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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第一章 初恋少女
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待ち合わせは、人探し

 一本早い電車に乗るつもりで家を出たはずが、出掛けに、まさに玄関の扉が閉まる刹那に「今度連れていらっしゃいねー」と半ば叫ぶように告げた母親に落合がしばらく腹を抱えていた所為で、結局数分待っていつも通りの電車に乗る羽目になった。

 これだと駅で待ち合わせをしている久保を待たせてしまうかも知れない。そう思って駅のホームからメールを送ると、久保からも少し遅れるから大丈夫と返信があった。

「寝坊でもしたんじゃない?」

 落合はさして気にするでもなくそう言ったが、久保が寝坊をしたらその方が意外過ぎる。何があったにせよ久保が遅れるなんて大事だと、草間は『ごめんね。急ぎます』という短いメールを返した。

 具合が悪いとかでなければ、いいのだけれど。

「おばさんってホント相変わらずって言うか、可愛いよねー。安定の仁恵マザーって感じ」

 通勤通学にそこそこの混み合いを見せる電車に揺られ携帯電話を鞄にしまった草間は、ドア横の手摺りに肩を預け今日何度目かの溜め息を吐いた。

 たった数駅乗るだけの電車の中、向かい合う落合の楽しげな声が、心地良い冷房の風に頬を撫でられても一向に上がって来ない暗い気分を更に煽る。

「半分くらいはきみちゃんの所為だよ。カッコイイなんて言ったら絶対連れて来いって言うと思ったもん。ウチのお母さんがミーハーなの知ってるくせに」

「だって、言いたくもなるじゃん。初彼が絶世の美人とか、ハードル高過ぎて面白過ぎ」

「応援してくれるって言ったのに」

「上手く行ったら次は構うに決まってるじゃーん」

「むぅ……」

 軽い調子で揶揄われても現にこうして一緒に登校してくれるのは心強いわけで、草間は膨れっ面こそ浮かべたものの、それ以上は口を噤んだ。

『正直、上手くいくとは思ってなかった。』

 電話越しに落合はそう言って大いに笑い、同じくらい『良かったね』を繰り返した。

 あの声は少しくらい涙ぐんでいたかもしれない。これで落合は落合なりに気を遣い、心配してくれているのだ。それがわかっているから、他にはどんな話したの、チューくらいしたの、と不躾な質問を浴びせて来る横暴にも草間は黙って耐えた。

 どうせ駅について久保と落ち合うまでのことだし。そう思っていたのもある。

「ねぇ、チューはぁ?」

「……しないよ。そんなこと」

 でも、あと一駅と気を抜いたのがいけなかった。しつこく訊かれて無いと答えた草間はその瞬間、今朝の夢を思い出して首から上を赤く染めた。

 妄想も夢に見るもの既に慣れっこではあるが今日のは一段とリアルだったものだから、未だに目を閉じると鮮明にあの紳士な風体の有村が蘇って来る。

「――したんだ」

「してない!」

「どこに? 口……じゃぁないな、その反応。わかった。ほっぺた!」

「ちがッ!」

 幾ら落合が草間の内に籠る悪癖を知っているとはいえ、付き合いだして二日の恋人を夢に見て、よもやくちづけを交わそうとしたとは口が裂けても言えるはずがない。

 実体験が伴わないまま映画や小説で積み上げでしまった草間の恋愛に対する憧れとは、十余年をかけて随分と歪に膨らんでしまったものだ。

 むっつりだと思われる。それはやだ。

 近頃草間が必死になって妄想の詳細を隠したがるのは、そんな畏怖があってのこと。

「じゃあ……わかったーっ、手だ! 姫様ってばキザっぽいもんなぁ……え、どんな感じ? 軽く? チュって言った? 音した? そこんとこ詳しく」 

 そして落合の勘の良さが高校に入って、更に磨きがかかったからだ。

「きみちゃん!」

「いーじゃん。減るもんじゃなし」

「減る! 私のメンタルがすごいダメージ受けてる!」

「て、ことはしたんじゃーん! 仁恵ってば開花はやっ」

「きみちゃーん!」

 開花ってなに、とは訊かず。草間は自ら掘ってしまった本日二回目の深い深い墓穴を恨みながら、電車の揺れに身を任せた。

 ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。

 尚も続く落合の詰問に耐え、それまで古き良き子供向け少女漫画程度の夢や妄想しかしてこなかった草間にも、ティーン向け少女漫画くらいのバイタリティーは出たと本人が認識したところで、電車は目的の駅へと停車した。



 草間たちが降りた駅というのは所謂学生街の真ん中にあり、軽く見渡すだけで三種類から四種類くらいの制服を数えることが出来る。

 勿論スーツ姿の社会人もいるにはいるが、改札前の切符売り場などがある屋根の下のスペースは毎朝待ち合わせをする学生で溢れ、そこかしこで元気な挨拶が飛び交っていた。

「絵里奈、もう着いてるかな」

「着いてると思うよ? 絵里ちゃんだもん。急がなきゃ」

 そこへ来て、人混みが苦手な草間だ。いつもなら駅前での待ち合わせは避けている。

 しかし今朝は久保に野暮用があると言われて、合わせて貰っているのはこちらだしとふたつ返事で快諾したものの、やはり昔懐かしい人探し絵本の中に入り込んでしまったようなこの場所で、久保を見つけるのは骨が折れそうだった。

