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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第五章 萌芽少女
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悲しいつらいも、過ぎてしまえば

 目を閉じようと、布団の中で膝を引き寄せようと、流しきった涙が枯れようと眠れない夜があることを、草間は今夜、初めて知った。

 今頃、時計の針は何時くらいを指しているだろう。久保と落合は眠っている。

 泣いて、泣いて、泣き続けて、目も頭も痛かった。枕もじっとり濡れていて、触れる頬やこめかみが冷たい。それでもまだ、泣き足りない。

 私は、有村くんにフラれた。大好きな笑い声を聞いたあとに。

 泣いて、泣いて、泣き足りないのに涙は出て来なくなって、そこまで泣いてやっと草間は少し、悲しみ以外のことを想う。

 大好きだから、別れよう。

 そんな陳腐な小説の一節みたいな台詞で、私はフラれた。

 草間が読者でいた時は、どうして好きなのに別れなくちゃいけないんだろうと、思った気がする。それなりの理由はあっただろうけれど、小説のタイトルを思い出せない今となっては、『どうして』だけが残っている。

 単純な話、好きなら一緒にいればいい。一緒にいられない理由は、なんだ。私が、有村くんといちゃいけない理由はなんだ。考えていたら、また大きな悲しみが襲い掛かって来た。

「…………」

 化け物って言った。そんな言い草は前にもされた。

 その時はどう思ったんだっけ。草間は確か、無性に腹が立った。どうしてそんな風に言うんだと言葉も選べず、闇雲に喚き散らした覚えがある。有村はどうして、自分のことをそんな風に言うのだろう。頭が、おかしいとか。愛されない、だとか。

 その頭が素晴らしいと思っている私はどうなる。悶々とした想いがグルグル回る渦の中、遠心力に負けて脇道へ反れた時、ふと、そう思った。頭のおかしい化け物とやらに恋をした、私はどうなる。酷い話だ。あんまりだ。

 一度、口をへの字にしたら、次々、これでもかと込み上げて来た。

 普通でないことの、何がいけないと言うのか。そもそも、普通ってなんだ。みんなと同じに出来ることなのだとしたら、鈍臭くて足を引っ張ってばかりの私だって、普通じゃない。だとしたら、私のことも化け物だと言うのか。随分な言い草ではないか。酷い。女の子に向かって、化け物。酷い。酷過ぎる。

 有村は不思議なことをするからこそ、有村だ。天使。フェアリー。宇宙人。見て見ろ、クラス中のみんなが有村が不思議なことを知っている。それで一体、誰が彼を化け物などと呼ぶと言うのだ。化け物というのはもっと悍ましい物であって、あんなに綺麗な化け物がいて堪るか。ヴァンパイアとかなら、いざ知らず。

「…………」

 おかしいぞ。草間はベッドへ潜り込んだぶりに寝返りを打った。悲しくて泣いていたはずなのに、いつの間にか腹が立っている。おかしい。思うけれど、胸の中は益々、ムカムカと苛立ちが充満していく。

 結局、私はどうしてフラれたのだろう。

 呆れて。見限って。嫌いになったからならまだ、わかる。

 好きだと言われて、別れようと言われる。考えるほど、意味がわからない。

「…………私の肩……握り潰す……」

 実際かなり痛かったけれど、いくら草間でも握り潰されそうになったら必死で逃げる自信はある。痛いのは嫌だし、そもそも、あの優しい有村にそんなことが出来るとは思えない。

 だから、だったのかもしれない。草間は今度、うつ伏せになって枕を抱えた。

「……怖かったのかな、有村くん……」

 言葉にしてみたら、草間はひとつずつ、これまでのことを想い出した。

 逃がしてやると言った、藤堂。あれは、心に傷があって、記憶を消し捻じ曲げてしまう有村を『患者』と呼ぶ彼の、ある種の警告。意思表示。その感覚を有村も間違っていないという風なことを言っていた。藤堂ではどうにも出来ないから、怖くなったら自分に言うよう。怖い。そういえば、有村は度々、その言葉を使う。

 高い所も、猛突進して来る動物にも怯まない彼が、怖いと言うもの。覚えている限りを漁ってみるが、考えるほど、行き着く先は常にひとつ――有村は上空何メートルに渡された細い板より、真っ暗な森より、自分自身が『怖い』のだ。

