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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第六章 起動少年
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吠える犬

 昨日の夜に有村の手元には落合から、女装仕度の都合上、男子全員に出たという七時登校厳守のメールが届いた。

 実を言えばそのメールが届く前から有村は藤堂と話し、早くに登校するつもりでいた。昨日の放課後より戦場と化すであろう調理班を手伝うもよし、教室での何かを手伝うもよし、当校さえしておけば何か出来ることがあるかもしれない。藤堂としては、何かにつけ『当日』というものはアクシデントが付き物だから。有村はそこに多少の懸念を上乗せして、すし詰め状態に混み合う前の電車に乗った。

 藤堂が言う『充分』を、疑っているわけではない。ただ、疑念には最後まで気を抜いてはいけないと思うのだ。昨日を乗り切り、通常より一時間半も前に登校すれば、橋本はもう何もして来ないだろうと思う。信じていないのはただひとつ、橋本に刺した釘の効果のほどだ。

 空に広がる快晴のように健やかといかない有村に問い質して白状させた藤堂は、その不安を考え過ぎだと一蹴した。

「でもね。橋本さんみたいなタイプは得てして、最悪のタイミングで最もしてはいけないことをするんだよ。一番、して欲しくないことをする」

「どんな?」

「あとで、自分の首を絞めるようなこと。悪ふざけでしたじゃ、済まされないようなことを」

 視界に入り込む人口密度が半分を下回っていたことで、電車嫌いの有村にも多少の余裕があった。

 勿論、全く堪えていないわけではなく頬は放り込んだ飴玉で膨れていたが、顔面蒼白になるほどではない。藤堂を見遣る目にもまだ、真っ当に頭が動いているとわかる強さがある。

「心配性だな、お前は」

「でも」

「あのな。橋本を警戒してたのはお前だけじゃない。俺だって順に方々回ってケチつられてないか確認したし、女共もやりゃぁ数日で済む作業を引き延ばして、帰ったあとで悪さされないように誰かしら下校時間ギリギリまで残るようにしてた。この七時登校もそうだ。二十人近くの着替えだ化粧だと時間がかかるってのはあるだろうが、校門が開くのが七時なんだ」

「そうなの?」

「ああ。だから男は暇だった。総出で手伝えば、さっさと終わっちまうからな」

「そっか。そうだったんだ……知らなかった」

 多少はマシとはいえ、やはり苦手な電車内。吐き気との格闘でそれどころではないという状況でないだけで、有村は思考が全くの正常でないのを危惧した面持ちで、次の飴玉の封を切る。

 言われてみれば確かに準備に宛てられた一週間を連日、放送で追い出される限界まで費やさなければならないほどなら、暇を持て余す男子はこれでもかと酷使されたはずだ。こちらから使ってくれと言いに行ったくらいなのだもの。見ていれば大抵に気が付くはずの自分が知らなかったのを疲れていたからだと割り切れないで、有村は緩慢に口の中のソーダ味を転がす。

「安心しろ。お前が刺した釘は効いてる。橋本らはこの期間中、教室に寄り付こうともしなかった。放課後だけじゃない。午後だって、一回でもツラを見たか? アイツらはもう何もしない。少なくとも鬼門の草間が張り切ってる、文化祭の間は」

「鬼門?」

「そうだろうよ。話した時、お前は本気でアイツらを潰そうとしてた。あの目を見てそれがわからないほどバカじゃねぇだろ。さすがに」

「だと、いいけど」

「そうだ。だからもう、そんな辛気臭ぇ顔すんな。楽しみなんだろ? 初めての文化祭」

「うん」

「楽しもうぜ、な? 時間作ってよ、少しは校内回ろうぜ。面白ぇぞ? 色々あって」

「僕、文化祭が終わるまで、ずっと女装なんだけど」

「構わん。少々デカいが、美人なら連れて歩くのも悪くねぇ」

「君ってさぁ……優しく言うと、ブレないよね」

「まぁな」

「褒めてはないんだ。ないんだよ、藤堂」

 見もせず放り込んだ次の飴玉は、酸っぱくないレモン味だった。

 見守り役の藤堂が思うに、有村が元気に電車に乗れる限界時間は、混雑していない状況で十五分ほど。降車駅に辿り着くには五分少々足りておらず、今日も結局、小脇に抱えてホームへ降り立つ羽目になる。

 先に着いているはずの草間たちは近くのコンビニで昼食などを買い込んでから、藤堂たちの到着を改札口で待っている予定だった。しかし、着いた場所に三人の姿はない。幸か不幸か有村はぐったりと項垂れ、激しく飴玉を噛み砕くだけの機械のようになっていたので、藤堂はとりあえずいつものように壁際へ向かった。

