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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第五章 萌芽少女
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友達、のようなもの

 久保の大学生の恋人は、就職を控えている。

 とはいえ就職先は未だ決まっておらず、目下、面接を受ける日々。ひとり暮らしだからアルバイトもしている。友人は多いタイプで、必然的に、大学のサークルやバイト先の知り合いと飲みに行ったりと、出掛けることが多い。

「社交的な人なんだねぇ。どうやって知り合ったの?」

「紹介。私の友達が、向こうの友達と知り合いで」

 友達が繋がっていた方は久保の容姿をひたすら褒めて来るような男で、そうでなかった彼が席を抜けさせてくれたから、もう一度会う約束をした。煩く騒ぐタイプでも、妙なノリで馴れ馴れしくして来るタイプでもない。気遣い上手で、聞き上手。気付いた時には、好きになっていた。

「楽しい話しかしないの。一緒にいると、笑わされてばかり。最初はそれだけだった。年上だし、こっちはまだ高校生だし、そんなものだって」

 気付いてすぐに、久保の方から想いを告げた。彼は嬉しそうに、こちらこそ、と言って交際が始まったのだけれど、知り合いから恋人になっても二人の距離は変わらなかった。

 会うのは昼間。ランチをして、映画を観たり、買い物へ行ったり。天気が良ければ公園でのんびり過ごすこともあるし、雨が降れば室内で、別に得意でもないクセにダーツやビリヤードを教えてくれようとする。それで毎回、七時頃には自宅の近くへ送られる。ずっと、その繰り返し。

 楽しかったね。おやすみ。またね――いつも、そう。

 誕生日も、バレンタインも、ホワイトデーも。

「どれだけ恥ずかしかったと思う? こっちから言ったのよ。なのに部屋に入れてくれないって、どういうことよ!」

 初めての喧嘩は、ホワイトデーの帰り道にした。年上といっても、たったの五歳。子供扱いしないでと、機嫌取りをしようとする手を顔のそばで振り払った。

 十七歳はもう、子供じゃない。半日遊んで、手を繋いで、たまにキスして。それだけじゃ足りない。関係が、扱いが変わらないなら、告白なんてしなければよかった。好きだけど、ただの知り合いの大学生。そう思っていれば苛立つことも、悲しくなることもなかったのに。

「付き合い始めて、もう半年よ。何かするでしょ、男なら。なのに、なによ。私に魅力がないとでも言いたいわけ」

 したくなるものだろうと思うのだ。あちらが本当に、そういう意味で好きだと言っているのなら。

 本人には言えなかった本心を吐き出した久保の隣りで、有村は口をへの字に、視線はやや上を向く。

「身も蓋もない言い方で申し訳ないけど、本当のところは結局、本人に訊くしかないと思うんですよ? しないにしろ、出来ないにしろ、理由は様々でしょうし」

「例えば?」

「倫理的な話とか、コンプレックスとか? いや。さすがに気まずいけど」

「ここだけの話にするわよ。アンタも一応は男だし、参考程度? 言いなさいよ。正直に」

「んー……」

 勢い付いて問い詰めてはみるものの、有村の口が重い理由は理解している。

 いくら『ここだけの話』とはいえ、有村が明かせば久保は草間の顔が思い浮かぶ。浮かぶどころか、このふたりもまた進展のないカップルと知っていて、久保は白状させようとしているのだ。恋人と同じ、手を出さないでいる男の意見として訊き出そうとしている。相当に、明け透けに。

 我ながらに矛盾しているとは思った。可愛い草間を大切に想う気持ちがいま少しだけ、胸の内の不平不満に負けていた。

「アンタだったらどうなのよ。仁恵がそういうつもりで家に行くって言い出したら」

「断ると思う」

「なんでよ。勇気振り絞って言ってるのよ?」

「だからだよ。そんなのは勇気じゃない」

「どうして!」

 苛立ちを露わに声を荒げた久保が、ただ見つめ返して来る有村を相手に愚痴を垂れるのは二度目だった。一度目は七人で遊園地へ行ったあと。楽しかったと話したら、よかったね、だけが返って来た話を八つ当たりめいて聞かせた時と似たようなやり取りだ。

 次は一緒に行きたいって言えばよかったのに、と返して来た有村は表情を変えず、久保は次の言葉を寸でで飲み込む。ほんの僅か、揺らぐことのない有村の目に叱られたような気分になった。

「焦って放り出すのは、捨てるのと同じことだ。そんな風に身体を使って幸せになれた人を、僕は知らない」

「…………」

 ランタンが照らすだけの東屋には、深い影が差している。真っ向から見つめた有村の瞳が見知った薄い色ではなく、黒みを帯びた重たい色に思えた久保は、ニコリとも微笑まないその顔をともすれば初めて、まじまじと見た。

