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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第一章 初恋少女
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魅力はひとつじゃないもので

「でもさぁ。どーせ壁ドンするなら見えるとこでして欲しかったなー」

「壁ドン?」

 目に嬉しい萌えシチュエーションだよ、と壁沿いを歩く落合が教えると、道路沿いを縦に並ぶ有村と藤堂が種類の違う声色で「へー」と返した。

 興味なさげな藤堂が前を行き、併せて首を上下に動かした有村がそれに続く格好だ。

「なんか藤堂の携帯が調子悪くってさ。そろそろ買い替えかなぁとか話してたんだよね」

「ああ」

 充電が半日もたないんだって。

 有村はそう続けて「だからわざとじゃないんだよ?」と久保のすまし顔を窺うが、彼女の表情が和らぐことはない。

 隣りに並ぶ藤堂と負けず劣らずの仏頂面を張り付けて、久保はその全身から『気に入らない』というオーラを放っていた。

「いつまで拗ねてる気だ。ガキじゃぁあるまいし」

「藤堂」

 吐き捨てるように呟く藤堂を、有村が窘める。

 それを見た落合は少し背中を反らせると、内緒話の要領で手の甲を添えて口許を隠し、最後尾につける草間に耳打ちをした。

「鈴木から姫様って意外と気ぃ遣いって聞いてたけど、ホントみたいね?」

 草間は未だ慣れないこの面子での登校に戸惑いながらも、コクリと頷いてみせた。



 最寄駅から彼女らが通う譲葉高校までは、徒歩にして大体十五分ほど。通学時間には規制される一方通行の道を行くだけの一本道である。

 彼女らはそんなあまり道幅もない通学路をなんとなくの二列に並んで歩いており、今は丁度なんで三人でいたのかと問い質した落合に、今朝のあらましを話し終えたところだ。

「じゃぁ姫様もセコムを迎えに来てたってこと?」

「ううん」

「昨日はコイツんチに泊まったんで、着替えに戻ったんだ」

「俺はそれを玄関で待ってて。靖枝さんと話してたら、久保さんが来たの。幼馴染みだって知らなかったらビックリだったよね」

「おい。だから人の親を名前で呼ぶな」

「えー……どんだけ仲良しだよ、藤有」

「とうあり?」

「気にするな有村。お前は知らなくていい」

「あ。そう?」

「ふんっ、くだらない」

 不満気に鼻を鳴らした久保がした説明はこうだ。

 彼女は昨晩、悩んだ末に何かあってはいけないと藤堂に協力を願い出ることにした。その何かを彼女は具体的に言いはしなかったが、要は有村が色恋に不慣れな草間に無体を働かないように目を光らせておけ、と釘を刺すつもりだったのだ。

 なので何度か電話をかけてみたのだが、すぐに留守番電話になった上、しばらく待っても折り返しがなかった。理由は先の通り弱り始めた藤堂の携帯電話が充電切れを起こしていたからだったのだけれど、久保は女にでも会っているのだろうと思い、朝を待って自宅へ行ってみたら有村と鉢合わせたというわけだ。

 まったく、タイミングの悪い限りである。

 藤堂を待つ間、久保はしつこいくらいに、ちょっとくらいは実力行使もして、お前は先に行けというようなことを言って聞かせたらしい。が、そこで有村が迂闊なひと言を放った。

