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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第五章 萌芽少女
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大切なあなたへ

 気が付けばもう、五回目の朝が過ぎた。こちらへ来てからは六日目。明日の今頃、草間は慌てて土産物を探していることだろう。

 事前に和斗がリストアップしてくれたレジャー施設も色々とあったのに、結局は二ヵ所しか行けていない。楽園の中には目新しい物が多過ぎて、用がなければ山を下りるつもりにならないのだ。草間だけでなく、他のみんなも。

 丸一日を使える最後の日に、落合と鈴木は楽園探索を提案した。行きそびれた畑や、初日に男子組だけがした川釣り、その奥の細道を探検したいというプランだ。お伺いを立てられた有村は、もちろん快諾。先方への連絡は和斗がしておいてくれる手筈が、すぐに整った。

 畑へ行くと、多枝とモエが前回と同じく元気に出迎えてくれた。すっかりと意識から外れていたが、有村は一度忘れたモエのことを思い出していたようだ。はじめましての挨拶をしようとしたモエが動揺して、それで草間はあの件を思い出した。藤堂はというと、相変わらずの無表情。しかし彼は忘れたことなどなかった顔をしているように、草間には見えた。

 あの朝と同じで、好きなように収穫をさせてもらった。ハサミを入れてすぐ、丸のままで齧ったりする。なのでここは、山本の楽園だった。キュウリを食べ、トマトを食べ、また、キュウリ。

 そうだ、トマト。有村の袖を引くと、彼は多枝に明日の帰り間際、トマトを分けてもらえるよう話してくれた。それも、あったのだけれど、草間が袖を引いたのは有村が全部を思い出しているのか、急に気になってしまったからだ。

 覚えてるかな。私は、すごく嬉しかった。

 愛しいって、言ってくれたんだよ。私のこと、美しいって、言ってくれたの。

 辛いなら、忘れたままでもいい。でもね。私はちゃんと、覚えてるよ。

 有村くんとの思い出、全部。きっと一生、ひとつも忘れたりしない。

 こんな気持ちは重いかな。草間は袖から指を外した。初恋だから、宝物だから、許して欲しいな。願う気持ちが、指先を萎れさせるだけで、中々腕を下げさせない。

 殆ど握っていた右手が、ふと連れて行かれた。

「どうしたの? 可愛いことして」

「……ううん。なんでもない」

 本当は全然、なんでもなくなんかない。本音では、訊いて確かめたい。

 私の大事な想い出、有村くんの中にもある? ――リリーちゃんとの想い出には、敵わない?

 口に出来るはずがなくて、笑って見せた草間は照り付ける太陽の所為にした。カンカン照りというのはこういう日のこと。暑くてぼうっとしちゃった、と。

「……草間さん?」

 誤魔化せる気などしていなかったから、草間は言いかける有村を遮るように、賑やかな落合たちの元へ走った。カゴがいっぱいになったというから、様子を見に。せっかくの旅行。楽しくて仕方がない時間のはずなのに、胸の奥がチクチク痛い。

 野菜を詰めたカゴは、和斗が車に積んで運んでくれた。いつの間にか正午が間近になっていたから、今日の昼食は多枝とモエが野菜たっぷりのパスタをご馳走してくれた。それもすごく、美味しかった。

 別荘へ戻って道具を取り、そのままみんなで川へ出た。午後は釣りの時間。清流のせせらぎを挟み、こちら側には女子三人、向こう側に有村たちがいる。

 落合を真似て靴を脱ぎ、川に入れた足が気持ちいい。冷たくて、川底の小石まで見えるくらいに透明な水。なにもかも、目に映る全てが綺麗で眩しい。なのに草間は微笑んでも、本当に楽しくて笑っても、心の一部がずっと、どこか上の空。

 気が付くと、考えている。あと一日。起きたら普通に有村がいて、そのまま夜まで寝る時以外はずっと一緒。すごく贅沢な一週間だったと思う。色んなことをして、色んな話をして、こんなに早く過ぎた一週間は初めてだった。

 特別な時間を過ごした、特別な場所。

 そういえば、有村は一度も、あの森の話をしない。

「とーどー!」

「ハイ、有村またヒットー」

「ちょぉ! なんで姫様ばっかり!」

「嫌がってんのになぁ」

「とーどー!」

「お。今度はデカいな。よし、次だ」

「ねぇ絵里奈。あれって釣りに向いてるの、向いてないの、どっち?」

「向いてないんじゃない? 釣った魚が怖いとか、軟弱な男」

「に、続けさせるセコムの鬼具合」

「やらせる方もだけど、アイツもなんで針を下ろ……あぁ、落とされてるわけね」

「な? セコムが鬼やろ?」

「そうね。職人の目をしてる」

「とーどー! ねぇもう終わりでいい? 充分だよね。そんなに要らないよね!」

「こんな入れ食い滅多に見ねぇ。面白ぇから、まだやるぞ」

「やーだー!」

 美しい顔を歪めて嫌がる有村も珍しく、みんなと一緒に騒いでいる。最後の日、そう思うのなら、きっとそれが正解だ。草間も魚を釣り上げて、外せなくなって久保に泣きついたりした。

