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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第一章 初恋少女
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夜の風と熱い頬

「草間さんのお母さんに感謝しなきゃだね。静かで、のんびり出来て、いい眺め」

「本当に。空いててよかったね」

 通されたテラス席に腰を下ろし、ふたりは手摺りの向こうへと視線を投げた。

 中央を通る一本の道を挟んで似た外観の建物が並ぶこの場所は、一体がひとつの街のような造りになっている。映画館もまた、その一部。ショッピングモールの外れで壁からせり出したこのテラスも、西洋風の洒落た街並みを演出するアイテムのひとつだ。

 向かいの建物はまた別の商業施設で、中ではボウリングやダーツなど室内レジャーが楽しめる。その構造上、壁にはあまり窓がなく、ぼんやり眺めていても誰かと目が合う心配もない。抜け出してみれば多少人酔いしていたらしい草間には、それもまた有り難かった。

 また、と言うのも草間にとっての幸運はもうひとつあって、テラスにはいま草間と有村のふたりしかいなかった。つまるところ、まさに望んだ貸し切り状態だ。席は他にもあるのだけれど、五時を回ったこの時間はお茶より食事を求める人の方が多いのか店内も満員とはいかず、注文した品もあっという間にテーブルに届いた。

 草間が頼んだハニーフレイバーのミルクティーからはホッと暖まる甘い香りが、有村の珈琲からは深入り焙煎の芳ばしい香りがそれぞれ細い湯気になって鼻先をくすぐる。

 いつもは甘い物ばかり食べているのに、そうでないものも選んだりするのだなと、草間はカップを寄せて息を吹きかけながら、さして冷ましもせず珈琲に口をつける有村を眺めて笑みを零した。

 見慣れていないからか違和感は覚えるが、客観的に見れば有村にはチョコレートの甘さより、そうした苦味の方が似合っているような気もする。穏やかで、とても静か。それは普段から変わらないイメージであるとして、制服を着ていない有村はやはり格段に大人びていたものだから、草間は余計にそう感じたのかもしれない。

 それに引き換え自分ときたらとびきり甘い蜂蜜の匂いなどさせていて、せめてストレートティーにすればよかったと今更ながらに少し後悔。

 ――同い年のはずなのにな。

 ふたりの間の壁は高い。

 そんなモヤモヤとした気分に情けなく眉を寄せた草間がカップの中の薄い渦を見つめていると、横から軽く肩を叩かれた。

「ねぇ、草間さん」

 なんだろう。

 見上げた先では、有村の指がクイクイと正面を指している。

「もしかして一年中なのかな。あのイルミネーション」

 言われて再び視線を手摺りの向こうにやれば、そこには夜へ向けて徐々に灯りだした街灯などの明かりが色付きを見せていた。

 最新映画の広告パネルを照らすライトは煌々と輝き、向かいの建物もそれと似た明かりで壁面の細やかな凹凸を浮かび上がらせている。けれど有村が指し示すのは、目線よりずっと下で色とりどりに点滅する小さな電球の明かり。

 ――あ、そうか。

 近くの大通りまで続く光の小道を眺めながら、草間は久しぶりに有村がこの春転校して来たばかりなのを思い出した。

 辺り一帯を彩る季節に合わせたイルミネーション、今ならば七夕をイメージして天の川を流れる星のよう、大小様々な金色のモチーフがキラキラと輝くこの光景は、地元に住まうなら知らない人はいないくらいにあって当たり前なもの。

 そうだよ、と答えながら、イルミネーションに負けず瞳をキラキラさせる有村の横顔に、草間は少しだけ気分を良くした。キレイでしょ、なんて、まるで自分が手掛けたみたいに誇らしくなって。

「季節によって飾りとかは少しずつ違うけど、ここは一年中、夜はいつもこういう感じなの」

「へー、そうなんだ。イルミネーションなんて言うとクリスマスくらいかと思ってたけど、綺麗な物はいつ見てもいいよね」

「クリスマスの頃はもっとすごいんだよ! 道沿いだけじゃなくて、モールの中も外も全部がクリスマスっていう感じになって、この辺りだと一番有名で」

「ツリーが出たり?」

「さっき通った一階のフロアにね。おっきいんだよ。三階からじゃないとてっぺんが見えないくらい」

「いいね。見てみたいな」

「十二月になったらすぐにクリスマスのイルミネーションが始まるはずだよ」

 去年のシーズン中には久保や落合と夜のイルミネーションを見に来たものだ。音楽は勿論、ライトアップには青や紫などの色も混じって幻想的で素晴らしかった。

 年々大掛かりにもなっているし、出来れば有村にも是非今年のクリスマスを体験してもらいたい。そう得意気になった草間が意気揚々と向き直ると、ライトアップを見ていたはずの有村と真正面から目が合った。

