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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第五章 萌芽少女
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そういう星からやって来た人

 昼食後の別行動で自分用の土産までたらふく仕入れた落合は、ポケットの中で携帯電話の振動を感じ立ち止まった。

 場所は建物内中央のエスカレーター脇へ差し掛かった辺り。吹き抜けになっている上の方、二階で沸き起こった歓声に目線を上げつつ、小首を傾げる。

「なんかイベントでもしてんのかな」

 静かになって、一拍。突然の大歓声と拍手が上がる。大道芸か、なにかのショーでもしているみたいだ。

「面白そうな予感。ねぇ、ウチらも買い物終わったし行ってみよーよ! 鈴木、山もっち……?」

 買いたい物は買えたし、目ぼしい店も殆ど探索し終わったあとだ。集合時間まで二十分ほどあるしと振り返った落合の連れたちは、テナントにしてひとつ分の距離を置いた後方で同じく二階を見上げている。

 嬉々とした落合とは違い、鈴木も山本もどんよりと表情を曇らせていたのだけれど。

「……あれってさぁ」

「じゃないといいな……委員長ひとりだろ? 地獄じゃん……」

 お楽しみに誘うべく駆け戻る落合は、途中で藤堂と久保を見つけた。ふたりも二階の騒ぎを聞きつけ、様子を見に来たらしい。久保は手ぶらで、藤堂の右手にはそこそこ大きな袋がぶら下がっている。落合も提げている、土産物コーナーのビニール袋だ。

「良さげなの買えた?」

「……おう」

 また、二階で歓声が上がった。スゲーだの、カッコイイだのという台詞付き。

 楽し気でそわそわしているのは落合だけのようで、全員が二階を仰いだまま動こうとしない。早く見に行こうよとも言い難い雰囲気があり、落合は思い出して携帯電話を取り出した。

「……あ」

「どうした」

 届いていた短いメールで、落合も足が鉛の一員になった。

「仁恵からメール。助けて、って……」

 充分な間を取った藤堂が「行くか」と呟いてから最初のひとりがエレベーターへ向かうまでに全員が溜め息を吐き、数は恐らく十回を優に超えていた。

 チッ。合間の舌打ちは先頭の巨人と、隣りの美人のがピタリと重なっていた。さすがの落合も、気が合うねと揶揄う元気や気力はない。

「あれ……だよね」

「……そうね」

 降りた場所から少し首を捻れば目視出来た二階の一角、そこに出現していたあまりに大きな人だかりが、今もじわじわと数を増し続けている。

 ざっと見積もって三十人か、それ以上。数えた落合は途中で目がしょぼしょぼした。

「……なに、してんスかね……」

「福引ね。買い物したら券を貰ったわ。ダーツ式みたいよ」

「ダーツ……」

 一縷の期待を込めて「違うよね」と発してみた声が、丁度上がった「おー!」という歓声でかき消される。

 下で聞くより大きなそれはまるで、スタジアムのボリュームと迫力。すっかりとサポーターの熱気を纏った男性が興奮気味に「また当てたぞ!」と放てば、別の方角から「また宣言通りだ!」と聞こえて来るし、鈴木と山本は既に諦めた様子で天を仰ぎ、絶対にプロだ、それにしては若い、と聞こえる頃に久保は再度の舌打ち、しかし顔が良い、笑った顔が麗し過ぎて死ぬ等々、飛び跳ねてはしゃぐ女性陣の声が届けば、ついに藤堂が裏社会のボスのような顔で「あのバカが」と呟いた。

 気付けば落合も、開いた口が震えている。姫様だ。絶対にそうだ。だとすると確かに、そばにいるはずの草間にとっては地獄そのもの。

「有村!」

 後ろから放たれた髪を吹き飛ばす突風のような藤堂の大声に、観衆の大凡が振り返る。そこでも聞こえたイケメンやら男前やらの声は無視するとして、道を開けてくれと告げた藤堂の前に出来た人の壁の向こうに、落合はムンクの叫びよろしく無声の悲鳴を上げた。

 出せていたなら、ひとえ、と縮れ声にも呼びかけたはずだ。振り返る有村の隣りに、灰になりかけている草間の背中がある。

 怯えているような福引スタッフらしき青褪めたオジサンたちも、数人。

「おいで! 仁恵!」

 代わりに久保が叫び、身長まで一メートルくらいに縮んでしまった気がする草間が、弾丸のように駆け寄って来る。広げられていた久保の腕に飛び込んだ時、草間はまるでチワワの仔犬みたいだった。

「何があったの?」

「お買い物して、お店を出たらおばあちゃんが困ってて。娘さんとはぐれちゃったって」

「携帯持ってなかったの?」

「おばあちゃん、ちょっとだけあの……痴呆が始まってたみたいで。たぶん髪とか目の色だと思うけど、有村くんのこと若い頃に付き合ってたアメリカ兵だと思っちゃって、腕組んで離れなくて。娘さんには会えたんだけど、申し訳ないって、福引の券をたくさん……」

