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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第五章 萌芽少女
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二回目は違ういろ

 有村は好奇心の塊だ。だからこそ物知りなのだろうと、草間は思う。

「草間さん。あの子が吹いている楽器はなに?」

 ペットボトルの飲料を買いに近くの商店街まで出た帰りの途中、立ち止まる有村が指差す先で、懐かしい物を見た。

「ああ、ビードロ。懐かしいな。楽器っていうか、おもちゃだね。ああやって、吹いて遊ぶの」

 子供の頃に遊んだ記憶があるので、自宅のどこかにあるはずだ。自室にはないから、きっと、祖母の部屋のどこかで眠っている。

「持ってる子がいるなら、近くで売ってるのかも」

「…………」

「……探しに行く?」

「うん! 是非!」

 一緒に来ていた藤堂は足を止めた数歩先で振り向いており、「ただ吹いて音が出るだけだ」と心の底から、面倒臭そうな顔をした。提げるビニール袋の中身は、これから日が暮れ、すっかりと夜になるまで続く待ち時間を凌ぐ為の炭酸飲料とお茶と缶珈琲が人数分と、余分に数本。

 キラキラと輝いたあとで言うことをきかない時の目をした有村は、藤堂と同じサイズのビニール袋にミネラルウォーターとアイスを幾つか詰めてぶら提げている。草間が提げる袋も同サイズ。入っているのは主に山本用のスナック菓子で、重さはふたりの半分もない。

「だったらなにさ。吹いてみたいんだから、探すしかない」

「そうかよ」

 それなら自分は先に戻ると言って、藤堂はふたつの袋を回収した。手ぶらになった途端、有村は「訊いて来る」と背中を向け、ビードロで遊ぶ少年と、手を繋いでいる父親の元へ駆けて行く。

「ごめんね、藤堂くん。重たいよね」

「構わん。それより草間、サクッと見つけて、アレ、なるべく早く連れて来いな」

「うん。そうする」

 すみません、と、かける声が聞こえて来る。ああして気になったらすぐに動き、動かずにはいられない有村のあとを、荷物を全部引き受けた藤堂を見送ってから草間は追いかけた。

 前回と違い、今日は有村も藤堂も浴衣ではなく、私服を着ている。着慣れた風というか、品よく着こなす有村の浴衣姿は機会さえあれば何度でも見たいものだったけれど、アルバイト先であるノクターンへ行ってからの合流だったので仕方ない。

 今回選んだ草間の浴衣も、有村は顔を合わせるなり、随分と褒めてくれた。温度が違い過ぎると落合が零すくらいにだ。

 もちろん、自信作の帯結びにも気付いてくれた。浴衣の色や柄に合っていて可愛いし、似合っているよ、と。なので草間にしてみれば、本当は浴衣で来て欲しかったなどという願望は、存外すんなりと飲み込めてしまった。

 驚いたのは、それが『花結び』と呼ばれる形であるのを、有村が知っていたことだ。当然、男性がする結び方ではない。なのに知っているという辺りが有村らしくもありつつ、知っているからこそ要所要所に潜む細やかなテクニックまで褒めてもらえたのだから、こうして見せる軽快なフットワークで実が成る好奇心を草間は結局、寧ろ積極的に後押ししてしまう。

 例えば鈴木や山本が『止めてくれよ』と、肩をがっくり落としたとしても。

「あそこだよ、草間さん。たくさんある」

「飾っておくのも可愛いよね。気に入ったのがあったら、おウチに連れて帰ってあげたら?」

「そうだね。そのつもりで見よう。草間さんは?」

「ウチ、たぶん、どこかにある」

「そう。じゃぁ見つけて、セッション出来るね」

「だから楽器じゃないんだってば。 ……ふふっ。もう」

 商店街の片隅でビードロこと『ぽぴん』を売り出していた店先に立ち、まるで世界遺産でも見つけたように感動しきり、両手を添えて覆った口元で息を飲む有村は今日も、隣りに並ぶ草間の笑みを大きくさせる。

 早速、店主に話しかける有村といると、草間は普段の生活が三割増しで、生き生きと輝くようだ。興味を持って買ってもらった子供の頃より、様々な柄を持つビードロが美しい芸術品に見えて来る。

