。その度に草間は困り果て、酷い時には食欲不振にまで追い込まれてしまうのだ。

 友達同士でケンカは寂しい。想う草間は真剣だ。今回は「別に」と答えた久保が先に視線を外し、落合はフイッと顔を背けて、一応の終幕を迎えた。

「猫、飽きた。私、先に出てる。適当に見てるから、気が済むまでゆっくりして」

「……うん。わかった」

 迷いのない足取りで二重になっている扉を通り抜け、ガラス張りの向こうにある手洗い場で手を洗ってから、久保は一度も振り返らずにキャットハウスをあとにする。

 閉まるドアまで見つめていた草間は、()きそうになる溜め息を飲み込んだ。思い返せば、小学生の頃からだ。仲良く過ごすのに、久保と落合は定期的に、そもそものソリが合わないような感じになる。

 手持ち無沙汰に猫じゃらしを数回振り回した落合は草間が取り残されたソファの陰にしゃがんだまま、小さく「ごめん」と詫びて来た。

「気、遣わせてごめん。あたしは平気。本当はそんなに気にしてない」

「どうしたんだろうね、絵里ちゃん。あんなこと、いつもは言わないのに」

 太腿の辺りを払う仕草をし、立ち上がった落合はついでのよう、背中を逸らせて伸びをする。八つ当たりでしょ。そう呟いて、傾けた首はコキリと鳴った。

「イライラしてんのよ。余裕ぶってもバレバレ」

「何かあったの?」

「浮気疑惑。彼氏が他に女いるんじゃないかって疑ってんの」

「浮気? 絵里ちゃんの、彼氏さんが?」

 驚く草間はもう一度、久保が去って行った出入り口のドアを見遣る。当然に久保の姿は見えないが、落合へ向き直るまでに一回は我慢した溜め息が、より大きな吐息になった口から零れた。

 久保はあまり自身の恋愛について話す方でなく、近況も相手のことも断片的にしか知らないが、ひとり暮らしの自宅へ料理を作りに行ったりと交際は順調なのだと思っていた。休日に出掛けたり、食事をしたり。少し前に、草間は久保からそんな話を聞いたばかりだ。

 次は腕を横へ伸ばして準備運動のようになっている落合も、目線はガラス張りの向こうへと投げられている。

「電話しても出なかったり、すぐに折り返して来なかったり。メールも返信が遅くて、誘ったけど、結局文化祭にも来なかったみたい。準備期間中は絵里奈も忙しくて気にしてなかったみたいだけど、終わったのに会う約束が出来ないって、その辺から、ちょっとね」

 右腕の次は左腕を抱えて伸ばし、ついでに腰を回した落合と、見つめる草間は正面から目が合う。お互い、何とも言えない微妙な顔だ。

「彼氏さんって、大学生で就職活動中って言ってたよね。忙しいんじゃないかな。よく、わからないけど」

「うん。バイトもフルで入ってるって言うしね。あたしもそう思う。で、考え過ぎじゃん? って言ったら、この有様」

「……あぁ」

「頭カタイからね。絵里奈って、一回思い込むとマジ、意固地。つか、聞く気ないなら相談すんなっての。それか、彼氏持ちに言えよ。悪かったな、彼氏いない処女で」

「しょ……っ!」

「そういうことでしょ? 男を知らない君佳にはわからないって言ってんだよ。自分だって、経験豊富ってわけじゃないのにさぁ。なんだよ。ベー」

「キミちゃん……」

 舌を出す落合に、気にしてるし怒ってるじゃん、とは言わず、草間はまたひとりで出て行った久保を想い、やけに広々としてしまったソファの右半分を見た。

 外へ出れば、たったひとりキャットハウスに入らなかった藤堂がいる。彼がいれば久保が寂しく過ごす心配は要らないだろうけれど、あの刺々しい言動が不安の所為なら、打ち明けてもらえなかったことが少し、草間は寂しい。

 良い話だけを聞かされて、悩みのひとつも分けてもらえないのでは。

 同じことを、文化祭の準備期間中に有村に言われた。されてみれば確かに、この遣り切れなさは相当だ。有村と自分の違いとして、頼ってばかりで頼りない自分の所為なのは、重々承知しているのだけれど。