「あー、セコムー! おはよー! 偉いじゃん。ちゃんと早くに来てさー!」

「ホントだー。着替えないのに、ちゃんと来てる!」

 背後からかけられた声に振り向くと、クラスメイトの女が三人、楽しそうに手を振りながら近付いて来るところだった。

 名前は、はて、なんだったか。顔は、長谷の所で見たものだ。

「誰かと待ち合わせ? 久保さん?」

「ああ。草間と落合もな。お前らは調理班か。忙しくなるな」

「そーなのー。着いたら即、戦場だよー……えっ! え? 後ろ、誰かいる?」

「有村だ。まだ九割寝てるから、そっとしといてやってくれるか」

「そっかー。姫も今日は大忙しだもんね。完全に隠れてたからビックリしたよー。じゃ、またあとで!」

「おう。人が足りなきゃ言えな。手ぇ空いてるヤツを行かせる」

「ありがとー!」

 本来であればクラスメイト全員のケアなど藤堂の役回りではなく、最も適任である有村の代わりと思って、この期間中、藤堂は気を付けて全員と会話らしいやり取りをするよう心掛けている。

 その結果というか、成果というか、離れて行く調理班の三人が本人に聴かせる気がないとは思えない声で、藤堂が優しい、今日も普通に話してくれた、睨まれなかった、と口に出す。強面は生まれつき。顎を引くだけで番長の風格が漂う藤堂の背中に、有村がコツリと頭を付けた。

「よかったね、藤堂。優しいってさ」

「俺は別に睨んでねぇ」

「あ、気になるのはそこなんだ」

「回復したんなら離れろ、重い」

「無理かなぁ。九割、寝てるもので。ぐぅ」

「てめぇ」

 離れろ。寝てるから無理。向かい合わせになり、じゃれ合っていたふたりを落合が呼ぶ声がして、合流した五人は良い子に学校へ向かった。

 当日の朝に校門が開く時刻を狙って登校する生徒は、C組以外にも多くいた。自転車で、徒歩で、いつもよりも大きな声ではしゃぎながら、同じ制服がぞろぞろと通学路を進む。

「あっ、会田くんだー。おはよー」

「おー。有村は朝から元気だな。俺はダメだわ。すげー眠い」

「そんな顔してるね。起こしてあげようか」

「ん?」

「恒例のー……ハグたいかーい!」

「ゲッ! よせ、有村! おまっ……やめろぉ! 離せコラ、締め上げんな! 割れる割れる! 肋骨、割れる!」

「起きた?」

「死にさらせ!」

「いたっ! ひどーい。ぶつことないのにー」

「朝から体力使わせんな! 大体、お前は――」

「あっ、及川くんだー。おはよー」

「聞けよ! 人の話をぉ!」

 中でも有村は特別、はしゃいでいる方だったと藤堂は思う。血色の戻った頬には『楽しくて仕方ない』と書いてあり、振り上げる手は両方だ。

「五人目か、さすがにちょっと疲れて来たよ! うぉりゃー!」

「やめろぉ!」

「起きた?」

「起きた! すげー起きた!」

「よしっ。はい、次ー」

「来んな有村! キラキラすんな!」

「逃げろー!」

「よし! 姫、カモン!」

「いや、女の子はちょっと」

「クール!」

 途中で出会うクラスメイトは誰もみな眠たそうで、及川もそのあとにやって来た他の男子も、猛スピードで駆け寄るなり背後から抱きかかえて持ち上げるという有村の得意技を食らい、軒並み多少の疲労と共に早い朝の眠気を晴らした。ついでに、それを笑って見ていた女子たちも。

 見舞われた中には鈴木も山本もいたし、笑っている中には草間も久保も落合もいた。

「嘘でしょ。姫様、息切れてんじゃん。ウケる」

「すごかったね。有村くん、走るの速い。いつもやってるの? こういうの」

「そー、体育の時とかな。男の間じゃ有名。有村の、ご乱心」

「ご乱心……ふふっ。でも、そんな感じだったね、有村くん。ふふっ」

「ほぉらー。委員長に笑われてんぞ? 落とした王子、拾って来い」

「つらい」

「アンタ本当、途方もないバカね。ふっ」

「はしゃぎ過ぎた。腕、パンパン」

「芳雄がトドメ刺したよな」

「山もっちは無理でしょ。持ち上がらんて」

「ふっ。ふっ。ふっ。まだまだよの、有村。あまい、あまい」

「無念!」

「ほら、カバン持ってやるから、飴でも食ってろ」

「あっ、そーだ! 姫様コレあげる。吐くほど甘いチョコレート」

「うわぁ、おいしいー。あっま。うっ、あっま!」

「そんなに?」

「仁恵もお食べ」

「うん……んっ! 甘い! なに? 何か出て来た。あっ、あまい」

「喉焼けるくらい甘いでしょ。失敗したら持って来た。次は誰だー? 山もっち!」

「来い! あっま!」

「セコム!」

「よせ」

「……冗談ですやん」

「ふっ。鈴木に食わせろ。朝メシ、食い損ねたんだと」

「おっし。食らえ! 鈴木!」

「いーやーだー!」

 走って逃げる鈴木を追い駆け、落合が全速力で階段を駆け上がる。残る面々が踊り場で追いつく頃、ふたりはそれぞれ膝に手を着くか壁にもたれかかりゼェゼェと肩を揺らしていて、くだらないとまた七人で大いに笑った。

