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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第一章 初恋少女
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得意気と焦燥

「ありがとうございました。お忘れ物のないようお手回りのご確認と、足元にお気を付けて――」

 先の小さなほうきを片手に通路の突き当りから声掛けをするスーツ姿のスタッフに見送られ、扉を出た先にあったゴミ箱に空になったドリンクカップを捨てた草間は、同じくポップコーンの容器などを捨て身軽になった有村を満面の笑みで振り返った。

「面白かったね!」

 エンドロールが過ぎ照明が灯ってからずっと、早くそう告げたくてウズウズしていた草間に有村はうんと頷き、草間さんのおかげだねと頬を緩める。

 柔らかい椅子に沈み込み、じっとスクリーンに見入って一時間半ほど。フロアへ向かう人の流れに乗って歩きながら、草間は上機嫌になって興奮気味に染めていた頬をもっと赤く色付かせると、はにかむように目を細めた。



 当初、迷った挙句に候補の中ならいい方かという程度で選んだにしては、期待以上、想像以上に見応えのある映画だった。

 疾走感のあるカメラワークにしろ、アクションに埋もれないストーリー性にしろ見事なもので、どうしてこんなにも面白い映画がCMや雑誌で取り上げられていないのか不思議なくらいだ。近くに座っていた男性はきっとこれから話題になると言っていて、草間もその意見に心の中で激しく同意した。

 確かに顔を見てわかる有名な俳優は出ていなかった気がするけれど、だからこそ余計に大穴を引き当てた感じが草間の口許を絶えずニヤニヤさせてしまう。普段は小説同様にラブストーリーを好んで観ているから殊更刺激的な映像の連続に思えたのもあるだろうが、そんな要因を抜きにしても中々の当たりを引いたのは間違いない。

 同じ劇場から出て来た客の殆どが面白かったと零しているのだもの。草間はいまクライマックスにかけて汗を握った掌に強めのピンク色を残しながら、誇らしげにツンと胸を張っていた。

 なにせ満足気に帰路へ着く客の中には、見知らぬ人なんかよりずっと重要な有村も含まれていたのだから。

「アクション映画は久々に観たけど、やっぱりスクリーンで観るといいね。ちょっと肩凝る感じとか、単純だけど映画観たって感じがして。スカッとして、ホント面白かったね」

「うん!」

 入る時は一瞬で通り過ぎてしまった通路をゆったりと進みながら、草間は有村よりニコニコ笑っていた。

 つまらなくてもそれはそれと言ってくれはしても、やっぱり面白い方が良いに決まっているから、始まるまで草間は緊張していたのかもしれない。それが解けて、しかもマシより上でホッとしたのも大きくて、いつの間にかすっかり肩の力も抜けている。

 並び合うふたりの間にある距離はもう、草間の指二本分すらもない。

「それにしても、草間さんは力入ってたねー。大きな音が出る度に、ビクッて」

「えっ! そんな風になってた?」

「うん。ドリフト中はちょっと身体傾いてたし、格闘シーンは前のめりで」

「うそっ」

「カーチェイス中は椅子にめり込んでたし?」

「そっ、そんなことしてな……」

「打撃受けた時なんて顔逸らして歯食いしばってたでしょ?」

「な……ッ、ちがっ」

「銃撃では音の度に自分が撃たれてたし。それに」

「やだっ! もう言わないでっ!」

「ははっ」

 幾つかには心当たりのあった草間は、挙げながら鑑賞中の仕草を指折り数える有村をもう見ていられないと両手で顔を覆った。

 何度か肩が跳ねたのは覚えているけれど、まさか見られていたとは。あれだけ白熱した映画よりも気になるほどのリアクションだったのなら、深い穴に入って埋めて欲しいくらいだ。

 考えれば考えるほど居た堪れなくなった草間はとても隣りを歩いてはいられずに、有村よりも一歩先へ足を踏み出した。逃げ出したかったわけではなく、横にいるのが気まずくて。なのに草間の逃げ癖に慣れている有村はそれを遮り腕を引く。

「わかった。もう言わないから」

 そう言って掴んだ手首を引き寄せるものだから、草間は足を取られて結果ふらふらと離れた時よりも近い距離にまで戻されてしまう。肩と腕がくっ付くくらいの。そんな距離で有村は草間の顔を覗き込む。

「ごめんね?」

 ずるい。機嫌取りの上目遣いを至近距離で見せられて、頬を膨らませる羞恥心の居場所がわからなくなってしまった草間は悔し気に眉を寄せるだけ。

 こういう顔を即座に作って見せたりするから、クラスの一部からあざといと言われるんだ。手首をぐるりと一周する有村の手は少し動かせば容易く振り解けるほどの力しか込められていないのだが、それが出来るかどうかに力の強さはあまり関係ないように思う。

