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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第一章 初恋少女
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夢と現実とイルミネーション

 ――『言っちゃった』じゃなくて。

 折り曲げてもなお形の良い指で僅かに引いた顎先を隠し、可愛らしい物言いと共にいっそ可憐なくらいの上目遣いを向けていた有村が、『ニコォ』と効果音でも付きそうな凶悪なまでに出来のいい笑みを浮かべると、草間はようやく空になってもまだ細く吐き続けていた酸素を胸いっぱいに吸い込んだ。

 口を開き、思い切り吸い込んだはずなのだ。けれどまだ息が苦しい。

 ふぅ、ともすぅ、ともつかない掠れた音を立てて吸い込んだ空気は、肺を満たす前に喉の途中で後退り。そこに行き止まりでもあるのだろうか。

「なッ、はッ」

 声と言うか、音と言うか。そんな空気が漏れたような断片が喉から直接飛び出し、草間は思わず咳込んでしまう。一度零すと後を引く、カラカラに乾いた空咳だ。

「コホンッ! ケホッ!」

「ああ、また、そんなに慌ててー」

 すぐさま背中を擦る有村を見上げた草間の目は潤み、あとはもう堰を切るだけ。まだ泣いていないのが不思議なほどの草間の表情は酷く困惑しており、その頬や耳朶に差す赤がなければ怯えているようにも見たかもしれない。

 傍目には有村が余程の無体を働いたのかと心配されてしまいそうな、そんな表情。けれど有村は特に気にする風でもなく、ただただ草間の動揺が早く治まるよう、ゆっくりと同じ速度で腕を上下に動かしながら穏やかに微笑んでいる。

「……うそ……」

 咳に紛れて、ふと呟く。

「嘘じゃないよ」

 笑みを含まない声が耳に届いて、草間はコクリと喉を鳴らした。

 たったいま、好きだ、と言われたのだろうか。

 彼女になって、と、あの憧れの王子様に。

「ケホッ、コホッ……んっ」

 数回払って咳が止まっても、草間の呼吸は酷く不規則なまま。

「うそだよ……」

 一度目が思わずなら、二度目は確認の意図を込めて呟いた。

 有村がその手の冗談で人を揶揄ったりしないことは知っているつもりだ。なのに草間の声色はどこか、そうだと認めて欲しいような悲し気な色を滲ませている。

 受け入れられないのだ。過ぎてしまって。何もかもがあまりに突飛で、キャパシティーも処理能力の限界も超えている。一周回ってなかったことにしたいくらいには。

「うそだ……有村くんが、そんな……」

 有り得ないと言って。今からでも冗談だよと笑って。それでいいから。本当に少しだけ仲良くなれるだけで充分だったんだから。

 上手く紡げない言葉を補うよう、有村を仰ぐ草間の目が必死に訴えている。

 嬉しいはずの言葉が怖くて、気付けば強く握り締めていた手も膝の上でカタカタと震えていた。

 うそだ、嘘だ。有村が自分を好きだなんて、そんな奇跡みたいな話があるはずがない。あっていいはずもない、のに。

「嘘で、あって欲しい?」

「…………っ」

 怯える指先に有村が触れ、そのまま柔らかく握り込まれてしまうと、何故だかみるみる震えが治まっていく。

 温かい。温かくて、優しい。

 まるで怖がらないでって、言われているみたいだ。

「元々、いい子だなとは思ってたんだ。話したら楽しいだろうなって。だから誘ったんだけど、なんか想像以上で期待以上だった。途中から頭の中そればっかりだったよ? 今日だけじゃなくて、これからもずっと君がそばにいてくれたらいいな、って。草間さんのこと、好きだなぁって」

 改めて告げられた瞬間、草間は目の奥が熱くなるのを感じた。

 言いたいことは山ほどある。

 彼ならもっと素敵な女の子を選べるはずなのに、どうして。

 こんなにも拙くて、鈍間で、何の取り柄もない私なんかを、どうして。

 自分を選ぶメリットなど彼にはひとつもないはずだ。連れて歩いて可愛いわけでもないし、彼が気を遣ってくれなければ会話もままならないのに。いいことなんて、ひとつもないのに。