 釣った魚はすぐに食べるのが、藤堂のモットーなのかもしれない。初日に作った石の輪っかがまだ川辺に残っていて、魚は枝で串刺しにされ、忽ちふっくらとした焼き魚になった。

「皮がパリパリで、すごく美味しいね。こんな風に食べるの、はじめて。キャンプみたいで楽しいね!」

「味は良いはね。けど、骨が邪魔」

「すごいよなぁ、セコム。森から何でも持って来るし。こんなん、もはやサバイバルやで。マジうま。それに引き換え……」

「……軟弱な男」

「姫様って意外と乙女だよね。反応が」

 元ボーイスカウトだから、では片付きそうもないワイルドな藤堂の脇で、有村は真っ青な顔をしながら塩を振る役をやっている。

 彼も、動物が好きだから、では説明が付かないほどの有様だ。藤堂が枝で魚を突き刺す度、自分が串刺しにされたかのように何かしら込み上げるものを我慢している。逆の手で、口元を押さえながら。草間からは、微かに震えているのが確認出来た。

「いちいち嘔吐くな。慣れろ。お嬢か、お前。ほら、塩」

「無理だよ……そんな……うっ」

「この間は捌いて切り身にしてただろうが。塩」

「それとこれとはモノがちが……うっ」

 箱入りなんだなぁ、と落合が呟く。箱入りなんだよ。その隣りで鈴木が言い、「これからあだ名、お嬢にすっか!」と山本が三匹目を平らげた。そうしてすぐ四匹目を齧る。それほど大きな魚でもなかったし、落合も二匹目だ。美味しかった。草間はまだ一匹目で、食欲は、あまりない。

 主に有村が奇跡的な入れ食いで大漁を期し、藤堂がせっせと全部焼いてしまったので、串刺しの魚は当然、残ってしまった。半分食べられたかどうかというくらいだ。無駄にしてしまうのも勿体なくて、草間は久保と落合に相談を持ち掛けた。

「食べ残しで悪いけど、これ本当に美味しいし、桜子ちゃんの所にお裾分けとか、どうかな」

「いいね!」

 親指を立てた落合も草間と同じ気持ちでいたようで、ずっとご馳走になってたしね、とウインクをする。久保も笑って、草間は久々に抱き寄せられた頭に頬擦りをされた。いくら慣れているとはいっても、高校生にもなって友達から「いい子」と言われるのは照れ臭い。

 持ち前の軽いフットワークで、落合は未だ石に腰かけて食べ続ける山本の丸い身体をひょいっと避け、正に命を頂くという顔でチビチビと魚を齧り始めた有村の元へ走って行った。

「涙目とか可愛いな。うまい?」

「美味しい……けど、無理。藤堂が殺人鬼に見える」

「マジで可愛いな」

「ちゃんと食べるよ。命は、無駄にしない」

「つらかったんだね。ショボショボしとるで、お嬢」

 お裾分けをするのに何か適当な容器はないか訊いていた。使い捨ての透明なヤツとか。ジェスチャーを付けて説明する落合が想像しているのは、縁日の屋台で焼きそばなどが入ってるアレだ。そういう物はさすがに、備品の中にもなかったようだ。

 しゃがむ態勢のままで、有村は膝に手を着く落合を見上げていた。持って行くなら、お皿で。言いかけて途中で止めたような顔が、様子を窺う草間の目に映る。

「そしたらよー。多枝さんとモエさんにも持って行こうぜ。昼メシ、めっちゃ美味かったし! そのくらいあんだろ?」

「オレまだ食ってんぜー」

「テメェ何本目だよ。あとは晩メシ食えって」

「確かに! こんなん百本食っても足りねーや!」

 次いで立ち上がった鈴木も山本を小突いたあとで落合の正面にしゃがみ、「二本ずつくらいか?」と残りの串を数え始めた。そうやって誰かが動き出せばお裾分けも決定という空気になり、選定には藤堂も加わって焦げた魚を手早く避ける。数本外しても充分に、数は足りているようだった。

 ハンカチで手を拭いた草間は、もう一度だけ有村を窺う。有村くん、何か言いたそうにしてる。そう思いながら、ひとっ走り別荘から適当な平皿を持って来た落合に呼ばれ、皿を持っているだけの手伝いをしに輪の中へ加わった。

 胸の中では多少、私でもあるまいし有村くんなら言いたいことは言うよね、と考えていないでもない。思うことがあるなら、きっと言う。彼に限って、そういう心配は無用なはずだ。