「じゃぁ、それをまた見に来ようか。ふたりで」

「…………へ?」

「楽しみだなぁ、クリスマス。ねー?」

 そう言って有村は屈託なく笑い、また楽し気に星々を見下ろした。

「あ。そうか、これ七夕かぁ。なるほどなー」

 声色は至って楽しそう。しかし有村がそれをどんな表情で口にしたのか、草間は見ていられなかった。

 もしも一緒に見られたら幸せ過ぎるくらいだけれど、その頃にはきっと有村の隣りには彼に相応しい誰かがいて、こんな話をしたことも彼は忘れてしまっているだろう。それでいいんだ。卑屈ではなく純粋に草間はそう思い、紅茶を口へ運ぶ。

 甘い。甘くて、美味しい。けれど飲み込んだら消えてしまうように、楽しい時間だってずっとは続かないものだ。ベースの茶葉の名を聞いても、草間にはピンと来なかった。相応しい物というのはどんな所にもあって、草間にもそれはある。どこまでも人並みの自分には紅茶にしろ恋にしろ人並み以上は不釣り合いで、望むべきではないのだ、きっと。

 けれど例えばクラスの中でもよく話すくらいの友人にでもなれたらいいなと、草間は笑みを湛えて顔を上げた。今は隣りの席だから機会も多いが、これが違う席順になったあとも続いてくれると嬉しい。それが草間の切なる願い。

 そしてまたひと口とカップに口をつける草間の一部始終を視界の隅に映していた有村は、テーブルの下に投げ出していた足を引き寄せ椅子の下で絡ませた。

「――あれ? 有村くん、いつの間にお買い物……?」

 草間が有村の座る隣りの席に先程まではなかったはずの小さな手提げ袋を見つけたのは、奇しくもそんな折だった。

 テラス席は丸テーブルの四人掛け。ふたりは隣り合って座っているので、草間が注視する単行本サイズの茶色い紙袋は彼女の向かいの椅子に置かれていることになる。

 ずっと近くにいたのに気付かなかった。草間がそう続けると有村は笑ってその紙袋を手に取り、これは草間さんにと告げて静かに差し出した。

「私に?」

「うん。迷惑でなければだけど」

「迷惑だなんて、そんな……でも……」

「そんなに身構えないでよ、大した物じゃないし。中身はね、さっき草間さんが見てたやつ」

「さっき?」

「ちょっと、貸して?」

 受け取ったまま呆然と固まっている草間に袋の口を開かせて有村が取り出したのは、白い薄紙をかけられた掌に収まるくらいの細長い包み。

 有村はそれを手の中で解き、草間はその器用な指先を目で追った。さっき、とはなんのことだろう。草間の表情は少しばかり訝し気だ。

「当たっているといいなぁ」

「……?」

 身を乗り出して近付いた至近距離で、囁く有村の声がなにより甘い。

 草間は精一杯の努力でそれに浮かれてしまわないようにと心を強く持ち、徐々に露わになる贈り物の正体に目を凝らした。

 まず現れたのは艶消しの尖った銀色の先端、その時すでに草間の脳裏ではまさかという衝撃が走っていたが、しかしまだ疑い半分というところ。胸に沸いた疑惑が決定的なものに変わったのは、見覚えのある飾りが顔を覗かせた瞬間だ。

「これ……っ!」

 まさか。まさか。

 草間の目は瞬く間に輝いて、弾かれたように顔が上がった。

「当たり?」

「う、うん……っ」

「よかった」

 そこにあったのは数軒前に覗いたアクセサリーショップで草間が買おうかどうしようかと悩み、また今度と諦めた髪留めだった。

 アンティーク風のピンクのバラと、それに連なるようにキラキラと光るビジューがいくつも配置された大きめのヘアクリップ。ただ留めてもアップにしても、これからの季節なら浴衣でも使えそうだとは思ったのだが、手頃というには悩むくらいの品で、最近は増える一方のヘアアクセサリーがしまいきれなくなってきたのもあり、渋々踏み止まった品物だ。

 しかしそんな話は有村にはしなかったはずだ。彼は一体どこからそれを見て、そしていつの間に用意をしたのだろうか。

 あの時だ。有村と分かれたと言えば、ここに入る前に手洗いに寄った時だけ。あの時に戻ったのだとすれば、有村はそのつもりで草間を送り出し、すぐにあのアクセサリーショップまで引き返したことになる。

 そうして何食わぬ顔で戻って来る草間を待っていたなんて、そんなことがあるだろうか。どうして有村がそんなことをしてくれるというのだろう。ただのクラスメイトでしかない、自分なんかに。

 頭の中で突然にピースが増えて、パズル自体の絵柄が変わってしまったような衝撃が草間の中で駆け巡る。

「え……あの、これって……?」

「プレゼントってほどじゃないけど、よかったら。着けてみても?」

「でも……っ、あの」

「きっと似合うだろうなぁって思ってさ。草間さんが着けてるとこ見てみたいんだけど、ダメ?」

「ダメじゃ、ないけど……でも、私、こんな……もらえない」

「いらなければ捨てていいよ、俺が見てみたいだけだから。これはね、ただの自己満足。だからちょっと付き合って?」

 言い終わるのを待たずに、有村はそっと腕を伸ばしてきた。

 言葉の割には猶予を与えるような、ゆっくりとしたその仕草。目で追ってすぐに席を立てば、或いは身体を倒して背もたれに逃げるだけでも避けられたかもしれないのに、草間は身動きひとつ出来なかった。

