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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第六章 起動少年
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お嬢の願い

 女装。

 やると言ったからには何が何でもやりきって見せるが、しかし、女装である。

 いつもなら早く帰ろうとするクラスメイトたちも今だけはチャイムのギリギリまで騒いでいたいらしく、議題はいま、提供するメニューの方向性について吟味に差し掛かっている。

 しかし、飛び交うその内容は有村の耳にあまり入っていない。女装だ。約五年ぶりの、女装。ハッキリ言って、憂鬱でしかない。

「誰も気付かねぇよ。チビだったんだろ? その頃は」

「そうだね。気付かないだろうね。でも、そこじゃない」

「キレイだろうなぁ、お前の女装。一枚くらい写真撮るか」

「絶対に嫌。想像しないで。ああもう、胃が痛い」

 自分はしないからと思って藤堂は暢気に半笑いだ。女子は受付と、裏でフードやドリンクを作るつもりでいるらしい。藤堂以外の男子は全員、女装で接客。女装。その衣装はどうやら、メイド服に決まりそうである。

 議題で取り上げてくれるのはスカートの長さや、男子にはすね毛を剃れという女子の無体な提案ばかり。ウィッグはどうする。衣装はどうする。楽しそうに色々と考えてくれるのは有難いが、有村が思うのはただひとつ、女装だ。

 苦悩に苛まれている内に、チャイムが鳴った。担任は一応、ホームルームの終了を告げたが、楽しそうでなによりとこの後の掃除を免除して、このまま話し合いを続けていいと言い残して教室を出て行った。掃除には厳しい人かと思ったのに、残念なことだ。

 すると、教室内でも動きがあった。有村が悶々としている間に何かが決まったらしく、有村の元へ紐状のメジャーを持った湯川がやって来たのだ。

「て、ことで立って、姫」

「え?」

「え、じゃなくて。採寸するから、立って」

「採寸?」

「ちょっと、話聞いてなかったの? 男子は全員、採寸。ホラ、後ろ行って。測るから」

「え、あ、うん。え? うん。はい」

 周りを見れば鈴木も山本も他の男子も数名、既に空いたスペースへ連れ込まれ、紐状のメジャーで袖丈などを測られていた。一名に対して、一名が付く格好だ。測ってはノートに書き留め、女子は全員が作業を全うする職人の面持ちでいる。

 自分の担当は湯川なのだと思った。クラスでも話す方だし、いいかな、と。そう思って指示されるまま藤堂の後ろの空きスペースで肩幅に足を開いて真っ直ぐ立つと、「よし」と言った湯川が指先を鳴らすスナップを一回。

「はいよ!」

「任せな!」

 それを合図にどこからともなく湧き出て来た沢木と百田が至近距離まで駆け寄り、気圧された有村は窓を背に、あっという間に三人の壁で取り囲まれてしまった。

「ひとりじゃないの?」

「姫は特別待遇」

「なんで?」

「…………」

「何か言って。無視はやめて、湯川さん!」

 この三人は仲良しで、休み時間も大体、一緒にいる。だからと言って、自分だけが三人に囲まれる意味がわからない。沢木と湯川の隙間から助けを求めて藤堂を見たが、甲斐のない親友は「ガンバ」と言ったきり椅子を詰めて、寧ろ湯川たちにより広いスペースを与えた。

