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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第五章 萌芽少女
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最終日を迎える前に

「……仁恵、お風呂長いね」

 返事はどうせ来ないと思って言った。聞こえなかったわけでないのも承知の上で、落合は久保の顔を覗き込む。

「さっき、姫様、泣いてたね」

「いつ?」

「戻って来た時。すぐ二階上がっちゃったけど、チラッと見たら、目、真っ赤だった」

「……そう」

「……別れるとか、ない……よね?」

 これも、どうせ返事はないと思って言った。だから落合は驚いた。口癖のように有村が嫌いだと公言する久保が、「なにを理由に?」などと返して来るとは、予想していなかった。

「なにを、って……ダメだって言ったことを仁恵がしたからとか?」

「アイツは自分を責めてたんでしょ? だったら、仁恵を責めて別れることはないんじゃないかしら」

「そう?」

「アイツ、私が思ってたよりずっと、仁恵のこと好きだったのね」

 次は落合が返せなかった。

 窓から見える星を眺め、この一週間、色んなことがあったと振り返ってみる。盛り沢山だった。初体験に、初挑戦。思い出すのは楽しかった思い出ばかり。バカなこともたくさんしたが、それだけでもなかった、一週間。

 横目で窺い、頬杖をつく久保の手が包帯も外れ、赤みも痛みもなくなって良かったと思う。あの時は本当に、死ぬかと思った。そんなことも、そういえばあった一週間だ。

「ねぇ、絵里奈?」

「なに?」

「普段怒らない人が……あ、いや、先に言っとくけど、別にすぐ手が出る絵里奈のことをどうこう言うつもりはないよ? 今更だし、慣れてしまえばそれも、絵里奈の個性!」

「だから、なに」

「いや、ね。姫様のことなんだけどさ。仁恵見つけた時、死ぬほど怒鳴ったの」

「……へぇ」

「あれなのよ。仁恵がよくやるヤツ。平気だよって言って、ヘラっと笑うヤツ。あれをしたの。したらまぁみるみる姫様の顔付きが変わってさぁ。いやぁ、美人がブチギレると怖いねぇ。あたし正直、チビるかと思った」

「汚いわね」

「てはないよ? チビってはない。そうだっただけ。そんくらい、怖かったって話」

「で?」

 だから、美人のキレ顔は怖いと先程。慣れても怖い久保の冷酷な目付きを前に一度言葉を切った落合は、迷子捜索から戻ったあと、ずっと考えていた。

 自分はどちらかというと短気ではないが、嫌なものは嫌だと、存外激しく思う方だ。意見を求めんとする久保は言わずもがな、怒りっぽい。三人の中では草間が一番おっとりしているが、それでもやはり、全く怒らないわけではない。怖い、怖くないは、別として。

 言われてみれば、実力行使で構い倒す鈴木に対して『痛い』や『やめて』とは言っても、有村が『いい加減にしろ』と言うのは見たことがなかった。少なくとも、髪や服がああも乱れるほど痛い想いをさせられたら、落合なら怒鳴って殴る。そうしない有村は、怒らない人だと思うのだ。

 そんな有村が、草間を怒鳴った。気持ちはわかる。落合にしても心底心配していたから、泥まみれで『平気』などとニヤつくのを見て、何が平気だと張り手の一発もくれてやりたい気持ちにはなった。以前から思ってはいたことだが、草間のアレは、いただけない。

 だとしても、だ。落合は信じて、疑ってすらいなかった。

 有村が草間を、怒鳴るだなんて。しかもあんな恐ろしい顔をするだなんて。

「セコムが、姫様が怒鳴るの見たの二回目だって。セコムだよ? あんだけいっつもイチャイチャしてて二回って、姫様マジで温厚の化身」

「……だから?」

「仁恵だからじゃないか、って。そんで思い出したんだけど、ほら、ダーツの時。仁恵も言ってたじゃん。姫様がちょっと珍しい感じで、嫌味言ったって。怒らない姫様の広ーい心がだよ、仁恵のことになったら小さくなるって、なんかすごくない?」