 整った顔。あまりに整い過ぎていて、それはいっそ無機物の冷たさを纏っている。

 まるで、体温などないかのよう。だからこそ、覗いた瞳に感じる熱が、どうにも妙に生々しい。

 ふと笑みの形で細められるまで、久保は瞬きすらも忘れて見入っていた。

「草間さんの名前を出した、君が悪いよ。彼女に限って適当なことは言えない。ひとつ確かなことは、誰がなんて言おうと僕は現状に満足しているし、こんなに笑顔が見たいのも、どうしようもなく抱きしめたいのも、草間さんだけ」

「…………」

「よっぽど特別なんですよ。君が言う何かがなくても。ないから? ないのが、かな。あ、彼氏さんは知らないよ? 僕は、って話ね」

 金縛りが解けた気分で目線を逸らせば、久保の胸には気恥ずかしさと随分と率直な驚きで、やけに大きく鼓動が響いた。

 横目で見遣る有村の浮かべた微笑みは、あの常々鼻につく詐欺師じみた腹の底の読めない薄ら笑いではなく、多少は温かみがあるとも思えなくはない、正直になってしまえば優しそうな笑み。穏やかで、包み込むようで、落ちる沈黙の一秒、二秒。その最中に思うのは、有村が本当に草間を想っているのだということ。

 改めて、というよりは、今更に、という具合で、久保はどうしても有村を睨みつけられなかった。

「……アンタ、さ。仁恵のこと、子供っぽくてじれったかったり、不満ないの?」

 気付いた時には声に出ていた。様子を窺う久保を眺め、有村は一瞬だけ目を大きくしたあと、解けるように笑って見せた。

「ないよ。全く。子供っぽいとも思わない」

「頭にキスされたくらいで気絶するのに?」

「それも含めて草間さんだもの。僕は、彼女の全部が愛しいよ」

「ふっ」

 思わず吹き出した久保は、恥ずかしいヤツと、目でも有村を笑う。

 創作ストーリーでもあるまいに、今日日、愛しい、などと恥ずかしげもなく口に出す男がいようとは。これだから、キザは嫌いだ。

「人前でよく、そんな台詞が吐けるわね」

「いけない?」

「キザ」

「本当のことを言っただけだよ」

「嘘臭い」

「結構ですよ。僕は知っていて欲しいからね。届かないよりは、ずっといい」

「…………」

 小馬鹿にして笑っていたはずの久保の頬が、知らず知らず下がっていく。

 やがて平坦へと戻った頬は口角も下げてしまい、数回の瞬きを落とす途中、久保は、ずっとこちらを向いている有村と目が合ったままだった。

「僕なら、教えて欲しいよ。本当は言われる前に気付きたいけど、そこまで出来てない僕の何が傷付け、焦らせ、不安にさせてしまったのかを」

「…………」

「不甲斐ない僕に。愛しく想っている僕に。気になったその時に、曖昧な言葉でも。あとでだって構わない。不満も不足も、棘みたいな悩みの種も。楽しいだけで気持ち良く笑えないなんて、知らないままでいたくない」

「…………」

「楽しくないことも、八つ当たりだっていい。僕は全部を受け取りたい。考えたい。悩みたい。悪いところは、直したい。大好きな、草間さんのそばでなら」

 咄嗟に俯き、「ホント、キザ」、やっとの想いで吐き捨てた。

 尤もらしくて、胡散臭い台詞。けれど久保の心はチクチクと痛み、中心が重く沈んでいくようだった。声に乗せれば嫌でも自覚する。腹を立てるばかりで、自分はまだ何も、伝えようとすらしていない。

 楽しかったデートの最後に、あちらにしてみれば恐らく、久保は突然ヘソを曲げたように見えたはずだ。急に機嫌を損ねて文句を言い、悪態を吐いて、避けるように分かれ帰った。理由も訊かず、話すことさえ放棄して。

 初心だ子供だと必死に匿っていた草間よりずっと、子供っぽいことをした。今更に、大きな後悔が押し寄せて来る。

「……喧嘩、したくないの」

「うん」

「……どう、言えばいい?」

「そうだなぁ」

 情けない。悔しくもあって、久保は揃えた足の上、置いた手をきつく握る。肩を持ち上げ、痛いくらいに、強く。

「そのまま、素直な気持ちを伝えればいいんじゃない? どうして家に連れってってくれないの、って、質問する体でさ。ダメだだけで理由がわからないと不安だって、寂しいって、言ってみたら?」