「んじゃ、俺と芳雄で畑行って来るわ。そっちのが数多いけど、平気か?」

「人数いるから問題ナッシン! よろしくな! 鈴木!」

「おう。走って転んで落とすなよ」

「お前もなー」 

 畑ヘは二人分で四匹。牧場へは三人分で六匹。三匹ずつに分けた二皿を落合と久保が持っているなら草間にすることはないのだけれど、一緒に行こうと言われたから付いて行くことにした。

「お前は早くそれ食って、そろそろ晩飯の支度しろ。ちょっと食うとダメだな。余計、腹が減る」

「魚は足しにならないと? こんな時間に食べたらまた、夜中にお腹空くんじゃない?」

「健康的でいいだろうが。肉だ、肉。晩メシは肉にしろ」

「了解。お任せあれー」

 後片付けを始める藤堂の後ろでまだ魚を食べている有村はもう、特に気にすることもないように見えたのだ。普段通り、ニコニコしている。折り曲げた膝を正面で、ピタリと揃えて。そんな座り方の所為か少しだけ幼いような、小さな子供のようにも見えたけれど、有村の何気ない仕草が要所要所で愛らしいのはいつものことだと、草間も思う。

 とはいえ、今日の有村はどうも、可愛いの成分が三割増し。普段より無邪気で明るく、元気いっぱいという様子でいる。別に日頃の彼をそうでないとは言わないが、普段よりも少し、と草間にはそんな気がするのだ。

 それもこれも、今日が最後の日だからかもしれない。牧場へ向かう途中で「ちょっと寂しいね」と落合が言って寄こしたから、草間は、みんながここでの一週間を惜しんでいるのだと思った。

 草間だけが、少し違う。最後の日、そう思うと、寂しい以外の思いが込み上げて来る。

 気にしない。気にするようなことじゃない。そう思えば思うほど、考えてしまう自分がいる。性格が悪い。尋ねる必要などない。確かめる意味もない。有村は、大事にしてくれている。それだけでいいはずだ。なのに。

 牧場にある佐々木の家へ行き、お裾分けをしたあと、草間は見送る桜子を見て、夕暮れの近い空を見上げた。

 日が暮れるには、まだもう少し時間がある。暗くなるには、まだ早い。

「絵里ちゃん、キミちゃん。私、ちょっと。ふたりは先に、戻ってて?」

「そう?」

 さすがにもう手を振ってはいないであろう背後を覗いた落合は、「あんまり気にしない方が良いよ」と苦い顔。久保は「仁恵の思うようにするといいわ」と言葉でも、実際に手でも、そっと背中を押してくれる。

 草間は胸の中で、優しいふたりに謝った。

 手を振って見送ったあと、草間の爪先は方向を変えなかったのだ。



 ここは楽園。有村くんの大切な場所。

 リリーちゃんと過ごした、想い出の場所――そう。特に、この森がお気に入り。リリーちゃんとだけ、来ていた場所。

 人目を避けて入った木々の間には、桜子の言う通り一本の獣道が奥の方まで続いている。

 進んでみると奥の方は入口よりも広く、明るく、上を見れば空の色がはっきりわかる。少し肌寒いのは、全体が大きな木陰になっているかもしれない。どちらからどちらへということもなく風が通り抜け、それは真夏の夕刻に心地が良いほどだった。

 彼はここで、大切な人と何を見たのだろう。この心地良さも分け合ったのだろうか。

「あっ、赤い実」

 見つけた木の実に近付いて匂いを嗅げば、あの甘酸っぱい香りがした。

「ここから持って来てくれたんだ。ふふっ。お裾分けだ」

 緑の中で、その赤い小さな木の実はやけに目立った。ここにもある。ここにも。導かれるように、草間は獣道を奥へ進んだ。

 ただ、知りたかったのだ。そして身勝手にも、ここで顔も知らない女の子に伝えたかった。

 天国からは、何もかもが見えているかもしれない。草間が昔、道端に咲く花で祖母の声を思い出したように、きっと見守っていてくれている。

 それでも、だからこそ、草間は伝えたくてここへ来た。

「有村くんは、元気でいるよ。すごく優しくて、みんなを元気にしてくれるの」

 木々が揺れ、若葉が擦れて、音が鳴る。

「私、有村くんのことが大好きで、そばにいたくて、出来ることがあるなら、したいって思ってて」

 それはまるで自然の奏でる演奏会のようだった。

 心地良くて、爽やかで、この場所が好きな彼にピッタリだ。

「でも私、弱虫で。臆病で、鈍臭くて。強くてカッコイイ女の子なんかじゃないから、きっとね、桜子ちゃんの言う通り、リリーちゃんみたいに有村くんの半分みたいにはなれないし、甘えちゃうばっかりで、全然、ダメなんだけどね」

 草間は真っ直ぐ、空を見た。

 届かなくても、言いたかった。

「それでもね。大好きだから、頼りないと思うけど、約束します。リリーちゃんが大事に想ってた有村くんのこと、私も、負けないくらい、大事にします!」

 ふと、髪を揺らす風が止み、少しだけ温かい風が腕を掠めた気がした。

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