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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第六章 起動少年
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おなかの中は真っ黒さ

 結果、約四十日ぶりの王子様を待ち侘びていた女子生徒の数は過去最高を記録し、今日はここまでと『お開き』を宣言したあとも散ろうとしない廊下の人だかりに初めて、教員が二人ほど駆り出される事態となった。

「みんなも遅刻しちゃうよ? 今日も一日、楽しく過ごそうね。じゃぁ」

「キャー! 有村くんキレー! カッコイイ!」

 他にも、麗しい、可愛い、尊い、天使、等々、ありったけの素敵そうな言葉を背中に浴びながら階段を上がって来た有村の疲労度合いと言ったらない。

 到着地点は、藤堂の背中。後ろから抱き着く格好で、腕を乗せた両肩に遠慮なく体重が圧し掛かって来る。自分と比べて十キロ近く軽いとはいえ男の身体だ。それなりの重さを受け止めるのに、藤堂は階段を上り切るまで前傾の姿勢を取る。

「大丈夫か、お前」

「……根こそぎ吸われた気分。もうね、カスッカス」

「おつかれ」

「うん」

 先に行けと言ったから、草間は久保と落合が連れて、今頃、教室の座席で荷解きも済んでいる頃だ。予想以上の繁盛ぶりに、階段の中腹で有村を待っていたのは正解だった。放り込んでやった飴玉を砕く音が顎を乗せる肩越しに、バリバリ、ガリガリ、と骨に響く。

 しかしながら、有村は今日も完璧な王子様だった。二十人、三十人、ともすればそれ以上の人数からひっきりなしに飛んで来る声に出来る限り対応し、笑顔を振り撒き、女共曰くの元気の源、生きる糧とやらをばら撒いて来たのだ。

 精魂尽き果てるこの有様を見て無邪気に騒げる女共は有村をテレビの向こうのアイドルと勘違いしているのであって、それが職業でもない有村を本当に好いている人間は皆無に等しい。だから『やめてしまえ』と、藤堂はこれまでも再三再四、言っているのだ。これはもう、ただのサービスなのだから。

「お前はもう草間と付き合ってんだしよ、やめたって誰も文句言わねぇだろ」

「草間さんの所為にされたら困る」

「されたって最初だけだ。みんな、わかっちゃいる」

「無駄に敵を増やしたくないんだよ。名前が付いてる人もいるんだし」

「誰だ」

「橋本さん。他にも数人。単体なら脅しで効くけど、女の子は集まると怖いから」

「騒ぐだけだ」

「君は知らないから。集団心理と陰湿の相乗効果は、甘く見ちゃいけない」

「そうかよ」

 階段に差し掛かっても、上がり切り廊下へ入っても、有村への「おはよう」や黄色い悲鳴はそこら中で沸き起こる。階段の半分を藤堂の背中で過ごした有村は、踊り場から隣りを歩いていた。その両手は忙しく包装紙を取り、せっせと口へチョコレートを運んでいる。

「僕が疲れるくらいで彼女たちの機嫌がいいなら、安いものだよ。アレがあるから、彼女たちが草間さんに手を出すことはない。なにかあったらやめるとは言ってあるんだ。今日も折を見てお願いして来た。草間さんとお幸せに、出来ることがあったら言ってねって言ってくれる人もいるんでね。そういう熱狂的な人は抑止力になる。媚びくらい売りますよ。女の子には甘い飴をあげるもの」

「腹黒いこって」

「そうだよ? 知ってるくせに」

「まぁな」

 返す「おはよう」と一緒に、有村は擦れ違う女子生徒へ「美味しそう」と言われたチョコレート渡した。ついでに「お友達の分も」と多めに渡し、隣りで頬を染める別の女にも「おはよう」と微笑む辺り、藤堂は溜め息も出ない気分だ。

 次に声をかけて来た女が、「草間さんは一緒じゃないの?」と問いかける。怪我でもしたら嫌だから先に行ってもらったと答える有村は、本音か演技か、寂しそうな顔をした。

「うっかり突き飛ばされたりしたら、怒っちゃうもん」

「だよねー。姫はホント、彼女大好きだもんねー」

「優しくして?」

「わかってるよー。草間さんに何かあったら、泣いちゃうんでしょ?」

「そう。泣いて学校来れなくなっちゃう」

「可憐か! アハハッ! 姫はもう、可愛いんだからぁ」

 全て隣りで聞いていて、藤堂はつくづく、草間たちを先に行かせて良かったと思った。

 有村が話すのはなにも、女だけではない。他のクラスの男とも会えば話すし、陽に焼けた肌を見れば夏休み期間中の出来事を尋ね、彼女が出来たと聞けば「どんな子?」と、有り触れた十七歳の顔で携帯電話の中の写真を覗き込んだりする。有村の性格なら、然して興味もないクセに。

