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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第六章 起動少年
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アングリー

 約束の一曲を弾き終えて、有村はギターを外す。

「無理言ってごめんな。また、明日」

「うん」

 ドラムセットの奥から声をかける久世を、有村は見ない。そのまま振り向きもせず音楽室から出て行くのを見送り、鈴木は呆れ半分に、口で言うほど『無理』を言ったつもりでない久世へ、苦言の体の言葉を投げた。

 一応、先に話してはいたことだ。有村は見た目ほど、校内での評判ほど、童話を飛び出した王子様ではない。

「久世さぁ。お前、あんま煽るなって。言ったろ? 有村は大人しいけど、キレたら絶対、藤堂よりヤバいんだって」

 口を利かず、碌に目も合わさない今日の有村の態度と剣幕を見たあとでは、桜井もすぐに「ダメって言った時は、無理強いするのやめようよ」と、今更、頼んでいるのは自分たちの方だという物言いで鈴木と有村の肩を持つ。

 さすがに、といえば石巻もだ。あっちゃんにだって予定はあるよ。久世に向けたそれが、今日一回目の『あっちゃん』だった。

「けど、お前ら、わかんなかった?」

「なにが」

「アイツの音、今のが一番よかった」

 腰かけたまま、久世は大きく首を回す。右回りに、左回りに、不規則に。グルグル、ゆらゆらと何度か回し、鈍い音も響かせた。鳴らした久世は、さも楽し気に口角を上げていた。

「そんな気がした。アイツはたぶん、音楽が好きなわけじゃない。やってても楽しくない。けど、この中で誰よりアーティスト気質だ。感情の乱れ、気持ちがそのまま、音に出る」

 だから、合格にした。自分の代わりを任せようと思った。久世はそう続け、笑ったまま鈴木たちを見遣る。

 演奏を止めてしまうと、防音のされている音楽室にも多少は外の賑やかな声が入り込んで来る。楽しそうな、忙しそうな、去年と同じ文化祭前の音。光景。どこかでは囁き程度の旋律が響いている。他のバンドが奏でる音色だ。

「譜面通りの正しい演奏なんか要らないんだよな。キレイな音色なんか要らない。なのにロボットみたいにさ、アイツは何回弾かせても、毎回同じようにちゃんと弾く。そうじゃなかったのは今回入れて三回だな。一番最初と、休みたいって言ったあと。そこから、だんだん良くなってた。今日は、やってよかった」

 不穏を纏う鈴木の横で、同じものに気付いたらしい桜井が「もしかして、怒らせようとしてた?」と久世に問う。久世は頷き、鈴木は溜め息を零した。

 だからか。だから久世は、毎日みっちりと練習をしていたわけだ。

 確かに去年も相当に練習したが、毎日ではない。音楽室が使えるからかと思っていたが、久世の思惑にはもっと早くに気付くべきだった。

「勘弁しろよ、久世。ヒヤヒヤさせんな」

 夏休みを過ごした鈴木にはもう、一学期中に試行錯誤した『有村を怒らせる』という野望を叶える気がない。森で迷子になった草間を見つけた時の有村の顔付きを見てしまったあとだ。あれは、相当に怖かった。常々ばら撒かれる藤堂の睨みなど可愛いものに思えたほどだ。もう一度見たいとは思わないし、ましてや学校で再現したいはずもない。

 何を言っても甲斐はなさそうで、有村は案外ストレス耐性がないとだけ釘を刺した。直前になって『やっぱり出ない』とへそを曲げられては困る。

 しかし、多少は久世に反省させる雰囲気が漂ったところで、それまで黙っていた石巻が突然、「アングリー」と呟いた。

「りっちゃんの言うこと、少しわかる。昨日までのあっちゃんはクラシック。今日は、ロック。怒ってると、ギターが歌う。今日のあっちゃん怖かったけど、音は本当に、すごくよかった」

「ロック? 有村が?」

「うん。カッコ良かった。今日はあっちゃん、男の子の日だった」

「いや、日替わりじゃねーし」

 うんざりと断ち切った鈴木も、石巻の噛み砕いた言い方ならば、久世の思惑に全くの異を唱えられない気分になって来る。確かに、今日はやけに気分が乗った。歌いやすかったのとは別の意味で、昨日までより気持ちよく歌えた。何も考えず、ただ、心のままに。

 思い起こせば、有村のピアノはそうだったかもしれない。楽園で夜に弾いた時は思わず混ざりたくなる音色で、最終日に披露した一曲はとても歌いやすかったけれど、有村の音色は綺麗だったという印象しか残っていない。

 誰かに聞かせる為でなく有村自身が楽しんで弾いていると、音色が変わる。だとすると、久世の言うアーティスト気質もあながち、間違いではない気がした。

 だとしても、だ。今日は草間がピンチだった日。有村は帰宅したのではなく、教室へ戻ったのだ。たぶんと言わず、草間が心配で。その邪魔だけは迂闊にしてはいけないこと。

「でもな? 突くにしても、委員長はやめろ。マジでキレたらドタキャンするかもしれねーぞ?」

「しないだろ。やるって言ったらやるタイプって感じする」

「そーだけど。有村は基本、嫌なモンは嫌なんだ」

「それでも出るよ、アイツは。終わったあとは、二度と口利いてくれなくなるかもしれないけどさ」

 それでいいんだと、久世が笑ったその顔は、鈴木にもう文句も苦言も吐かせなかった。

 自分は別に嫌われても構わない。ステージの上で最高の音を出せるのなら。久世の想いを潔いと片付けていいものか悩みながら、鈴木はとりあえず、「今日は解散でいいよな」、そう告げて三人を見遣った。

 少し、気掛かりなこともあったのだ。石巻ではないが、今日の有村は怒っていた気がする。

 自己嫌悪の別名なら有村らしいと思えるのだけれど、今日のは何故かそうでないような予感がしてならなかった。どうにも消えない、胸騒ぎとして。

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