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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第七章 開花少女
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私、悶々としております。

 草間が当面の目標にしていた文化祭のあと、有村は落合曰くのパレード、朝の恒例行事をやめた。

 現場に居合わせなかった草間が聞いた話では、有村は人気アイドルの引退宣言も宛らに、普通の男の子に戻りたい、正しくは草間という恋人がいるただのいち男子生徒になりたいと言ったらしい。つまるところ、全校生徒の王子様をやめたのだ。

 無論、残念がる声は悲鳴として、校舎内を響き渡った。しかし、こちらは情報通の湯川曰く『さすがは万人に愛される男』という具合で有村の切なる願いを無碍にする者はおらず、最終的には『今までどうもありがとう』という流れで受け入れられたという。

 録音したかのような忠実な再現を他クラスで見て来た落合が言うに、有村はただでさえ良く回る口に何層にも重ねたオブラートに包んだ物言いを用い、誰も傷付かず、嫌な想いもしない絶妙な細道をスルリと通り抜けたのだとか。草間は藤堂からも中々の見ものだったと聞いた。藤堂に言わせれば、有村はそういう身のこなしが得意らしい。表現して見せる時の藤堂のジェスチャーはまるで、活きの良いウナギを素手で掴む素振りのようだった。

 そうした経緯で、朝から疲労困憊、甘い物をひたすら食らう時間が必要なくなった有村だが、共に教室で過ごす予鈴前の登校時間に草間と会話する回数が飛躍的に増えたかというと、実のところ、そうでもない。

 学年、クラス、性別、生徒、教師を問わず取り囲まれ笑顔を振り撒く時間がなくなったというだけで、そもそも有村はどこにいようと、いつ如何なる時も、存在そのものがアイドルだ。

「今度みんなで一緒に行こうよ! ね!」

「そうだね。みんなで、都合がつけば」

「絶対だよ?」

「うん。うん」

 只今の有村は、自席に着く草間から斜め前に見える辺りで長谷たちと談笑している。彼女らのグループとどこかへ出かけようという話の最中だ。こうした誘いの場面は珍しくないが、そういえば実際に出掛けた話は聞いたことがない。

 聞かないだけで、出掛けたことはあるのだろうか。遠巻きに眺めつつ、草間はふと考える。

 出掛けるなら事前に話してくれそうな気はする。有村は女友達も多いし、約束をしたら破らない。今の口振りも全く乗り気でないという風ではないから、単に予定が合わなかっただけかもしれない。運悪く。

「そう言ってさぁ、すーぐ、忘れてたーとか言うんだよ? 今度はナシだからね! いい? ホント、いい加減なんだもん、姫」

「ごめーん。今度は忘れないようにするよー」

「ウソくさいなぁ、もう」

「あははー」

「クソぉ。この可愛い顔に騙されんだよねぇ、いつも!」

 長谷に腕を小突かれ、ゆらりと揺れる笑顔の有村を眺めていて、草間は首を傾げた。

 近く、草間の机の傍らには落合がいる。行きに駅前のコンビニで買って来たミルクティーを片手に、今の憂鬱は目下、今日あてられてしまいそうな二時限目の英語の授業だ。

「あれ、人違いじゃないかなぁ。有村くんが約束を忘れたりしないの、キミちゃんも知ってるよね?」

 別に、だからどうということでもないのだが、無意識に口が尖る草間を見下ろし、少々視線を迷わせた落合は背中を丸めて、草間へと近付いた。

「それ、ここでは言わない方がいいかも。ウチらにはそうだけど、他の子たちには結構、姫様ってあんなもん」

「あんなもん?」

「適当。付かず離れず、のらーり、くらーり。話してる間は楽しませてくれるし、外見褒めて気分も良くさせてくれるしね。ぶっちゃけ、それだけでいいやってのが女子たちの本音でない? 姫様の『またね』は永遠に来ないってのは、未だに定説」

「……そうなんだ」

 またね、今度ね、の、その日は来ない。そういう話は、よく聞く。

 ならば、今は本当に話しているだけなんだな、と、草間は再び長谷たちと談笑する有村を見る。みんなに優しく、友達の多い彼。でも、学校の外でも会う相手は限られていて、彼には歴然とした『特別』がある。