『それって俺が草間さんと付き合うことにしたから、って話でなく?』

 今まであんなにも何の躊躇いもなく男の脇腹に拳を捻じ込んだのは初めてだ。

 久保はそう締め括って指を鳴らした。彼女の右ストレートは藤堂直伝の必殺技。

「すっごく痛かったから良い目覚ましになったよー。久保さんてカッコイイねー」

 それがこの心身共に浮ついた優男には利かないのだと悟って、久保は同行を許したのだと言う。

「姫様マジ最強」

「えー?」

 落合は道端の地蔵でも拝むように、有村へ向けてそっと手を合わせた。

「アンタたち、外でもべったり一緒にいるわけ? 知らなかったわ。つかず離れずのアンタに、そんな親しいお友達が出来てたなんて」

「嫌な言い方をするなよ。お前がコイツ苦手なの知ってて紹介はしねぇだろ」

「そういう話は当人がいない所でしてほしーなー」

「なに。姫様って豆腐メンタル?」

「寄せ豆腐級なんだから、気ぃ遣ってー」

「にがり足してー」

 じゃれて背後から藤堂が肩にかける鞄の持ち手を引いた有村は「黙れ」と随分な重低音で一喝され、同じく落合も「君佳」と久保に一瞥を食らう。

 すると邪険にされたふたりは似たような声色で、ひどい、ご無体な、と宣った。

「優しくしてよぉ。とーどー」

「してるだろうが、甘えるな」

「絵里たーん。顔こわい」

「ほっといて」

 素っ気ない返答に肩を竦めた有村と落合は諦めて、彼らから二歩ほどの距離を取った。朝ぱっらから随分と棘のある雰囲気だ。割って入る隙も無いらしい。

 離れて多少息がしやすくなった落合は手を拱いて有村を呼び、仲が良いのに仲良く出来ないのがこの幼馴染みの面白いところだと、こっそり耳打ちをした。だから別に、仲が悪いわけではないのだよ、と。

「ふーん」

 そうは言っても単調に頷く有村が見やる前方で、やや不自然に拳ひとつ分ほどの距離を保った久保の切れ長の目は、凍りそうに冷たい色を含ませている。

 救いは向けられる藤堂がそれを塵ほども気にしてないことだろうか。彼は仔犬が吠えているか猫が毛を逆立てているくらいの感覚でいるようで、直視しても眉ひとつ動かさない。

「人の家に泊まるとか」

「お前だってするだろ。それくらい」

「そうだけど。そういうの苦手だったじゃない。男同士で群れるとか、むさ苦しいとか言って」

「昔はな。昨日はまぁ、たまたま有村が貰いモンの肉がやばいって言うから食いに行っただけだ」

「どうだか」

 そもそもお前には関係ない。なんですって。

 と、まだまだ幼馴染みの応酬は続いていたが、そこまででもう充分とばかりに落合と有村は溜め息を吐いた。付き合ってはいない。それがわかっていても痴話喧嘩以外の何物でないやり取りは、ずっと見ていると段々胸焼けがしてくる。

「いつも、ああ?」

 振り向いた有村に話を向けられた草間は、横目で久保を窺いつつ「うん」と小声で返した。

「いつもってわけじゃないけど、高校に上がってからは妙に刺々しくて」

「面倒臭いね。付き合っちゃえばいいのにね」

「コラッ」

 今度は落合が、あっけらかんと言い放つ有村を窘めた。

 落合も草間も思っているけれどあえて言わないでいるひと言を、なんて簡単に口にするのか。同じく後ろを歩く草間もふるふると首を横に振ってダメだと示してみせたので、有村は小さな笑みで場を濁す。

 眉を上げて、ふっとひと呼吸分の笑顔。木漏れ日が差す栗色の髪がさらりと揺れて、草間の胸は高鳴った。

 ――やっぱり、今日もカッコイイ……っ!

 上手く話せないのではと懸念していた緊張も解けて、草間の心はふわふわと浮ついていたのだ。見惚れては頬を染め、そっとはにかむ。先程からずっとその繰り返しで、実のところ先頭のふたりにまで気は回っていない。 

 そんな折、藤堂が徐に振り返った。

「――有村。ちょっといいか」

「んー? なにー?」

 ちょっとごめんね。彼はそう言い残してほんの少し駆け足になると、藤堂を挟んで久保の反対側に並んだ。

 トン。到着しなに軽く有村が叩く、藤堂の肩。そうして視線を合わせたふたりの距離は大凡数センチ。

 置物のような顔でそれを見つめた落合の眉がピクリと動いた。これが、噂の。突然険しい表情になった落合にどうしたのかと尋ねたが、感慨深げに自分の世界に入ってしまった彼女に草間の声は届かなかったらしい。

