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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第五章 萌芽少女
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動物国の王子様

 リューイ、アニ、ロッドの三匹の犬たちは有村の足元から離れず、駆け出した時にはまるで自慢の腕前を披露するかのように、羊の群れを移動させた。

 躾が行き届いているのは草間が見てもわかった。従順で、お利口。飼い主の佐々木は犬笛を吹いて指示を出していた。三匹は優秀な牧羊犬でもあったが、優秀が故にたったひとりの主人である佐々木以外、共に暮らす妻や娘の桜子の笛には数回に一度、逆らうのだという。

「リューイ。あそこにひとり、忘れているよ」

 ――ワン!

 有村には、その笛自体が必要なかった。口で、人間の言葉で話しかけるだけで、犬たちが従う。佐々木はそれを、有村が幼い頃から持つ特別な能力だと言って笑った。

「洸太は命令をしない。指示も出さない。ただ話しをしてる。動物ってのは利口で、人間なんかよりよっぽど見る目があるんだ。あいつらは洸太に応えたくて自分から動く。見て欲しくて、褒めて欲しくてやる。俺の妻は、洸太を動物たちの王様、と」

 奥さんの呼び方は正解だと草間は思った。寧ろ全員が首を縦に振っていて、落合などは「確かに」などと声に出た。

「ここにいる動物たちはのんびりしてるし、洸太が居れば騒ぐこともないから安心して、牧場体験を満喫して。あとで、また会おう」

 仕事がある佐々木に代わり案内役を買って出た桜子を先頭に放牧場を奥へ進めば、見事なほどに全ての動物が有村が通り過ぎる瞬間に顔を上げる。

「ははっ。僕の髪なんか食べたって美味しくないよ?」

 立ち止まればすぐに、何かしらが寄っても来る。

「……牛に毛を齧られる超絶美形……絵面ぁッ!」

「いや。有村は地元でもあんなもん。すげー来るもん。鳩とか猫とか」

「散歩中の犬も、飼い主振り払って寄って来やがる」

「へぇ」

 言われてみれば公園のベンチなどに腰かける有村の足元にはいつも、気が付くと鳩や雀が何羽もいる。草間などはさすがに慣れて、忘れていたが。

 桜子にはまず、有村に見せたいものがあるようだった。こっち、こっち、と手を引いて、振り向く笑顔がとにかく眩しい。

 姫様大人気、と落合が言った。懐かれるって感じね、と久保が言い、有村だもん、と山本が言う。桜子は、綺麗でカッコイイから馬が一番好きなのだそう。草間は何故か、何も言葉が出なかった。

 別に何を想ったわけでも、勿論、塞いでもいなかった。でも、先頭を行く桜子と有村に続く落合たち元気組の更に後ろで、手は、久保と繋いでいた。

「この子! お兄ちゃん、見て、なにかわかる?」

 自慢げな桜子が綱を引く馬を見上げる有村の横顔を、何故かじっと見ていられない。

「エルザに似てる気がするけど、目元が少し違うね」

 花が咲いたように笑い、お兄ちゃんはやっぱりスゴイ、そう言った桜子は、何故かもっと真っ直ぐ見れらなかった。さすがに、草間でも自覚する。やきもちを焼いていた。小さな女の子を相手に。途轍もなく、恥ずかしい。

「エルザの子供の子供だから、孫だよ! わたしが取り上げたの、はじめて! でね、名前を貰ったの。本当はエリザベスなんだけど、愛称で、リリーって。リリーみたいな、強くてカッコイイ女の子になって欲しくて」

 勝手にごめんね、と桜子が眉を下げ、有村はその頭を撫でた。

 まるでピンと来ない名前だが、一歩遅れて隣りにつけた藤堂の目付きが鋭くなったのを見て、草間はそれが有村に所縁のある名前なのだろうということだけ、わかった。でも、あまりいい雰囲気ではない。藤堂の目はまるで、桜子を睨みつけているみたいだ。