「こんなに薄いガラス、どうやって作るんだろう」

「それが日本の匠の技ってヤツさ。古くは浮世絵にも描かれてる。ぽぴん、ぽっぺん、地域によって呼び方が異なる上、地方じゃコレを使った厄払いなんかもあるんだよ」

「厄払いですか?」

「旧正月に吹いたって話だね。ホラ、お兄ちゃんも吹いてみな」

 中年の頃合いに思えるこの店主も恐らく、興奮気味の有村が日本語の上手い外国人に見ているのだろう。優しく吹くんだ、ソフトに。遊び方を教えたあとで草間に通訳でも頼むつもりだったのか、「旧正月ってのは、伝わらないかな」と、囁く声が妙に小さい。

「日本人なので大丈夫ですよ」

「そうなのかい? じゃぁ、都会っ子ってヤツだ。お嬢ちゃんは知ってるかい?」

「はい。子供の頃、祖母に買ってもらいました」

「昔は色んな所で売ってたものだけどねぇ。万華鏡なんかと一緒に」

「万華鏡……」

 ぺこん。可愛らしい音を鳴らして、有村の目がまた一段階、輝きを強くする。

 ちょっとだけ、トトロに似てる。傘に落ちる雨粒が楽しくなってしまう、あのシーンだ。トトロがジャンプで大量の雨粒を落としたみたいに、有村は三回目からペカペカペカと、引っ切り無しに鳴らし始めた。

 草間も店主も、笑ってしまうほどだった。幼い子供でもそんなに激しく鳴らさない。高速過ぎる『ペカペカペカ』に店主はついに笑い声を上げ、「気に入ったみたいだな」と、買い求めた有村に店の奥の商品からひとつ、おまけを付けてくれた。

 和柄の布が巻かれた、柄付きの赤い筒。話に出たばかりの、万華鏡。

「おおっ、これが万華鏡! アメージングだ……ファンタスティック!」

 やたらと発音の良い『アメージング』と『ファンタスティック』で、店主がまた不思議そうな顔をするのを、草間は堪え切れず大いに笑った。

 見知らぬ物が『好き』なのだとしたら、有村は美しい物が『大好き』なのだろう。もしかしたら喜ぶかもと思った万華鏡の中、薄いガラスが鳴らす澄んだ音。歩きながら両方を満喫する有村に、それらが見せる『色』を訊いてみたくなる。

 一体、どんな色なのだろう。幼稚園の頃に使ったクレヨンにある色だろうか。

「ビードロ、持ってようか?」

「いいの?」

「うん。バッグ、まだ余裕あるから」

 ついでに草間は、使う予定のない予備のハンカチタオルも持っていた。繊細なガラスを丁寧に包み、カゴ巾着の中へ優しくしまい込む。今日、これを選んで正解だった。

「やっぱり、日本語の方が、風情があっていいな。カレイドスコープより、万華鏡の方がピンとくる」

「ふふっ」

「なんで笑う?」

「ううん。ごめん」

 緩みたがる口元を隠す草間は先程の店主を思い返し、込み上げてしまう笑みを堪える。どうということはない台詞だけれど、髪や瞳や肌の色、顔立ちも日本人らしからぬ華やかさを持つ有村が言うと本当に、日本語が堪能な外国人留学生のように見えてしまうからだ。

 斜め上の空を向く、有村の手にクルクルと回される万華鏡。陽の翳り始めた弱光でも、草間が知っている美しさを自慢出来ているのだろうか。少しでも明るい場所を探してしまう草間は、古き良き日本をオススメしたい日本人で間違いない。

「絶妙なセンスだと思うんだよね。鏡って入れることで(じつ)を表しているし、この移り変わりを万の華と表現するのが美しい。語感からして儚いし、名付けた人はきっと、かなりのロマンチストだったんだな」

 返事をしたら笑ってしまいそうで、草間は聞き役に徹した。名前ひとつでそういう想像をする有村も大概、ロマンチストだと思う。

「一期一会の結晶だ。最高の配置を見つけても、すぐに次の最善が来る。なのにどれが一番かなんて、甲乙も順位すらつけ難く、野暮だ。これは中々、奥が深い」

「……ふっ!」

「どうしたの?」

「ううん。そうだね。私も、万華鏡のそういう、変わり続けるところが好き」

「では、どうぞ」

「ありがと」

 旅行へ行った、前と後。一番の変化といえば、頬に『ワクワクしている』と書いてある顔で万華鏡を差し出した有村がより自由気ままに行動するようになったことと、そういう有村がより一層素敵に、可愛く思え、視線に気付かれようと目を逸らす気には更々なれない、受け取った万華鏡を覗く草間の心、胸の内。