「……なんで?」

 転校して来たクラスメイト。一目惚れした相手から恋人に名前を変え、それでも草間の持つ印象はずっと変わらず、彼は温厚で爽やかで優しい人だ。

 三つ分、挙げながら三本の指を折ってみた。完璧ではないか。その上、話し上手で聞き上手。運動は出来るし、成績は学年一位。料理が上手くて、ピアノも弾ける。寧ろ、欠点の方が見当たらない。探してみたけれど、やっぱり、ない。

 頑張って捻り出せば、急に居なくなったり、高い所に登ったり、ヒヤリとさせられるのは少し困る。でも、それも彼の無邪気さだと思うと、そういう有村が好きな草間にとってはやはり、欠点ではない。ちょっとよく意味がわからないことを言い出すのもそうだ。不思議に感じてその時は頭を悩ませるが、最終的には面白いと思うだけ。

「……あれ?」

 そうして考えていくと、草間は逆に、自分が欠点ばかりであるのを思い知る。

 慌てやすくて落ち着きがなく、内向的で後ろ向き。話し下手だから、相槌の場所もたまに間違う。運動は出来ない。成績はクラスの真ん中くらい。料理は下手。楽器は出来ない。それと、他人に迷惑をかけてばかり。鈍臭くて間抜けな、愚図。

「……あれ?」

 客観的に考えて、そんな人物のどこを好きになれるのだろう。好きになる要素が、まるでない。

 単に、有村が指折りの物好きなのかもしれない。そういう趣味だけ、悪いのかも。

 だけど。

「……草間さんには、敵わない……」

 彼は自分のなにを見て、そんなことを言ったのだろう。

 色々なことがよくわかっていない、私。出来ないくせに首を突っ込む、私。

 彼も、有り余る欠点をそうだと感じていないのだろうか。

「……堀北さん……欠点も自分がそうじゃないと思うなら、合ってるんだって、言ってた」

 以前、相談に乗ってもらったアルバイト先の先輩が、そう言っていた。そうだ。それで草間は喚き散らした。自分は傷付いていない。気にしないって言ってる。なのに、嫌いになったと決めつけて別れようとする有村に腹が立って、腹が立って。

「……あった。欠点」

 なにかあると、すぐに別れようとすること。

 ありがちなメランコリーヒロインか。

「……好きなのになんで、離れなくちゃいけないの?」

 結果、そこへ辿り着き、草間はムクリと起き出した。

 目が腫れぼったい。頭が痛い。一睡も出来ていない。なにもかも、ワケのわからない理由で別れるなんて言い出した、有村の所為。

「……のど、乾いた」

 音を立てずに着替えながら、草間の脳裏に幾つかの小説と映画が思い浮かぶ。化け物。メランコリー。嫌われ者。不幸気質は大抵がヒロインの持ち物だが、稀に相手の方がそうだったりする。

 最初に思い浮かべたのは、エレファントマン。彼を化け物と呼ぶのはあまりに酷で、それを含めてあの作品は衝撃的であったと同時に辛過ぎた。何もかもが悲し過ぎる。今は、思い出すのはやめておくとしよう。

 次に浮かべたのは、オペラ座の怪人だった。仮面の下の、醜い素顔。あの映画の中でそれを最も嫌悪していたのは、ファントム自身だと思う。確かにクリスティーヌは顔を見て怯える。けれど、最後はお返しのキスをした。彼は醜いからではなく、誘拐したり、強引に結婚を迫ったりしたから不幸な結末を迎えたのだ。そんなこと、しなければよかったのに。

 最後のひとつは、草間の好きな映画だ。テレビで観て、借りて来て、最後は父親が買って来てくれて何回も見た。シザーハンズ。実を言うと、化け物と聞いて真っ先に思い出したのが、これだ。

 両手の指がハサミで出来ている、人造人間のエドワード。心臓がハート型のクッキーで出来ている彼はそもそもが人間ではないし、一般的には化け物だ。

 しかし、エドワードは心優しい青年で、人間が大好き。植木を刈り、ペットのトリミングをし、ヘアカットをして喜ばせては、どことなく嬉しそう。素直で可愛い、エドワード。ただ、彼の手は鋭利なハサミ。切れ味鋭い、刃物なのだ。

