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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第四章 黎明少年
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いかせない

 あまりにも切羽詰まった様子で、思い詰めた顔と声で草間が切り出したから、既に目と鼻の先だった別荘まで、藤堂は鍵を受け取りひとりで戻った。

 正直を言えば藤堂にも、どうにも無視し難い胸騒ぎがあった。

 たとえ有村がこの場所を楽園と呼び、共に残して来たメイドと気楽そうに話していたとして、ここは有村の言う『本家』の持ち物であり、あの女たちは使用人。いつものように爽やかな王子様よろしく笑っていても、坊ちゃんと呼ばれる有村が微塵も気を張らないはずはない。いや、そもそも有村は他人に対し、完全に気を抜くことがない。

 ただ、そういう場所と承知の上で来たはずだ。有村にしても、自分にしても、と藤堂は思うから、靴を脱ぎ、もうひとつのドアを開けて進む足取りは、特に急いでいなかった。草間が行った。それもある。誰にどう指摘されたとして、やはりお節介は柄でない。

 有村にだけだ。藤堂は自分でも不思議なほど、有村にだけ構ってしまう。

 危なっかしいから。物知りな上に頭の出来も桁違いのくせをして、妙なところで世間知らずだからだ。理由を並べてみたけれど、どれも言い訳にしか聞こえない。添い寝を止めてから藤堂なりに距離を取り、不覚にも思い知ってしまった。

 あとですぐさま悔もうと、我ながらに呆れようと、ひどく不可解であろうとも、有村だけが捨て置けない。放置出来ない。構ってしまう。関わってしまう――有村が笑うと、やけに心穏やかになる自分がいる。

「……勘弁しろよ」

 草間に言わせれば、藤堂は有村が大好きらしい。然してお喋りでもないからこそ、草間はたまに心底驚く台詞を吐く。

 昨日もそうだし、実は、ほんの数分前にも。

「……悪い人だけが、傷付けるわけじゃない」

 心配で戻ると言うから、藤堂は自分たちを追い払いたかったのかもしれない有村に加勢するつもりで、言葉半分、あのメイドたちを悪いヤツらには見えなかったと言った。その、返しだ。

「……優しくされて傷付く方が痛いってアイツ、あんなこと言うヤツだったか?」

 まるで、有村みたいなことを言うと思った。

 リビングのテーブルにふたつの大袋を下ろし、藤堂は溜め息を吐く。草間は口だけでなく、だいぶ自発的に動くようになった。意見を言うようになったし、試してみるようになった。多分と言わず、有村の影響で。有村も草間から何か貰っているらしい。与え合えるなら理想的じゃないか、とも思うのだけれど、藤堂の脳裏にふと過ってしまう。草間は、キラキラした有村しか知らない。

 草間の家の庭先で有村が飲んだのは、抗不安薬と呼ばれる物だ。即効性で効き目が強い分、副作用で思考が鈍る代物らしい。

 耳鳴りも頭痛も、不眠と同じく心因性。恐らく有村は掘り下げただけ、出て来るのは仄暗いものばっかりだ。どんどん完全無欠の王子様から遠くなる。草間はそんなものを有村に求めていないと言うけれど、少なくとも有村は草間の王子様で居たがっている。山本ではないが、藤堂から見ても確かに草間といる有村は兎角楽しそうにしていると思うから、友人としてフォローもサポートもしてやるのは吝かでない、だけ。

「……はぁ。なんなんだよ、俺」

 藤堂はもう一度溜め息を吐き、テーブルに転がしていた鍵を再び手に取った。

 何もかもがリゾートホテルも宛らのこの場所は、広大な土地に必要最低限の道が整備されている。有村と分かれた場所から別荘までも、多少カーブした一本道だ。居た堪れなくも辟易する逡巡を随分と長い時間繰り返したつもりでいたが、視力自慢の藤堂の目はすぐに草間の姿を捉えた。

 確か駆け足で離れて行ったと思ったが、草間が足が遅いから。考えた次の瞬間に、だとしても遅過ぎると改めた。そうか。草間の位置からは有村が見えていて、急ぐのを止めたのか。藤堂にはまだ、有村の姿は見えなかった。

 荷物を提げて通る時にも思ったのだが、この大木を切り倒せば道を直線に出来ただろうに。その大木が視界を遮って邪魔しているのだ。横を過ぎれば案の定、藤堂にも遠く三つの人影が見えた。

「――――ッ!」

 なんで切らないんだ、と、茂る葉など見上げた。その折に、女の大声がした。

 やめなさい、とか、そんなことを言った気がした。まだだいぶ前方にいる草間の背中がビクリと跳ねて立ち止まり、その奥で近い方の女が有村に抱き着いた。

 なんだ、あれ。坊ちゃんに媚びでも売ろうって言うのか。

 気分が悪い。その程度だった藤堂は次の瞬間、強く地面を蹴っていた。

 駆け寄って、有村から女を引き剥がす方の女が叫んでいる。やめろ。はなせ。約束を忘れたのか。引き剥がされながら、女が言う。謝りたかっただの、自由に生きろだの――逃げろ、だの。ふざけるな。

