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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第六章 起動少年
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可愛いに陥落しそう

 有村は給仕、草間は長谷らの手伝いで禄に顔も合わせられないまま、時刻は閉会を二時間後に控えた四時過ぎ。C組が用意したケーキの在庫も残り僅かとなり、廊下の行列もようやく落ち着いて来た頃、校舎内や校庭で生徒会からの放送が流れた。

 つい五分ほど前にも流れたばかりだ。名前を呼ばれた藤堂は体育館で行われるミスコンの決勝戦へ浮かうべく、途中の作業を心なしか急ぐ様子で片付けている。

『度々失礼いたします、生徒会です。これから名前をお呼びする生徒の皆さんも、至急、体育館までお越しください』

 十名ほどが呼ばれただろうか。二年C組からは有村だけ名前が挙がった。

 手伝っていた手前、近くにいた有村と藤堂の視線は自ずと重なり、教室の中は俄かにざわつく。有村が思案する限り、呼び出された十名に共通点はないように思えた。他の九人の名前にピンと来るものすらない具合に。

 小首を傾げる有村の頭上、備え付けのスピーカーから、ひと呼吸おいて放送係の生徒会長が先を続けた。重大発表という熱の籠った声色で。

『本年度の文化祭も、残すところあと僅かとなりました。ここで、サプライズイベントの発表です! 来場者の皆さんにご投票頂いた結果を基に、先程お呼びしました十名の中から初代姫を決定します! 第一回、女装コンテストの開催です!』

 生徒会長が告げた途端、教室、廊下、有村からもあがる「えー!」の大合唱。寝耳に水とは正にこのこと。女装コンテストなんて全く、聞いていない。

 藤堂ですら目を丸くして、放送が流れるスピーカーを見上げる。落合や久保、山本やクラスの全員が、だ。当然、有村もスピーカーを見る。そもそもなんだ、空耳か。初代『姫』と聞こえたような気がするが。

『なお、サプライズ開催ということで特別に、優勝者のいるクラスに加算されるボーナスはミスコンの倍、二十点! 本年もクラス対抗は激戦を極めております。この二十点が命運を分ける! かも!』

 始まった時と同じ音階を流して放送が終わり、沈黙が落ちたのは一秒、二秒。藤堂は眉を寄せ、有村も弱々しく首を横へ振る。

 が、しかし。

「……おっしゃぁ! 棚ぼた二十点、もらったどー!」

「ええっ!」

 困惑する有村をよそに、C組の面々は両腕を突き上げるなり手を叩くなどして、一瞬で歓喜のムードに包まれた。終盤での二十点は大きい。これで優勝も夢じゃない。口々に放たれるけれど、藤堂を見遣る有村の目は助けを求める生娘のよう。差し詰め、クラスメイトは極悪非道の人攫いだ。

 駆けつけた落合が背伸びをして、有村の両肩に手を置く。「いい? 姫様」、じゃない。諭そうするその物言いを邪険にして、有村は全身に怪訝を纏った。

「行けば貰える二十点。セコムと併せて三十点。なんとしても取って来て! コレ、マジでデカいから!」

「それ本気で言ってる? 今日のこの忙しさ、君だってわかってるよね。これだけの人が来ていて今更、たったの十点や二十点が本当に、勝敗を決すると思ってるの?」

「甘い」

「え?」

 迫る落合の目はハンターか、凄腕のギャンブラー。

 肩を掴む力もさることながら、その強力な目力に威圧された有村は、通常より数ミリ長い睫毛をパサパサと瞬かせる。

「確かにウチはずっと大忙しで、客入りで言えば上位確定だと思うけど、票はそれと関係なく、満遍なく割れる。去年の一位の点数知りたい? 八十点。たったの。それで、ぶっちぎり」

「なぜ? 数百人は来ている印象なのに」

「来場者の殆どは誰かの親、友達、知り合いだから。投票は一番最初に済ませてから、校内を回ってんの。ウチらは頑張って、ちょっとしかない自由票を搔き集めてるわけ。てか、本当に出来の良いクラスに票が集まるんなら、演劇大会だ、ダンス大会だ、部活発表だ、ミスコンだって体育館で引っ切り無しにやってるイベントに、出場者が殺到するわけないじゃん。純粋な票は数が知れてる。だからそっちでどれだけ稼げるかが、大きいんでしょうが!」

「……ああ」

 そうか。そういうことか。有村は呟き、力なく俯いた。

 おかしい気はしていた。これだけの人が来ているのに、ボーナスと呼ぶにはミスコンの十点は少な過ぎる。有村はただやり甲斐だけで参加者が増えるのだと思っていたが、それなりに重要かもしれない点数を配ることで、参加者のクラスでの身動きを取りやすくさせているわけだ。各部活動の発表に然り、毎日の練習に快く送り出してもらっていた有村のように。

