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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第五章 萌芽少女
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魂の、半分。

 一本道を行く列の後方、両脇を挟む久保と落合が案じてくれるほど気に病んでいるのでも、ましてや苦手意識も持っていないが、草間はまだ列の先頭で有村と並んでいる桜子に、どう接すればいいのか悩んでいる。

 繰り返しになるが、苦手ではない。年下の女の子だし、家の手伝いを熱心にする良い子だ。出来るなら、仲良くなりたい。けれど理解はしている。有村を慕っているが故に、桜子にとっては草間が、あまり気分の良い相手ではないということは。

 みなさん、に含んでもらえただけ、よかったと思うべきなのかもしれない。

「お昼までまだ時間がありますが、どうしましょう? また動物たちと遊んで行かれますか?」

 先頭で振り返る桜子と落合たちは先日、草間と有村が不在の間に、昼食の約束をしていたらしい。

 昨日のスケジュール発表では候補に挙がっていなかったので、急な予定変更という風な面持ちでいる落合から察するに、約束と言うよりは曖昧な会話の一部だったのだろう。誘いに来た桜子の、『勇気を振り絞ってやって来た』という俯き加減の姿を見てしまえばきっと、有村の逆隣りを陣取る藤堂でも『また今度』は言い難かったはずだと、草間は思う。

 その件にしても、草間は寧ろ歓迎していた。棚ボタと言ってもいい。

 今日も健やかな晴天。こんな日に、外で食事をするのは気持ちが良い。ましてそれが、屋外にある手作りのピザ窯を囲んでのパーティーであるのなら尚更だ。

 食材も全て、この楽園で作られた物を使うという。

 楽しみに思う気持ちの方が、何よりも勝っていた。

「今日は草間さんも乗馬してみる? 僕はまた、二人乗りでも嬉しいんだけど」

 桜子から離れ、そっと耳打ちして来る有村も、気にかけてくれているのだと思う。

 一回だけ試してみると答えた草間は心配要らないのを伝えたくて、とびきり大きく笑って見せた。

 結果として、草間はまず馬の背に乗る段階で、ひとりでは無理だった。台を用意してもらっても、まごついている間に馬が動いてしまう。有村に押し上げてもらってやっと跨ったとして、とても背筋を伸ばせなかったのだ。予想通りではあるが、面目ない話である。

 その間に聞いたところによると、獣医である佐々木は趣味の延長で、本日の主役、石造りのピザ窯を作ってしまったらしい。以前の獣舎もほぼひとりで建てたというから、草間は少し『趣味でする日曜大工』の範疇がわからなくなった。

 当然、立派なピクニックスペースのような木製のテーブルもベンチも、佐々木の手作り。移動したその場所では度々、楽園の住人が集まって食事をするのだそう。

 誰かの誕生日や豊作のお祝い、加工品の解禁日に盛り上がったりするらしい。まるでそうした日の再現をしてくれているかのように、草間たちが到着する頃、住人たちが方々から野菜やら肉やらを運んでくれていた。ピザだけでも心が躍るというのに、ピザ窯の隣りではバーベキューグリルが炭を蓄え、準備万端だ。

 すぐ近くで、山本の腹が鳴った。その向こうで佐々木が仕度するピザ窯を覗く藤堂が、「まだ十二時になってない」と言う。鈴木はバーベキューグリルの炭を弄っている。久保と落合は草間と共にテーブルセッティングをしていて、有村はひとり、少し離れた場所で後頭部を見せていた。

「率先して手伝ったら、他の人が気にしちゃうんじゃん? 坊ちゃんに働かせて、とか」

「え?」

 食器を並べつつ、落合がそう言って苦い顔をする。

 確かに、最も手伝いそうな有村が何もしていないのは違和感がある。けれど草間はそんなことより、有村が度々見ている気がする方向、草間にはただ芝生が広がっているだけに見える牧場の奥が気になって仕方がない。