 どこの誰が、どの口で言いやがる。

「有村くん!」

 喚く女は騒ぐ女に連れ去られ、間もなく有村が膝を着いた。

 首が横へ向いたままだった。マズい。それだけは、わかる。

「有村くん!」

 先に草間が、有村のそばへ駆け付けた。目の前で膝を着き大きな声で呼びかけるが、有村の頭が動かない。

 走りながら、藤堂は離れて行ったはずの女たちが立ち止まっているのを見つけ、そちらを向いて「消えろ!」と叫んだ。

 なんてことをしやがる。憎くて堪らなかった。あの女、有村を落としやがった。草間に見せやがった。悔しくて堪らなかった。

「有村!」

「有村くん!」

 草間が髪を振り乱し、掴んだ有村の肩を揺する。大きく、前後に。何度目かで有村が草間を見た。草間の方を向いた、とするのが正しいかもしれない。向き合っているのに、草間がまだ有村を呼ぶのだから。

 有村が腕を持ち上げ、草間の方へと伸ばした。首っ玉にしがみ付くみたいに抱き寄せ、その腕をみるみる強めているのが見て取れる。ダメだ。有村は落ちると力の加減が出来ない。草間の身体が反っている。草間はただ、有村の名前しか呼ばないが。

「有村!」

 まだ留まるメイドへ向け怒号を呼ばし、腕を使って身振りでも追い払いながら、藤堂は走った。

 走って、走って、あと少し。

 そこで、藤堂は見た。草間にしがみ付きながら、露出した細い首元で、裂けるような大口を開けた有村を。その、口に負けず見開かれた巨大な目を――化け物じみた、有村の顔を。

「――――っ!」

 血の気が引いた。アレは、本当に有村か。

 裂けた口から、牙のような歯が見えた。それが草間に噛みつくつもりだと気付かなければ、藤堂はきっと動けなかった。

「……()()!」

 腕を伸ばして飛び掛かり、間に合いはした。草間の首は噛まれずに、藤堂が引き剥がしたい有村を離したがらない草間は、自分がされかけていたことなどわかっていない。

「……やべぇ」

 咄嗟に、藤堂は有村の顔を掴んでいた。ただ草間から離そうとしたから額の辺りを鷲掴み、力づくで押し返したのだ。

 わかっているつもりでいた。知ってもいた。

 自分の指の隙間から見えた有村の目が、ただ怖がって怯えている。

「……カ……ッ」

 伸びきった有村の喉が、小さく啼いた――デカい発作が、来る。

「草間! お前、なにか袋になるモン持ってないか!」

「えっ」

「過呼吸だ。持ってるか!」

 息を詰まらせた有村の目が、藤堂の手の中で大きく見開く。同じくパカリと開いた口は間もなく、掠れるような音を立てて酸素を取り込み出した。

「持ってない!」

 指の隙間で、目が合っていた。

 真っ赤になった有村の目は、閉じ方を忘れたのだろう。藤堂の手を越えて目尻から涙が伝う。

「持ってないなら離れてろ! どうにかする! これを、お前は見るな!」

「…………っ!」

 焦っていた。酷く、動揺していた。

 早く処置をしなくれは。それ以上に、草間に今の有村を見せたくない。

「離れてくれ、頼むから! 有村が嫌がる!」

 一歩、二歩。草間は、その程度しか離れない。

「見せたくねぇんだ! こいつは、お前にこんな姿……! だから、もっと――」

 もっと離れてくれ。見ないでくれ。

 なにも願わない有村が願ってるんだ。王子様でいさせてやってくれ。

 懇願する藤堂の前で草間は意を決した顔をし、駆け寄って頭の方から有村を支えようとした。

「くさ――」

「有村くんだからって、特別扱いしない! 苦しんでる人を、見過ごすなんて出来ない!」

 意志の強そうな表情を浮かべるが、その険しい目には今にも零れそうな涙が溜まっている。

「でも、どうしたらいいかわからない! 知ってるなら教えて、藤堂くん! 私、なにをしたらいい? なにが、出来る?」

 耳を裂くほどの大声だった。草間から出ているのだと、一瞬、わからなかったくらいだ。

「誰か呼んでくればいい? ふくろ……なにか取りに走ればいい? ねぇ! 藤堂くん!」

 答えない藤堂から視線を落とし、草間は震える指で肩に触れたあと、有村を包み込むみたいに背中を丸める。小さな声が、有村を呼ぶ。泣き声のようだと思ったら、顔を上げた草間の目尻に大きな粒が見えていた。

「和斗さん、呼んで来る!」

 駆け寄ってから、ほんの数十秒。

 酸素不足に身体が強張り出した有村を見下ろし、藤堂は目が覚めたようだった。

「――いい。草間、そこにいろ」

 お節介など柄じゃない。他人がどうしようが、どうなろうが知ったことか。

 だが有村は、藤堂が永らく胸に抱えていた物に気付いた。わけもなく膨張するそれに名前を付けて、在り来たりなものにした。

 有村には、それが出来る。だから、近くに居れば草間も変わる。連れ出せる。けれど、連れ出せる有村を、誰か連れ出してやれる。

 自分より、ずっと大きな痛みを抱えている。苦しみを知っている。悲しんでいる。寂しがっている――なのに、こいつは笑う。そんな強さが憎い。そんなものを鎧にさせるのが、悔しい。

 過呼吸は発作の入り口だった。その先に、有村が恐れている向こう側への道がある。

「……いかせねぇぞ、洸太」

 なにが出来るわけじゃない。取り巻く大人たちを、あしらえもしない。

 だったら、せめて必死で引き留める。

 せめて、こいつの中の黒いものから、こいつを守る。

「…………」

 なんだってする。そう思った。

 窒息に喘ぐ有村の口を、藤堂は自分の口で塞いだ。

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