 なのに、どうして彼は今も真っ直ぐに見つめて来るのだろう。ニコリともせず、真剣な眼差しなど向けて来たりするのだろう。

 どうして。どうして。

 どんどんと膨らんでいく不安で草間が唇を噛むと、有村の口が静かに開いた。

「どっちが信じられない? 俺が君を選んだことと、君が俺に選ばれたこと」

「…………」

「両方?」

「……うん」

「そっか」

 俯いた先で、有村の手が草間の手を強く握る。言い聞かせるみたいで、聞いて欲しいと言われているみたいだった。

 強くて温かい、男の人の手。少しも怖くない、有村の手。

「じゃぁ君は何にも知らないんだな。草間さんはね、すっごく可愛いんだよ? 見た目もだけど、中身がいい。素直を具現化したみたいでね、一緒にいると楽しくて仕方ない。それが、俺の理想だったの」

 まだ戸惑いを残しながら、草間は朧げに「りそう?」と訊き返す。

 理想の相手だなんて、彼の方がよっぽどだ。優しくて、綺麗で、格好良くて。一緒にいて楽しい気分にさせてくれるのだって、彼の方。

 俯いた先で、有村の手に籠る力が増した。

「ずっと探してた。嘘が吐きたくても吐けないような子。人の言葉をそのまま受け取ってしまう子。口で言うよりずっと、全身で楽しいって伝えてくれる子」

「それが……有村くんの、理想?」

「そう。で、君はパーフェクトだった。それなりにモーションかけても気付かないところが最高」

「全部、鈍いだけな気が……」

「そうかもね。でも、そういう子が相手じゃないと、出来そうにないんだ。俺の理想の恋愛」

「…………?」

 ニッコリと微笑みながら、彼はそれを可愛らしい恋と言った。嬉しそうに目を細め、例えばこうして手を繋ぐだけでドキドキ出来る子供みたいな恋がしたい、なんて、大人みたいな顔をして言って寄越したのだ。

 ぱち、ぱち、ぱち。

「あー……やっぱり、ちょっと引く?」

 呆然と瞬きをした草間は、それを受けて少ししょんぼりしてしまった有村に慌て、「ううん!」と忙しく首を横へ振る。

 引いてなどいない。驚いただけだ。

 手を繋ぐだけでドキドキする、なんて。そんな自分みたいなことを有村が言うから。

「俺さ、こう目が合うだけで、みたいな、みんなが小さい頃にして来たような恋をしてなくて。憧れって言うのかな。一緒にいて、ほのぼのする、みたいな。そういう恋愛がしてみたくて」

「小さい頃にする、初恋みたいなの……って、こと?」

「うん」

「そう……なんだ」

 人は見た目じゃわからないな、と、思ったりする。久保や落合の全面協力で精一杯の背伸びをした草間もそうだけれど、有村に相応しいのはもっとずっと大人っぽい恋と、恋人だと信じて疑ってすらいなかった。

 目が合うだけで、手を繋ぐだけで、そんな恋でもいいのなら。と、言うか、それは今まさに草間が有村にしている恋で、なんだかふっと力が抜けた。

「私で、いいの?」

「草間さんがいいんだよ。今日すごく頑張ってくれてたのわかってるし、嬉しかったけど、それもそんなに気負わなくていい。上手く言えないなら黙っててもいいし、口籠ってしまうなら幾らでも待つから」

「でも」

「普通にしてていい。無理なんかしなくていい。だって俺は知ってたよ? 草間さんが話してくれなくても、ずっと気にかけてくれてたこと。本当に思ってることっていうのは案外目を見るだけで伝わるものだし、そっちの方が俺は好き」