「可愛いじゃない。どこで知り合ったの?」

「ナンパ」

「やるー」

「イエーイ」

 そうして元気にハイタッチを決め、有村は「お幸せに」とその場を去る。一年先に入学している藤堂よりも、有村は圧倒的に顔が広いのだ。

 裏がないとは言わないが、単純に人と関わるのが好きでしている有村は、天性の人誑し。王子様にもバカな男子高校生にもなれる有村の人気者ぶりは、どうやら二学期も安泰である。

 登校初日はどこかのんびりとした雰囲気で、授業も抜き打ちで一学期の範囲のテストが実施されたりと、いきなり普通の学校生活は始まったという風ではない。体育ではとりあえずの体力測定がてら校庭を周回して終わり、休み時間の度に教室は夏休みの話題で持ちきりだ。

 落合がプリントした写真を持って来ていたので、クラスの女子が「見せて」と集まっても来た。七夕祭りに遊園地、海水浴へ行った時も写真もあれば旅行中の写真もあるし、そのどれでもない何気ない日の写真も透明な表紙のアルバムに収められている。

「ねぇ、君佳。この写真、欲しい!」

「だってよ、姫様」

「えー、やだー」

「なんで? いいじゃん。一枚くらい!」

「何に使うおつもりで?」

「別に使わないし! 見るだけ!」

「えー」

「ちょ、ちょっとだけ友達に見せるけど! だって姫と藤堂くん映ってるし、自慢したいじゃん。イケメン、ツートップ!」

「なら、ダメー。見世物じゃないのよ? そういう扱い、嫌い」

 頼み込む女子数人へ向け、有村は「ふんだ」と声をつけてそっぽを向く。拗ねていますと全身で表現して見せる有村の腕を揺らしたりして、女子たちは尚もお願いの姿勢だ。

「一枚だけ!」

「やー」

「お願い!」

「やーだよ」

 両手で頬杖をつく有村の向こうでは、呆れた鈴木が気配を消してバナナ味のフルーツ・オレを飲んでいる。山本は草間ともう一冊のアルバムを見ていて、そこには久保と持ち主である落合も加わっていた。

 藤堂はと言えばそもそも写真に興味がなく、後ろの席で缶コーヒーを傾けている。精々、また煩いのが来た、と、そのくらいしか思うこともない。何度目かの欠伸をしたタイミングで有村が振り向き、藤堂の首に腕を回して引き寄せた。

「ここで撮るなら一枚だけいいよ」

「オイ」

「マジで!」

 有村は頬を寄せてピースサイン。頬を付けられた藤堂は苛立ちの面持ちで、すぐさま有村を突き飛ばした。

「撮れた? これでお終いね。ねぇ僕も写真見たいから、そろそろ解放してよー」

「待って! もう一回!」

「だーめ。ホラ、席に戻って?」

「えー、姫のケチー」

「バイバーイ」

「ああもうマジで顔、可愛いな! ずるいぞ、美形!」

 離れて行くクラスメイトに有村は笑顔で、ヒラヒラと手を振る。すぐに「ごめんね」と謝られてしまうから、藤堂は一回の舌打ちだけで文句は言わずにおいた。

 久々に見るが、これが学校での有村だ。適当で、何をしていても遊んでいるよう。懐かしいだけだから、鈴木も山本も特に気にする様子はない。

「有村くん」

 そこへ来て、隣りの席から呼び掛けた草間だけが、夏休みを引き摺っていた。

「大丈夫?」

 飴玉やチョコレートを差し出すでもなく、両手は机の下の膝で揃え、ただ真っ直ぐに有村を見て尋ねる。ハッキリとした声だった。

「放課後、どっか寄ろうか」

「うん。暑いから、アイスにしない? ホラ、この間見つけた和菓子屋さんの」

「いいね」

 微笑むというよりも小さく口の端を上げた有村を挟み、藤堂は鈴木と目が合った。

 一学期と変わらない有村と夏休みを越えた草間の間で、その差が混ざり合っていくよう。一学期の頃には教室で見せることのなかった、笑顔らしくない有村の笑い顔。夏休み中よりは音量を落とした、草間の声。けれど次に「図書館にも行きたい」と、草間が言う。小説の続巻を借りたいらしい。