 聡い落合は草間の心情を察したようで、「仁恵は言っちゃダメだよ」と久保がいた位置に腰かけ、目が合ってから微かに笑った。

「気分悪くなるだけだから放っておきな。今は誰がなに言っても噛み付くよ。同調しても慰めても、仁恵はいいねって結局、私の気持ちはわからないって、同じ所に着地するんだから」

「私はいいって、なんで?」

 全く見当がつかなくて、草間は瞳をキョトンとさせる。

 首を傾げた問いかけを受け、落合は呆れたように目を細めた。

「だって、姫様は浮気の心配なんかないでしょうよ。見る目付き、顔付きから違うもん。口でも態度でも、仁恵ひと筋。ホント、愛されてるよねぇ、仁恵は」

「そんな……」

 恥ずかしさでつい口を吐いてしまったが、否定するのも何か違う。言い淀むまま瞼と口を固く結んだ草間を笑い、いいことなのだからと、落合は胸を張れと言って笑顔に開く口元に白い歯を覗かせた。

 キスをした文化祭から何かが変わったとしたら、有村が草間大好きアピールを全身で表現するようになったことだろうか。実例を幾つか思い出すだけで、草間は死んでしまいそうになる。

「クラスでも結構、聞くよ。ベタ惚れしてるのは姫様の方。あの笑顔を守りたいんだそうだ。みんな姫様、好きだしねぇ。一番幸せそうにしてるのが仁恵のそばなんだから、誰も何も言えないわ」

「そう、かな……」

「そうでしょ。変な感じはするけどね? 仁恵といる姫様は八割お嬢。イケメン振り切れるのはその他向けって、本来、彼女に一番カッコイイ自分を見せんもんかね」

「有村くんが気楽に過ごしてくれるなら、私は、その方が嬉しいかな」

「おー、出来た彼女だこと」

「キミちゃん」

 みんなの王子卒業宣言以降、草間は数名の見知らぬ女子から『お幸せに』という類の言葉をかけられる。中には、有村くんをよろしくね、というものも。

 よろしくもなにも、言われたところで草間は返答に困るだけだった。応援してくれるのなら有難いが、草間と有村の恋仲は順調なのだ。あくまでも。

 順調。平和――キスをしないというだけで。

 ふと考えた頭の中を覗いたようなタイミングで、ソファから投げ出した足を伸ばした落合が「どうよ」と尋ねて来る。その目はなんとも、たくさんの含みのある形と輝きだ。

「どうよ、って、なにが?」

「キスのその後の展開よぉ。したじゃん。ウチらの前で、お熱いの」

「な……っ!」

 この一週間、誰も触れて来なかったから意識しないでいられた舞台袖のキスを思い出し真っ赤に茹った草間は、すぐさま激しい咳に見舞われた。

 ゲホゲホと咳込んでしまうのを、落合は背中を擦って宥めてくれる。しかし、その落合が蒸し返さなければ、草間はあと少しであの燃えて千切れそうだった羞恥心を記憶の中だけに留められそうだったのに。たった今しがたの出来事みたいに、何もかもが熱いままだ。

 背中を撫でながら、「歩いて来て流れるように顔掴んでキスだもんなぁ。それがまたサマになること。悔しいけど、ときめきました」とトドメを刺しに来る落合は意地悪だと、草間の目には涙が浮かぶ。咳をしていなくても、絶対に浮かんで来たはずだ。

「あたし、軽く麻痺してたって言うか、どっかで姫様を侮ってた。マジでお嬢って思いかけてたかもしれない。口で言うのに、忘れてた。姫様が、最強のモテ男子だということを」

「キミちゃ……!」

「でもね。あたしコレおちょくってるだけでもなくて、仁恵的にはよかったなと」

「うん?」

「実を言うとさ、そういう進展? ちょっと大変なのかなって心配だったわけ。ほら、お姉さんのこととかあるし。中々進めなかったのも、姫様がってより男が? まだ怖いのかな、って」

「…………」

 半分は楽しんでるよと落合は言うけれど、涙目で見上げた草間にはただの照れ隠しのように見えた。

 お姉さんのこと。草間が苦手な、ワガママで奔放な実姉のこと。

 あの日見たドアの隙間は未だに鮮明で、視線を落とした草間に、落合は言いづらそうに詫びて来る。思い出したくないよね、と背中を撫でる落合も、傷付いた幼い頃の草間がまだ鮮明なようだった。