「欲しい物でもあったの?」

「ううん。だから最初はお菓子を当てて、見に来た子供にあげて。そうしたら段々人が増えちゃって……有村くん、次はアレにするねって本当に当てちゃうの……ダーツ、回るのに……ちょっと怖そうなオジサンたちが手を叩いて、パジェロ、パジェロって……なに……パジェロって……」

「仁恵、あんまりテレビ見ないもんね。昔、そういう番組があったのよ……可哀想に、もう大丈夫よ」

「絵里ちゃぁん……っ」

 泣く、という動作を忘れたような抜け殻の草間を想えば、有村ならすぐにやめそうなのに。落合がそう考えながら様子を窺っていると、次の歓声のあと有村に名前を呼ばれた草間は条件反射のように「おめでとう! あと四回だよ!」と声を上げる。

 これだ。この所為だ。わかってないんだ、姫様。仁恵が声だけ元気だから、虫の息になってるのに。

「……仁恵さ、すぐ近くにいた?」

「埋もれちゃって、ちょっと後ろに……」

「あー……」

 見えなかったんだな、と思った。草間は背が低いから。

 嫌ならちゃんと言わないと、とも提案したのだ。すると草間はポツリ、小さい子が応援してたし、嬉しそうだったから、と。この場合、一体誰の落ち度になるのだろう。久保に鉄拳制裁を受けるのは間違いなく、有村だろうけれども。

 そもそも勝手に人が集まっただけだしなと多少は思っていた落合が背伸びをすると、有村の隣りにいつの間にか藤堂がいた。ダーツ前だけが開けているのもあるだろうけれど、ひとつ飛び出る黒髪とふわふわの茶髪はやはり、異常に目立つ。

「ほう。面白そうだな、一回やらせろ。で、一等は当てたのか」

「旅行? 興味ないから後回しにしてる。邪魔だから、二等のオーブンは欲しい人に引き取ってもらった。五等のお菓子を狙ってたんだけど、もうないんだって。どうしようか困ってたトコ。来てくれてよかったよ」

「ほう。ん? オイ、四等はプロテインじゃねぇか。どうして当てない」

「不味そうだから?」

「味じゃねぇ。アレにする」

「がんばってー」

 やっと動いているようなオジサンが手動でダーツを回す。スピードは結構速かった。間を置いてゆっくりになれば落合でも狙いを定められそうではあったけれど、だからといって的確に打ち抜くには少し立ち位置が遠い気がする。

 藤堂や有村は腕が長いから、関係ないかもしれないけど。いや、単に器用なんだよなと考え直した落合の見守る先で、藤堂の第一投が何処かを射抜いた。

「……チッ、ズレたか。要らねぇよ、ベッドなんか」

 三等で、後ろのパネルに目玉商品のお花が付いてるんですけどね。

 脇で見ていた有村に、縋るようなスタッフが数人。それを押し退けて、俺にくれ、私にちょうだいと、福引会場は忽ちバーゲンセールの特売ワゴン前だ。

 サクサク進む藤堂の第二投も真ん中の一番大きな灰色を避け、一際鮮明な細い赤へ一直線。

「……クソ。当てちまったよ、旅行。なんで青森だ。どうせなら北海道だろうが」

「すみませんね。彼、ちょっと口が悪くて。さすがにこれはキャンセルさせて頂きますね。当てる楽しみがなくなってしまっては、後の方に悪いですし。あ、そのポケットティッシュで構いませんよ。いいです、いいです、ひとつで。どうも」

 人の良さそうなことを言っているが、天使のような顔をしたその優男、一等以外に軒並みバツ印を付けた犯人である。一等だけ残しておけばいいと思っている辺りが中々、呆れたのと相まって笑えてしまうくらいに有村らしい。

 らしい、といえば、実になるもの以外に興味がない藤堂も相当にらしかった。残りは二回。どうしても欲しいと見えて、左右へ傾けて首を鳴らす仕草がすこぶる怖い。威圧感の権化のようだ。

「有村、俺はこれで最後にする。どうも上手くいかん。これが外れたらお前、次で取れな」

「はーい」

 取れる気でいる。驚いてから落合に、スッと何かが降りて来る。気じゃない。取れるのだ、たぶん。有村はきっと、そういう星からやって来た人。

「……またベッドかよ。いい。俺もそのティッシュくれ。なんだ。五等つって、デカい菓子だな。ダンボール? いや、袋でいい。八個ある? 平気だ。脇にティッシュ入れてもらえるか。オイ、幾つ入れる。一個でいい。要らん。聞けよ、要らん!」

 そうしてようやくの、最後の一投。立ち位置に着いた宇宙人は暢気な声で「目上の人に失礼だよー」とスタッフに詰め寄る藤堂を叱り、特に素振りもせず矢を構える。

「プロテインはぁー……ジョンブリアン!」

 不思議な呪文と共に放たれた矢は見事、黄色の枠を捉えた。隣りで藤堂が小さくガッツポーズ。念願のプロテインをゲットである。そしてまた後ろのボードにバツがひとつ、貼り付いた。

 福引会場は喝采に包まれた。止まらない拍手、健闘を称える声援、追い返そうとするような「ありがとうございました!」の声が響き、両手に大量のビニール袋を提げて人垣を抜ける巨人と美人を迎える最中、落合はつくづくこの我らが譲葉高校の至宝たる美形ツートップの恐ろしさを噛みしめた。