 俯き加減に机を見つめる草間を見下ろし、落合はニヤリと口角を上げた。

「気になるなら、姫様に言えばいいじゃん。他の子と仲良くしないで、って。速攻で素っ気なくなるの、目に浮かぶよ」

「言えないよ、そんなこと」

「えー? 仁恵が嫌なの我慢してるより、姫様は喜ぶと思うけどなぁ」

「嫌ってほどじゃないから。言わないでね、キミちゃんも」

「へーい」

 本当に、嫌というほどではない。

 けれど、正直を言えば、文化祭から挨拶以外も少しだけ話すようになろうと未だ草間が苦手な賑やかで派手な女子グループに囲まれている有村を見て、改めて想うくらいのモヤモヤは、ある。

 モヤモヤ。なんとなく、モヤモヤする。

 他の女の子と楽しそうにしているから、ではなく。

 その正体を、草間は既に知っていた。

 文化祭後、最初の休日である土曜日の朝。身支度の最後に姿見の前に立ち、全身を映した草間の指先はふと、自らの唇を撫でる。

 洗ってすぐより鮮やかな色合いは、買ったばかりの新作リップ。可愛らしいチェリーブロッサム。薄付きのメイクの中で、その色はやけに目立つ気がした。

「…………」

 清々しい青空が広がる今日、草間は数年ぶりに動物園へ行く。

 最初は動き易さを考えて長ズボンにセーターを身に着けていたが、少し悩んでスカート丈の長いワンピースに取り換えた。コートを羽織り、バッグは斜め掛けのポシェット。髪はサイドを編み込み、カチューシャ型に整えた。そして、唇に灯る目立つ色。草間は悩み、色付いた上下を閉じる。

 みんなの王子様をやめた彼は私だけの特別を幾つも明確にしてくれたけれど、あれから一度も触れられていないこの唇が、寂しい、とか。

「……隙あらば、とか、言ってたのに……」

 肩が目いっぱい下がるくらいに溜め息を吐いた。そして再び、鏡の中の自分を見遣る。

 近頃また一層、草間は周囲から外見を褒めてもらえる回数が増えた。可愛くなった。キレイになったとも言ってもらえる。勿論、お世辞とわかってはいるが、努力はしているから褒めてもらえるのは単純に嬉しい。

 可愛くなりたい。可愛いと思ってもらいたい。無論、誰よりもまず、彼に。

 充分に女の子として扱ってくれるのに、もっと、女の子として見てもらいたいみたいだ。

 色気がないのは自覚している。美人などではないことも。正直、女装した彼の方が何百倍もキレイだった。素敵だった。だから余計に、張り切る分だけ意識してもらいたいみたいで、草間は迷う。

 動物園へ行くのにスカートを履いて、新しい口紅なんてつけて、恥ずかしい女の子だろうか。そう思われてしまったら、どうしよう。

「……でも、可愛いと思ってもらえたら、また、してくれるかな……」

 考えて、鏡の中の口元を見てしまうのはきっと、恥ずかしい女の子だ。

 下から母親の呼ぶ声がして、草間は応えたあと、ティッシュを一枚取って唇に挟む。色の大半が移ったティッシュを丸めて捨て、部屋から出て階段を駆け下りた。

 玄関先では、迎えに来た有村と、いつの間にか随分と仲良くなった母親が楽しそうに談笑している。気軽に小突いたりして、あっさり『洸太くん』なんて呼ぶのだ。一回も呼んだことのない娘の気も知らないで。

「おはよう、草間さん。うん。今日も可愛い。あれ、そのヘアスタイルは初めてだね。見てもいい?」

「うん」

 玄関を一段下りて靴を履く草間の頭を、有村は興味深げに観察する。極端に近付いたり触れたりはしないが、角度を変えてじっくりと。

 男の子で髪が短いから、有村は好奇心が旺盛だから、ロングヘアーのアレンジが物珍しいのかもしれない。ずっと髪が長いので得意な草間が、少し自慢気になれる瞬間だ。

「綺麗に編み込んでるんだ。自分でやるの? すごいね。今日のイメージにピッタリ。似合うし、草間さんの可愛い耳が見えてるの、嬉しいな」

「なに言ってるの。でも、ありがとう」

 ゆったりと微笑んで、服だけでなく髪まで全身を褒めてくれるのに、あれから一回もキスしない。何故に。何故なのだ。どうしてですか、有村くん。

 認めよう。これが、他の女の子と話している彼を見て感じたモヤモヤの正体だ。草間が、背伸びしてでも可愛くなりたい理由でもある。

 靴の紐を結びながら、草間はふと考えてしまう。別に、距離があるとか、有村の態度がどうというわけではないのだ。今しがたのように有村は相変わらずで仲は良いし、順調だと思う。ただ、一回目を乗り越えたはずのキスが、あれから一度もない。