「別に、寂しくなんか……」

 膨らむ頬に、ヒヤリとした感触が走った。慌てて顔を向ければ、爪の方を向けた有村の手が宙に浮いていたから、恐らくそれが触れたのだ。

「嘘吐きはどっちだよ」

「なっ……!」

「今にも泣きそうな顔してるの、気付いてないの?」

 指摘された顔を隠すよう、再びに有村から逸らした頬が、やけに熱い。

 赤くなっている自覚があった。恥ずかしくて堪らなかったのだ。

 選りにも選って、有村なんかに。誰にも言えない愚痴を零した時点で十二分に、嫌だというのに。

「ま、話を蒸し返すって気まずいものだしね。ご用命とあらば、ちょこっと顔出して、イイ感じのパス投げますよ」

「……アンタが?」

「うん。乗り掛かった舟ってヤツ? そういうの得意だし、まぁ、上手くやりますよ。自信はあるんで、お任せあれー」

「…………」

 久保は、今日一番の意外な台詞を聞いた気がした。ついでに話を聞くだけならともかく、有村が自分の為に何かすると言い出したように聞こえ、実際そうだと思ったから、短い言葉すらも出て来なかった。

 なんで。ふと、胸の中で問いかける。答えはすぐさま返って来る。なんでも何もない。結局はこれも、仁恵の為。なにせ有村自身がそう言ったではないか。ここへ来たことも、そう。あの心優しい気遣い屋さんが気に病むから、コイツは原因解消の手伝いを買って出ると言っているだけ。

 何故だか膨らみたがる頬を堪え、久保は風が冷たいふりをして、返事をしないままカーディガンの襟を直した。

「信用ないのは今更ですが、ここへ来たのは草間さんが悲しそうだったからでも、僕で良ければって思ってるのは本当だよ?」

「……え?」

「愚痴を聞くくらいなら、いつでも。他にも、協力出来ることがあるなら喜んで。君が僕を嫌いでも、僕は、久保さんのこと友達だと思ってるから」

 視線を上げれば、有村はベンチに手を着き、肩を持ち上げ笑っていた。

 どこか照れ臭そうに。まるで子供みたいに、はにかんでいる。

「友達?」

「うん。僕は別にお人好しじゃない。面倒なことは面倒臭い。でも久保さんは、僕を自由に使っていい。友達だから、君の役に立てたら僕は嬉しい。それだけ、覚えていてね」

 そろそろ戻ろうかと、有村は先に立ち上がる。そこで、草間にするように手は差し出して来ない。

 そこまでの特別ではないと伝えながら、置いて行かないくらいには想っていると感じ取らせるような、微妙な具合。絶妙な塩梅。最後にひとつ素直になるなら、久保は有村のコレを心地良いと思った。

 明日、二回くらいは、殴りたいのを我慢してやってもいいと、不意に右手を左手で包み込む程度には。

「すっかり冷えちゃったでしょ? 戻ったら、紅茶でも淹れようか」

「……ねぇ」

 包んだ指が右手に巻き付いて、それなりの力が籠る。顔の角度は、やや横向き。久保は目線だけを有村へ向け、開く前の唇を噛む。

 こんなヤツ、信用なんかしない。根っこが嫌い。でも今ならメールで、かけてくれた電話を切ったことくらいは、謝れる気がした。

「……協力、本当にする?」

「するよ。僕で良ければ、なんなりと」

「なら……り、教えなさいよ」

「ん?」

「……っ、料理! 作るって言って家に連れて行かせるから、何か教えなさ――」

 ほんの少し、素直になれる気がしたのだ。有村に指摘されたのが癪で、もっと言葉で伝えようと思えた。口で言えばまた可愛げないことまで言ってしまいそうだから、まずは、文字で。

 電話をくれて嬉しかったとか、本当は声が聞けただけで嬉しかったんだとかはまだ、伝えられそうにないけれど。

 喧嘩なんかしたくなかった。それだけは、いけ好かない有村の微笑みとやらを見上げて、やたらと強く心に想う。

「――おしえ、てよ……私でも、失敗しないようなの」

「オーケー。任せなよ!」

 口が上手い男は信用しない。それが、久保のモットー。

 けれど、ふと気付いてしまった。恋人にしろ、幼馴染にしろ、口が足りないのに腹を立てる久保にはそれなりに、言葉が欲しい時がある。だとすると、表現して伝えて来る有村の全てが気に食わないとは、一概に言えないのかもしれない。

 だけど、絶対に絆されたりしないんだから。

 上手く利用してやるつもりで久保はベンチから立ち上がり、あっさりと向けられた背中に心の中で呟いた『ありがとう』を誤魔化すよう、急ぐ足取りで東屋をあとにした。

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