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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第一章 初恋少女
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デート、とは

 有村が、これはデートだと言った。たったいま、その口で。

 理解した瞬間に、胸と頭の中で何かがパンッと弾けた。

「デート……これ、デートなのっ?」

 口を吐いたのは自分でも驚愕の、生まれて初めて出したような素っ頓狂な声。掠れて上擦った原型を留めていないくらいの、いっそ悲鳴に近い金切声だ。

「うわぁ、その反応は傷付くわー。走って逃げられたのより堪えるかも」

「だっ! だって、有村くんとデートだなんて、そんな……っ!」

「えー、なんでー? いやー?」

「イヤじゃなけど!」

「ならいいじゃない。何か問題でも?」

「問題って言うかっ」

「言うか?」

「だって、そんな…………私、なんかと……」

 そうだ。自分みたいなのが彼とデートなんて有り得ない。相手にされるはずがない。

 これは話の流れで、少し出掛けただけで。草間にとっては一回きりの奇跡で。

「…………っ」

 有り得ないんだ。彼が誘ってくれたのが、デートだった、なんて。

 それ以上は口も開けず唇を噛んだ草間の正面に立ち、有村は僅かに首を傾げてその様子を眺めたあと、不意に一回の瞬きを落とした。

 長い睫毛がゆっくりと閉じて、また開く。するとそこには静かな険しさを燻らせる瞳があった。ただただ真っ直ぐに見つめて来る目の奥が、口より先に草間を咎めるような。

「なに、それ」

 短く吐き出された声は有村が響かせるにしてはやけに幼く、ぶっきら棒に断ち切れる。それきり彼は俯いてしまい、草間はその姿を見ることしか出来なかった。

「私なんか、か。寂しいことを言うんだなぁ、草間さんは」

 俯いた有村の顔は長い前髪が邪魔をして、草間から伺い見ることは叶わない。すっかり落ちてしまった有村の視線が今どんな色で何を見つめているのか、それを正確に知る術は草間にはなかった。

 けれどそれの向かう先、そこにある自身が掴んだままの草間の手には確かに、視線を注がれている気配がした。瞬きもそこそこに、じっと一点を見つめたまま微動だにしない焦点。もしも草間に有村の肩を掴んで上を向かせるだけの度量があれば、その物悲しい色が見えたはずだ。

「――この指先も、雰囲気も、いつもと違う草間さんが見られて、嬉しかったのになぁ」

 元から触れていた右手はネイルが光る草間の指先を遊ばせ、ぶらりと垂らしていた左手は手の甲から手首にかけてのラインへと添えられる。それぞれが別の意思を持っているように動いてはツゥっと滑り、くすぐったいくらいの力で撫で上げられる感触に草間の背筋が震えた。

 繋がれるわけじゃない。掴まれるのでも、握られているのとも違う。有村の指先はただ関節のひとつひとつの形まで確かめるように、爪の縁の甘皮の辺りや指の間まで丁寧になぞっていく。

 高々、手だ。握手をしたり、それ以外でも恐らくと言わず身体の中で一番他人と触れ合う機会が多いはずの場所に触れられているだけなのに、そうとは思えない羞恥心で頭の芯が惚けてくる。

「あ……っ、あの……ッ」

 背中や腕や膝の辺りがゾクゾクと疼くのが止められず、湧き上がる感情は不安に近い。

 これはなんだ。戸惑いが胸騒ぎに変わって来た頃、今度は手ではなく顔に有村の視線を感じた。

「随分、趣味の悪いやつに思われたもんだ」

 カリッ。それまでの繊細なガラス細工でも扱うような触れ方から一転して、突然押し付けられた強い刺激に膝が笑う。

 そこからじんわりと広がるのは、熱か、痺れか。上向きにされた掌を有村の親指に引っ掻かれて、草間の肩が大きく跳ねた。

「……ちがッ! 違うの。あの、そんな、有村くんに揶揄われたとか思ったわけじゃなくて! ただ、私、そういうの疎くて……って、言うか、こういうのはじめてでっ! よくわからなくて、それで……っ」

 栗色の髪の合間から、いまにも零れそうな濡れた瞳がこちらを見ている。

 影になっているからだろうか。奥で光る有村の目は夜の海辺の色に似ていた。

「はじめて?」

「う、うん! こんな、男の子と出掛けるとか、考えたこともなくてっ!」

「そっか……そうか。だから……」

「…………?」

 パチ、パチ。

 二回上下した有村の睫毛が揺れる。

 ――え?