 何度見ても、特に何もないと思う。

 そちらにまた想い出の場所があるのか、そうだとしても、授業中に教室の窓から空を眺めている時よりもジッと見つめている有村の立ち姿は何故か、草間の胸に妙なざらつきを覚えさせていた。

「声をかけたら? あの子に遠慮することはないわよ」

「してないよ、遠慮なんて……」

 実際、草間はいま桜子が何処で何をしているのかを知らない。

 なんて声をかければいいのか。邪魔をしてはいけない気がした。

 昼食は(つつが)なく過ぎて行った。みんなで遊びながらピザを盛りつけ、佐々木が焼いて、みんなで食べる。有村は最後まで何もせず、藤堂も定番の『焼き屋』をしなかった。ただ、ご馳走になった。有村に口元を拭ってもらった桜子が、とても嬉しそうだった。

 桜子は、そんな笑顔がとびきり可愛い女の子なのだ。明るくて、笑い声も愛らしい。

 やっぱり、出来るなら仲良くなりたい。そう打ち明けた草間は落合に連れられ、桜子と三人で後片付けをすることになった。余った食材や使った食器を近くの建物へ運び、洗って棚に戻す係を買って出たのだ。

 桜子に案内されて辿り着いたのは肉や乳製品の加工場で、牧場にポツンと置かれた随分と大きな平屋建て。三角の屋根と青空が、まるで絵本の世界みたいなコントラストでそこにある。

「へぇ、ジャムも小麦粉もここで作ってるんだ。ホントになんでも出来ちゃうんだね」

「自分たちで使う分が主ですけどね。ここは、みんなで好きに使うんです。家でひとりで作るより、大勢で作って分けた方が楽しいじゃないですか。お菓子を作ってお茶をしたり、半分以上は憩いの場です」

「なるほどー」

 新商品の開発は、奥様方のついでの、ついで。

 訊き出す落合の隣りで、草間は食器を洗いつつ、桜子の様子を窺う。

「そしたら、ここは本当に自給自足の村って感じ?」

「実際にはそうだと思いますが、大人の殆どは雇用されているので仕事がありますし、お給料が出ます。一応はここ全体がひとつの会社で、住民は社員寮住まい、ということになるでしょうか」

 ウチのお父さんとお母さんも社員です、と答える桜子が話すに、有村の祖父が楽園の為に作った会社は、福利厚生まできちんとした優良企業であるらしい。

 それらしいのは志津が名目上の社長であったり、佐々木が専務であったりと一応の役職が振られていることくらいで、ここで生まれ育った中学生の桜子には住居であり故郷であり、やはりこの場所は会社というより、村と呼ぶ方が感覚的に近いのだとか。

「わたしも詳しくは知らないですけど、有村の家はレストランや旅館も持っているので、食材や加工品はそこへ卸しています。ウチのお肉もそうですね。ここは誰でも入れますが、奥の部屋は専用の服を着て、全身にミストみたいのを浴びないと入れないんです。品質管理の問題だとかで」

「へぇ。ちゃんと工場なんだね。なんか、面白いね」

「別名、遊び場ですからね。仕事とは別に、みんなそれぞれ好きなことをしています。新しいことを始めてもいいんですよ。旦那様はお忙しくてあまりいらっしゃらないですが、大奥様は度々お越しになるので、そういう時に見て頂いて製品化した野菜や加工品も、たくさん」

「やる気があれば、ってやつ?」

「その通りです。何を始めるにしても、きちんと手続きをすればサポートもしてもらえます」

 誰かが始める時には誰かが手伝い、そうして『お互い様』が広がる内に、ここは益々強い絆に結ばれた村になって行ったのだという。

 出来るだけ、自分たちだけで。親子二代に渡る試行錯誤の結果であるとするならば、草間はこの楽園の全てが尊いもののように思えた。

「みんなが想っているのは、旦那様や大奥様のお役に立ちたいということです。ここ、住んでいる人たちは全員、スカウトなんですよ」

「スカウト?」

「元々職人だったり、専門の知識がある人だったり。あとは、行き場がなくて、拾われたと言っている方もいます」

「ひろう……」

「わたしの、お母さんがそうでした。何もかもが嫌になって街中をブラブラと歩いていたら、大奥様を乗せた車にぶつかりそうになって。ボロボロのお母さんを見て、大奥様は車に乗せてお屋敷へ連れて行ってくれたそうです。少しの間、家政婦をして、ここへ来たって前に聞きました」

