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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第六章 起動少年
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着火

 久世の自宅はそれなりに遠く、自転車で往復、一時間はかかる。

 退屈を持て余すほど有村が待ち惚けをしていた間に久世はその道のりを自転車で飛ばし、ギターを一本、持って来たのだ。自らが設定したこのオーディションの為に。

 彼は本気で優勝を狙っていた。それ以外を見ていなかった。腕に覚えのある自分の代わりを選ぶのだ。誰の友人だからと妥協したくない気持ちは理解したし、妥協しない久世の色が更に強くなった。有村の目付きを、鈴木にとって初めて見るものに変えるほど。

「ここには碌なギターがない。忍から得意なのはピアノで、ギターは自信がなさそうだって聞いたら、ウチで一番クセが少ないのを持って来た。スコアも一応、初級から中級で適当に持って来たけど、弾ける曲があるならそれを聞かせて欲しい」

「フラワーっていう曲でもいいかな。のんちゃんがよく歌うんだけど」

「ああ、いい曲だよな。スコアは?」

「それなら一度、演奏したことがあって。練習したからまだ、覚えてる」

「そっか。じゃぁ、一番最初から。忍、入りたくなったら、入っていいぜ」

「おう」

 例えばこれがピアノでも、演奏を真正面から複数人に見つめられるのは苦手だ。音色が好きでも、有村は別に音楽が好きなわけではない。自分のそれは、音楽ではない。けれど今は去年のノクターンの忘年会よりも思い切り弾き切らなくてはと、ピックを構えた。

 見守る内のひとりである鈴木は、自分が披露するかのように緊張していた。久世は気持ちの良い性格をしているが、音楽についてだけは融通が利かないレベルで妥協をしない。

 見定められる有村に対して上手く弾いてくれと願うような気持ちでいたし、審査員を気取る久世に対して頼むから大目に見ろよと念すら込めていたのだけれど、弾き出す直前、有村がニヤリと笑ったのを見て、どういうわけか鈴木はこの緊張が不要に思えた。

「…………」

 そして、その鈴木の予感は大当たりだった。

 この曲はなにせ、導入のギターが印象的な曲だ。有村の演奏は一音目から完璧で、鈴木よりも先に石巻がドラムでリズムを刻み出し、殆ど同時に桜井もベースで加わった。鈴木は不思議な気分で、歌い出す前に笑ってしまう。去年の猛練習は何だったのだろう。三人の音色は見事に息が合っていて、今すぐステージへ上がれそうだ。

 ボーカルが加わり一番のサビが終わるまで、久世は一言も発さずにいた。曲を聴く時はいつもそうだ。そして、二番が始まる前に演奏を止め、有村の前へ歩み出るとひとつだけ質問をした。

「これ、どのくらい練習した?」

「二週間くらいだったかな」

「そっか」

 鈴木たちには背中を向け、有村からは顔を逸らし、久世はガラス戸の付いた中身の乱雑な棚の方をぼんやりと見つめる。沈黙を引き連れて鈴木が焦れる頃になっても、合格か不合格かを告げもしない。

 ダメだったのかな。そう感じた鈴木は目が合って、桜井もそう感じているのに気付く。悪くない演奏だった。寧ろ、今日言われて思い出して弾いたとは思えない、見事なギターだった。心配なのは、久世の評価が辛いこと。

「一ヶ月、欲しかったなぁ」

 呟いて、久世が笑った。

「一緒にやろうぜ、有村。けど、明日から猛練習だ。都合は色々あるだろうけど調整して、練習には必ず参加すること。いいよな」

「うん。でも、僕で大丈夫そう?」

「上手いと思うよ。予想以上。見えたわ、優勝」

「よかったぁ」

 随分と焦らしたものだ。ホッとひと息吐き出した鈴木の呼吸は溜め息しても盛大で、似たような息を吐いた桜井と流れるようにハイタッチ。砦のようなドラムセットの奥では石巻が音を立てず、ずっと拍手を送っている。

 ギターを返した有村も安堵しているように見えた。久世ともう一度握手を交わし、自分には片付けがあるからと、久世は電話番号の交換だけして有村をそのまま帰らせた。

 そこで、クルリと振り向いたのだ。控えめに言って、久世は悪巧みを思い付いたガキ大将の顔をしていた。

「忍。アイツさ、めちゃくちゃ気ぃ遣う?」

「そうだな。基本的には不思議ちゃんってか、自由気ままって感じだけど、みんなでなんかする時は、そんな感じ」

「だろうな。優等生も伊達じゃないか。音までお利口そのもの」

 口の左端だけを吊り上げ、久世は三人へ「気持ち悪いくらいやりやすかったろ」と、顎先を上げつつ言って寄こす。

 まるで演奏が気に入らなかったみたいな口振りだが久世はそうではないと否定して、有村がいなくなった後でも改めて、「アイツは上手いよ」と軽く言う。

「動かしてぇなぁ、アイツ」

「久世?」

「なんなんだよ、アイツ。なんでこんな、煽って来やがる」

「久世ってばよ。顔、ヤバいことになってんぞ」

「やべぇ……燃えて来た」

「くぜー?」

 呼びかける鈴木を遮り、肩に手を置いた桜井はゆっくり、首を何度も横へ振る。確かに、今は何を言っても無駄だろう。久世はすっかりとマイワールドへ旅行中だ。そうなるのは何も悪いことではなくて、寧ろ久世が果てしなく有村を気に入った証拠である。

「なぁ、曲、変えるぞ」

「今から? 俺ら、練習始めてるのに?」

「今のリストじゃ物足りない。壊してぇなぁ、有村洸太。面白くなるぞぉ」

 漫画やアニメじゃあるまいし、本当に「クッ、クッ、クッ」と笑う人を間近で見ると、ゾッと身の毛がよだつものだ。

 気が付けば鈴木は自分を抱きしめて、一歩、二歩と久世から離れる。

「……怖いよ、桜井」

「ごめんね、忍。俺も」

「俺、友達をやべぇヤツに会わせちまったんじゃねぇ?」

「かもね」

「あっちゃん、最高」

「この雰囲気でそれが言えるって、スゲーわ」

 クッ。クッ。クッ。不気味に響く久世の笑い声を聞きながら、鈴木は本気で、心の中で誠心誠意、ただひたすらに有村へ詫びた。

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