表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第五章 萌芽少女
177/379

うまくいかない

 良かった、と、心から思った。

 久保の携帯電話に着信があり、一瞬浮かんだ嬉しそうな顔をしたのを、草間はきちんと見ていたから。

 彼氏さんから電話が来てよかった。それと同じくらい、随分と待っていた久保が可愛いと思ったのだ。まるで、自分のことのように嬉しかった――中庭の方から久保の怒鳴り声らしき音が、漏れ聞こえて来るまでは。

「……絵里ちゃん、怒ってる?」

「みたいだね。あんまり良い感じの雲行きじゃないなぁ」

 邪魔をしても悪いから、草間は有村と二階の窓から星を見ていた。少し雲はかかっているが流れも速く、明日もきっとよく晴れるね、なんて話していた最中のこと。

 何を言っているのかまではわからないが、とにかく久保の怒っている声がする。

「喧嘩しちゃったのかな……やっと、話せたのに……」

「気になる?」

「そりゃ……気になる、けど……」

 なにしろ久保は毎晩、待っていたのだ。そんな気はないような顔をして、普段通りに夜更かしを楽しんでいても、何回も携帯電話へ目を遣っていた。そうして少し寂しい顔をするのを、草間は何度も見ていた。気にならないはずはない。

 ただ、自分が出て行っても、と思ってしまう。恋人同士の揉め事に他人が首を挟むものではないと、前に、雑誌に書いてあったし。何より久保は草間に気を遣うから、出て行けば『平気よ』と言わせてしまうのを、草間自身がよく理解していた。

 そして、俯く横顔を見遣った有村は、そんな草間を理解していた。

「君が声をかければ、やせ我慢をさせるね。で、落合さんが出て行けば喧嘩になる。これは、藤堂でも同じかな。のんちゃんと山本くんは、論外」

「え……」

「行ってこようか? 様子を見に」

「でも、有村くんが行ったら……」

 不安でいっぱいの草間が見上げると、有村は「売られても買わないから、喧嘩にはならないよ」と笑みを浮かべる。確かにそうかもしれないが、草間はそれが遊びの延長でも、有村が久保に拳を食らうのもまた、あまり見たくはない。

 だとすれば、放っておくのがいいのかな。やっと、なのに。せっかく、なのに。チクチクと痛む胸の前へ、草間は両手を引き寄せた。

「感じ方はそれぞれだろうけど、僕は、草間さんのそういうところ好きだよ?」

「へっ?」

「ずっと待ってて、やっとかかって来た電話で喧嘩してるのが嫌で、自分のことみたいに胸が痛むんでしょう? 君のそういうところ、尊敬する」

 だから手伝わせて、と有村は言い、口実に草間が渡しそびれた久保のカーディガンを持って、中庭へと降りて行った。

 二階の窓を開け、東屋へ向かって行く背中を見送った。自宅への電話も終えた、十時過ぎ。風はすっかり、夜の冷気を纏っていた。



 どうしていつも、こうなってしまうのだろう。

「別に? 良かったじゃない、楽しい夏休みになって! 海でもどこでも勝手に行けば? こっちだって楽しくやってるし。言ってなかったけど、こっちも女だけじゃないから!」

 嬉しかったのに。話したいことが、たくさんあったのに。

 終話ボタンを押して閉じた携帯電話を見て泣きたくなり、久保は震える息を吐き出した。

 どうしていつも、私はこうなんだろう。可愛げないことばかり言って、怒ってばかり。どうして、楽しんで来てねのひと言が、言えないのだろう。

 悲しくて。情けなくて。手の甲を当てた頬は別に、濡れてなどいなかった。

「……偶然居合わせた女じゃない一号ですが、折り返すなら電話、代わる?」

「…………ッ」

 かけられた声に、振り返る。そこには普段通りにいけ好かない、飄々としたすまし顔の有村がいて、久保は慌てて頬の手を外したあと、渾身の力で睨みつける。

 なんで居るのよ。なにしに来たのよ。言い放っても、然して意に介していない風体に腹が立つ。有村は若干、閉じた口を山なりにして、そっとダークグレーのカーディガンを広げた。