 うっかり零した溜め息で、何人かの男子が方々から、そうは言っても嫌だろ、と気の毒そうな顔をした。

「単純にイケメンだって投票される藤堂はまだしも、女装の出来がいいって壇上あげられたって見せモンだろ。そんなん」

「地獄でしかねぇ。生徒会ってマジ鬼かよ」

 続けて、無理に出なくてもいいんじゃないか、と言うのだ。晒され者になる有村の肩を持ってくれている男子と、納得しかけている数名の女子。渦中の人であるはずの有村は何食わぬ顔で周囲を見渡し、近くの机に銀色のトレイを置いた。

「……ん? あれ? 僕、別に嫌じゃないし、行って来るよ?」

「え」

「行って、貰って来るよ? 二十点」

「……いいの?」

「え? いいの、って……うん? この状況、なに?」

 来いと言われた場所に行って来いと言った落合が不思議そうに、行って来ると言っている有村を見ている、この状況。行けばいいのか、行かない方がいいのか。一体どちらなんだとばかりに首を傾げる有村の肩に再び、落合の両手がどっしりと落ちて来た。

 加えて、見渡してみた他のクラスメイトたちも似たような表情をしている。

 不思議そうで、訝し気な有村よりも呆気に取られている顔だ。

「いや。てっきり、姫様は嫌がるかと思って。目立つの嫌いだし、女装だし」

「まぁ、目立つのは好きじゃないけど、今日に限っては今更だしね。一点でも多く欲しいし、そういうことなら尚更、貰えるものは貰っておいた方がいいでしょ」

「……恥ずかしくないの? 女装」

「なんで?」

「なんで、って。だって、嫌がってたじゃん。散々」

「ああ」

 気まずそうな落合へは、気の抜けた笑みを向けた。何を困惑しているのかと思えば、最も今更のことだ。有村は胸を張り、安心させるかのように落合の目を見つめた。

 多少は、露骨に嫌がり過ぎたのを反省もしていた。準備期間中は一度も気付いているのを口にしなかった落合の気遣いを申し訳なくも感じていたのだ。楽しい時間に水を差してしまったようで。

「気が進まなかったのは、こういう格好をするとそれになりにサマになってしまうからかな。恥ずかしいとは思ってない。寧ろ、女装って言い方が好きじゃないな。服は服でしょ? 似合わない服を着せられているわけじゃないし、別に何も」

「マジで?」

「うん」

 教室にはいま数えるほどしか客がおらず、提供も済んでいるので、棒立ちの面々が更に眉を顰めそれぞれと顔を見合わせたり、小首を傾げ合ったりする。

 そうした様子から、他の男子はこの装いを恥ずかしがっているようだと理解はしたが、慣れないハイヒールへの不安や好ましくない記憶が憂鬱の与えていただけの有村には少しも、羞恥心がないのだ。これっぽっちも恥ずかしくない。

 寧ろ、恥ずかしがる理由がわからない。

 なにせ自分は、間違いなく美しいのだから。

「それに、この服は君が寝る間も惜しんで、僕の為に作ってくれた物だし。メイクもしてくれて、今日の僕は言わば、落合君佳の作品だ。誇らしいくらい。上出来だって自信もあるよ。美しさを競うコンテストなら、誰も負ける気がしない」

「うわぁ。自覚あるんだ。顔が良い」

「まぁね。好き嫌いはともかくとして、整っている自覚はある。プラス、落合さんが最高の加工をしてくれたんだ。今の僕は、世のどんな男性も落とせそうな気がしているよ」

「……姫様のそういうトコ、結構スキ」

「ありがと」

 落合の手が離れたのを始動の合図に、有村は藤堂を呼んで出発の準備を整えた。客が少なくなって、休憩に入ったばかりの人もたくさんいたのだ。そこでふたりも抜けてしまうわけだから、出て行く前に出来ることはしなくては。

 足りない物はないか、人手がほしい所はないか確認し、有村は軽く身体を揺する。ハイヒールの所為か、珍しくも全身に疲労感が漂っていた。無意識に背中も丸くなっている気がするし、気分も新たに美女なりの余裕を纏うつもりで上下にゆらゆら。垂らした腕も肩から揺らし、いざ出陣とドアに手をかける。

「行くよー、藤堂」

「おう」

 心強く応援して送り出してくれる声に手を振って応えていると、藤堂より先にポーチを持った落合が駆け寄って来た。

 さすがにメイクが多少崩れているというのだ。言われるまま目を閉じて、有村はされるがまま顔に粉をはたかれた。既に皮膚呼吸を諦めている今日の顔面。一層、二層と塗り重ねられても大差ない。