 思いついてポロッと口から出た言葉よりね。そう言って意地悪気な表情を見せた有村が何を指しているのかわかる気がして、草間は緩みそうになる頬を必死で堪える。

 彼に好きだと打ち明けた人たちは草間より勇気があっただけで、言ってみただけなんて軽いものではなかったはずだ。有村に、そう見えていたのだとしても。だから決して喜んではいけないのに、潤んでしまう草間の目に嬉しさ以外など殆どない。

「それで、どうかな。答えはイエス? それともノー? 断られても態度を変えたりしないから、正直に答えて?」

 迷いながら少しだけ握り返すと、有村の手は更に強い力でそれに応えた。

 同い年なのに、大きさ以上に大きな手だ。繋がれている時から何度も思ったけれど、こうして指まですっかり包み込まれてしまうのは、何とも言いようのない安心感がある。

 きっと、この手の温かさを知っている人はたくさんいるのだろう。このまま繋いでいたらそれらの思い出と比べられて、また自分の不足を思い知らされるかもしれない。今はいいと言ってくれていても、近いうちにやっぱり駄目だったと、傷付くだけかもしれない。

 人と深く関わるのは怖い。期待外れだと嫌われるのが怖い。出来ない自分を知られてしまうのが怖い。

 だけど、いつかと願っていた。それが彼であるなら。今であるなら。踏み出すあと一歩の勇気は出せるはずだ。

 傷付いたっていい。たくさん悲しい思いをしたっていい。たったいま有村が触れているものが自分の手なら、その瞳に映っているものが自分なら、それだけできっと頑張れる。

 草間らしからぬ、楽観ではない自分で仕掛けたポジティブだ。そんなことは草間自身が一番よくわかっていた。だとしても認めるしかない。心の中には申し訳程度の『なんで』が残っていたとして、答えならひとつしかなかった。

 彼なら、有村が相手なら、何もない自分でもここから先に進めるのかもしれない。

 草間は意を決して、正面から有村を見つめた。

「……わたしで、よければ……」

 口にした瞬間、目の前にいる有村の瞳が奥の方から輝きを増すのがわかった。

 表情や気配まで和らいで、それで草間はようやく有村も多少張り詰めていたのだと知る。心底嬉しそうに破顔して短い吐息に肩を揺らせながら、ゆるゆると揺らす栗色の髪が人工の明かりより鮮やかにキラキラと色付いて見えた。

「本当に?」

「……うん」

「あとでやっぱり嫌だなんて言わない?」

「……言わないよ。言うとしたら、有村くんの方だと思う……」

「言わない……言うわけがない!」

 草間の腕を引き込むように背中を丸め、それは宛ら熱い抱擁のよう。

 溢れるものが苦しいとばかりに睫毛を震わす有村に草間の胸も張り裂けそうで、見ていられずに彷徨う焦点が定まらない。

「どうしよう……抱きしめたい。いい?」

「は、え?」

「ああっ、ダメだ。ごめん。すぐに離れるから、少しだけ我慢して」

「えっ、ちょ……ッ、あ、ありむらく……っ」

 待ってと言う間もなく身体ごと引き寄せられ、飛び込むようにして抱き留められた有村の腕の中。さも大切な宝物を抱えるように、落としも壊しもしないようしっかりと回されるそれに草間の視界は上を向き、背中が反ってしまうほどにきつく抱きしめられる。