 ――有村くんの手を振り解ける人がいたら、会ってみたい。

 久保なら難なくやりそうだけれども。

 草間はせめてもの反抗に、大袈裟な溜め息を吐いてみせた。

「……もう、言わない?」

「言わない。可愛いと思ったんだけど、それも言わない」

「な……ッ」

 そして、見事な返り討ち。極めつけは柔らかく目を細める件のキラースマイルだ。有村は本当にずるい。ずる過ぎる。

 なのに絆されてしまう。だって今の草間は面白い映画を引き当てられて、すこぶる気分が良かったのだ。本当は照れ臭かっただけで腹を立てていたわけでもなく、恐らくは形ばかり「許してくれる?」とお伺いを立てる有村もそれをわかっているのだろうし、草間は不器用に素っ気ない風を装って「いいよ」と口を尖らせた。

 なんだか仲良しみたいだ、と思ったりしたのは、久保たちにも内緒だ。

 近々公開される映画のポスターやチラシを見ながら、次はこんなものいいな、などと話している内に、ふたりはフロアへと繋がる入場ゲートに辿り着いた。

 今度こそはホラー映画を。なんならアニメでもいいよ。

 手を離しても肩が触れるか触れないかの距離を保ち、歩く時間はとても楽しかったが、それもここを潜れば終わってしまう。寂しいな。笑い合いながら、草間の心には暗い影が過った。

 楽しい時間というのは、どうしてこうも早く過ぎてしまうのだろう。擦れ違う入場客が羨ましくも見えてきて、知らず知らずのうちに歩調の遅れた草間と有村の距離が開いていく。

 ゲートを潜り、外のフロアへ。その一歩を仕方なしに踏み出した草間の耳に、他の「ありがとうございました」という見送りに紛れて、「よい一日を!」という女性の声が届いた。

 よく通る割に耳馴染みのいいその声の出所を探して振り返った草間が視線を彷徨わせると、ゲートの脇に立つひとりの女性スタッフと目が合った。彼女は確か入る時にチケットの確認をしてくれた人だ。有村に気を取られていて多少朧げな記憶をなんとか辿ったところで、見られていると気付いたその女性スタッフは草間へ向け、改めて上品な微笑みを向けてくれた。

 ここの制服なのであろうスーツを着用しているのを考慮すれば、その若いスタッフの年の頃は草間とさして変わらないくらいに見える。高校生か、大学生か。社会人であってもまだそれほど年数が経っているとは思えないそのスタッフのキビキビとした立ち居振る舞いを見ていたら、草間の塞いでいた気分も少しばかり軽くなっていくようだった。

「いい言葉だね」

 急に足を止めた草間の半歩先で、有村がぽつりと零す。その声が思いの外近かったので、草間は慌ててそちらを見上げた。

「えっ、あ、ごめんなさい、立ち止まったりして」

「いいや? 聞いちゃうよね。ああいうのって」

 有村も草間と同じくゲート脇の女性スタッフを見ていたようで、「若そうだけど名札違うから、チーフとかなのかもね」と自身の胸の辺りを指で突いた。

 なるほど。もう一度振り返り目を凝らしても有村の言う名札は確認出来なかったが、確かに他のスタッフとは身のこなしが違うようには見える。やはり目を引く人はそれなりということなのだろうなと、草間は妙に納得して首を上下に動かした。

「いいことがありますようにって、おまじないかけてもらった気分?」

「おなじない?」

「そう聞こえなかった? まだ一日終わってませんよーって。まだ、きっといいことありますよーって」

「ふふっ。おまじないだなんて、可愛い」

「あ、いま言葉選んだでしょ。いーよー? 子供っぽいとか思ったんなら、そう言って」

「そんなことないよ」

「どーだか」

 不貞腐れたみたいに顎を引く有村が更に可愛らしく見えて、草間は顔を背けたままクスクスと肩を揺らした。

 しかし、もしあれが本当におまじないなら、これより嬉しいことはないだろう。

 スクリーンの中の非現実が、もう少しの間続いていくような温かい気持ちにしてくれた彼女のひと言。それに例えば日が沈むまでくらいの効力があればいいのに。

 草間は笑っているふりで口元を隠したまま、そんな風に思いを馳せた。

 ――そうしたら、私の一日ももう少しくらい長くなるかもしれないのに……。

 もう少し一緒にいたい。もう少し話していたい。もう少し隣りにいたい。想いは募るばかりだ。

 素直に伝えれば有村はいいよと応えてくれるだろうか。もう少しどこかで休憩をするくらいなら、近くを見て歩くくらいなら、構わないと言ってくれはしないだろうか。

 下を向いたまま言ってみようかと口を開きかけて、草間はまたそれを噤む。

 だけどもし、この後に予定があったらどうしよう。自分から言い出したら、有村は断るのにも困るのではないか。我儘を言って、迷惑と思われたくない。本当にもし次があるなら、我慢をする方がいいに決まっている。

 結局は最後にいつもの引け目が邪魔をして、草間はどちらの思いも無理矢理に胸の奥底にしまい込むことにした。

 飲み込むのは得意なはずだ。我慢しよう。大丈夫。今日はもう充分過ぎるほどに楽しかったじゃないか。

 無意識に奥歯を噛み締める草間の脳内では何に対する言い訳なのか、でもやだってが飛び交っていた。

 傍らには自身の腕時計を見やる有村の姿がある。

「……三時か」

 誰に言うでもないような小さな声がして、草間は思わず鞄を持っていない方の手でスカートの裾を握った。

 なにを言うのだろう。せめて駅まで一緒にとか、今日はありがとうとか、次に聞こえるならそんな台詞だろうか。あまり、聞きたくはないな。そんな思いを込めて見つめ続ける草間のそれと、時計から離れて再び持ち上がる有村の目線がピタリと重なった。

