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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第六章 起動少年
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鬼がいる

 発表する場があるのなら、ましてそれが順位を競うものならば、準備や練習は可能な限りして然るべきだと有村は思う。

 出来る限りのことをして、その一回にこれまでで最高のパフォーマンスをすること。演者とはそれが最も大切なのだと、自己研鑽、切磋琢磨が毎夜火花を散らすノクターンで、刷り込みのように叩き込まれて来たからだ。

 とはいえ、もとより飽きっぽい性格の有村のこと。出来るようになったことをずっと繰り返すのは、それを強要されるのは、子供サイズの服を無理矢理に着せられているかのように血の巡りが塞き止められる気分だ。

 真紫になって、そろそろ腕がもげてしまいそう。提示された五曲はしっかりと覚えたのに、桜井や石巻は絶賛してくれたのに、今日も今日とて久世がC組の教室まで律義に迎えにやって来る。

「律くんの律は、律儀の律なの?」

「なくはない。あれで、お前に期待してんだろ。選曲でわかる」

「うん?」

「自分が弾けないってなって、ギターの難易度下げたんだ。で、お前に決まって跳ね上げた。ま、妥協しない選曲ってトコだな」

「えー……」

 いっそ、放課後にクラスでの仕事が欲しい。そう泣き付いたら、藤堂があと一週間の我慢だと教えてくれた。一週間後からは学校全体が本格的な準備期間に入る。教室の装飾品も大掛かりな物を作り始められるし、そうなれば男子の出番がてんこ盛り。例年通りならば。

 しかし、その『あと一週間』が果てしなく長い。遠過ぎる。あと四日もあるのだ。ギターを弾き過ぎて指も少し痛いし、そろそろお休みが欲しい。なにより、毎日の放課後をみっちりと押さえられて、有村はもう二週間も草間と帰宅出来ていなかった。これが日増しに、じわじわ辛い。

 一緒に帰れないだけと言うなかれだ。放課後を奪われると、有村が平日の昼間に草間とゆっくり話せる時間は半分以下に激減した。日によっては、それ以上。しかも真面目な草間はバンド練習のない先週の土曜と日曜を両日使って落合と久保を連れ、どこかにある問屋街的な場所に出掛けたりして会えずじまいだった。恐らく、次の週末も。

 近くにいると抱きしめたくなり、抱きしめたらキスしたくなる件の悩みを持ち出して、『いい機会かも』と思えたのも最初の三日程度。四日目からはストレスで仕方ない。

 もう、藤堂たちの気遣いを無用だとは口が裂けても言わない。草間とまるで、ふたりになれない。これが辛い。予想以上に。

 実行委員の仕事や進捗状況は、夜の電話でたぶん、大凡を把握している。とはいえ、本当は聞くだけでなく手伝いたい。白状すれば、単純に草間と過ごす時間が欲しい。なんでもいい。顔が見えない電話では足りない所まで、有村は人知れず追い詰められていた。

「久世くん、今日も来てくれたんだね。それじゃぁ有村くん、今日も練習、頑張ってね」

「いやでも、草間さん今、何か言いかけたよね?」

「ううん、いいの。大したことじゃないし。有村くんは練習に行って? ほら、久世くん、待ってるよ?」

「でも……」

「いいから。私は本当に、なんでもないから、ね?」

「夜、電話する」

「うん。でも私、今日はバイトだから、家に着いたら私からかけるね。いい?」

「もちろん。待ってる。気を付けて帰ってね」

「有村くんも。じゃぁ、またね」

「またね」

 手を振って見送ってくれる草間は実行委員として一足先に、本格的に忙しくなっている。放送で各組の実行委員が呼び出されることも数回あり、決めなくてはならないこと、動かなければならないことが常にある状態だ。

 自分が寂しいのは事実でも、有村は草間が心配だった。落合が見張っているとは言うけれど、頑張り過ぎている気がする。

 真面目な草間は背負い込んでしまうから、本当は息抜きに彼女が好きな方の大きな図書館にでも行って、のんびり過ごさせてあげたい。肩の力を抜かせてあげたい。後ろ髪を引かれながら教室を出ると久世はすぐに旧音楽室へ向けて歩き出し、有村は爪先を見ながら歩いた。

 途中で、大笑いをする橋本を見かけた。揃う声はひとつだけ。廊下の隅での出来事だ。何の気なしに目を遣れば、髪色を元に戻してしばらく経つ平野が、自分と同じように下を向いていた。

「知り合い?」

「同じクラスの子」

「ああ、橋本か。派手だよな、アイツ」

「うん」

 スカートの脇で握られた拳も見えた。そろそろかなと、有村は平野から目を逸らした。



 練習期間における久世のスタンスは、とにかく弾いて、弾きまくることだ。

 楽器が声帯というナマモノである鈴木だけはその限りでないが、ギターの有村とベースの桜井、キーボードの石巻とドラムを担当する自分を入れた四名の演奏隊は何度も何度も繰り返し、たった五曲をローテーションでただひたすら、時間が許す限りの目一杯まで演奏する。これが、放課後練習の常。