「けど、恥ずかしがってるだけに見えたからさ。よかったなぁって、思って」

「ありがとう。キミちゃん」

「ううん。つか、そもそもモノが違うしね。仁恵と姫様は付き合ってんだし、ラブラブなんだから、毎日しちゃってもいいんじゃないですか? チュッチュ、チュッチュ、隙あらば!」

「キミちゃん!」

 前言撤回。落合はやはり、揶揄って楽しんでいる。ニンマリと細められた目元が、いい証拠だ。

 見透かしてますよ、わかってますよと目で言って、落合はすぐにゴシップ好きの顔をする。何も話したくない草間をソファの端まで追い詰めて、すっかりと芸能レポーター気取りだ。してるんでしょ、しまくっちゃってるんでしょ、と捲し立てられる度、草間は何度、してませんよと叫びそうになったことか。

 まったく、他人の気も知らないで。あれから一回も、なんて、また思い出してしまう。

 逃げ場がないなら、自分の殻に閉じこもるだけだ。草間はそっと、両手で顔を覆った。

「あーあ。あたしホント、取り残されちゃったなぁ。キスどころか彼氏もまだだし。イメトレだけは万全なんだけどね。憧れる。上手な人に、溶かされたい。蕩けたい。されてみたい、すっごいキスを」

「準備に余念がないんだね。さすがだね、キミちゃん」

「でさ、あたし実は思ってるんだよね。姫様って何かと器用だし、経験がないわけないじゃん? もしかしなくても、神の舌を持っているんじゃないかと」

「料理のこと? そうかもね。味には敏感だって言ってた」

「そっちでなく、キスが上手いんでないの、って」

「知らないよ。気が付いたらしてたけど」

「そりゃ手際でしょうよ。そうでなく、ディープなキスがお得意だったりして」

「ディー……なッ! き、キミちゃん!」

 素っ頓狂な声を上げ、草間は真っ赤な顔で当たり構わず落合を叩いた。

 腕や肩、痛がって落合が避けようとすれば背中にも、パシパシパシと平手の連打。十発を超えたところで落合がようやく謝り始め、それでも草間は目を瞑って連打の嵐を浴びせ続ける。

 言うに事を欠いて、とんでもない単語を持ち出したものだ。叩きながら草間はみるみる泣けてきて、「キミちゃん!」の他に「バカ!」が加わった。

「痛い、仁恵! ごめん! マジでごめん!」

「バカ! キミちゃんのバカぁ!」

「わかった! もう言わない! 今度サクランボの茎、結ばせてみよーぜなんて言わない!」

「バカぁ!」

 言ったそばから懲りずに、もう。謝罪したところで真に反省などしやしない落合を叩き続け、叩き過ぎて何が何やらわからなくなった頃、草間は突然、振り下ろした指先を浚われた。

「そのくらいで。これ以上は草間さんの手が痛くなってしまうよ」

 大きくて、ほんの少しだけ冷たい感触。指と指の間に滑り込む指の長さと、さりげなさ。

 久々に瞼を持ち上げた草間は声のした方へと目線を仰ぎ、ソファの前でゆったりと微笑む姿に息を飲む。その間にはもう武器だったはずの草間の右手は完全に、指と指を絡ませる恋人繋ぎの形で収められてしまっていた。

「落合さん、また草間さんで遊んだね? あんな声を出すなんて、よっぽどだよ」

「サーセン」

 侮っていたという落合ではないが、右手を委ねる骨張った手はこんなにも大きく、頼もしいものだっただろうか。

 ダークカラーでシンプルなデザインのチェスターコートを纏う有村の体格が、いつもより一回り大きく見える。ギターを弾く有村を見てからは度々あった。細身のパンツに、スニーカー。全体的にシックな色合いのコーディネートがより一層、大人っぽい印象を与える。詰まるところ、草間には最近、有村が突然に磨き抜かれた『男性』に見えてしまう時があるのだ。

 そっと片方の膝を着き、見上げる角度で向けられる表情すら、気恥ずかしいほどに『男の子』だ。

「どうだろう。向こうに抱っこが大好きな甘えん坊がいるんだけど、会いに行かない? それとも、外で寂しくお留守番してる藤堂を構いに行こうか」

 笑顔は爽やか。声も穏やか。けれどやはり、あの心臓に悪い色気が有村を包んでいるように見えて、草間は思わず今日はじめて繋いだ手を引き抜き、胸元まで引き寄せてしまった。