 怖い。普通に。

 これで目立つのが嫌いとか、絶対に信じてやるものか。

「お待たせしちゃってごめんね。草間さんも……あれ、どうしたの? 具合悪くなっちゃった?」

 心底心配げに腰を折る有村を振り返る草間は、油の切れたブリキのおもちゃも宛ら。ミシシやギシシという効果音でも付きそうなぎこちない動きで顔を向け、「おつかれさまです」と絞り出す声は古い録音の音声のようだ。

「アンタの所為よ」

 今回ばかりは、睨みつける久保がご尤も。

 鈴木や山本もいつになく真面目な顔で「もう少し気を遣ってやれ」と苦言を呈し、有村はきっと本当に気付いていなかったのだろう、見渡す顔が迷子のように頼りない。

 対して、片割れの方は随分と満足げだった。お目当ての品だけは重量の関係か紙袋に入っていて、訊いてもいないのに、新商品だ、飲んだことがないヤツだ、とやたらに饒舌。

「で、その大荷物はなんなんだよ」

「お菓子。ビックリするくらい欲しい物がひとつもなくて、前に山本くんが食べてたのがあったから、それを」

「マジか!」

 所詮は類友(ルイトモ)。食べ物で釣られた山本はさっさと気を取り直して「でかした!」などと有村を絶賛し、草間はやはりぷるぷると震えたまま「よかったね」と未だ心と体が別物だ。

「あとね、練乳好きののんちゃんに、練乳イチゴのスナック菓子と――」

「練乳!」

「――使えるかわからないけど、落合さんにお裁縫セット……ハンドミシン? が入ってるって言ってたかな。電動の」

「ナイス姫様! どれ! 見せて!」

 結局は鈴木も落合も現金で、一瞬で宇宙人が神様に早変わりした。

 丁度欲しいと思っていたのだ、ハンドミシン。受け取った袋の中身に感動していると、やっと少しだけ息を吹き返し始めた草間が、さっきよりは感情のある声で「よかったね」と言ってくれた。持つべきものは友、である。

 それから間もなく和斗が乗り付けた迎えの車で別荘へ帰る途中、温かい紅茶で落ち着きを取り戻した草間が、落合と久保に挟まれる後部座席でポツリ、ポツリと補足した。

 最初の一投は草間が投げたらしいのだ。しかし矢はだいぶ手前で落ちてしまい、それを見たスタッフが笑ってから、相当に恥ずかしかったという草間が言うに有村の様子が変わったのだそう。

「お暇そうですねって言って、忙しくして差し上げますよって、お菓子を当てて近くにいた子供たちに配ったの。次のお菓子も配ったら、一気に人が増えて。有村くんがああいう言い方をするの初めて見たから、ちょっと、驚いた」

 青褪めたオジサンたちは、急遽集められた増員スタッフだったのだ。三個目からは配るのをやめたそうだが人だかりには人が集まるもので、最初にいたふたりの女性たちもギャラリーを捌いたり景品を取りに走ったりと、有村の宣言通りに大層忙しくなったらしい。

「私、気にしてないよって言ったんだけどね。仕事があれば他人の失敗を笑う暇がなくていいって、それからも次々。途中で来たオジサンが教えてくれたんだけど、あのダーツ、距離が結構あったでしょ? 女の人はあんまり届かないんだって。私だけじゃなくて、試した人は殆どティッシュ。いつもそうなんだって。偶然かもしれないけど、それを聞いた次がオーブンでね。嫌いなのかも。そういう、ちょっと意地悪な感じのゲームとか、人が」

 なるほど。落合は飲みかけのペットボトルへ視線を落とした。

 どうせダメだと知っていて、思い通りに失敗した人を笑うスタッフが気に食わなかったのか。草間だったから散々に場を荒らしたのならいいと、落合は思った。たぶん、そうだったのだろうとも。

「いっぱい取れたしね? 途中で、もう充分じゃないかなって思って、そう言ったの。有村くんも最初はやめようとしてたと思うんだけど、放っておいてくれたらいいのに、最初にいた人がそうですよねって、私の腕を……軽くだよ? ちょっと触っただけなの。でも、それで有村くん、全部取って配ろうか、って。それから、パジェロ……あんまり声が揃うから、呪いかけれてるみたいで怖くなっちゃって。それで、キミちゃんにメールを……」

「……把握」

 気まずそうではありつつも全て話し終わったらしい草間は微妙な笑みを浮かべ、紅茶の残りを飲み干した。ゴク。ゴク。喉がカラカラに渇くのも頷けるくらい、草間にしてはたくさん喋った方だ。

 なので落合は、ふぅ、と息を吐く草間の肩に労いの腕を回して抱き寄せた。困ったら、いつでも呼びねぇ。得意の似非(えせ)江戸っ子口調で胸を張ると、草間がやっとよく知っている感じの、ふにゃりという可愛い顔で笑って見せた。

 わかるよ、仁恵。

 どんなに好きでも宇宙人の相手は大変だよね、などと、少しだけ思いながら。

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