「すごい?」

「なんかさ。今更かもだけど、姫様ってホント、仁恵のことが大好きなんだなーって。絵里奈もさ、そんな感じ?」

「……ちょっと違う」

「でしたかー」

 好きな子に意地悪をする心境。追加で言ってみたけれど、それは違うと、次は落合が即刻、否定した。

 思うに、大好きだから他の誰より心配だったのではないかと。それこそ、あのいつもニコニコ飄々としているのが常の有村が、子供に対して大人げなくなってしまうくらい、余裕がなくなってしまうほど。

「そんで、そんなあたしは鈴木に怒られた。足手纏い言われた」

「いつ?」

「探しに行くの、付いてった時。桜子ちゃんが仁恵に対して色々言ったでしょ? あの時さ、姫様ガン無視したよって思って。そりゃぁね? あんな好き勝手言われたらあたしだって、なんだとコノヤロくらいは思ったよ。けどさ、相手、中学生。子供じゃん。しかも気持ちはわかるよ。気に入らないんでしょ? 大好きなお兄ちゃんの彼女だもん。それをガン無視って、大人げな、って」

「……だと思った」

「え?」

「あれ見て信用ならないって言うから、そうかなって」

「どゆこと?」

 絵里奈はどう思ったの、と尋ねる気持ちが前へ出て、近付き過ぎた顔面を落合は手で押し返された。額に手の下の方を当てられ、思いのほか強い力で、ググっと。

「近い」

「殺生な」

 つい戻されてなるものかと抵抗してしまった為、押された額には多少の痛みが残った。

 少なからず、赤くはなっていると思う。個性だとは言ったけれど、久保は少し本当の意味で手が早過ぎる。

「アイツもある意味、無表情だから。コレは私の想像だけど、有村は案外、有事に弱いタイプかも」

「ほぅ? 色々仕切ってたように見えましたが」

「行動は迅速。指示も的確だった。けど、冷静さは欠いてた。普段のアイツの方が、上手く立ち回れた気がする。何かあった時に本領発揮って感じの圭一郎とは真逆ね」

「逆……」

「有村の口なら、子供を黙らせるくらい一瞬で済むでしょ。私は、出来なかったんだと思った。アイツは相当、焦ってた」

「セコムもそう言ってた。余裕がなかったって」

「だとしたら正直、悔しいけど羨ましいわ。そんなに必死に想ってもらえる、仁恵のことが」

 妙に身につまされておりますな。身を寄せた落合は今度、二の腕に、それなりに痛い拳を食らった。

 なので落合は言いそびれてしまったのだが、久保の想像はある一部、正解のど真ん中である。草間に、もしものことがあったら。捜索の途中で藤堂に喝を入れられた有村は確かに、日頃の様子からは想像も出来ないほどに狼狽えていた。

 僕の所為だと悔やむ声が、正直を言えば今も、落合の耳にこびりついて離れない。僕が好きになった所為で。最強のモテ男子が零した台詞の真意はさておき、泣き出しそうだったあの横顔。そこに見えた後悔だけは、本物だ。