 理解の追い付かない鼓動が跳ねて、目を閉じれば身体が揺れているのがわかる。

 人混みだからと手を引かれるのとはわけが違う。これは必要のないことだ。今からでも有村から髪留めを受け取って、自分で着けたって構わない。なのにそうしないでいるのだ。出来ないのでは、きっとない。

 待っているようにも見える草間の淡く染まる頬。そこを掠めて絡め取られた髪のひと房が耳の後ろまで追いやられ、髪留めが納まる感触がした。

「うん。思った通りだ。やっぱり、すごく可愛い」

 草間は堪らず、更に下へと顔を向けた。

 なんて響きで可愛いだなんて言うのだろう。恥ずかしくて、耐えられない。なのに、逃げ出したいとは思わない。どうしてとも考えられないくらいに、頭の中で想いが溢れる。

 期待している。それに気付くと途端に体温が跳ね上がるのがわかった。そんなはずはない。有り得ない。何度も何度も言い聞かせている傍から、向けられる有村の声や髪を留めても離れていく気配のない指先に、もしかしたらと心が騒ぐ。

「ねぇ草間さん。こっち見てよ」

 せがむような色で名前を呼ばれれば、呼吸さえままならない。まるで条件反射だ。この数時間で教え込まれてしまったのか、有村に名前を呼ばれると、それだけで胸が躍る。

「どう、して……?」

 やっとの思いで、それだけを絞り出した。

 有村に向けた『どうして』の数々と、自分に向けた『どうして』が入り混じって、潰れてしまいそうに胸が苦しい。

「わからない?」

 草間はコクリと頷いた。

 互いに半分ほど残したカップの湯気は、もう随分前に消えてしまった。辺りは夕暮れに包まれたのちに青く白んで、夜へと今日の日を繋いていく真っ最中。

 そんな中にあって、吹き抜ける風が暴いた有村の瞳は、灰色に似た輝きを孕ませていた。昼間見た彼の色はそんな色ではなかったはずだ。草間はその深さに戸惑い、そして魅入られた。

 もう一度、正面を向く草間の視界に有村の手が映り込んだ。さっきと同じだ。いつでも逃げ出せるようにゆっくりと、けれど迷いはなく、それでいてほんの少し怖々と近付いて、その指先がようやく草間の頬に触れる。

「あのね、草間さん」

 くすぐったいと感じるほどの柔らかい手つきで熱を帯びる肌を辿りながら、呼び掛ける声は低い。

「草間さんがどう思ってるか知らないけど、俺はなんとも思ってない子の手なんか握らないし、デートしようなんて誘わない。確かに、君ほど真面目ないい子ではないけどさ」

 熟れた頬には冷たいくらいの有村の指先は目尻の辺りから入り、耳の横をゆっくり通って下の方へとその腹を滑らせていく。上辺をなぞるようで、なにかを確かめるような、そんな手つきを草間は知らない。

 両親に撫でられるのとも、親しい友人に触れられるのとも全く違う有村の触れ方。過ぎた場所から身体の中に熱や想いが流れ込んでくるみたいだ。それが溶けて言えるはずがないと諦めていた草間の恋心と混ざり合うと、化学反応のように淡い期待が湧き出して止まらない。

「え……っ、と、あの……そ、それって……っ」

 俯くのは許さないとばかりに、顎先に伝った人差し指でクイと上を向かされる。

 そうすれば有村まではもう殆ど距離などないようなもので、すっかり夜に傾いた空と同様、暗い色を落とす有村の瞳に惚けた自分自身の姿が映って見えた。

「でっ、でも、そんな……だって、有村くんはすごくモテるし……可愛い子とか、たくさん……私は、そんな……っ」

 私じゃない。そうでしょう?

 震える草間の唇を、有村の親指が言葉ごと拭い上げる。 

「他の子なんか知らない。けど、俺が可愛いと思ったのは草間さんだけ」

「――――ッ!」

 喉の奥を引きつらせた草間の口許から離れた手は、次にあやすような手つきで髪を撫でる。

 その温度差に眩暈がする。

「俺の彼女になってみない?」

 引き込まれて、飲み込まれて。眼下を流れる人工の天の川も、有村の前には全てがモノクロじみて霞んでしまう。

「君みたいな子、すごく好き」

 においも、色も、音もない。

 草間から声を奪った指先が薄い三日月を描く有村の口元を同じように辿って行って、その端で跳ねると彼はひと言。

「ふふっ。言っちゃった」

 照れ臭そうにはにかんで、睫毛の先など揺らしてみせた。

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