「和菓子屋のアイスって、なんぞ?」

「前に偶然見つけたの。いつもお団子売ってる和菓子屋さん、あるでしょ?」

「んー? 駅行く途中の全然混んでない、おじさんが焼いてるとこ?」

「そう! あそこで、昔ながらのアイスキャンディー売ってるの。種類がたくさんあって、次はミルクティーを試そうかなって」

「え、行きたい。あたしらも連れっててよ」

「もちろん! みんなで行こう? ね、有村くん」

「うん。全員で二つずつ選んでも残るくらい、種類があったよ」

「マジか!」

 こういう時、空気を読んで遠慮しない落合は中々に有難い存在である。今日の放課後は全員で和菓子屋へ。話が纏まった頃、有村が空になった缶を捨てに席を立ち、ついでにと出された手に、藤堂も空き缶を差し出した。

 ゴミ箱に缶を捨てた有村はそのまま、教室を出た。廊下へ出てすぐに両腕を上げて伸びをし、手洗いにでも行こうかと爪先を向ける。学校は、こういう場所だ。一番上まで留めたワイシャツのボタンをまた少し、きつく感じた。

 ネクタイの結び目を越え、喉仏の下に人差し指を差し込んでみる。すんなりと入るだけの隙間はあった。今日も気温が高いので、暑さで息苦しい気がしているだけかもしれない。

 成長期なら大歓迎だ。けれどもしそうでないなら、少々、面倒だ。

「洸太」

 振り向くと、脱色した茶色のウェーブヘアが腕組みをして立っていた。重ねた腕を小さく叩く指先は、先の尖った赤い色。後ろに馴染みのお供ふたりを連れた橋本だ。

「意外。まだ続けてるんだ、恋人ごっこ」

 爪と同じく品のない赤い口が開いて、そう言う。

 彼女はブラウスのボタンを二つ外していた。それで開く襟の邪魔をしない程度にリボンを下げて着けており、苦しさとは無縁そうな解放感にもやはり、微塵の品格も感じない。

「夏休み中に遊んで、別れると思ってた。どう? 惰性で付き合ってあげてるなら、アタシにしない?」

「冗談」

「物足りないってわかったでしょ? アタシならもっと、楽しませてあげる」

 数歩分を引き返し、有村は橋本の正面に立つ。腰を折り、目線の高さが合うまで顔を近付けた。

「気安く、名前で呼ぶな。何度も言ってる。君に(かしず)く男は、僕じゃない」

 その距離は必要な物だった。橋本だけに見せるよう、有村は一切の甘さを消した座った目で、嘘臭く上向きの束を幾つも跳ね上げる橋本の睫毛の下を鋭く射抜く。

 強気が自慢の橋本も、一皮剥けばただの女子高校生だ。射竦める瞳の奥に宿るのは、畏怖の色。根付いているくせに食って掛かるから、面倒なのだ。

「良い子にしていれば、君の女王様ごっこ、続けさせてあげるよ」

 身体を起こした距離で見下ろすと、橋本は精一杯に睨みつけていた。女と欲のにおいがする。鼻が曲がってしまうほどの悪臭だ。一学期の頃よりも悪化しているように思え、ふと見た後ろのふたり、その内の片方に有村の目線は一瞬だけ向いた。

 少しだけ俯き加減の彼女の名前は、平野。夏休み前には黒に近かった髪色が、橋本とそっくりなくらいに明るくなっている。

「君が何もしなければ、僕も何もしない。喧嘩を売る相手は、考えようね」

「何様のつもり?」

「なんのつもりでもないさ。女王様のご機嫌に、興味がないだけ。僕は藤堂ほど男らしくないならね、女の子だからって大目に見るとは限らないよ」

 腹を立てた橋本がお供を連れて立ち去る途中、すれ違い様に、もうひとりから半歩遅れていた平野の携帯電話がストラップを引っ掛け、スカートのポケットから落ちた。

 有村はそれを拾い、平野へ渡す。受け取った平野は何も言わなかった。

「ごめんね。手が、当たっちゃったみたい」

「…………」

 駆け足で橋本を追い駆ける平野を見送り、有村は緩慢な瞬きを一度、落とした。

「邪魔だなぁ、アレ」

 ポケットの中で、突っ込んだ手を軽く動かした。

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