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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第五章 萌芽少女
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緩やかな坂道を行くように

 リリー。リリー。死んでしまった、彼の、魂の半分だった女の子。

 繰り返し何度も、草間はその名を胸の中で唱えている。

 リリー。リリー。

 そういえば桜子が、愛馬の愛称に名前を貰ったと言っていた。

 リリーのように強く、カッコイイ女の子になるよう。特別な名前だと、有村が言った。リルリリー。そのまま『リリー』と呼ばないくらいに、大切な名前。強い、女の子。

 リリー。リリー。

 そのくらい、大切に想っていた、女の子。

「――退屈かい? 少し走ろうか?」

「えっ」

 ほんの少し振り向けば、後ろから覗き込む有村と目が合う。草間は、慌てて首を横へ振った。

 昼食を終えたあと三十分ほど練習をして、草間たちは桜子との約束通り、牧場の外で馬との散策を楽しんでいた。先頭は桜子。乗っている馬が、エリザベス。愛称は、リリー。

 森の小道は茂る枝葉が涼しい風の通る影を作り、瑞々しい花が咲き、上には抜けるような夏の青空が広がっている。健やかで気持ちが良い、はず。草間の視界は、それらをひとつとして満足に映せていない。

「……桜子ちゃんと、何かあった?」

 道幅は二列で並べるほど広くなく、草間と有村を乗せた馬は最後尾にいる。

「片付けの後くらいから、元気がないような気がして」

「……ないよ、なにも」

 何も言えない。言えるはずがない。

 初恋だって言ったじゃない、と、思ったのは最初だけ。草間が胸の中で繰り返す名前を口に出来ないのは、大切な人が亡くなる悲しみがまだジクジクと、大好きだった祖母を亡くした草間自身の傷として、鈍い痛みを放っていたからだ。

 三年経っても、寂しいものは、いつまでも寂しい。

 あの花壇に再び花が咲いても、草間はきっと祖母を思い出して悲しくなるのだ。

 どれだけ気になろうと、訊けば打ち明けてくれるのだろうと思っていても、そんな傷には不用意に触れたくない。触れてはいけない。その痛みがわかるのだから、尚更に。

 一番近くに見える久保の背中まで距離があったのは、草間を気遣う有村の気持ちだった。

「ごめんね。桜子ちゃんのこと」

「……なんで、謝るの?」

 口籠る草間の背中で、有村もあまり歯切れがいいとは言えなかった。有村にしては珍しく、言葉と言葉の間が妙に空く。

「あの子、君に当たりがキツイでしょう? 実は和斗にもそうなんだ。僕に、近い人ほど」

「……そう、なんだ」

「彼女は少し僕と似ていてね、話が合う人が少なくて。君が我慢をするのは嫌だから何かあれば言って欲しいけれど、子供と思って多少、大目に見てもらえると嬉しい」

 チラリと覗き見た顔は、矛盾を重々承知しているようだった。

 わからなくはない気がしたのだ。素直で可愛い親戚の子が相手なら、草間もきっと同じことを言う。

「桜子ちゃんは、いい子だよね。動物に好かれる人に、悪い人はいないもん」

「それも、本で見たの?」

「うん。だから大丈夫。仲良くなれるように、頑張りたいなって、思ってる」

「そう。僕が言うのもなんだけど、ほどほどにね。あの子は中々、難しい」

 告げられた草間には、不思議な力が湧いて来た。

 或いは勇気、だったのかもしれない。眉を下げる有村に向けた笑みに嘘はなく、口角を上げれば少し、埋め尽くされていた心の中に、頬を撫でるのと同じ優しい風が通り抜けた。

「有村くんと似てるから?」

「かもね」

「なら、大丈夫。 ……な、気がする」

「……ふふっ。そうだね」

 手綱を持たせてもらい、少し引いて速度を変える練習をさせてもらったり、足を使って腹も一度だけ蹴ってみた。上手く出来れば撫でて褒め、上質な毛並みに草間はすっかりと虜になる。

 今日お世話になる馬の名前は、アリス。

 背中に乗せてくれるこの子が、どんどんと可愛くなっていった。

 気が付くと、足に怠さを感じていた。まだ動くのが怖くて我慢しているが、何度も座り直したくなる。一応は目的地があった。この道を抜けた先に、景色の良い場所があるという。

 体感ではあるけれど、練習を兼ねた今回の散策は、一回目の有村とした散歩より長時間に及んでいる。縦に一列。前に六つの背中と馬を見る草間の視界で、景色の流れる速度は殆ど、歩いている時と同じくらいだ。

「そろそろかな?」

 尋ねる草間の脇から伸びて来た指が、前方の道を指す。緩やかな上り坂はこれといった頂上が曖昧だが、有村は遠くに見える緑の濃い大木を指してその辺りが頂上であること、過ぎれば目的地まで間もないことを教えてくれる。

「脚が疲れて来た?」

「……うん。ちょっとだけ」

 白状した折、前の方で落合が似たような弱音を吐いた。足がしんどい、まだかかるなら一度休みたい、と。追随する声はなかったが、草間が見た横顔からするに、鈴木や山本も疲れてはいそうだった。

「久保さんは限界かな」

「え?」

 予想外の名前を背後から聞き、草間は目を見張る。あれでは疲れると有村は言うのだけれど、草間が窺う久保の後ろ姿は出発時から変わらず、ピンと背筋が伸びていた。

 教えられても草間が出来なった姿勢。まるで、乗馬のお手本のように。

「久保さん、肩の力を抜こう。腕の疲れが限界なら一度休もう。余力がないと危ないから」

 然して大声でもない有村の声は久保に届き、彼女らしい語気の強い返事が返って来る。「平気よ!」と飛んで来る声にも元気があるように思うのだけれど、有村が小さく溜め息を吐いたので草間は久保が心配になった。

 ただ、桜子は速度を少し上げたようだった。あと五分もしないで着きますよ、という声掛けに混じり、軽快な蹄の音が連なる。

「……なんか、嫌な予感がするなぁ……」

 呟いた有村が脇の木々を見遣り、草間も振り向いたあとで同じ方向を眺める。森の入口という風な木々の間に何が見えるわけでもなかった。

 注意深く見渡す有村にはまた、草間では見つけられない何かが見えているのだろうか。一度はやめたものの、草間も枝の隙間へ視線を戻す。動物でもいるのかな。そう考えて、僅かに覗き込んだ瞬間だ。

「――ッ! 全員、絶対に手綱から手を離すな!」

 有村が上げた声を掻き消すように、森から大量の鳥が飛び立った。

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