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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第四章 黎明少年
133/379

前夜

 人生初の荷造りは、有村にとって中々難易度の高いミッションだった。

「靴下」

「あ、そうだね」

「あと、一応眼鏡も持って行きなさい。眼鏡ケース、あるでしょ?」

「うん。机の引き出しに――」

 日々使う物を持って行けばいいのはわかっているのだが、それを何セット、どれが必要であるかの判断が上手く出来ないのだ。

 日常を思い返して目ぼしい物を並べてはみるが、改めて眺めると何ひとつ要らない気がして、出して、しまって、その繰り返し。最終的には、財布だけで構わないと思った。

 みんなは一体、何を持って行くのだろう。

 藤堂ですら大きな鞄をパンパンにしていたというのに。

「向こうで洗濯は出来るの? 乾燥機は?」

「あるし、使っていいって」

「なら……そうね。服は三セットもあればいいんじゃないかしら」

「そんなに要る?」

「念の為によ。何があるかわからないでしょう? パジャマにもなるから、Tシャツは多めに」

「多め……」

「予備で二枚。全部で五枚持って行きなさい。パジャマって言えば、下もよ? ジャージでいいから」

「ジャージ……スウェット?」

「どっちでもいいから、ラクなのになさい」

 一週間の外泊、その出発前夜。藤堂のよりは一回り小さいが持っている中で一番大きな鞄を出してはみたものの、あっという間に途方に暮れた有村を予想していたかのように夕方の珍しい時間に帰宅した佐和は、後ろからあれこれと指示を出していた。

 なければ、ある物で何とかする。その能力に長けているのは承知しているが、手荷物を減らしたがるのは無意識の癖だ。自分のことには無頓着。そんな有村を理解しているつもりでいた佐和でも、ここまで荷造りが出来ないとは思っていなかった。

「洸太、それって走る時に履いてるのでしょ? 結構履いてるし、もう少し履き古してないのにチェンジ」

「でもラクだよ?」

「チェンジ。 ……って、他のまだタグ付いたままじゃない……どうりでそればっかり履いてると……」

「縫製がいいのかな」

「そういう問題じゃない。これにしなさい。形は似てるし、いいわね?」

「はい」

 最初は口で言うだけだったのだ。でもすぐに手が出た。引き出しの手前から服を出す癖も相変わらずで、ベッドの上が真っ黒になったからだ。

 今まで相当な数を買い与えているにも関わらず、その殆どがタンスの肥やしになっている現状を前に、佐和は密かに有村が居ないこの一週間の内に服の整理をしてやると誓う。

 抱えるような指先で額に触れたら、本当に頭痛の気配がして来たほどに残念だ。寧ろ少し腹立たしい。佐和が仕事で関わるモデルたちを優に凌ぐこの顔と体型なら、どんな服も素敵に着こなせるだろうに。

 何の気なしに手にした一枚のTシャツを広げ、佐和はうんざり溜め息を吐く。

「あのね、これも気遣いなのよ。ホラ、このTシャツも襟が少しよれてるじゃない。こういうのは部屋着にして、そうじゃないので外へ出なさいって何度も言ってるでしょ?」

「…………」

「いいわよ。言って」

「着てればいいかなって」

「そうね。そうだったわね」

 ファッションや着飾ることに興味がないのも、ここまで来ると感心してしまう。

 仕方なく佐和は有村と位置を替わりクローゼットの前を陣取ると、これを好機とばかりに次々タグを切ってベッドへ投げた。畳んで詰めろとだけ出した指示に素直に従うだけ、良しとすべきなのかもしれない。

「まったく。わかってないみたいだけどね。洸太はちゃんと着飾れば、もっと素敵な男の子になれるのよ? 藤堂くんのことだと思えばわからない? 勿体ないでしょう。ほんの少しの努力なのに」