 合わせる度に久世としてはひとつかふたつ気になるところがあるようで、ここはこうした方が良い、ここはもっとこういう風にと、一人一人に指示を出す。しかし有村が聴く限り、それらは人間というナマモノが演奏をしている以上、何千回やろうと少なからず出て来るものだ。人間は必ずしも正確ではないし、全く同じようには繰り返せない。

 やればやっただけ良くなるものはあるだろうが、疲労とストレスは足を引っ張ると思うのだ。少なくとも有村のモチベーションは最悪である。鈴木曰くの『草間成分』が欠乏している所為で。

「それじゃぁもう一回、最初から――」

「――久世くん」

 これでも、我慢に我慢を重ねた。他の誰かが言うならまだしも自分がそれを口にして構わない立場でないのも理解した上で、有村は声を上げた。

「ギターもバンドも初心者の僕が一番、練習が必要なのはわかってるんだけど、一日だけ、休みが欲しい」

「休み?」

 そう険悪な雰囲気でなく、「土日があるだろ?」と返して来る久世はあくまで不思議そうな面持ちでいる。

 確かに、週末は休みだ。練習は平日の放課後だけ。なのに何故という風に、バイトか、クラスの仕事か、と気遣う声色で畳みかけれてしまうと、有村はとりあえず開いた口でどう言えばいいのか激しく迷う。

 どうにかして平日の放課後に、草間と過ごせる時間を作りたい。正直に打ち明ければ却下されるのが目に見えていて言えずにいた有村の代弁を、鈴木がした。

「彼女と帰れなくてストレス溜まってんだよ。ほぼ、マックス」

 あまりにも、簡潔に。

「彼女って、あの草間さん?」

 有村には後頭部を見せ、鈴木に対して小首を傾げ、「毎回、手ぇ振って送り出してくれてる、あの子?」と久世が言う。意外だという雰囲気で。

「そー。委員長は真面目だし照れ屋だから、昼間ほかのヤツがいる教室じゃ有村とそんな話さねーんだよ。話すつったら、ふたりで帰る時くらい。もうしばらくまともに会話してなくて、有村が、めっちゃストレス溜まってる」

「向こうは?」

「さぁ? 委員長の性格だからな。用事があるのは仕方ないって感じ? 別に文句は言わねーよ。イイ子だもん」

「そっか」

 味方をしてくれるつもりなのか、単に自分も練習疲れが出始めているだけなのかは曖昧なところだが、鈴木に重ねて桜井も「一日くらいいいんじゃない?」と、急に出来た空き時間にジュースを飲む。

 間違いなく加勢してくれたのは石巻だ。あっちゃんは頑張ってるから、一日くらいイイと思う。彼が会話の端々に挟む砂埃のようなものを払うと、そのようなことを言ってくれた。

 しかし。

「ダメだ。彼女に泣かれたとかなら別だけど、有村の都合なら却下」

 事も無げな顔をして、久世はばっさり切り捨てた。

 つい、咄嗟に「なんで!」が力強く飛び出してしまったが、言ったあとで有村は溜め息を吐く。やはり、自分がしていい提案ではなかったのだ。

「なんでも何もないよね。ごめん。余計なこと言って」

 回数や頻度を見れば久世の注文は然程、有村に偏っているわけではない。とはいえ、初心者には違いないのだ。足を引っ張っているのは恐らく、僕。有村はそう諦めて、ピックを構える。

「別に、余計なこととは思ってねぇよ。俺だって彼女いるし、気持ちはわかる」

「じゃぁ……」

「けど、文化祭まであと、たったの二週間弱だろ? それくらい我慢しろよ」

「だよね……」

 わかっている。わかっていますとも。不味そうな口を若干への字にしてギターのネックに指を滑らせた有村は一瞬、続いた言葉は空耳かと思った。

「いま休んだから意味がない」

 独り言より小さく、そう発した気がする久世は気を取り直し、改めて「もう一回」と、演奏隊を見渡す。

「今日、この曲はこれで最後にしよう。忍も入って」

「はいよー」

 何度も何度も演奏し、勤めて探して素敵なことを想うなら、有村にも少しずつボーカルが加わってメロディーに歌詞が乗った時、それが単なる音ではなく『歌』になるのを感じられるようになったことだろうか。

 四つの楽器は四つの色を、それぞれ放つ。声は五つ目の色を放ちながら、先の四色を巻き込んでうねらせる。平面が立体へ、生命の宿る生き物へ、四人の旋律を鈴木の歌が昇華する。それ自体は正直なところ、何度でも味わいたい感覚だった。

 出会い頭、久世に見えたあの色は今日も眩く、彼を包み込んでいる。

 渋々やって来て休みたいと思いながら弾くけれど、弾き始めてしまえば悲しいかな、有村は久世の持つ色彩に飽きることなく、胸が高鳴った。

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