「はじめまして、エリザベス」

 翳す有村の手に、エリザベスが頬を摺り寄せる。

「彼女が願いを込めて君を呼ぶ愛称は僕にとっても祈りであり、とても大事な物だ。応えてくれ、エリザベス。健やかに育まれるよう、幸運を。リルリリー」

 有村は光沢のある頬を撫で、下げられた頭も撫でてやったあと、ふと振り向いて「乗馬する?」と尋ねて来た。

 唐突な提案だが、実に有村らしい。「出来るの?」と落合が答えるや否や、僅かに大きくなった瞳がキラキラと輝き出す。

「出来るよね、桜子ちゃん?」

「うん。ウチの子たちはみんな乗せるのが上手だし、大好きだよ」

 賛成したのは定番の元気組、三人だ。しかし何も言わないだけで、久保も興味があるらしい。

 正直を言えば、草間は不安の方が大きかった。動物に好かれたことなどないし、馬なんて触ったこともない。運動神経も絶望的だから、きっと、上手く出来ないし。

「俺はいい」

 草間が切り出すより先に、藤堂が首を横に振った。無関心な藤堂にしては珍しく、本当に嫌がっている顔だ。それを見て、有村はニヤリと笑う。

「怖いんだ?」

「興味がない」

「怖いんだよ。君は小鳥も怖がるし」

「怖くない」

「そんなに離れた場所で言われても」

「人がいる」

「なら擦り抜けて、君の定位置においでよ。肩が寂しい」

 口籠った挙げ句に舌打ちをした藤堂で満足したのか、有村は揶揄っただけで強制する気はないらしく、「やってみたい人だけ、数えるから手を上げて」と、真っ先に手を挙げる。

「お前、乗れんの?」

「昔、佐々木さんに習った。桜子ちゃんも直伝だから頼りになるし、教え方が上手い。みんなも、彼女から習えばすぐだ」

 僕は先生には向いてない。有村は折々で零す謙遜を口にした。有村が勉強を教えてくれた一学期の期末テストでは、草間を含めてほぼ全員が少なからず順位を上げたのに。謙遜というより有村らしい理屈に聞こえて、草間はつい頬が緩む。

 しかし、それで少し気が綻んだからといって、腕は持ち上がらなかった。落合が挙げ、鈴木と山本が挙げ、久保も「私もやってみようかしら」と顔を覗き込んで来るけれど、「仁恵はどうする?」、その質問にすら確かな言葉が口を吐かない。

 興味がないわけではない。寧ろ、興味だけはある。

 そうそうチャンスに恵まれることでもないし、どこかに習いに行くならともかく、ここでみんなと一緒に試すくらいなら、とは思うのだ。でも、どうしたって自分に出来る気がしなかった。

「柵から出てもちゃんと歩いたり、思い切り走ったり出来る子は四頭います。お散歩くらいなら、あと五頭。相性もあるので、厩舎に行って選んでもらうのが良いと思います。鞍も人数分は――」

 さすがは、佐々木の娘。この楽園の住人らしく、桜子は慣れた様子で落合たちに説明を始めた。経験がなくても馬に触れたことがある人、そう尋ねて誰も手を挙げなければ、「でも、大丈夫ですよ」と笑顔を見せてくれたりする。頼りになりそうだ、とも思うのだ。

 思うのに草間はまだ首から上以外を動かせないないまま、特に目線を忙しく彷徨わせていた。どうしよう。不意に、落合や久保の向こうにいた有村と目が合った。

「…………」

 ニコリと笑った気がした。口元だけで、小さく。

 一見、見間違いとも思えるほどだった。草間が目を凝らした時にはエリザベスを仰ぎ、その首に触れて――そのまま唐突に、有村の身体がふわりと浮いた。

「えっ!」

 本当に、『浮いた』という具合だったのだ。まるで体重などないかのよう特に勢いをつけることもなく、有村はすこぶる身軽な動作でエリザベスの背中に跨った。

 地面を蹴る音すら、草間には聞こえなった。みんなも同様だったらしく、草間の上げた声で頭が動く。でも、それではもう遅かった。有村は手にした手綱を軽く引き、その目線が既に随分と先の前方を見ている。

「いい子だ。遊ぼうか、エリザベス」

「……っ! お兄ちゃん!」

 全員が面食らっていたのは確かだが、桜子が一番慌てていた。焦っていたし、慌てふためいていた。つけないと危ないという鞍をエリザベスはつけておらず、それ以前にまだ人を乗せるのに慣れていない、と言うのだ。言いうというより、そう叫んでいた。

 しかし、走り出して間もなく風を切り出した有村には届かなかったのか、放牧場にはエリザベスが柵の内側を一周する間、桜子の懸命な声だけが響き渡る。

 止まって。戻って。スピードを落として。

 全身を使うようにして、桜子が引っ切り無しに叫ぶのに。

「……気持ち良さそう……」

 ポツリ。無意識の口から零して、草間は目を瞬かせていた。

 長い尾を風に流し、首を上下に振って力強く走るエリザベスが楽しそうに見える。その背で、同じ風を浴びる有村も。色素の薄い髪が陽射しを受けて、宝石みたいに輝いている。生き生きとしている――本当に、一緒に遊んでいるみたい。

 一周があと最後の直線を残すだけになった頃、佐々木の怒声も加わった。

「洸太! お前また裸馬に!」

 鞍をつけろ。アレは嫌い。そんなやり取りが届く草間の視界では桜子がすっかりと息を上げており、肩が大きく揺れていた。

「……お兄ちゃん!」

 手前から徐々に減速し、丁度走り出した辺りで止めたエリザベスの上で「気持ち良かったぁ」などと暢気に零す有村を見上げ、桜子は本気で腹を立てているようだ。

「リリーはまだ調教が終わってないの!」

「そうなんだ。なのに乗せてくれたんだね。ありがとう、リジー」

「そうじゃなくて! 乗るならもっと得意な子を連れて来るから!」

「この子が良かった」

「……っ、なら! せめて鞍を――」

「ああ。あれ、好きじゃないんだよね。なんか、馬を乗り物にするみたいで」

「乗り物でしょう? 乗ってるんだから!」

「確かにね。でも、僕はこの子と遊びたかったから。楽しかったよ、リジー。君はどう? そう。それはよかった」

「…………っ」

 なんというか、どこにいても有村は有村だ、というか。

 通り過ぎた佐々木の怒声も桜子の剣幕も気にしていない様子で、有村はにこやかにエリザベスの肌を撫でる。微笑みの王子様の異名を持つ有村ならそれもまた彼らしいが、草間には特別優しい微笑みに見えた。