 ――黒髪のロング。黒髪の……。

 爪先立ちで久保のトレードマークである艶やかな黒髪を探す草間は、改札を出てすぐにぐるりと一周。見当たらずにもう一周しようとしたところで、その視線の先に別の見知った黒髪を見つけた。

 大きく開いた出入り口の側。屋根の外に立ち外壁に片腕をついた、太陽の下でも真っ黒な短髪が爽やかな好青年。

 擦れ違う人波から頭ひとつ飛び出している高身長が、背中に注ぐ日差しを受けたシルエットでもやたらと目を引いた。

「ねぇ、きみちゃん。あれ、藤堂くんじゃない?」

「え、セコム? どこ……あ、ホントだ」

 草間の指差す先、そこにある姿を前に顔を見合わせたふたりは、もう一度日向の方へと視線を投げる。

 制服を着ていなければ高校生とは思えない立派な体躯と、有村が転校して来るまで譲葉一と言われた端正な顔立ちは紛うことなく藤堂圭一郎のそれで、実際の日差しの眩しさに目を細めれば斜め下を見つめながら微笑む表情までが見て取れた。

「絵里奈の野暮用って、アレ?」

「かなぁ? じゃぁ一緒にいるのが絵里ちゃんかもね」

「朝から壁ドンとかリア充憎いわぁ。けど一緒に登校なんて初じゃないの」

「そうだね。付き合ってるとか言われたくないからって言ってたけど、もうよくなったのかな」

「いいんじゃない? お互い他所にいるんだし。昔から仲は良いんだし」

「幼馴染みだもんね」

「そうそう。いい加減、他人行儀な呼び方やめればいいのにさー」

「前は名前で呼んでたもんね」

「難しいお年頃ってやつ?」

 落合に続いて歩き出してから、草間は肩を竦めてクスリと笑った。

 高校一年で同じクラスになってから久保は『藤堂』と呼ぶようにしていて、藤堂もまた『久保』と苗字で呼び合っている。家の中では相変わらず名前が飛び交っているらしいが、久保に彼氏が出来てから距離を置くようになったふたりがそう呼び合うところを草間も落合も久しく見ていない。

 昔はふたりで出掛けたりもしていたのにな。思い返せば草間が藤堂の妹に会ったのは、高校に入学する前の春休みが最後だ。

 そういえばのついでに土曜日の帰り道でした会話を思い出し、みさきという名のその子が有村に夢中なんだと草間が話すと、落合は「今度ロリコンって揶揄ってやろう」と悪い顔をした。

 トン。表情豊かな落合に頬を膨らませた草間の肩に手の感触が落ちて来たのは、そんな折。

「――おはよう、仁恵。君佳」

 思いがけず若干後ろの方から聞こえて来た声に、草間と落合の背中が震えた。

「うおっ!」

「ひゃっ!」

 なんだって。信じられない思いで並び合う近い方の肩を返して振り返れば、そこには探していた艶々の黒髪をなびかせる久保の姿があった。

 悲鳴を上げられるなんて心外だとでも言いたげに、存分に不機嫌そうな顔をして。

「え、絵里ちゃん?」

「なんで後ろから来んの!」

 立て続けに大声を浴びせられ、久保は露骨に眉を顰める。

「なんでって、ふたりが遅くなるって言うから向こうのコンビニ行ってたの。なによ。幽霊でも見たような顔して」

「だって、ねぇ?」

「う、うん。絵里ちゃんは、向こうにいるんだとばかり……」

 おずおずと草間が指差す柱の影。そこでは未だ藤堂が壁に体重を預け、誰かと話している姿が見えた。

 さっきは真剣な眼差しを注ぎ、次は背中を丸めて笑い、今は薄笑いを湛えて首を傾ける。遠目にも藤堂の切れ長の目はいたく楽し気に細めれていて、纏う空気は仲睦まじいという風な少々熱っぽささえ感じるそれだ。

「え。じゃぁ、あの前にいるのって?」

 返した落合を見る久保の横目が苛立ちに揺れ、草間だけが尚も真っ直ぐに藤堂を眺める。

 他に誰がいるって言うの、と。純真無垢な眼差しだ。

「藤堂!」

 呼び掛けた久保の声に視線を上げた藤堂がようやく三人の姿を捉え、壁に向かって何かひと言。それを終始見つめていた草間の視界に、日差しを浴びて深みが増す栗色が過った。

「え。」

「やっぱり」

「行ったらいたのよ。先に行けって言ったのに聞きやしない」

「あー……」

「えっ、え?」

 壁から背中を離すのに、正面に迫る藤堂の肩を押す白く骨張った手。もう見間違いとは言えないくらいにハッキリと現れた横顔に、草間の目が釘付けになる。

「…………!」

 振り向き様、ゆったりとした瞬きにしなる長い睫毛と、歪みのない筋が通った高い鼻先。その下で僅かに色味を着ける唇と、端に浮かべる柔らかな笑み。

 伏し目がちからしっかりと開いた瞼の奥で夢の最後に見損ねた宝石の如く美しいヘーゼルグリーンが揺れ、草間を捉えてキラリと輝く。

「おはよう、草間さん。落合さん。今日もいい天気だねぇ」

「…………ッ」

 寝不足で頭の重い月曜日。未だ浮き足立っていた草間の目前、そこには。

 爽やかながら爽やかな朝に似つかわしくない艶やかな微笑みを湛えた有村が番犬のように藤堂を従え、中途半端に途切れた夢の続きを見せるよう、草間を映してうっとりとその目を細める姿があった。

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