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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第一章 初恋少女
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ゆっくり歩く帰り道

「ごめんね。すっかり遅くなっちゃって。おうちの人に怒られたりしない?」

「大丈夫だよ。途中で一回メールしたし、ウチ、本当に門限とかもないから」

「……だから、そういうのは言っちゃダメって」

「なんで?」

「つけこまれちゃうから」

「誰に?」

「俺に」

「な……ッ」

「じょーだん。なんて顔してるの」

「だって!」

「あははっ」

「あはは、じゃなくて!」

 お互いに中々帰るとは言い出せず、ちらほらと人が疎らになってようやく重たい腰を上げて帰路に着いた頃、時間は七時を過ぎて次のてっぺんが目前に迫る辺りだった。だいぶ日が伸びたとはいえ夜も更けて、今は肌を掠める風も心地良い。

 日中に散々太陽に晒された外気は未だ蒸し暑さを燻らせ、不意に夜風が止んだタイミングでふたりの首筋に汗を滲ませようとしたが、外気と室内の人工の冷気で繰り返し湿った肌のべた付きも、朝と比べ目に見えて元気を失ってしまった草間の巻き毛も、肩をぶつけたり、小突き合ったり、時には車道にまではみ出しながら今日の終わりを惜しむふたりに繋いだ手を離れさせるには至らずにいた。

 掌を重ねるだけだったそれは今や、指を絡ませる親密なものへと変わっている。僅かに手首を巻き込まれ腕がピッタリと寄り添うように近付けば、草間の頬は緊張に強張るよりずっと容易く照れ臭さに緩み、何度でも指先のネイルと同じ桜色に色付いてしまう。

「この辺は静かだねぇ」

 最寄り駅で電車を降りてから、徒歩で約二十分。歩幅を小さく、足運びまでゆっくりと進む草間に合わせて遊ぶように足を放り出す有村が、ふとそんな風に呟いた。

 ひとつ、ふたつ。過ぎる明かりに照らされて、顎を引く横顔が伏し目がちに見える。

「そうだね、住宅街だから」

「店も殆どないんだ?」

「うん。近くにはコンビニと、ちょっと歩けばファミレスがあるくらい」

「そっかー。どうりで静かなはずだ」

 みっつ、よっつ。街灯も頼りなく点在するこの辺りには細い路地が入り組むばかりで、夜には車もあまり通らない。閑静な住宅街というのがピタリと当てはまる道すがら、ふたりの声は幾分か小さくなり、その分距離は近付いた。

「有村くんは、最寄りは藤堂くんと一緒って言ってたっけ」

 話すことは、なんでもよかった。例えば天気の話でも、草間の声はきっと楽しく弾む。

 けれど叶うなら少しでも有村のことが知りたくて、草間は自分にそんな技量などないことを知りつつ精一杯に距離を窺う。そうした不慣れまで有村には筒抜けのようだったが、今夜の彼にはもう草間を強いて揶揄う気もないようで、唐突な切り出しにも「そうだよ」と笑顔を湛えるばかり。

「家も結構近くてね。歩いて五分くらいかな」

「そんなに?」

「しかも通り道なんだよね。だから帰りにそのまま寄って、夕飯ご馳走になったりして――」

 そこで不意に言葉を切った有村が、「藤堂んチ、妹いるの知ってる?」と問いかけたので、草間はうん、と頷いて見せた。久保の幼馴染みだから、藤堂のことは昔から知っている。だから当然その妹とも顔見知りだったので、草間は脳裏にあの愛らしい姿を思い浮かべた。

 名前はみさき。確か藤堂の八つ下だ。

「みさきちゃんが、どうかしたの?」

 呼んだことでそれなりに通じるとわかったのだろう。それがさ、と切り出す有村はどこか自慢気だ。

「行くと、泊まってってとか可愛いこと言って来るんだよね。お兄ちゃんにはお友達がいないからって、説得しようとしてくんの。こうさ、座ってる膝に飛び乗って来て、やだやだって」

「えっ、なにそれ。かわいいっ」

「でしょー? 堪んないよね。でも毎回泊まるわけにはいかないじゃん? だからまた今度ねとか誤魔化そうとするとさ、極め付けだよ? 首にぎゅーってしがみ付いて来て、帰っちゃヤだって。もう殺し文句だと思わない?」

「思う。みさきちゃんにそんなのされたら、可愛過ぎる」

「だよね。なのにデレってすると藤堂に殴られるの。理不尽だよねぇ。暴力ってダメだよね。いくらシスコンでも」

「シスコンって」

 草間はケラケラと笑い声を上げた。それは藤堂への禁句。久保だって言えば必ず口喧嘩になるのに。

 彼は常々有村とは違う種類の涼しげな表情で堂々と構え言葉少なに硬派を気取っているし、実際にそうなのだけれど、こと妹の話題に話が及ぶと途端にその顔が保てなくなる。それを草間もよく知っていた。