「……へぇ」

「そして、先にここへ来ていたお父さんと出会ったんです。縁、ですね」

 重たい話のあとで桜子は、どこまでも柔らかく笑う。

 住人たちは有村の祖父や祖母に恩義を感じ懸命に働くが、ここでの生活を楽しんでもいる。訪れた草間たちへの親切な対応は住まう人たちの優しさでも、『大奥様』がとびきり可愛がっている『洸太坊ちゃん』が連れて来たから、尚更に歓迎しているのは事実。

 直接的であったり間接的であったり、桜子の話を聞いて、草間は少し『楽園』の本当を理解出来た気がした。

 ここには、何かしたい、若しくは、何でもしたい人たちが集まっている。最も役に立ちたい大奥様の可愛い孫である有村は何もしないのではなく、何も出来ないのかもしれない。

「向こうでまた洗い物出てるだろうし、あたし、取りに行って来るね」

「私が行くよ」

「いいって。仁恵は、残りをお願い」

「うん……」

 気を利かせた落合がウインクを残し、洗い場から出て行く。仲を取り持とうとしてくれている桜子は食器を棚へ片付け、草間はひたすら食器を洗う。ふたりきり。背中を向けて、会話など出て来なかった。

「草間さんは、お料理されるんですか?」

「えっ?」

 慣れた様子で片付けを進めながら、桜子が不意に尋ねて来た。

「お食事ではなく、食材を運んでいると聞いたので。女性が三人もいますし、作ってるんですよね? どんな料理がお得意で?」

「ええと……」

 桜子もまた気を遣って、沈黙を破ってくれたのだと思った。破らせてしまったとも草間は感じていて、答えなくてはと、気まずいままの口を開く。

「私は、あんまり得意じゃなくて。料理は、有村くんがして、くれてて」

「お兄ちゃんがですか?」

「うん。何でも作れるし、とっても上手なんだよ。本当に美味しくて。お世話になる間ね、みんなで役割分担をしてるの。掃除とか洗濯とか。それで、料理は有村くんが」

 事実だし、心から思っていることだ。多少は、有村の話なら桜子も、と考えないではなかったが。

 そうした草間の浅知恵は、首を捻って顔だけを向けていた桜子の目を細めてしまった。

「いいんですか? それで」

「え?」

「いえ。彼女さんって、寧ろ料理を振る舞いたいんじゃないかと。家庭的な自分をアピールって、定番らしいじゃないですか。わたしなら、好きな人には頑張って、美味しい料理を食べてもらいたいですね」

「……うん。そう、だね……」

 返す言葉が、ない。

 口を噤んだ草間は思う。桜子の指摘は尤もだ。女が三人もいて、と、思われてしまうのは仕方がない。代われない自分が、ただひたすらに情けない。

 背後では、桜子が溜め息を吐いた。この空気。草間でもわかる。これは、想像以上に嫌われている。それも、理解は出来る。草間だって久々に会った大好きなお兄さんが恋人を連れて来たら、面白くないかもしれない。そういう相手は、いないけれど。

「わたし、いまいち理解出来ないんです。久保さんはお綺麗ですし、落合さんはきっと一緒にいて楽しい方。お二人のどちらかならまだわかりますが、お兄ちゃんは、あなたのどこが気に入ったんでしょう。趣味が合うんですか?」