 なので草間は仕方なく、落合の視線の先を追うように少し離れた有村の後ろ姿を見やった。

 季節が変わって上着の着用が任意になった男子の多くがそうであるように、有村もまた今日は夏服のズボンにワイシャツという出で立ちだ。衣替えのあとも彼は比較的ブレザーを羽織っていた印象があるが、連日のこの蒸し暑さでようやく夏の装いになったというところだろう。白いシャツが、よく似合う。

 しかし同じく任意のネクタイは相変わらず第一ボタンが隠れるまでしっかりと上げており、シャツの裾もしまっていたので、裾を出しノーネクタイでボタンを上からふたつほど開けている藤堂と比べると、着こなしは至って優等生であった。

 一味違うところと言えば、藤堂も着ている夏服指定の半袖シャツではなく長袖のシャツの着ていることくらいで、彼はその袖を土曜日の私服と同様に肘の下まで捲り上げている。

 そんな袖口から覗く腕が思ったより逞しいと言って、落合がテンションを上げた。良い筋張り具合だわ。彼女は所謂『筋フェチ』だったので、血管が薄く透ける有村の腕がいたく気に入ったようだ。

「てか、結構しっかりしてるよね。細い割に」

 もっとガリガリかと思ってた。

 落合は露骨な視線で心行くまで有村を観察し、そう投げかけて来る。意外と背もあるんだね。ブレザーを羽織っていれば華奢に見える肩の辺りも、シャツ一枚になるとそうでもないのがよくわかる。

 彼は別に極端な細身でも小柄でもないのだ。側に背の高いがっちり体型の藤堂がいるから、そう見えるだけで。

「そ、そう……そうだね」

 土曜日に草間が出した答えに間もなく落合も辿り着いたので、彼女は定まらない視線を足元で泳がせたまま言葉少なに同意した。

 と、同時に、また頬に火が付いたのがわかった。

 そうだ。確かに落合の言う通り彼の腕は逞しくて、その体格も思ったよりしっかりしている。寧ろ、していた、と考えてしまったから、草間は居た堪れなくなったのかもしれない。

 ほんの短い時間だったけれど、ぎゅっと抱き締められた時のあの体温や腕の感覚を、今もはっきりと覚えていたからだ。

「おー? 仁恵ちゃんは何か思い出しちゃったかなー?」

「や、やめてよっ」

 そんな茹ったような草間を面白がって、落合はその頬を人差し指でグイグイと押したり、肩を突いたりして冷やかした。上手くいったあとは揶揄うと言ったのは、どうやら冗談ではなかったようだ。

 やめてと繰り返せば更に興に乗り、足を止めて逆に後退りをさせるまで落合は草間に迫る。

「こら、こら」

 そこに割って入って来たのは、いつの間にか藤堂と話し終えた有村だった。

 彼は戻って来るなり草間の隣りに立ち落合の手を遮ると、「いじめないで」と後退する肩を抱き、真っ赤に熟れた頬を指の背でひと撫で。

 そんな仕草をさして表情も変えず、当たり前のようにやって退けた。

「はぁっ!」

 当然、草間の頬はもっと赤くなり、見ていた落合もあんぐりと口を開く。

「――えー……」

 数秒間の沈黙の後、声を出したのは落合だった。

 ついさっきまで藤堂と久保の痴話喧嘩を鬱陶しがっていたくせに。彼女の丸く見開いた目はそう言っているようだった。本物の惚気なら構わないわけじゃない。そんな怒りも多少はある。

 一番は、『本当だったんだ』で、あろうけれど。

「あッ、有村く…ッ」

「うん?」

「マジかー! いや、信じてなかったわけじゃないけどマジでか! やっばいわ、これ!」

 気を取り直した落合の上げた悲鳴のような黄色い声に驚いた有村の手が緩んだ隙に、草間は「恥ずかしいから……」と訴え、距離を取るべく身を捩る。

 離してとまでは言わなかったが、仕草はそう言っているようなもの。

 有村はくるりと背を向けた落合が前のふたりの元へ向かう頃にはそれを察し、そっと手を離した。

「ごめん。嫌だった?」

「そうじゃ……ない、けど」

 ――だから慣れてないんだってば!