「でも、それって多分、有村くんだからだよ」

「どういうこと?」

「みさきちゃんて、本当は内気で大人しくって、我が儘なんて言わない子だもん。大人とか知らない人が苦手で、いっつも藤堂くんの後ろに隠れてて。恥ずかしがり屋だから」

「あー確かに、最初はそうだったかも。詳しいね。もしかして結構親しい?」

「うん。絵里ちゃ……久保さんと藤堂くんが幼馴染みなのは知ってる? 誕生日とかクリスマスとか、あとお正月の初詣とか。中学の頃まではみんなで行ったりしてたからわかるよ。可愛い子だよね。小さくて、いっつもニコニコしてて」

 小学三年生でクラスでも小さい方だという藤堂の妹はとにかく華奢で、雪のように白い肌をした、まさに可愛らしいという言葉がピッタリの女の子だった。背の高い藤堂と並ぶと、宛ら『モンスターズ・インク』のサリーとブーのよう。すぐに抱っこを強請って片腕に抱えられたりもするものだから、余計にそんな風に見えた。

 話しかける時にはツンツンと相手の袖を引き、恥ずかしそうに「あのね」と切り出し、笑う時には小さい肩をクイッと上げて「うふふ」と両手で口を押える仕草がまた愛らしいのだ。そんな外見を思い浮かべながら有村が言った状況を想像すると、草間は思わず口許がにやけてしまった。

 あの可愛らしい子が有村の首にしがみ付いて『いやいや』をしているなんて、実際に見たら悲鳴を上げてしまう。なんという愛らしさだろう。抱き着かれて困惑する有村も、それを見て怒りを募らせる藤堂も目に浮かんでくるようだ。 

「きっと有村くんのことが大好きで、恥ずかしいより一緒にいたくなっちゃうんだね。可愛いなぁ、みさきちゃん」

 うふふ。声に出てしまう笑みを口に手を添え隠していると、徐に歩く速度を落とした有村にそれを覗き込まれた。

「自分みたいで?」

「え?」

 見上げた至近距離の有村は、悪戯を思いついた子供のような顔でニヤリと口の端を上げている。しまった。それを見て、草間は咄嗟に顎を引く。

 また意地悪のスイッチを入れてしまった予感。

「内気で大人しくて我が儘も言わなくて、ついでに根っからの恥ずかしがり屋で、いっつも久保さんや落合さんの陰にいる小さくて可愛い子が隣りにもいるなぁって。なんだ、可愛いって自覚あるんじゃない。ついでに言ってご覧よ。恥ずかしいより、なにが勝ってるって?」

「……なッ」

「ほら。俺のことが? なに?」

「……ッ」

 瞬間的に赤面して絶句する草間を前に、有村は小さく吹き出した。

 やっぱり、また揶揄われた。込み上げる悔しさと気恥ずかしさで、益々顔が熱くなる。全く以てその通りだ。だからこそ余計に俯いてしまい、身体をスッと引き戻した有村は高らかに笑い出す。

 男の子はきっと、みんな多かれ少なかれ意地悪なんだ。有村にされると特別扱いしてもらったようで嬉しい気も、しなくはないけれど。

「あはははっ! そんなに照れなくても」

「てッ、照れるに決まってるでしょ! 私は、そんなっ」

「好きだとか簡単に言えません、って?」

「ありむらくん!」

「草間さんはそれでいいよ。だから俺にも言うなって言わないでくれれば。よく言うじゃない? 愛されるより愛したい性質なもんで」

「愛、って……!」

「でも本当はされたがりの寂しがり屋から優しくしてね?」

「誰がっ!」

 あまりの恥ずかしさに触れ合う手を振り払おうとしたがそれは叶わず、代わりに草間は肩から動かして腕を大きく上下にブンブンブンと振り回した。

「んーっ!」

 力の限りにやってはいるが元々非力な草間のすることだ。

 振るのに合わせてカクン、カクンと肩を揺らせてみせるが、「痛い、痛い」と零す有村はニヤついていて、堪えている気配がまるでない。

「痛いって、腕抜けちゃう」

「だったら放してっ」

「いぇーい」

「イェーイじゃなく!」

 掛け声と一緒に腕を高く上げられて、もうどうにも動かせもしないほどピンと伸ばされてしまうと、草間は恨めしそうに有村を見上げた。

「……ふっ……ふふっ」

「……ははっ」

 どちらからともなく笑い合い、ふたりは差し掛かった角を右に折れた。

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