 少し前までの有村が体力を削って身体を張るのは何かを誤魔化そうとしているか、そう振る舞うのが誰かにいいと思った時に限られていた。賑やかに騒いでしまえば、言いたくないこと、訊かれたくないことを遠くへやれる。そう思っての手段だったはずが、今はこうしてバカ騒ぎをバカみたいだと笑うのが、楽しくて仕方ない。

 意味のないやり取りが、しょうもない応酬が、何にもならない時間が、とても楽しい。

 大口を開け、声を上げて、破顔して。有村はやっと、普通の子供になれた気がした。

「草間さんは久保さんと、着いたらすぐ調理室?」

「うん。そのつもり。作れないけど、並べるのくらいは出来るから」

「そっかぁ。凄まじそうだよね、調理班。大丈夫だった? 昨日」

「すごかった」

「だろうね。荒んできたら逃げておいで? ……触らぬ神だよ」

「もう。ダメだよ。一生懸命頑張ってるのに、そういう言い方しちゃ」

「はーい」

「ふふっ」

 そばには気の置けない友人がいて、隣りには笑顔を見せてくれる草間がいる。

 過ぎるくらいの幸福だ。三年前の自分には夢見ることも出来なかった、鮮やかな日々。享受するのが後ろめたいほどだった。信じていても、大切でも、まだ言えないことがたくさんある。知っている草間と藤堂がいてくれて、やっとこの場所に立てている気分だった。

 全てを明かす必要はないのかもしれない。けれどいつか、彼らに出会う前の自分をほんの少し、探せばあったはずの痛くない想い出をほんの少し、曝け出して知ってもらいたいと思っている自分が、有村の中にいた。

 所詮、僕は誰かの道具。思い通りに操る人形。誰も僕には興味がない。ここにいるのは、洸太という名前を貰った僕でなくて構わない。ずっと、そう思って生きて来た。誰かの息子、誰かの孫、ただそれだけの入れ物として、朝が来たから瞼を持ち上げて来た。誰にも、何にも、期待せずに。

 知って欲しいだなんて、伝えたいだなんて、初めて思った。

 彼ら、彼女らならきっと聞いてくれると信じられることが嬉しくて、胸が苦しい。

 大切にしよう。大事にしよう。守ろう――今度こそ。

「あっ、そうだ。有村くん」

「うん? なに――」

 純粋を体現したような丸くつぶらな瞳で見上げて来る草間を見れば、無条件で弛緩してしまう有村の頬。可愛い。美しい。愛おしい。他に、何があるだろう。まだ誰も見つけたことがない言葉でも手に入れなくては、草間への想いが正しく表現出来る気がしない。

――キャーッ!

 確かな幸せを感じながら、有村がうっとりと草間を見つめた時、向かうべき廊下の奥から悲鳴が聞こえた。

「なんだ」

「ねぇ、ウチの教室の前に、誰かいる!」

 駆け出した有村たちの前と後ろには、同じくC組の別グループがいた。数名のひと塊が、ひとつ、ふたつ、みっつ、と、慌ただしい足音と共に廊下を駆ける。

 最初に駆け付けたのは教室から飛び出して来た灰谷を間近で見た湯川たちのグループで、沢木と百田が座り込んで泣き出した灰谷を抱きかかえ、声をかけ続けていた。

 次に到着した会田たちのグループが、開いたままのドアから教室へと流れ込む。

「なんだよ、これ」

「テメェ! なんてことしてんだ!」

 間もなく辿り着いた有村たちが藤堂を先頭に教室へ入る頃、次の町田たちのグループや、その他にもパラパラと駆け付けたクラスメイトたちが次々に同じドアから中へと入り、押し込まれる格好で藤堂の脇を一歩前へ出た有村が目にしたのは、荒らされて、荒れ果てた教室と、中央で座り、背中を向けていた平野の姿。

「平野! お前、やっぱりまた――」

 振り向く平野が、肩を揺らしてしゃくり上げている。

 けれどそんなことよりも、有村の隣りで草間が小さく息を詰めた。

 過呼吸の前触れのような引き攣る呼吸、跳ねる肩。胸元へと引き寄せられて行く、草間の両手。見開いた目が形を歪め、そこにみるみる涙が溜まっていく。

「ちがう! アタシじゃない!」

 有村が正面と視線を向けたのは、平野が名前を呼んだからではない。

「本当に、アタシじゃないの! 信じて……信じて! 有村!」

「…………」

 ああ、こっちの方がまだ、しっくり来る。

 氷よりも冷たく沈むヘーゼルグリーンの瞳を、藤堂だけが見ていた。

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