 一回目のあとか二回目でだったのかは一瞬過ぎてわからなかったけれど、その瞬きは手品師がする消失マジックのスナップのように有村の瞳と纏う気配の両方から一切の重苦しさを取り去った。

 火が消えて、燃え跡ごと消え失せてしまったと言えば感覚として近かったかもしれない。たった二度の瞬きで、よく似た別人になったと言ってもいいくらいの見事な変貌。纏うものから触れたままの指先の感触まで何もかもがガラリと変わってしまった有村を前に、そんな急激な変化について行けるはずもない草間はただただ目を丸めるばかり。

 ――なに、いまの……。

 困惑しきりで見上げれば、そこにはいつも通りの穏やかで爽やかな笑顔がある。だから余計に状況が飲み込めないと、草間の視線は忙しく逃げ回った。

 わけがわからない。掌にはまだあのむず痒いような感覚が残ってはいるが、今はこれまで何度か繋いだ時の温かさで包み込んでくれている有村の手には不安も胸騒ぎも覚えない。

 単に満足に頭が働かなくなっているからそう感じるのか、それすら理解出来ないほど草間の緊張は既に限界を越えていた。

 立ったまま気絶したようなものだ。なにが正しくて、なにがそうでないのか見当もつかない。全部幻だったのではとすら草間は思い始めていた。そしてそれを後押ししたのは悲し気に俯いたことも、その手を執拗に撫でたこともなかったような顔で微笑みかける有村だ。

 これが本当でいいのかな。よくわからないけれど、良かったのかな。

 試しに口の端を上げてみれば、それに応えるようにはにかんで見せる有村に絆され、張り詰めることに慣れていない草間の緊張の糸が頂点を越えた所でぷつりと切れた。

 その瞬間、ほんの少しだけ草間の頬が緩んだ。有村が口を開いたのは、そんなタイミングだった。

「ま、しょうがないか。はっきり言わなかった俺も悪いしね。これからはちゃんと、草間さんに伝えたいことはストレートに言うことにするね。ああ、出来れば草間さんもそうして? そういうの、お互い様じゃないと気持ち悪いから」

「う、うん?」

「じゃぁ、ここからが本番てことで」

「……ほん、ばん?」

 踵を返す有村に手を繋がれたまま、草間の足もつられて動き出す。冷気を含む風を切る草間の背後では、ついさっき見て来たあの映画の次回の上映が間近だとアナウンスが流れていた。

 揺れるスカートの裾。なびく草間の長い髪。まるで窮屈な場所から連れ出されるヒロインのよう、草間の踵が高い音を鳴らす。

「ねぇ、ここって中はモールみたいになってるんでしょ? 色んなお店が入ってるって言ってたよね」

 お伽噺で舞踏会を抜け出す王子様よろしく手を引く有村が向ける背中に、草間は密かに安堵した。

 広いくせに撫で肩気味の緩やかな曲線や、シャツの上からでもわかる引き締まった身体を表すような細い腰。向かい合うより未だ少年のにおいが残るその後ろ姿を見ていれば、少なくともこれ以上の照れ臭さを感じることはない。

 もうしばらく。この胸騒ぎが治まるまでは、そのままで。

 願う草間を知ってか知らずか、有村は前を向いたままで話し続ける。

「外まだ暑そうだし、とりあえずそっち出てみようか。草間さんのオススメとかないの?」

「オススメ?」

「そう。よく行くお店とか、気になってる所とか」

「そうしたら、三階にある雑貨屋さんはよく行くよ。地下のフードコートのそばのアイス屋さんとか。あとは」

「あとは?」

「しょ、書店……?」

「出た、書店」

「だって! ここの本屋さん書籍に力入れてて、文芸コーナーも広いから探しやすくて!」

「あ。そうなの? じゃぁそこは最後に連れてってもらうとして、まずはその草間さんのオススメに案内してよ。あー、外はまた人が多いなぁ。手、繋いだままでいい?」

 大きく踏み出す有村に遅れまいと回転を速める草間のふたり分の足音は着実にフロアを横切り、隣接するテナントビルに繋がる長いスロープへと向かう。

 これからが、本番。有村に言われた言葉を胸の内で繰り返して、草間はそっと有村の手を握り返した。

 繋いだ手。近付く背中。どこか落ち着くような、有村の香りが鼻を掠める。

「……隣り、歩いてもいい?」

 差し掛かったスロープは吹き抜けになっていて、降り注ぐ太陽がまだギラギラと輝いていた。

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