「本は、私も好きだよ。一番好きなジャンルは、違うんだけど」

「性格が似てるとか?」

「ううん。それは、似てないと思う。私は臆病で下ばっかり見ちゃうけど、有村くんはいつも真っ直ぐ前を見てるから。助けてもらってるの、いつも」

「そうですか。 ……なるほど」

 どこかの扉が、開いて閉じる。忙しく動き回る桜子の足音も聞こえている。

 それらが突然、ピタリと止んだ。洗いカゴへ食器を置いたついでに草間が振り向くと、桜子は特に何の感情もない目で草間を見ていた。

「失礼ですが、お泊りになっている建物の裏手の森へは行かれました?」

「ううん。危ないから、ひとりで入らない方が良いって、言われて」

「そうですか。お兄ちゃんはやっぱり、あそこを穢したくないんだ」

「……けがす?」

「あの森はお兄ちゃんにとって、とても大切な場所なので」

 桜子ちゃん、と、名前も呼べないくらいの空気が漂っていた。

 睨まれているわけではない。ただ、見られている。ジッと、眺められている。好きでも嫌いでもない、物を見るような目をしていた。

「あそこ、本当は危ないことなんかひとつもないんですよ。舗装はされてないですけど、奥まで獣道が伸びていて、散策くらいは出来るんです。事実、お兄ちゃんは自由に出入りしてましたし」

「…………」

「敢えて、誰も連れて行かないんです。だからあなたにも、入るな、と。なんとなく、そんな気がしてました。特に何がお得意という風にも見えないあなたは、お兄ちゃんにとって可愛がりたい人なのかもしれない。好きなんですよね、昔から。動物の世話とか」

「……ええ、と……」

 瞬きを落とされ、桜子の視線が外れても、草間は言葉を紡げず、目を逸らせないでいた。

 中断していた作業を再開し、再び背中を向けた桜子から目が離せない。

 その、小さな背中が言った。

「……残念です。あなたも、リリーにはなれない」

 まだ、蛇口から水が流れている。

 コポコポと音を立て、排水溝へ、白い泡が吸い込まれていく。

「……リリー?」

 大皿を戻した棚を閉め、桜子がまた首を回した。

「魂の半分、とでも言いましょうか。お兄ちゃんとリリーはまるで、ふたつでひとつのように、いつだって寄り添っていた。誰にも邪魔出来ないくらいに、ぴったりと」

 言葉を失くした草間の開いてゆく瞳に、桜子が浮かべる作り笑いが映り込む。

「……その子は、いま……」

 聞いたことのない名前。少なくとも今、近くにはいない名前。

 大切な人。大切な人を、失くす夢――有村を苛む、悪夢。

 尋ねた草間は薄々と、その答えに察しがついていたのかもしれない。

「死にました。一番、キレイなまま。だから、残念だと申し上げました。お兄ちゃんが、あれほどに想い合っていたリリーを忘れることはないでしょう。たとえ今あなたが一番のお気に入りでも、心の中には常にリリーがいる。恋人であるあなたがご存じないのが、その存在が如何に大きいかという証なのでは?」

 そうだ。すっかりと忘れていた。

 彼には、眠ることも出来なくなるほど繰り返し見る悪夢があって、それは、大切な人を失くす夢で。それほどの傷が心に残る相手なら、どうして真っ先に『恋人』を思い付かなかったのだろう。

 混乱する中で、草間の心が訴える。

 それならどうして、初恋だなんて言ったのだろう。

 耳の先に灯った赤を、確かに見たのに。

 噤んだ草間の唇が震え、桜子はきっとそれを鼻で笑った。

「とはいえ、あなたもまたお兄ちゃんが選んだ方です。過ぎた言葉の数々、深くお詫び致します。出来過ぎたことでしょうが、もしかすれば、あなたがあの森へ入った時、お兄ちゃんの本当の気持ちが、わかるかもしれませんね」

 作業を終えた桜子は、追加の食器を重ねて戻って来た落合と入れ替わりで、部屋を出て行った。

 身動きなど取れなかった。動かせたのは精々、床へ落した目線くらいなもので、草間はとても頑張って心配気な落合に笑顔を向けた。

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