 裏切り者め。今日の藤堂は絶対に、いじわるだ。僕が一体、なにをしたっていうんだ。それをいうなら、神か仏にも同じ台詞を投げ付けたい気分だ。

 もう下がる場所はないのだけれど、有村は一層、背中を窓にくっつけた。じりじりと上履きの爪先を揺らしてにじり寄って来る三人が、途方もなく恐ろしい。

「あの。お手柔らかに……」

「大人しくしな。悪いようにはしないからさぁ」

「湯川、さん?」

「いひひ」

「…………ッ!」

 採寸自体は別に構わない。ただ、有村は薄笑いを浮かべる湯川たちが、あまりにも怖かったのだ。

 強いて言うなら、身の危険を感じた。襲われそうな感じ。何気なく、両方の手がワイシャツとネクタイを握る。心臓がドキドキしていた。全く好ましくない方で。

「さぁ」

「大人しく」

「全身くまなく測らせな!」

「いやー!」

 逃げ場はないので下にしゃがんだ。事もあろうにこんな時、いつかの草間を再現してしまうとは。

 しかし、感慨に耽っている場合ではない。逆光を浴びて影を纏う三人が鬼か悪魔に見える。何故か少し笑っている。その顔が、怖過ぎる。

「せっ、せめて!」

「なに」

「せめて! おっ、落合さんに!」

 闇雲に教室の前方を指差した人指し指は多少、震えていたかもしれない。迫り来る三人が怖過ぎて落合を指名した有村へは、湯川の不思議そうな「君佳?」が返って来る。

「草間さんでなく、敢えての君佳?」

「草間さんに全身測られたら僕が緊張する。落合さんならいい。一番、平気」

「それもどうなの。女子として」

「落合さんがいい! 落合さん! 助けて! 落合さーん!」

 気持ちとしてはシクシク泣きたい有村の悲鳴を聞きつけ、落合が「なんぞ?」と湯川と百田の間から顔を出す。

「ちょぉ、犯されたみたいになってるけど」

「採寸、君佳がいいんだって。アタシら、怖がらせたっぽい」

「沢木っち、目が血走ってたもん」

「誰が言う? おう?」

「なんで、あたし? 仁恵じゃなくて?」

「緊張すんだって。君佳なら平気らしいよ」

「おう、そうか。嬉しくないけど、ありがとう」

 ワイシャツの前を押さえ、しゃがみ込んでいる有村は『犯されたみたい』な状況で間違いない。大きな影が去って行き、あとにはひとつの気配、落合が、これ以上ないほどに身体を小さく丸めている有村の近くで膝を折り、その背中にそっと触れる。

 数回、大きく撫でられた。随分と頼り甲斐のある大きな手のように感じられた。

「大丈夫? 悲壮感、すごいけど」

「怖かった」

「出ちゃったか。お嬢」

 今は誰より頼りになる救世主、落合は、「助けてやりーな」と藤堂を見上げて言ったらしい。面倒臭ぇ。そう答える藤堂は本当に、今日はどうしてしまったのだろう。これっぽっちも、優しくない。

 切ない有村の代弁を、落合が引き受けてくれた。「今日、冷たくない?」。喧嘩でもしたの、と尋ねるが、有村にも覚えがない通り藤堂も別に喧嘩はしてないし冷たくしているつもりもないと言う。

 ただ。

「コイツが女装したら多分、理想の女だ」

「は?」

「見たいだろ。男のナリでそれだ。オイ、有村。キレイにしてもらえ」

「友情どこ行った。鬼かよ、セコム」

「キレイなもんは見たいだろうが」

「親友殿が泣いておられるが?」

「コイツは泣かん。楽しみだ」

「どうする? 姫様。このバカ、一発、殴っとく?」

「お願い」

「おっし、任せろ」

 女には手を挙げないし、基本的には受け止める。そのような信念らしきものがある藤堂は胸に一発、咄嗟に咳が出るほどの一撃を食らった。

 詰まるところ、そういうことらしい。藤堂は自分の好奇心が先に出て、有村を救済しないというわけだ。やると決めたからには、やる。有村自身もそう思ってはいる。落合が採寸を引き受けてくれたのだから、大人しく全身をくまなく測られることにした。

