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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第六章 起動少年
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四十日がくれたもの

 久々に洋食が並ぶ朝の食卓で、サラダをひと口頬張った有村を上目遣いに見た佐和は何度目かになる覗き見で、耐え切れなくなった笑みを零す。

「嬉しそうね」

「あ。顔、緩んでた?」

 時計代わりのテレビが、天気予報を伝えている。本日も底抜けの夏空。雲ひとつないスカイブルーを背景に、若い『お天気お姉さん』が笑っている。

 テレビの中にも笑顔、テーブルの向かいにも笑顔。

 緩んでいたというより、佐和には久々の制服を身に纏った有村が、やはり嬉しそうに見えたのだ。

「久々に、学校の子たちと会うのが楽しみ? 夏休み中は、藤堂くんたちとしか遊ばなかったでしょう?」

 遊園地へ行き、海へ行き、旅行へ行った夏休み。それ以外にもたくさん外出をしたようだけれど、相手は全て藤堂たち。主に『彼女』であることは、敢えて言葉にしなかった。

 有村は口角を上げたまま、フォークで刺したプチトマトを口へ運ぶ。結局は野菜なのだけれど、進んで食べる量自体はほんの少し増えたように、佐和は思う。

 それぞれ旅行と出張から戻り、最初の食卓。有村は少しだけ、()()をするようになった。

 どれでも同じと次々に運ぶのではなく、多少は次に食す物を選んでいるように見えたのだ。自分にだけ全く興味のないこの少年のことだから、無意識なのだろうけれど。それでも構わない佐和は微笑む。

「そうだね。商店街のお祭り、のんちゃんチのお手伝いをさせてもらった時に何人か会ったけど、みんなこんがり焼けてたなぁ。髪色がだいぶ明るくなってた子もいた。たったの一ヶ月ちょっとって思ってたけど、外見が変わると、随分長い時間だったような気がするね」

 外見までは言い過ぎか。有村はそう言って最後のレタスを飲み込んだ後、今朝のフルーツであるキウイにフォークを持った手を伸ばす。

 気を抜いて食事をしている時に近くのひと皿から平らげていく変わらない癖を見れば確かに、盛り沢山だった約四十日は、たったの一ヶ月ちょっとなのかもしれない。

「そうかしら。人がほんの少し変わるのに、一ヶ月ちょっとは、充分な時間かも」

「もしかして僕のこと? 身長、少し伸びたかな」

 平均身長を越えても一際小さかった頃が最近の有村は胸を張り、頭の上へ平行にした手を翳して見せたりする。

 特別、背の高い藤堂といるから小柄に見えるが、身長も体格もかなり男性らしくなってきたというのに、まだ足りないと思っているのかと思ったら、佐和はまた笑ってしまった。

「背は、どうかしら。でも、ちょっと変わったかな。わかる人には、わかるかも」

「どういうこと?」

「内緒。つまらないじゃない、教えちゃったら」

 咀嚼を止めた有村は上を見て、邪魔者を退かすようにゴクリと飲んだ。

 もう小さな男の子ではなくなったとして、真っ直ぐに伸びた白い首が目の前に晒されると、佐和はそこに未だ有村の華奢を見る。同年代の代表として取り上げるのに藤堂は適切ではないのかもしれないが、彼のそれと比べると有村の首は細く、正面の凹凸も少ないように感じる。

 とはいえ大きく上下したその場所を、有村がそっと人差し指で撫でた。

「首は、ちょっと太くなったかも」

「首?」

「久々にネクタイ締めたら、なんかきつくて。ボタンかな。苦しい気がする」

「あら」

 指は入るの、と尋ねる佐和は席を立ち、有村の背後へ回り込む。人差し指は入るのだと言った。入れた状態で襟が、首の後ろに食い込んでいるということもない。

「肩の位置もおかしくない気がするけど、成長期だものね。ワンサイズ上のを今日中に用意しておくわ。苦しいのはダメよ。体調が悪くなったら、大変」

「ありがとう。袖は丁度良いよ」

「はーい」

 首元から肩先までを一気に撫で、佐和は改めて、見るよりも実感として大きくなった背中に歓びを感じた。

 椅子の背もたれにすっかりと隠れてしまうほど、小さかったのに。出会ってまだ三年しか経っていなくても、こうして目に見える成長がまるで、佐和を本物の姉にしてくれるよう。

「他はどうなの? パンツや、靴は? 小さくなってない?」

「大丈夫。そんなに感じない」

「そんなにってことは、多少はあるってことじゃない。靴?」

「ちょっとだけね。ピッタリになった感じ」

「痛くなる。今度、買いに行きましょ」

「何でもいいよ」

「靴はダメよ、形があるんだから。合うのを履かないと」

「はーい」

「うん。良いお返事」

 共に住み始めて間もなく、着せ替えが趣味だと言った。振舞えるほどの料理の腕もないもので、せめて身に着ける物くらいは選ばせて欲しいと告げてから、この少年は恐らく半分以上は諦めで、佐和の好きなようにさせている。