「ありがとう、草間さん……っ」

 突然の出来事に『離して』と言おうとした草間は、その苦しいくらいの腕の力の強さや、僅かに震えている声に呼吸すらままならなくなった。

 相手は私なのに。そんなはずはないだろうに、まるで思い余ったみたいに呼んだりするから。

「こ、こちら、こそ……」

 耳のすぐそばでクスリと笑った声がする。それから有村はもう一度だけ草間をギュッと抱き締め、静かに身体を離していった。

 密着していた頬や首筋から、胸や腕。それらが順に離れていって、向かい合う草間の肩に残った指先が名残惜しそうに服の上を滑る。

「あーあ。断られるかと思って、緊張したぁ」

 ホッと安堵したような、有村こそ今にも泣き出しそうな顔をして吐息交じりにそんな台詞を吐いたりするから、草間までその手が離れてしまうのを惜しみそうになった。

 ここは人のいないテラスとはいえ店の中で、店内からちらほらとこちらを気にしているような視線だって感じていて、逃げ出したいほど気恥ずかしいのに変わりはないのに。

 どうかしてしまったんだ。そう思った。学校にいる時とあまりにも有村が違うから、調子が狂ってしまっているんだ、きっと。

 周りなど気にも出来ないほど頭の中も心の中もいっぱいいっぱいで、恥ずかしがっている余裕もない。証拠に草間は有村と視線を合わせたまま、身じろぐことさえままならなくなっていた。

「ねぇ草間さん。ひとつだけ、お願い聞いてくれる?」

「おねがい?」

「うん。今日さ。もう少しだけ、あと一時間でも三十分でもいいから、もう少しだけ一緒にいてくれないかな。帰りは送っていくから」

 随分と真摯な様子で言うものだから草間はつい、反射のように「どこかにいくの?」と首を傾げた。

 それが有村にはおかしかったようで、彼は俯いて小さく笑うと、にやついたままで草間へと向き直り、「君って子は、本当に」とひと言。

 肩から引いた指先を浮かせ昼間の出会い頭にしたように、むぎゅっと草間の鼻先をつまんだ。

「なッ、まはぁっ!」

「どこに行くでも、何をするでもないよ。ただもう少しだけ草間さんとこうしていたいだけ。嬉しい時間はちょっとでも長くしたいって思うでしょう? このまますぐに見送るのは寂しくって」

「むぐッ」

 お許しは貰える?

 そうお伺いを立てる有村の視線を受けながら解放された鼻を擦る草間は、そこに残る気休め程度の痛みで途切れた緊張の糸の名残をかき集めて頬を膨らませた。

 もしかすると有村といる間中、ずっとこんなモヤモヤとした想いを抱えるのかもしれない。そんなものも恋心というのだろうか。

「ずるい」

 草間は精一杯の悔し紛れにポツリと零した。



 辺りはすっかり日が落ちて、今では足元に見えるイルミネーションも色鮮やかに浮かび上がる。

 クネクネと道に沿った天の川。年に一度の逢瀬に恋い焦がれる空の上の恋人たちも、残り僅かな今日の日を見つめ合って過ごすふたりには敵わない。

 有村は片方の手で頬杖を着いて、草間は片方の手でカップの縁を撫で、互いに近い方の手はテーブルの上で触れ合ったまま。

「私、本当に何も知らなくて、きっと有村くんには迷惑とかかけちゃうと思うんだけど……」

 言い辛そうに口火を切れば、視界の隅で星が煌めく。

「よ……よろしく、おねがいします……?」

「しまらないなぁ」

 案の定へこたれて土壇場で濁した語尾をクスクスと笑いながら、有村の指先が再び限界まで高まった緊張と羞恥心に震える草間の手を掬い上げる。

 テーブルから浮き上がり、腕がピンと張るくらいに引き寄せられて、それを目で追う草間の前で一度、有村のあの深い夜に似た色の瞳が真っ直ぐに見据えたままで炎のようにゆらりと揺れた。 

「こちらこそ。よろしくね?」

――チュッ。

 言い終えた唇が手の甲に触れて鳴らした、小さな小さなリップ音。

「……ッ!」

「……くくっ」

「あっ、有村くん!」

「あはははっ!」

 彼は間違いなく王子様だ。優しくて、大らかで、ちょっとだけ意地悪な趣味の悪い王子様。

 奇特な人と言うべきか、届いてすぐの珈琲も素知らぬ顔で飲んでいたくせに、すっかり冷えた珈琲を口にして「やっと冷めた」と言った彼は、単に少し変わった人なのか。

 少しずつ、知っていけたらいい。

 大好きな、彼のことを。

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