「いい?」

「オッケ。めっちゃ美人」

「それほどですー」

 仕上げに小さな筆で口紅も塗り直してもらい、整えてもらった髪を揺らして姿勢を正す有村の胸に、落合がトンっと拳を当てた。

「あとで仁恵と体育館行くよ」

「あ、それはいい。見ないでほしい。草間さんには」

「優勝の瞬間、見てもらわんでいいの?」

「点数は貰って来ます。でも、綺麗を目指す僕を見られたくない」

「複雑な男心かね?」

「そんなトコですかね」

「かしこまり」

 美しい自信はあるが、草間にはキレイよりカッコイイと思ってほしい。メイド服が恥ずかしいわけではないけれど、草間に見せるならバトラーが良かったとは思う。

 ひと息吐いて、有村は口角を吊り上げた。複雑な男心。そういうことにしておこう。

「行けるか?」

「うん。腕でも組む?」

「ぬかせ」

「ははっ」

 やって来た藤堂と教室を出た折、一歩先に出た藤堂が横を向いて「草間」と呼んだ。

 次いで出た有村も、廊下でレポートパッドを胸に抱えている草間を見つけた。やるべきことを忘れないよう、ケーキの在庫などを書き込んでいる今日の草間の必須アイテムだ。表紙は草間にピッタリと貼り付き、有村に見えるのは裏表紙の濃い灰色。厚紙特有の僅かなムラ。

「…………」

 両腕で大切にそうに抱きしめられているレポートパッド。メモ帳。紙の束。そんな無機物まで羨ましく見えてしまうなど、禁断症状も末期。一瞬思い浮かんで込み上げた想いこそが恥ずかしくて堪らず、有村はそっと目を閉じ、真っ赤に塗られた口を固く結んだ。

 抱きしめたい。激しく、無性に、今すぐ草間を抱きしめたい。

 そのノートサイズのレポートパッドのようにきつく、思い切り。

 しかも、こんな時に限って草間は上目遣い。可愛いにもほどがある。

「呼ばれたんで、体育館へ行って来る。俺と有村が抜けたら、中は人手が足りんかもしれん。抜けてる間、頼むな」

「……うん」

 可愛い。草間が可愛い。

 コクリと頷く仕草と佇まいがリスみたいで可愛い。抱きしめたい。頬擦りしたい。そして、あわよくば――いけない。脳裏に浮かんだ邪念を振り払い、有村は直視しないように目を閉じたまま「よろしくね」とだけ告げてみる。これ以上喋ったら、余計なことを言ってしまいそうだった。可愛い。好き。叫んでやはり、抱きしめてくてしょうがない。

「……あ、あのね、有村くん。さっき――」

「――ごめん。それ、困ってることかな?」

「……ううん。困っては、ない……」

「そう」

 本当に、勘弁して欲しいくらいに、草間が可愛い。声も、いつもの三割増しで可愛い気がする。

 話したい。そばにいたい。抱きしめたい。そして――いけない。コレがいけない。有村は顔を逸らし、耐える口元を平坦にした。吐き出す息は深くなり、眉間にも皺が寄る。

 落ち着け。堪えろ。鎮まれ、僕。集中しろ。草間さんのリベンジを共に成し遂げる為だ。動くな腕。見るな。見ちゃいけない。いま草間さんを見たら、衝動に負けてしまう。思い出せ。今すべきは一点でも多く点数を稼ぐこと。草間さんと触れ合うのは文化祭が終わってからだ。

 もう一度だけ鼻を使って深呼吸をし、有村は草間へ向けてニッコリと微笑んだ。

「なら、あとでゆっくり聞かせてもらえる? 放送が流れてだいぶ経つし、早く行かないと」

「……うん。そうだね」

「ごめんね。戻ったら必ず聞くから。どうか、気を悪くしないでね」

「……うん。しない」

 ごめんね、草間さん。

 胸の内で改めて詫びながら、有村は体育館へ向けて踵を返した。

 歩き出してから隣りへ着ける藤堂が肘で脇腹を突いて来る。

「変だぞ。さすがに」

「わかってる。でも、もう、勝手に腕が暴走しそう。抱きしめたい。もう、めちゃくちゃ強く抱きしめたい。でも、いま抱きしめたら数時間は離せる気がしない。絶対、文化祭終わる」

「とりあえず、自分でも抱いとけ」

「そうする」

 ぎゅう。

 来場者行き交う廊下の真ん中で、有村は自らを渾身の力で抱きしめた。

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