 しようともしないというか、したいとも、していいかとも言われないし、もっと言うと、したそうな素振りもない。

 待っているだけなのが擦れ違いを生むという教訓をあの物置部屋で得たので、一度だけ、ジッと見つめて訴えてみた。最初の時は、それで伝わったから。妙な沈黙が落ちたので、草間としては、ちょっと口を尖らせてみた。なのに、有村は目を細めて、可愛い、と微笑んだだけ。つまり、失敗に終わった。

 言わないからかな。ちゃんと、言わないといけないのかな。よくわからないけれど、アピールは交互制とか、恋人という間柄には自分が知らない暗黙のルールなどがあるのだろうか。経験がないから、わからない。

 でも、なんとなく、言わなくてはならない気はしている。

 一度くらいきちんと、したい、と。

 でも、それはまだハードルが、高層ビルくらい高い。

 そんなこと、彼は気付いていると思う。いや、この考え方もよくないのはわかっている。でも、言えない。そして立ちはだかる、致命的事象。低身長な草間は背伸びをしても、有村の口には届かない。お願いして、腰を折ってもらうのは出来るだろう。しかし、そうすればきっと放たれるあの凄まじい色気を目の当たりにして、本懐を遂げられる気がしない。

 そう。それも草間を悶々とさせている理由のひとつだ。なんなのだろう。あの、素直な心が『うわぁ』と言ってしまいそうになる、有村の色気。

 以前からたまに見せられては『うわぁ』となって来たものではあるのだけれど、最近の有村は常に、ちょっと出ている感じだ。教室で他の女子と話している時にはまるで出ていないようだし、しまってほしいと頼めば、少しは弱まる。けれど、何故だか急に、ゼロにならなくなった。出てる。いつも、ちょっと出てる。アレがとても、心臓に悪い。

 気になったので、草間は他のクラスメイトや、特に藤堂を観察したりもした。

 これまでまともに男子の顔も見て来なかったので、気付いていないだけで、高校二年生の男の子はあのくらいの色気があって普通なのかと。でも、観察初日で気が付いた。正しくは、藤堂に睨まれて、やめた。草間たち以外に、クラスにはカップルがいなかったのだ。

 念の為に補足するが、草間はそれが嫌なわけではない。凄まじい色気を放つ時、有村の目は『好き』や『愛している』を言ってくれていると感じるから。どちらかというと、嬉しい。ただ、心臓には悪い。

 それに、草間はもう知っている。アンコールの演奏のあとの舞台袖や昇降口みたいに、しようと思えば、あっさりしてしまえる人だということ。流れるように、気が付いたら、されている。そんな風にしてしまえる人であるのに、あの日から一回もないのは、何故。

 などという悩みを打ち明けられるはずもなく、秋冬物の靴を履いて立ち上がった。焦げ茶色の皮靴風、紐しめタイプ。太い踵は、ヒール高、五センチ。

 悲しいかな、これでも草間には、有村の口が遠い。

「お待たせ」

「それじゃぁ、行こうか」

「うん」

 玄関扉を開けて広がる空は秋晴れ模様。その下に、落合たち、いつもの五人の姿がある。

 乗って行くバス停に近い草間の家が集合場所。みんなで出掛けるのは楽しいし、嬉しいのだけれど、ふたりじゃないからデートじゃない。そうしてしまったのは、気まずさをどうにかしようと焦った草間のミスだ。

 落合がいつもの軽口で一緒に行こうかなと言い出し、草間は冗談だとわかっていたのに、久保が彼氏のいない落合にデリカシーがないようなことを言ってケンカの空気が漂った。仲裁の為、良かったらみんなで行こうよ、と。言った時そばにいた有村が何ら表情を変えなかったことをどうこう言う資格も、草間が思うに自分にはない。

 ただ、こちらも考えて、思ってしまいはする。少しも残念じゃなかったのかな、と。

 ふたりきりでなくても、デートでなくてもいいかな、と。文化祭の準備で一ヶ月も禄に過ごせず、やっと迎えた週末なのに。久々のお出掛けなのに。デートでなくした草間が言えたことではないけれど。

「今日、天気よくてよかったね!」

「そうだね。動物園日和だね」

「デート日和だったわよね。誰かの所為で、そうじゃなくなったけど」

「は? 自分もついて来てなに言ってんの?」

「絵里ちゃん。キミちゃんも、やめよう? 朝から……」

 本当は有村と繋ぎたかった手はカラのまま、草間は歩き出してすぐ、今日も久保と落合の間を取り持つ役目に勤しみ始めた。

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