 藤堂が面倒臭がるくらい、少し手のかかるくらいがいい。手がかかるなんて、草間は少しも思えないのだけれど。

 土手の芝生に広げたレジャーシートへ戻るなり、藤堂は呆れた声で「ぽぴんはどうした」と言った。

「この中に入ってるよ。あれはお店の人が、おまけでくれたの」

「余計なモンを」

 その手の中には缶珈琲。アイスを勧める山本の声も耳に入らない様子で万華鏡を覗く有村が碌に見もせず、藤堂の肩をパシパシ叩く。

「見て、見て、藤堂。コレ。いま、すごく綺麗」

「そいつは明るいトコで見るもんだ」

「そんなのは決めつけだ。見てから言ってよ、綺麗なんだから。ほら」

「いい」

「とーどー」

「いいって」

 フォローする為でなく、草間は見たくて「見せて」と言った。見たくない藤堂に見せるのは勿体ないくらいの気分だ。有村が想う『綺麗』をたくさん見たら、彼だけの世界とやらが隅っこくらい、手に入るかもしれない。

「確かに明度は下がるけど、情緒的というか神秘的な感じ、しない?」

「……あー、わかるかも。華やかじゃないのに、キレイ」

「でしょ!」

 光を集めない万華鏡の中は、ミステリアス。目を凝らす底は深海のようで、『神秘的』も感じ取れないではなかった。

 鮮やかではないけれど、悪くないと思ったのだ。有村が熱っぽく薦めて来たからそう見えたと言われたら、上手に反論出来そうにない。

「キレイなもの、本当に好きなんだね」

「…………」

 久々に、有村の目がきちんと、草間へ向いた。

「……君は、嫌い?」

「好きだよ? もちろん!」

 それきり、有村は万華鏡をシートの上へ下ろしてしまった。

 どうして急に興味が冷めてしまったのか、時間を確かめた落合が「始まるよ」と言わなければ、草間は気にしていただろう。今夜の打ち上げ花火は間隔を置いて、例年、音楽に合わせた三部から四部の構成で夜空を彩る。今年は三部構成らしく、テーマは『未来』だった。

 会場までの距離があるといっても、間に遮る建物がない土手で見る花火は迫力が違う。テーマに合わせ、今年はより一層カラフルで華やかな花が、雲のない空に咲き乱れる。

 二段階に開くもの。キラキラと輝きながら消えるもの。次から次に、打ち上がる。

「有村くん」

 隣り合って座る距離では心許なく、草間は肩が付くくらいに身を寄せて呼びかけた。

「キレイだね!」

 身体に響く音の中、顔を向けた有村に告げて、草間は心からニコリと笑う。

「…………」

 堪らない気分だったのだ。澄んだ夜空に咲く花火。一部が終わり、二部が始まり半分が過ぎて、夏休みが終わってしまう寂しさも忘れるくらい、あまりに、綺麗過ぎて。

「…………」

「え? なに?」

 数秒遅れて動いた有村の口から出たはずの声が聞こえずに、草間は更に身を寄せる。どこよりも耳を近付ける具合に、顔を、横へ向けた。

 綺麗だ。微かに、そう聞こえた。草間は、二回目の打ち上げ花火も感動しているのだと思ったのだ。だから嬉しくて、また笑った。有村が喜んでくれると、草間は胸が温かい気持ちでいっぱいになる。

「…………」

 また、有村が何か言った。

 見せて、と、言ったような気がした。

「……んっ?」

 耳にばかり気を取られていたら目の前に腕が伸びて来て、骨張った有村の長い指先が添えた頬で、草間に顔の方向を直させる。

 隣りを向けば、顔と顔はもう、息もかかりそうな距離にあった。見つめて来る有村を見つめ、草間はその瞳に囚われたまま、瞬きだけを数回落した。

 固まってしまった草間の頬を、有村の指が撫でる。優しく、羽根のような軽さで輪郭を辿り、顎の先へと抜けた指。一旦は全てが離れ、戻って来た親指は草間の唇、その表面を小さく滑る。