 心の中で叫んだ声が有村に届けばいいのだけれど。

「じゃぁ、手を繋いでもいい?」

「あっ、いや、あの……」

 ――だから! 恥ずかしいんだってば!

 悲しいかな、思うだけで伝わるはずがない。

 緊張と動揺と込み上げて駆け巡る羞恥心で体温が跳ね上がった草間はもう何も考えられず、言葉にならない声を漏らすばかり。

「どうしたの? なんでちょっと怯えてるの? こわいの? 俺が」

「や……っ、あっ、ちがっ」

「ねぇ。じゃぁ、どうして泣きそうなの? 学校ではくっつかれると迷惑? 俺のこと知られるの恥ずかしい?」

「ちがっ」

 ちょっと合ってるけど、きっと意味が違う。

 壁際に追い詰められる距離感ですっかりわけがわからなくなった草間はふるふると首を振り、その目は『お願いだから小出しにして』『言いながら、ちょっとずつ近付いて来ないで』と必死に訴えている。

 それを真っ直ぐに見つめ返して来る透き通った瞳の綺麗なこと。吸い込まれそうなヘーゼルに、草間の狼狽の理由は恐らく見えていない。

「ねぇ、草間さん――」

「――おい。」

 もう無理。そう諦めかけた草間の救世主は、意外にも藤堂だった。

「お前、久保に念を押されたばかりだろうが。草間は奥手なんだ。お前の感覚で好き勝手に構ってやるな」

 彼はふたりの方へと歩きながら、その重低音を響かせる。相も変わらず高校生とは思えぬ、迫力のある声だ。

「そうだった! ごめんね、草間さん。俺、つい手が出ちゃって。そうだよね。ふたりきりじゃないもんね。仲のいい友達の前じゃ恥ずかしいよね。ごめんね」

「あ、えっと……その……」

「だから、そういう風に言ってやるなって」

 ばかもん。藤堂はそう言って、立ち止まりしなに有村の頭を小突くと、草間を見て口のへの字を深くした。彼の表情は薄いのでわかり辛いのだが、草間が察するに、どうやら藤堂は有村の『久保』らしい。

 セコムと言うか、お兄ちゃんのようだ。

「悪いな、草間。コイツ悪気はないんだが、どうも加減が下手くそでな。嫌な時はハッキリ言ってやってくれ。言えばわかるんだが、言ってやらないとわからないヤツで」

「う、うん……」

 おどおどしつつも頷いて返すと、有村もまた藤堂に小突かれた脳天を擦りながら、「そうして?」と柔らかく微笑んだ。

 照れ隠しのようなそれは横に開いた口許に例の牙を覗かせていて、その所為か浮かべた笑顔の印象がいつものよりもだいぶ幼い。

「気を付けるから、許してくれる?」

「そ、そんな……許すとかじゃ。ちょっと、びっくりしただけで」

「ホント?」

「うん」

「じゃぁ。嫌だったわけじゃない?」

「……うん」

「よかった!」

 叱られた子供のようにしゅんとしていた上目遣いから、ぱぁっと花が咲いたように表情を明るくするまでの一部始終目の当たりにしてしまうと、草間は胸の奥をくすぐられたような気がした。これが母性本能というものだろうか。沸々と込み上げる『きゅんきゅん』が、溢れ出して止まらない。

 こんな風にも笑うんだな。つられるように、草間もふっと頬を緩める。いつもは、あんなにカッコイイのに。新たな一面が見られて良かったと思った、その時だ。

「でも、だからってぶつことないと思う」

 ぷい。そう言って視線を草間から藤堂に移した有村の頬が、僅かだが不満気に膨らんだ。

 ――あ、あれ?