「藤堂なら、そうだね。でも、それって僕もした方がいいこと?」

「普段はしなくていい。でも、今回は友達と旅行でしょ? そういう時は、していい」

「うーん……」

 ベッドに腰かけ天井を見上げる横顔に吐いた佐和の溜め息は、今日何度目の溜め息であっただろう。個人的には元々見栄えの良い子を更に磨きたいと思うのだけれど、それがこの保護すべき少年だと思うとあまり過剰に色気づくのも心配で、そうした矛盾を佐和自身が感じているのだ。有村が悩むのは、仕方のないことだった。

「カッコつけたいとか思う時、ないの?」

「あ。それはある」

「でしょうね。洸太がそんなこ……え、あるの?」

 いつよ、と尋ねた佐和の声が跳ねる。自分から振っておきながら佐和は微塵も有村にそういう瞬間があるとは予想しておらず、気付いた途端に激しく動揺してもいた。

「でも服のことじゃないと思う。振る舞い? とか、そういうの」

「どういう時に?」

「草間さんと居る時かな」

「ちょっと待って」

 手を翳して制止したのは、またいつもの何も考えていないようなつぶらな目をパチパチと瞬かせた有村ではなく、固く目を閉じた佐和自身。

「誰、それ」

「草間さん」

「だから、誰」

「草間仁恵さん」

「名前じゃない」

 つい、ふざけてるの、と言いかけたが、有村にその気がないのは百も承知。だからこそ性質が悪い少年を見上げた佐和の目つきは睨みを利かせる角度で、「その子は、洸太のなに」と問うた声は明らかに苛立っていた。

 なのにそれを見下ろす有村はあっけらかんとした面持ちのままでいて、「特別な子?」などと首を傾げる。どうして疑問形だ等、言いたいことは山ほどあったが、佐和は恐る恐る確かめる。

「…………付き、合ってるの?」

「うん」

「洸太ぁー!」

 さすがに我慢出来るレベルではなかった。体温も跳ね上がり、感情のままにベッドへよじ登った佐和は有村の肩に掴みかかる。驚いてはいたが、それを上回るくらいに激昂していた。久々に、頭に血が上るというのを実感した具合だ。

 しかしそこで緊張感の欠片もなく、キョトンと目を丸くするのが、この少年。

 大きな目がパチパチと瞬く度、佐和の苛立ちはうなぎ上りだ。

「それ! なんで言わないの! いつから? いつからよ!」

「ちょっと、佐和さん、落ち着いて……」

「落ち着けるか! このおバカ!」

 頭では理解している。この少年は自分の身に起きたことを然程重要だと思っていないのだ。敢えて言わなくてもいいと思っている。

 そういう性格だとわかっていても、佐和も人の子。腹が立つのは仕方がない。

「いつから!」

「夏休みの、少し前?」

「その子は、この旅行にも?」

「うん」

「洸太ぁー!」

 苛立ちと遣り切れなさで、佐和は掴んだ肩で有村を前後に揺らした。

 膝を着いた体勢がスカートを持ち上げて、太腿が出ようと構うものか。たとえ有村が首を痛めようと知ったとことかというつもりで思い切り揺らし、張り上げる佐和の声はかなりヒステリックだ。この少年のトラウマに触れぬよう出さないようにしているそれさえ、今は気にしている場合ではない。

「なんで隠すのよ!」

「佐和さんが言ったんじゃない」

「なにを!」

「藤堂たちは仕方がないとして、学校の女の子とは深く関わるなって」

 平常時とまるで同じ冷静な声色に更なる苛立ちを煽られつつ、佐和はそれを一旦飲んで自身を鎮める。

 理解しているといえば、有村はこちらが冷静さを欠くほど口数が減ってしまう。ついには否定も訂正もしなくなり謝るだけになる癖を知っていれば、とりあえずの深呼吸で声のトーンはひとつ落とせた。