「……だから私、許さないわ」

 痛い二の腕を擦る落合など見もせず、久保が呟く。

 ポキポキ、ポキポキ、試合直前のファイターのよう。指を鳴らして、窓枠の下の方、どこか一点を睨みつつ。

「他人に偉そうなこと言っておいて、自分はあっさり引くなんて。仁恵が別れたいって言うまで、絶対に許さない」

「……うん。内容的には応援してんだね。目付きが殺すって言ってるけど。ねぇ、絵里奈って実は、姫様のこと――」

「大っ嫌い」

「ですよねー。あ、指。あんまポキポキ鳴らすと、太くなるってよ」

「…………」

 だから、美人のキレ顔は怖いって言ってるのに。今夜一番の般若顔から視線を逸らし、落合は明後日の方向へ向けて、碌に吹けない口笛を吹く。

 フーだの、シューだの、シュシューだの。何の曲とも決めずに鳴らしていたら、小さな足音を連れて部屋のドアが開いた。

「おかえりー」

「……うん」

 声をかけてみたものの、ついでに振った落合の手は行き場を失くし、ゆっくりと萎れていく。

 風呂上がりの草間は下を向いていて、持って来た服をカバンの上に置く。土の汚れが少し見えていた。珍しい。いつもなら、草間はすぐに脱いだ服を片付けるのに。

 そうして草間はすぐ、二段ベッドの下の段に潜り込んでしまった。これもまた珍しい。草間が態度で、何も話したくないと表すのはよっぽどだ。

 落合が記憶している限り、大好きなおばあちゃんが亡くなった時と、お姉さんが実家を出る直前と直後、そのくらいだ。高校生になっても何を言えばいいのかわからない落合の隣りで、久保は「仁恵」と名前を呼んだ。

 返って来る返事は短く、「うん」。

「話したくなれば、話さなくていい。私は、仁恵が話したいと思った時に聞かせてくれればいいわ。でもね。有村には今しか、話せないことがあると思うの」

「……うん」

「私はずっと、後悔してた。圭一郎のこと。大喧嘩になって、それで本当に縁が切れたって、どうしてあの時、言いたいことを全部言わなかったんだろう、って」

「……うん」

「あとになったら、言えないの。それだけ、わかっててほしい」

「……うん」

 繰り返し返って来る、短い、うん。落合は息を吐き、三年前よりは大人になろうと口を開いた。

 三年経っても、余計なお世話は余計なお世話でしかないと思う。落ち込んでいる時は蒸し返すより、楽しいことをして忘れた方が良いとも思う。

 だからこそ落合は、自覚しているよりもずっと、草間と有村には笑い合っていて欲しかったのだ。

「あのさ、仁恵。コレ告げ口だから、聞いて忘れて欲しいんだけどさ。あの森、朝が一番キレイなんだって」

「…………うん」

「朝って言えばさ。料理習ったり、仁恵がお風呂見ちゃったり、なんだかんだ色々あったよね。 ……で、さ。姫様、時間、見つけられなかった、みたい」

「…………」

 待てど暮らせど短いそれすら返って来なくなり、落合は口を噤んで初めて、何故だか口が震えているのを知った。

「……ちゃんと、考えてたと思うよ、仁恵のこと。探しに行く時、僕の所為だ、って。マジ、姫様、泣いちゃうのかと思った」

「…………」

 今は落合が泣きそうだった。自分はしたこともないのだけれど、それ以前に彼氏がいたこともないのだけど、草間は今夜あの東屋で、別れ話をして来たのだと思う。

「……あたしは、嫌だ」

「…………」

「姫様は、仁恵のこと、すっごい好きだよ。仁恵だって好きなんだったら、嫌だ、あたし」

「…………」

「……君佳」

 肩を押されて振り向いた。見遣った久保が目を丸くして、落合はなにやら随分と目が熱くなっているのに気付く。なんて場違いなのだろう。いつの間にか、落合は本当に泣いていた。

「話をして欲しい。仁恵。仁恵が昔、圭一郎の家に行ってくれた時も、こんな気分だったのかしら。ちゃんと、言いたいことは全部、言って欲しい。アイツがもし逃げるなら、その時は言ってやって。話をしろって私の背中を蹴ったのは、どこのどいつよ、って」

「……うん」

 やっと返って来た短い返事に久保と落合は目を見合わせ、それぞれの寝床へと分かれて行った。

 久保は隣りで、落合は上の段。

 カチ、カチ、カチと秒針は進むけれど、布団を被って丸まった背中がまだ眠りについていないことは、微かに聞こえる泣き声に唇を噛むしかない久保も落合も、知っていた。

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