 瞼を震わせる草間を他所に、藤堂はその膨らんだ頬を片手で掴んで押し潰す。

「むぐっ」

 彼の手は大きく、有村は女子にも負けぬ小顔だったから、顔の下半分がすっぽりと覆われてしまった格好だ。

 力を込める藤堂が妙に楽し気で、草間の目はそんな彼に釘付けになった。構われている有村も珍しいが、はっきりと笑っている藤堂はもっとお目にかかれない。

 と、言うか、まず見られない。

「……ぷはっ」

 耐え兼ねて息を吐き出した有村の平坦に戻った頬を藤堂は軽く二度ほど叩き、ニヤリとその口角をつり上げた。満足気か、得意気か。そのどちらかという風に。

 それに草間はまた大層驚いた。深くはないにしろそこそこに長い付き合いで、藤堂のそんな顔を見たのは初めてだ。

 ――ん? んん?

 なにか、様子がおかしいぞ。

 忙しく瞬きをした草間は、次いで聞こえて来た「そう可愛い顔で睨むな」という藤堂の言葉に、ふたりの隙間から見える落合と久保へ向けて鋭い視線を送った。

 彼女らは先に藤堂が来たから焦ることもないと思っているのか、「やばいよ。合成か、どっきりみたいで」とはしゃぐ落合に久保が何か言い返したりと、たった数メートルの足取りがやけに遅い。

 どうしてこんな時に限って。いつもならすぐに来てくれるのにと草間が戸惑うのは、なんとなく正面に立つ有村と藤堂の様子が他の男子たちと違う気がしたからだ。

 まず距離が近い。向かい合う彼らの靴の先は、殆どくっついていた。

 ――これは……これは、もしかして……一部の女子が騒いでる、あの……!

 草間など、もはや完全に蚊帳の外だ。

「殴られたくなけりゃ、少し自重しろ。お前の顔は破壊力あり過ぎるんだから」

「別に好きでこんな顔してるわけじゃないもん」

「今のは褒めたんだぜ? 素直に聞けよ」

「男前さんに言われてもなぁ」

「ん? ちょっと強く押し過ぎたか」

「赤くなった?」

「ああ。お前はすぐ跡が残るな」

「藤堂が乱暴にするから」

「悪かったって」

 早く来て。草間の慌てように気付いた落合と目が合ったので手振りを付けて急いでと伝えると、ようやく彼女たちが普通の速度で近付いて来た。

 パッタン、パッタン。カツ、カツ、カツ。

 その小気味良く聞こえていた足音が、「いじめっこめ」「お前限定でな」と続いたやり取りにピタリと止まる。

「これか! 姫様とセコムの疑似ホモ!」

「やめなさいよ! 気色悪い!」

 ひとつ目の台詞に『だよね』と口を固くした草間の前で放った落合は歓喜の表情で口許を覆い、久保は力一杯に藤堂の背中をはたいた。

 バシッ。うっ。

 鈍い音と一緒に漏れた小さな呻き声が、草間の耳にも届く。

「いってぇな!」

 怒声紛れに久保を振り返る藤堂と離れた有村はといえば草間へと向き直り、「ぎじほも?」と言葉の通じない子供のような顔でキョトンと小首を傾げていた。

 薄く赤味を帯びた頬に、栗色の毛先がさらさらと落ちて来る。汚いものなど見たこともないような澄んで瑞々しい瞳と、軽く閉じて上下の間に僅かな隙間を空ける唇が驚くほどにあどけなく見えて、草間は思わず絶句した。

 今までそう言う人がいてもわからないと思っていたけれど、これは、しかし。

 ――か、かわいい……っ!

 草間は見つけてしまった新たな彼の側面に勢いを絶たれるどころか、うっかり胸を射抜かれてしまった。

 なんということだろう。これはまさに仔犬の愛らしさだ。格好良いだけでもずば抜けているのに、その上小動物系の愛くるしさまで兼ね揃えているなんて反則以外の何物でもない。

 これは、一大事だ。

「藤堂の、痛そーだなぁ」

 暢気に呟く有村を見上げる草間の目は、三割増しでキラキラと輝いていた。

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