 次の瞬間、彼の口が開くのがわかった。寂しいな。つられるようにスカートを掴む草間の手が強くなる。やっぱり言うだけ言ってみれば良かった。後悔はいつだって、取り返しがつかなくなってからやって来るものだ。

 もう見ていられない。気付けば草間は有村から目を逸らし、首が痛むくらいに俯いていた。じっと睨む床の模様。それさえ見ているのが辛くなって目を伏せた。

「さて、と」

 まだ、さようならはしたくないよ。

 おまじないでもなんでもいい。日頃ついてない分の運をここで使い果たしたっていい。だからどうか、もう少しだけ時間がほしい。

 と、一世一代の祈りを込めた刹那。

「次、どこ行こっか」

「…………え?」

 聞こえた言葉が上手く飲み込めなくて、折り曲げたまま出した声が喉の奥で掠れた。

 ――時間、貰えた?

 ゆっくりと瞼を開けると、強く瞑り過ぎたのか目の前がぼやける。

「あー、もしかして草間さん、この後なにか予定あったりする?」

「ない、けど……」

「よかったぁ。じゃぁさ、もうちょっと付き合ってよ。折角だからさ。あともう少し楽しも?」

 視界の隅に、有村が膝を曲げているのが見えた。

 少し顔を上げれば傾けている身体が、その上では草間の様子を窺い見ようと向けられた有村の、あの色の薄い瞳が揺れている。

「でも……もう、映画は」

 観終えてしまったよ。

 思わず零れた台詞に有村は一瞬だけ怪訝に眉を寄せたものの、すぐにあとに続く飲み込んだ言葉を察したのだろう、ふっと吹き出して「そりゃそうだけどさ」と草間の手を取った。

「ごめん。そっかー、だからそんな暗い顔してたのか。確かに映画を観に行こうって誘ったけど、本当にそのまんま受け取ってくれたわけね?」

 発する声こそ含みを持って呆れているような響きをしていたが、触れた草間の指先を包み込む有村の手つきはどこか甘く、降り注ぐ眼差しは驚くほど穏やかだ。

 彼が口の端に浮かべる笑みはチケットカウンター側のポスターの前でした、どちらが誘った誘わないの問答の時に湛えていたものとよく似ていて、興味深げに探っているようでいて、少しばかり満足気なものだ。

 こういう笑い方も好きだな。困惑を極める頭の片隅に残った冷静な草間がまたひとつ、好きな有村の表情を心の手帳に書き足したりする。相変わらずどんな風に佇んでいようと様になる人だ。噛み合わないふたりの言い分やそのやり取りすら楽しんでいるのか、透き通る湖色の瞳は目当ての品をようやく見つけた子供みたいに揺れていた。

「わかった、なら言い直しさせて。俺は草間さんとふたりで一日遊びたかったの。だからまだ全然帰る気ないんだけど、草間さんはもうお疲れ?」

 至極優しく掬い上げるようにして有村の手の中に収まる自分の指先を見つめ、草間の脳裏に浮かぶのは久保や落合の声だった。

 有村は単に映画が観たいわけじゃない。ふたりは口を揃えてそう言っていたのに、わかったよと言いながら今の今までそれだけだと疑いもしなかった。たまたま偶然そんな話になったから誘われただけ。どれだけ浮かれて舞い上がっても、根っこのところで草間はずっとそう思っていたようだ。

 ――だって、そんな。一日遊びたいなんて、それじゃぁ、まるで……。

 本当にデートみたいじゃないか。

 自分でも何度かは言ったし思いもしたその言葉が現実味を増しただけで、胸を突き破らんばかりに高まる動悸で目が霞んだ。うそだ、嘘だ。一片の冷静の象徴だった草間は、手帳を持って逃げ出してしまった。残された草間は狼狽えるばかりで、脈拍が急激に跳ね上がれば汗が出て、本当に飛び出してしまわぬように痛みすら感じる胸の辺りをぎゅっと掴むのが精一杯。

「草間さん? どうしたの」

「いやっ、あの、私なんだか勘違いしてたみたい? 今日は本当に、映画を観る日なんだと思って……」

「うん。それは、まぁ」

「観たらもう……解散、なんだと思ってて」

「解散て……ミッションみたいだね。草間さんのデートって」

 デート。デェト。でぇと。

 不意に有村の口から飛び出したその単語の破壊力は絶大だった。

 とどめ、介錯、言い方はいっそどうでもいい。とにかく草間の小さなところを巡るたらればなどは一瞬で吹き飛ばされてしまい、落合がきっとそうだよと言うのとはわけも重さもが違うものが正面から襲い掛かって来たような衝撃が体中を突き抜けた。

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