 本当に、動物が好きなんだな、と。愛情に溢れた眼差し、という風に。その目が突然、草間に向いた。

 パカ、や、ポコ、というような音でエリザベスが数歩進み、草間のすぐ近くで止まる。手を伸ばせば撫でられる距離で見ると、馬は思っていた以上に大きかった。迫力もあるし、触ってみたい気持ちも有村を見上げたい想いもあれど、草間の目線は水平よりやや下で彷徨う。

「この子の走りはどうだった? 草間さん、見てくれた?」

「う、うん。速かった、ね……?」

「他には? 気持ち良さそうだとは思わなかった?」

「思った、けど……」

「でしょう。最高の気分だ。だから、ねぇ僕を見て。顔を上げて?」

「う、うん……」

 顔を上げると、先に馬の体が目に入る。大きいし、思ったより筋肉質だ。勇気を出して更に視線を上向けると、そこにいた有村はエリザベスを褒めた特別優しい微笑みをもう一段階、柔らかくした。

「君も試してみない?」

「えっ。いや、でも……」

「藤堂みたいに興味がない?」

「そ、じゃ……ない、けど……」

 興味はあるし、試してみたい。気持ち良さそうに走るのを見てしまえば、尚一層にそう思う。

 でも、怖い。自信がない。出来る気がしない――また失敗する気がして、草間は俯く。

 有村が、それを許しくれなかった。視線が下がりかけると、「僕を見て」、さっきと同じ台詞が落ちて来る。

「わかった。言い方を変えよう。草間さん、僕が今ここから見ている景色を、一緒に見てくれない? 是非、一緒に見たい。見て欲しい。君と、分かち合いたい。君が許してくれるなら」

 最高の景色だ、と清々しい声が言う。そこは、馬の背は特別な場所だ、と。

「僕は、君が掠り傷ひとつ負うのが嫌だ。悲鳴なんて聞きたくない。負わせないし、出させない。もし、少しでも興味があるのなら、僕を信じても構わないと思ってくれるなら――」

 まただ。草間は未だに不思議でならない。どうして彼の声はこんなに、心の中へ入って来るのだろう。

 優しく響いて、静かに降って、温かくて。

 でも力強く入って来て、どうしてたったひと言で、『怖い』を遠くへやってしまうのだろう。

「――お手をどうぞ、お姫様?」

 そっと差し出される手を草間はもう、無視なんて出来なかった。

「……その言い方はズルいよ、有村くん」

「わかってやってる。君を連れ出したい」

 桜子が「ダメ」だと言ったし、他にも引き留める言葉が聞こえてはいた。

 けれど草間には有村しか見えなかったし、彼の声しか聞こえなかった。

「怖く、ない?」

「しない。君との約束は破らない」

 今日何度目かに桜子が叫んだ、お兄ちゃん。

 それが草間の背中を押して、伸ばした指先が有村の手に触れた。

「さぁ、行こう!」

「…………ッ!」

 触れたと同時に掴まれた。そして軽々と引き上げられた草間は気が付くと有村の腕の中、横向きの座り方で馬の背へ。

「ダメ! 二人乗りは、絶対にダメ!」

「大丈夫。許可は取った」

「お父さんに? 怒ってこっちに向かって来てるけど!」

「どうして佐々木さんの許可がいる? いいって言った。この子がね!」

「ちょっと!」

 予想よりもずっと目線が高かったから。上手く乗れても不安定だったから。

「僕の首に腕を回して、しっかり掴まっていて」

 草間は下で憤る桜子を見る余裕すらなく、恥ずかしいも通り抜けて言われるまま有村にしがみ付いた。

「すぐに戻るさ。戻ったら、みんなで散歩に出ようね! 練習、頑張って。桜子ちゃんはレクチャーをよろしく! じゃ!」

「お兄ちゃん!」

 動き出したら、やっぱりすごく怖かった。

 でも恥ずかしいのを我慢してギュッと抱き着いたら、貼り付く体温で不思議なくらいに勇気が出た。

「君に見せたい場所がある。佐々木さんが来たら嫌だから、柵を出るまで走るよ。出たら速度を落とす。しばらく揺れるけど、絶対に落とさない。頑張れるかい?」

「うん!」

「いい返事だ!」

 揺れるし、速いし、怖いけど、この腕だけ離さないでいれば大丈夫。

 草間はきつく目を瞑り、抱き着く腕の力を強くした。

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