「…………」

 されるがままでいた草間が息を飲んだのは、有村がまた泣いてるみたいに笑ったからだ。

 そんな笑顔は見たくない。楽しい時だけ、笑って欲しい。思う草間は抱き寄せられ、背中が僅かに仰け反った。

 埋める顔は、肩の上。回された手は背中と後頭部を包み込み、ようやく気付いた久保と落合が声を上げる直前、触れ合う場所に隙間などない抱擁の最中で、草間の耳元、やっと、聞き取れる音量で有村が言った。

「……帰る」

「……え?」

 帰る。確かに、そう聞こえた。花火はまだ、二部の途中。そのようなタイミングで放たれるとは、よもや微塵も予想していなかった言葉だ。

 戸惑う草間は久保に引き剥がされるより早く抱擁を解かれ、そのままスクリと立ち上がった有村を仰ぐ目にも表情にも、途方もない困惑を露わにする。草間だけではない。立ったことで当然に注目を集めた有村を見上げた他の五人を含めた全員が怪訝を纏い、改めて「僕、先に帰るね」と言われるやいなや、それぞれに短いながらも何かしらの声が出た。

「ごめんね! 急ぐから。みんな、気を付けて帰ってね。それじゃ!」

「ちょっ、えー」

「有村?」

「花火まだあんぞー!」

 丁度良く二部と三部の幕間で、強い音の止んだ土手では、駆け出した有村には落合と鈴木と山本の声が届いていたはずだ。けれど彼は振り返りもせず、すぐにその後ろ姿を小さくした。

 草間は咄嗟に、ひと言も出なかった。面食らっていた。驚いていた。そして今更に撫でられた頬や唇が恥ずかしくなっただけで、何があったと問いかけて来る藤堂にも、頷きを返すのが精一杯。

「姫様、どしたん?」

「わからん」

「便所?」

「いや、さすがにそれじゃ帰るって言わねぇだろ。 ……多分」

 顔を見合わす鈴木と山本が、首を傾げ合っている。同時に向けられた視線で巻き込まれた落合もつられるようにして首を傾け、久保は真っ赤に茹る草間を横から抱きしめ、有村が消えて行った方向を、ひと睨み。

 ズラリと見物人がひしめく一面、久保と同じ方向を見ていたのは、わからん、と答えたきり、表情を動かさずにいた藤堂だ。彼は間もなく立ち上がり、レジャーシートの脇に並べていたスニーカーを履いた。

「鈴木。山本。帰り、コイツら頼むな」

「おう?」

「俺も帰る。草間」

「…………」

「草間」

「……はい!」

 二度目の呼び掛けは肩に手を置かれ、まだ心臓が破裂しそうな草間は慌てて、目線を仰ぐ。

 出店屋台の明かりから若干の逆光になっていた藤堂は膝を折り、肩に触れた手は一瞬で、既に離れていた。

「あとで連絡する」

「……うん。わかった」

 立ち去る藤堂を目で追った草間はどうやら、この中でひとり、取り残されてしまっていたらしい。

 落合はまだ腑に落ちない様子でいて、久保は態度も言い草も気に入らないとご立腹。申し訳なさそうな鈴木と山本が視界に入り、「ごめんな?」と言われて初めて、草間はそうだと気が付く始末だ。

「あ、私は、大丈夫だよ? 有村くんのことだよね。ちょっとだけ驚いたけど、急いでるって言ってたし、なにか用事を思い出したのかも」

 繕うつもりは毛頭なく、思うままを口にした草間の周りで、時間が止まる。

「……マジで?」

「え?」

 訊き返した問いかけの主、鈴木は、草間と山本、落合と久保も代わる代わる見て、少し引きつるように口元を歪ませたあと、見間違いかと思えるほど微かに首を傾げた。

 その表情自体には草間も、見覚えがある。いつもは有村へ向けられるものだ。不思議そうな、宇宙人を見る顔。向けられた草間は縋る想いで、頼れる久保と落合を振り返る。

「私、変なこと言った、かな……」

「ううん」

 抱きしめる久保の腕が強くなり、答えてくれた落合が首を横へ振りながら、草間の肩を両方掴む。

「ただ、姫様は仁恵で良かったなって、いま、心の底から思ってる」

「なんで?」

「仁恵……」

 肩は落合に、身体は久保に固定され、自由に動かせる眉を限界まで下げた草間の背後で、最終ブロック一発目の花火が上がった。

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