「約束を破ったから内緒にした?」

「最初はそれもあったかな」

「なんで破ったの」

「理由は幾つかあるけど、佐和さんに言わなかったのは、どうせすぐに終わると思って」

 見つめ返して来る真っ直ぐな瞳に、佐和の手がゆっくりと有村から離れて行く。

「彼女が見てた僕は僕じゃなかったし、僕も彼女が本物だと信じきれてなかったから、思い違いに気付くまでって思ってて」

「まだ、気付いてないだけ?」

「ううん」

 そうして距離を取り、馬乗りの位置から見下ろした有村の顔は、佐和が初めて見るものだった。

 穏やかで、優し気で、ほんの少し嬉しそうで。同時は稀でもひとつひとつは見慣れているとして、中心に一本通った、微動だにしない強さがある。

 望みは持たない。希望する方法も知らない。訴える以前に抱こうとしなかった有村が間違いなく、数か月前までは滲ませることのなかった気配だ。

「彼女は本物だ。至らない僕を知った上で、そばにいてくれる」

 随分と落ち着いた声だった。聞こえる音よりも重かった。

 正面からぶつかる視線にも、小さな揺れのひとつもない――自信あり気に見えるだけで、自尊心の芽が上手く育たなかった植物少年だったはずなのに。

「いま改めて考えれば、話した方がいいのかなって思った時にはもう、佐和さんにやめろって言われたくなかったのかな」

 いつの間に、そんな目をするようになっていたのだろう。

 家を空ける時間は長くても、よく見ているつもりでいた。後悔を傍らに佐和が見つめていたのは、少年の皮を脱ぎ捨てた、ひとりの男。そんな気がしたのだ。

 くちをだすな。じゃまをするな。言葉を介さず、あと少しで棘にも、やがては杭になりそうな何かがチクチクと、柔く佐和の肌を刺していた。

 まるで生まれ以って支配者であるような、その出生、本来の居場所に相応しい持ち物、そうした種や核を見た気がした。佐和は初めだった。初めて、この少年に自身の祖父であり、稀代の傑物、有村征嗣(せいじ)と同じ血を感じた。

 まだあまりに未熟だけれど、武器の形にすらなっていないけれど、確かにその片鱗が見える。

「もし言われたら、僕は佐和さんに何度も嘘を吐くことになる。別れたふりをして、彼女に会う。その嘘は藤堂たちも巻き込むだろうから、だったら、言わない方がいい」

 口に出された「ごめんなさい」は、これまでに聞いた中で最も軽く佐和の耳を擦り抜けた。

 内緒にしてごめんなさい。約束を破ってごめんなさい。

 伝えられた意味合いはそうであっても、後悔していないのが、わかる。

「ちゃんと付き合ってるなら、言わないわよ。別れろなんて」

 面倒で抱くなと言ったんだ。佐和はそう続け、ニコリと笑った有村に、思いの外、安堵した。

「よかった。荷造りがこんなに難しいと思わなくて、うっかり言っちゃったから、どうしようかと思ったよ。でも、ごめんね」

 シーツから背中を浮かせ、伸びて来た手が頬を掠めて、佐和の髪を耳にかける。

「これで、佐和さんの秘密にもなっちゃったね」

「…………」

 肌には触れず、すぐに離れる。そんな手付きをするとも知らなければ、佐和は噤んだ口の中で舌の上を不味くした。

 佐和の直感が言う。これはきっと無意識だ。

「そうね。私は、洸太を守る為にいるんだもの」

 不思議なことに、佐和の心は多少の動揺のあと、堪らなく喜んでいた。

 邪魔をされれば、隠すと言った。自分の為に、佐和に動けと言ったのだ。他人を巻き込む自我を持った。それは、佐和が待ち望んでいたものだった。芽生えてくれたらと願っていたものだったのだ。

「嬉しいわ。洸太に、好きな子が出来て」

「ありがとう」

 ひと息吐いて気を取り直し、佐和は有村から離れて「続き、しましょうか」と微笑むと、ベッドを降りてクローゼットの前へと戻る。

 ついでの、ついでだ。下着も靴下も新品と取り換えて、佐和は他にも何か持たせる物はないかと思い巡らす。どうせ和斗が何から何まで用意しているのだろうけれど、その気の利かなさを指摘出来れば鼻が高い。