「わ、私は、もうちょっとここで、遊んでようかな……」

「そっか。一度にこんなにたくさんの子たちに会える機会なんて、そうないものね」

「うん……」

 本当はもうしばらく猫と戯れていないので、入口で借りた猫じゃらしはソファの一部になりかけている。有村は微笑みを浮かべたままで立ち上がり、「あまりイジメないでよね」と落合に釘を刺した。

「藤堂の様子を見て来る。近くにはいるけど、移動する時、メールして」

「リョーカイでーす」

 コツン、コツン、と、長い脚が生み出す悠然とした足音が離れて行き、答えた落合と草間は覗き見の様相で、コートの裾を揺らしてキャットハウスを出て行く有村を目で追った。

 隣りに藤堂がいると小柄に見える有村も、膝裏まで隠れるコートを身に着けると、スラリとした背の高さが目立つ。モデルのような抜群のスタイルも際立つようで、見送った草間の口は固く結んだアーチの形だ。

「ねぇ、キミちゃん」

「なんぞ?」

 有村くんって、カッコイイよね。そう真顔で告げる草間へ、落合は数回の瞬きを落とす。

 何を今更、とは思えど、草間が妙に真剣なので、「うん」と答えた。落合とて、年中無休で茶化し、揶揄うわけではない。

「まぁ、顔はズバ抜けてるよね。美形の頂点って感じ。スタイルも良いし」

「そういう外見のことだけじゃなくて、立ち居振る舞い? 雰囲気とか。大人っぽいよね、有村くんも」

「まぁ、基本的にはクールな方だろうしね。見た目だけな絵里奈と違って、姫様にはもう大人の余裕的なモンがあらぁね」

「色っぽいよね、有村くん」

「そね」

 あらぁ。落合は内心、揶揄いモードにスイッチが入りかける。

 しかし、草間が真剣さにいつもの少し良くない気配を混ぜるので、疼く悪戯心には蓋をした。

「私、他の男の子ってよく知らなくて。最近、ちょっと思うの。彼女といる時の男の子はみんな、そうなのかな。有村くんが特に、色っぽいのかな」

「どうだろう。その辺はあたしも、よー知らん」

「やっぱり、色んな女の人を知ってるのが、関係あったりするのかな」

 語尾は呟くような小ささで、草間は少し、閉じた唇を固くした。

 どうやら、茶化さなかったのは正解だったようだ。以前を想えば相当に自信がついたとはいえ、草間はまだ自信満々に可愛い女の子の自分を振り撒くほど、内気な性格を捨てていない。

 こりゃぁ、あたしの出番かな。微笑む落合が入れたのは、別のスイッチだ。

 あの美形最高峰は確かにモテるが、草間が思うよりずっと、愛しい彼女に首ったけ。

「さっきも言ったけど、姫様、仁恵を見る時だけ別モンだよ。大好き、が、全身から飛び散っちゃってる。それが? まぁ、やけに色っぽく見えるのはさ、可愛い彼女を前にしたら、お嬢もただの男の子ってだけなんじゃん?」

「うん?」

「大好きでしょうがないんだよ。仁恵はね、幸せしかくれないんだってさ。愛されてんね」

「…………」

 赤面する草間に思う。いやいや、そこはそろそろスルッと受け取ろうや。落合とふたりでいる時の有村の話題は三割が草間のことで、その濃度は胸焼けをしそうなレベル。落合は少し心配になるくらいだ。この人、幸せとやらで、いつか爆発するんじゃないか。そんな風。

 息をするだけ、瞬きをするだけで草間が可愛くて仕方がないようだから、あれはもはや溺愛だ。若しくは、盲目。

「あたしは、ふたり、お似合いだと思う。仁恵、マジで可愛くなったよ」

「あ、ありが、とう……」

 まぁ、有村の気持ちもわからないではないのだ。草間は子供の頃から可愛いが、性格も外見も、有村と出会って見違えた。確かに、隣りにいる草間は、可愛い。

 この上なく照れる草間は、スカートを握る。

 わかっている。あんなにも素敵な彼が、こんな自分を深く想ってくれていることは。

 だけど、キスは、しない。

 嬉しかった分だけ、草間はとても寂しかった。

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