 洋服には興味がない。どれだけ聞き出そうとしても、欲しがる物は殆どない。

 やっと出て来るのは、調理用具や便利家電。ゆくゆくは佐和の暮らしが潤うだけの品物以外を、佐和は彼の為だけに選びたいのだ。

「他に、見に行きたい物はない? 気になってる物とか」

「ないなぁ。佐和さんはどうなの? せっかくだし、付き合うよ? なんでも」

「私はいいのよ。洸太の買い物がしたい気分なの」

「そう言われてもなぁ」

 考えておいてね。覗き込む角度で伝えれば、有村は一応、「うん」と、聞き分けの良い返事をする。

 これが初めてでもないもので、週末になっても変わらず『ないなぁ』と答える有村の肩の上、佐和は優しく置いた手を弾ませた。

 しかしながら、席へと戻る佐和には、今回は何か出て来るかもという今まで一番の期待感があった。昨晩、帰宅したのは、日付も変わった夜中過ぎ。その時、珍しく眠たそうにしていた有村は確かにこの夏休み、特に旅行へ行って、雰囲気をどことなく変えたのだ。

「今日は少し早く帰るわ。晩御飯、一緒に食べましょ。中々時間が取れなくて、ごめんね。旅行の話、ゆっくり聞かせて?」

「お土産渡した時にしたよ?」

「一週間よ? 楽しかった、だけじゃ短過ぎる」

「うーん。あ。友達が写真くれるって。夏休みの思い出アルバムにしてあげるから楽しみにって、言われた」

「あら。いいじゃない。見せてね、写真」

「受け取ったらね」

 あまり期待していない顔で、有村はまたひと欠けキウイを頬張る。これも、諦めかもしれない。だとしても相当に嫌がっていた写真に撮らせたわけだから、今夜、他にも幾つかの変化を見つけられるかもと、佐和の頬は緩んだまま。

 欲しい物、興味を引かれる物がないのは別にいい。物欲がないだけで、好奇心の赴くまま学んで試して身に着けた秘密兵器は数を増して行くばかり。佐和の心配は寧ろ、最後まで『嫌だ』を貫き通すものがないこと。絶対に譲らない『したくないこと』がまだ、この少年の中にないこと。

 何か、ひとつくらいはあっただろうか。夕食時を待ちきれず、探る視線を投げた佐和に気付き、有村は「おかわり、持って来る?」と言った。それも佐和は、いつか自分が言いたいと思っている。食事でも、飲み物でも。

 一皿ずつ片付ける三角食べが苦手な有村は度々、途中で水分を取るのも忘れる。今朝も淹れた珈琲は完食後に一気飲みの様相で、鳴らされたチャイムに、半分ほどはただ喉の奥へと流し込まれた。

 垂れ流しのテレビで星座占いを少しだけ見たことと同じくらいに珍しく、食器をシンクへ下ろしたあとで自室から鞄を手に出て来る有村の足音が賑やかだった。

「食器はそのままでいいから。今日はバイトないし、帰って来てから片付ける」

「私だって、洗い物くらい出来るんだけど?」

 ごめんね、と告げる有村を呼び止め、佐和はネクタイを整えてやった。

 触れてみても、これが隠す第一ボタンが首を絞めるほど、きついようには思えない。

「ねぇ、洸太。本当に、私には何の遠慮もしなくていいのよ? 洸太がしたいことなら何だって、私、協力しちゃう」

「……なら、一個いい?」

「ええ。なに?」

 買い物の追加だろうか。今晩、行きたい飲食店でも思い付いたのだろうか。

 瞬く間に表情を華やがせた佐和を、有村は両腕で、しっかりと抱きしめた。

「洸太……」

 最初に教えた首にしがみつくハグでなく、背中に腕を回す抱擁の形だ。抱き寄せられた佐和は珍しく明確に甘えられた感動と同時に、ひとりの時間を長くしてしまっている申し訳なさで声を震わせ、応える手を背中へ這わせた。

 わからなくはない。一週間も朝から晩まで友人と一緒の時間を過ごしたあとだ。寂しくさせてしまったのだと感じると目頭が熱くなる想いで、佐和は有村の髪に頬を摺り寄せる。

 そして誓った。今日は意地でも仕事を早く終わらせて、一応はある定時前にオフィスを出る。食事をして帰っても、ゆっくりと寛いだ後に映画を一本観るくらいの時間を作ってみせる。

「今日、夕方には帰るからね。いっぱい話を――」

「――うん。やっぱり、気の所為か」

「……うん?」

 きつく抱きしめた割に有村の腕はあっさり離れ、あとには納得気な玄関先の有村と、状況を飲み込めずに顔を固める一段上の佐和が残った。

「それじゃぁ、藤堂が待ってるから行くね。佐和さんも、遅れないように。いってきます」

「うん……いってらっしゃい」

 二学期初日の藤堂は、エントランスで待つことにしたらしい。いつもは部屋まで迎えに来るのに。変えた理由など、玄関扉が閉まったあとで、佐和には全く、どうでもいい。

「……気の所為って、なに」

 また何か独特な思考回路で自己完結していないといいけれど。思いはしたが、席へ戻るだけで朝食の再開を後回しにする佐和には多少、あの感動は何だったのだろうという物悲しさが湧く。

「早く帰ろ。話そ。うん、それがいい。うん」

 そのまましばらく頬杖をついて物思いに浸っていたので、佐和は結局、偉そうにやると宣言した食器の後片付けも出来ないまま、大急ぎで服を着替えて出勤する羽目になった。

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