 受け入れはする。優しい彼を好きにもなる。クールだと言う人だっているのに、人気者になったエドワードの幸せは長く続かない。利用されて悪いことをしてしまうエドワードは、やっぱり、という目に晒される。幼い頃の草間は、人々は結局、エドワードを好きだと言いながら怖がっていたんだと思った。そこで、幼いながらも腹が立った。

 彼はある日突然に指がハサミになったのではなく、最初からそうなのだ。出会った時からそうなのに、受け入れたふりをして、一度のきっかけで拒絶するのは違うと思う。

 失敗は、誰にでもある。騙されてしまうことも。エドワードは素直で、何も知らなかったのだ。同じことを指がハサミでない普通の子供がしたら、最初の一度は叱るくらいで済ませるのだろうに。怖いなら、近付かなければいいのに。物珍しさで不用意に近付くなんて、中途半端に受け入れるなんて失礼だ。そんな自分勝手な人たちが、今も昔も大嫌い。

 冒頭で、彼は父親を傷だらけにしてしまう。父さん。父さん。吹き替えでは、確かそうだ。動かない発明家を起こしたくて、だけどハサミの手が大好きな父親を血だらけにしてしまう。エドワードは人造人間だから、涙を流さなかっただけ。代わりに草間は、ポロポロ泣いた。

 自分が異質であること、触れれば怪我をさせてしまうことなど、エドワード自身が一番よく知っていて、誰より、恐れていたのに。恐れているのを知っていて、ハサミの手を怖がらないキムは理想のヒロインだった。

 ハサミの手はエドワードの個性のように、普通に接するキムは素敵だ。何回観ても、氷の粉の下で踊るシーンが一番好き。人造人間と、人間の少女。そもそもが違っても、ふたりがお互いを想う気持ちは、同じだ。

 惹かれているのに、想いは告げない。それでも二人は感じ合っている。キムがエドワードを、エドワードがキムを、愛していること。お互いの幸せをなにより、願っていること。

 見た目がいいから、そばにいたから、出会ってしまったから。恋物語が始まるにはそれなりのパターンがあるが、互いの内面に惹かれ、恋にもならずに別れて終わるシザーハンズは草間が観た中で、最も純粋で美しい恋愛物語である。

「……なんか、似てる、かも。エドワードと、有村くん」

 他人を喜ばせ、自分が一番嬉しそうな顔をする。何かされれば大袈裟なほど喜ぶのに、他人には、別に何も求めない。

 欲しがらない。妬みもしない。嫌われても、嫌わない。みんなのことが、好きみたい。

 だけど同じくらい、嫌われても構わないと思っている気がする。久保に対する態度のように、それで相手の心がほんの少し、軽くなるのなら。好きだけど、好かれようとしていない気がする。

 春頃なら、敢えて好かれる努力なんて必要ない人だからだと思ったはずだ。けれど今の草間はそうでなく、彼は自分が嫌われるのを、寧ろ当然だと思っている気がしてならなかった。

 現在の校内での大人気は、物珍しいパンダと同じだと彼は言った。

 みんなと同じに出来ない。普通に出来ない。そんな本当の自分を知ればなくなるものと、思っているのかもしれない。

 軽蔑して、当然。嫌われた。何かあるとすぐ、有村はそう思い込む。

 君にはそう見えないかもしれないけど、この手はハサミで出来ている。ハサミの手を頑張って隠している。だから、知られてしまったら、独りぼっちの屋敷に逃げ帰るしかない。

 考えて、考えて、草間はまるで、有村はそう言っているみたいだと思った。

「……キムが死んじゃったあとも、エドワードは氷を削るのかな……死なないもんね。人造人間だし。なら、いつまで? 永遠に、独りぼっちで?」

 作り出した雪の下で踊るキムを、想いながら。

「……寂しいな。そういうの……」

 エドワードはキムを、優しい眼差しで見つめるだけ。

 有村は好きだと言って、その手はハサミなんかじゃない。

「……寂しい。そんなの」

 草間は本を手に取った。

 時間は深夜。まだ、外は暗い。早朝にもまだ、早い。

「私、言ったもん。有村くんなんか、全然、怖くないんだから!」

 起きて来たら、言ってやるんだ。

 不思議なのは別にいい。よく意味がわからないことを言うのも構わない。

 だけど昨日のアレだけは、やっぱり全く、納得がいかない。

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