「その、草間さん? その子って、前に好きになって良いか迷ってた子?」

「うん」

「するの? デートとか」

「うん」

「どんな?」

「紅茶が美味しいカフェでお茶したり、図書館で本を読んだり。草間さんも、本が好きだから」

 彼女は紅茶党なわけね。チラと視線を送る佐和は、それでひとつ納得した。佐和も有村も珈琲党なのに、近頃キッチンに茶葉の缶が置かれていること。仲良くなった三人の内の誰かだろうと思っていたが、なるほど恋人の趣味であるなら数が増えていくわけだ。

 存外、影響される方なのかしら。ふと考えながら他のデートを聞き出すと、横目で見ていた佐和は思わず顔を向けてしまった。

「映画館に行ったの? 気持ち悪くならなかった?」

「全然ならなかったんだよね。面白い子だと思ってたけど、窮屈を感じる暇もないくらい意識を浚われるなんて初めてだった」

「そう」

 訊けば、スクリーンの中へ入って一緒にアクションをしているような彼女のリアクションが気になって、映画は碌に観なかったという。きっかけや、理由がどうでも構わない。佐和の口元には、大きな笑みが浮かんだ。

「電車もバスも藤堂と乗るより、ちょっとだけ長く乗れる。僕が閉鎖空間を苦手にしているのは知ってて、そういう気楽さもあるんだろうけど。なんだろうね。飴の代わりの、すごくいいやつ、みたいな」

 会話より集団より、余程苦手だった密室。今も、部屋のドアは閉めると嫌がる。

 たったひとりの少女の出現でそう容易く改善されるものなのだろうかと疑問に感じもするが、一気にオールクリアとはいかない辺りが生々しくもあり、結局は頭ではなく感覚が物を言う有村らしい気がして、佐和の頬は緩みっぱなしだ。

 自分の不得手を明かせる相手。頑張って、無理をしなくていい相手。

 見せてしまっても嫌な顔もせずそばに居てくれると聞いてしまえば、佐和に沸くのはただただ安堵。それは軒並み、佐和が理想とする『いい恋』の条件だ。

 そして、その少女は最後のひとつも持っていた。

「あと、水族館へ行ったよ。イルカのショーを観て、大きな水槽も、ペンギンも見た。列になって歩いてて。ペタペタ、可愛くて。付いてったら、怒られた」

「怒られた? え。洸太を?」

「うん。急にいなくなったら心配するって。心配かけちゃダメだって。草間さんは、普通のことを普通に言う。ダメなものはダメだって、ちゃんと言ってくれる。楽しいとか嬉しいとかも、言葉より表現で見せてくれる。目とか、いろ。全部がすごく素直で、誰よりも綺麗。真っ白で、光みたい」

 引き出しを閉め、正座をする膝に手を下ろした佐和は「そこが好き?」と問いかけた。

 色々と考えたけれど、服と眼鏡、コンタクトレンズの替えくらいしか結局思いつかなかった。

「そこも好き。草間さんは僕を変わってるって言うけど、面白いって笑うだけで、区別しないから」

 有村はまだ服を畳んでいて、今夜は急げないようだった。

「ねぇ。一応、シェーバーも持って行く?」

「気にしてるのに」

「本当に生えないの?」

「ないよ」

「見せて。あら、本当につるつる。前に剃ったのは?」

「忘れた」

「拗ねないの。いいじゃない。どうせ洸太に髭は似合わないわよ」

「似合うかどうかを選びたいの」

「もー」

 ツルツルでスベスベな頬を撫で回しながら、佐和は零れる笑みが止まらなかった。

 まだ、どこか他人事のように紡ぐその素っ気ない目が気付いていないのなら、それでもいい。

 振り向いて見上げた、愛しい彼女を語る優しい横顔。見つけた恋は既に、幾つもの感情を教えてくれているのだろう。佐和にも奏多にも藤堂にも、与えられないような代物を。

「今度会わせてよ」

「機会があったらね。佐和さんは忙しいから」

 八時が門限の、教室では隣りの席に座る、クラス委員の草間さん。

 控えめで努力家だという彼女が、佐和の目には有村が例の試験をクリアする為の鍵になる、そんな重要なピースに見えていた。

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