「ウエスト、六十三? ほっそ! マジか!」

「細いはやめて。気にしてる」

「やっぱなー。うっすいもん、姫様。横から見たら紙みたいだもん。アニキャラか。て、脚、長ッ! どうなってんの、等身!」

「どうもなってないですよ。こんなです」

「うっわぁ……ケツ、ちっちゃ」

「ヒップって言おう。女の子がケツはいけない」

「大変だね、姫様」

「なにが?」

「大変だよ、これは。あたしの中の全藤有の民が激震しとる」

「これはこれで怖いな」

「リアルエヴァだね。体型。マジで」

「うん。その形容はもう、だいぶ飽きてる」

 着るのはワンピース型ということなので、腰から足首までを測れば採寸は終わりのはずだった。落合もそれはわかっているようで、ここから先は自分の趣味として測っていいかと、立膝の姿勢で下の方からお伺いを立てて来る。

 教室内は相当に賑やかだった。有村以外にも抵抗している男子がいるのと、やはり女子が異様に盛り上がっている所為だ。そうした中で告げるには、落合の声はかなり小さかった。

 その声が届くくらい立ち上がった落合は背伸びをして、内緒話のような耳打ちを持ち掛けて来る。有村が頭の位置を下げて応えたのは、落合が気まずそうな表情で真剣な目をしていたからだ。

「一回、男子の服も作ってみたいんさ。作ったらやっぱ着て欲しいから、姫様の服、作っていい?」

「いつもの感じで?」

「うん。アイディアはあるの。好きなファッションじゃないだろうから、例えば、姫様の家かウチで一回着てくれたら、充分だから。ダメ? お願い、姫様。姫様、スタイル良いから、作りたい服に丁度良くて」

「うーん……」

 返事としては即答出来る。答えはイエスだ。服や小物を作る落合の趣味は素晴らしいし、彼女は何よりセンスがいい。

 一応、悩んだフリをして見せたのは、落合がこれですぐに調子に乗るから。校外でまで女装をさせられるのは避けたい。けれど、見つめてみた落合の目は今まで見た中でも一位二位を争うくらいに澄んだ、美しい色をしている。

「うん。いいよ。着てみたい。僕も、落合さんが作った服」

「ホント?」

「うん。だけど、その代わりっていうかもうひとつだけ、お願いしていい?」

「なに? 一個でも二個でも言いねぇ」

 江戸っ子気取りの落合に急かされ、次は有村が耳打ちの動作をとった。周囲を窺い、目立たぬよう、気付かれぬように右手を口元に当て、落合の耳へそこだけに聞こえるように。

「当日って、メイクもするよね?」

「するね」

「その時、落合さんがしてくれない? 落合さんはメイクも上手だし、あんまり親しくない子に顔をあちこち触られたくない」

「仁恵もメイクは上手になったよ? 教えたもん。ほぼ、全部」

「好きな子にキレイにしてもらうって、さすがに気まずいよ。どういう気持ちでお願いすればいいの」

「まぁ、確かに。微妙ではあるか」

「だから頼めない? 僕のこと、落合さんが可愛くして?」

「…………」

 身体を引いて離れて行く落合が、随分と目を細めている。嫌そう、呆れた、そんな目はもう殆ど閉じているのに近い。

 実を言うと、有村はたまに落合からそういう目で見られる。そして、言われることは毎回似通っていて、今回もまた同じ。

「ねぇ、そういうトコぉ」

「うん?」

「可愛い顔すんなて。安売りすんな? 姫様が可愛いって言う仁恵の気持ちが最近、普通にわかるようになっちゃったじゃん」

「……ごめん。ん? ごめん?」

「いいよ、もう。やりますよ、メイク。エグイ美女にしてくれるわ」

「やったー。さすが、落合さん」

「おうよ! そんじゃ、まずは太腿から……もうちょい脚開いてもらっていい? 触ってまう」

「このくらい?」

「ほっそ!」

「だから細いは言わないで! 知ってる!」

 他人事の藤堂が椅子の背もたれに肘を着き、「脚は要らねぇだろ」と言って寄こすが、今度は有村が裏切り者を気取り、一瞥だけで無視を決め込んでやった。

 藤堂は知らない、落合と有村の間の秘密だ。落合の隠した趣味を知ってから、彼女の裁縫の腕前はメキメキと上達の一途を辿っているのである。

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