「風邪ひいちゃうって、草間さんが」

「…………」

「部屋の中まで声が聞こえてたんだよ。邪魔したくも、カラ元気もさせたくなかった草間さんの気持ちくらい、受け取ったら」

 苛立つままカーディガンをひったくり、手にしたあとで一応の礼は言った。草間に心配をかけたのなら、それは、悪かったと素直に思う。

「少し、お邪魔しますよ」

「は? 用が済んだら帰りなさいよ。隣りに座るな!」

 帰れ、邪魔だ、と怒鳴るのに、有村はまるで聞こえていないかのようにベンチへ腰かけ、しれっとした顔で怒り狂う久保を見る。

「君さぁ、いつもそんなにカリカリしてて疲れない?」

「余計なお世話!」

「まぁねぇ。けど、本当に構われたくないなら、見える所で騒ぐの止めなよ」

「なっ……!」

 構って欲しいみたいに見えるよ。そんなこと、有村に言われなくても、久保だってわかっている。隠したいとも。何でもない顔をしたいと、いつも思っている。それが満足に出来ていないことだってきちんと、わかっているのだ。

 悔しくて歯を食い縛る久保を見る有村の目には、大して感情が籠っていないようだった。

 ただ、見ているという感じの目。眺めているような目。そんな目をふと有村が、久保から逸らした。

「君にはおべっか言っても殴られるから正直に話すけど、慰めようと思って来たわけじゃない。ぶっちゃけ、心配もしてない。他人の揉め事に首を突っ込む趣味はないし。ただ、君が悲しむと草間さんも寂しそうにするからね。見たくないのは、そっち。君の為じゃない」

「…………」

「でも、出て来たからには、すぐにひとりで戻れない。向こうじゃ草間さんがソワソワしてて、戻ったらキラキラした目で見られるもんで。なので、少しの間お邪魔させてもらうよ。戻るならついて行くだけだし、殴りたければどうぞ、ご自由に。無視で構わないし、独り言も、ご自由に」

 持って来てやったんだから上を羽織れと、つまらなそうな物言いのままで有村が言う。

「……アンタ、何しに来たのよ」

「だから言ってるでしょ。草間さんが暗い顔をするのを見たくない、僕の為だよ」

 そこには落合たちの前でヘラヘラ笑っている軽薄そうな男もいなければ、夢見がちな草間が夢見る理想的な彼氏を振舞う胡散臭い男もいない気がした。

 コイツ、こんな男臭い顔をするヤツだったっけ。まるで、圭一郎みたいな。

 どこか不遜な雰囲気で、横顔も、そのままで向けて来る目もどこか、冷たい。

「ホント、あるんだから上、着ときな? 八月でも山の夜は冷えるから」

「そう、仁恵が言ったの……」

 短く、フッ、と漏れた笑みを聞いた。くだらないとでも言っているような顔。それを見て、慰める気がないならどうして来たと腹が立ちそうになるのはさすがに、子供が過ぎる。

 こんなヤツに、有村なんかに慰められたくなんかない。そんなの、要らない。

 思っているのに強がりなのも嘘ではないから、久保は下を向いた。

「久保さんの彼氏に同情する」

「は? なんでよ」

「君は自分が、誰と仲が良いとか誰の幼馴染だとか、下心とか、そういうものがないと体調も気に掛けてもらえない女の子だと思っているの?」

「…………」

「着ておきなよ。女の子が、身体を冷やすものじゃない」

 確かに少し、肌寒かったから。持っていたから。

 存分に不満げな顔をして久保はカーディガンの袖に腕を通し、また、何もない地面を見つめた。

「で、どうする? どうせ何もすることないし、愚痴なら聞くよ」

「……もう少し、優しく言えないの」

「へぇ、久保さん、僕に慰めて欲しいんだ?」

「は? なに言って……バカじゃないの!」 

 勢いで出した拳は、隣りに座る有村の胸の中央付近へめり込む。腹と違いさすがに数回咳をして、背中を丸めた有村が、降りた髪の隙間からニヤリと笑った。

「いやぁ、久保さんはやっぱり、こうでないと」

「…………っ」

 殴らされたのだ。そうと気付いてしまえばもう、久保は震えたがる唇を我慢など出来なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