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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第四章 黎明少年
132/379

特別の、上

 人には向き不向きがあり、適材適所は大前提である。

「いらっしゃいませー! お祭りの熱気で喉が渇いてる方、小腹が空いてる方にオススメ! 爽やかなソーダ味のゼリードリンクは、今日を逃すと一年先まで飲めませんよー! 夏祭り限定、当店自慢のドリンクは一杯四百円! よーく冷えてて美味しいですよー! いかがですかー?」

 で、あるとしても、人手不足の解消に友人を三名召喚した鈴木が次々と客をさばく有村に対して抱くのは、否定的な、せめてあまり好意的ではない感情だ。毎度のことだが、有村の適応能力が高過ぎる。

 人手は増えたはずなのに、夏祭り本番の夕暮れ近くに店頭で構えた特設テーブルの前には大行列が出来、例年以上の多忙に実家である店の中までがてんやわんや。

 満タンの瓶と空の瓶を提げて厨房と店頭とを行き来する山本は痩せ細りそうだし、既に何十杯とカップに注いだ藤堂からは職人感が色濃く漂い、レジ担当の鈴木はずっと釣銭の残量が不安で、閉店までの残り二時間、このままのペースでいけば初の完売御礼まっしぐら。それは確かに鈴木が掲げた今年の目標であり、達成も間近ともなれば万歳こそすれウンザリ目を細めるものではないはず、なのだけれど。

 鈴木が思うに、有村はもはや集客に特化した最終兵器だ。

「――はぁ?」

「だから、ああやって大声出して客を呼ぶってのが楽しくなったらしい。祭りって感じがするんだとよ」

 カップとストローを補充しながら売る側に有るまじき不満を垂れる鈴木に、もう目を離しても次々と同量を注げるようになった藤堂が涼し気な目線をひとつ。

「つか、アレに向かって客呼んで売り切れって言ったお前が悪い。あの顔で突っ立ってりゃそれだけで客は来たのに、笑顔振り撒いて集めてんだから、そりゃ引っ切り無しに客は来る。見ろ。見事に女ばっかりだ」

 そうだけど、という反論を、鈴木は口でなくその足元から藤堂を見上げた目で訴える。

「だったら三時間前のアレは何だったんだよ。大きな声を出すなんてボク恥ずかしい、とか言ってたくせに!」

「慣れたんだろ。いつものことだ」

「そうだけど! 慣れ通り越してんだろって!」

 二回目は口に出し苦い顔をした鈴木が案ずるのは、足が縺れ始めている山本や、両替に行く時間もない百円玉の他にもある。そろそろ、草間たちが来るはずなのだ。時間的には既に商店街のどこかに居るはずだった。

 言わば、カウントダウンが始まっているわけだ。売り子が板についたあと、まるでその道のプロのような振る舞いで持ち前のサービス精神を過剰に発揮している有村が草間の目に留まるという、それを落合と久保も目の当たりにするという地獄絵図が繰り広げられるまでの。

「お兄さん、名前教えて!」

「付けてください、可愛いのを。あなただけの名前で呼ばれたいなぁ」

 なんなんだよ、そのテンション。

 零さないように気を付けてとドリンクを手渡す笑顔の眩しさに、鈴木の眉尻がピクリ。

「連絡先教えて!」

「声や文字だけじゃ寂しくなっちゃうから嫌です。是非、またお越しください。お待ちしてます」

 お待ちすんな。お前、普段はただの客だろうが。よく来るし、従業員だとはひと言も言ってないけど。

 それなりに長くなって来た付き合いだから、有村にとってはただのリップサービスなのは鈴木も重々承知している。が、傍から見ればひとりずつ口説いているようなもので、量産するのは恋する乙女。

 何度も跳ねた眉や舌打ちでも足りず、いよいよこめかみに血管が浮いた鈴木は、辛抱の限界で有村の腕を強引に引く。先頭の客に断りを入れて近付けさせた耳に囁くは渾身の、怒りの雄叫びだ。

「お前! そろそろ委員長来るんだから、サービス精神もその辺にしとけっ。いーから。いらっしゃいませ、ありがとうございました、だけで!」

「そう? いやでもなんか話しかけてくれるから、無視するのも」

「いーから! 委員長が来るかもしれねー時間は、いーから!」

「そう……うん、わかった。そうする」

「おう!」

 頼むな、の声と共に背中を叩いて有村を売り子へ戻らせると、鈴木からは特大の溜め息が零れた。

 アレは接客の申し子、というか、きっとヴァンパイアやインキュバスの類。つまりは『魅了』が性分の悪魔。魔物級の人誑しに今日は特別胃が痛い鈴木は、片方の口尻を上げるニヒル顔で「おつかれ」と言って寄こす藤堂の脚に、苛立ちと八つ当たりのローキックをお見舞いした。

 どうして自分がヤキモキしなければならないのか。素直に言う事は聞くつもりでいても案の定、女性客を完全には無視出来ない有村に睨みを利かし、鈴木の疲労は明らかに増す。

 つくづく、だ。つくづく、鈴木は思う。察しが良いのか鈍いのかハッキリしろよ、と。

「あ! 姫だ! 姫が売り子してる!」

 そうした想いが手に籠り、随分な力強さで鈴木が百円玉の棒金を真っ二つに割ったタイミングで、賑やかな通りから聞き覚えのある声がした。

 なにせ地元商店街のイベントだ。知り合いが来ても不思議ではないが、今は正直、遠慮して欲しい。誰だよ、と、来るなよ、を含んだ目で鈴木が視線を投げると、先に気付いたらしい有村が大きく手を振っている。

「あー、長谷さんと野田さんだー、久しぶりー。お祭り満喫中?」

 だから、それをやめろって。

 声には出さず腰辺りを殴ったのに、身体を揺らすだけで振り向きもしない有村を見て、鈴木はようやく悟る。そうだ。これは毎朝の登校セレモニーのテンション。有村がそういうスイッチとやらを入れているのでは、言ったところで無駄なこと。

 知った顔がふたり近付いて来て有村とハイタッチなどしたものだから、鈴木はなんだか色々がどうでも良くなった。諦めの境地。なのに何故だか、少し泣きたい気分。

「あー、ここ鈴木んチかぁ。お手伝いしてんの? って、セコムもいる!」

「目指せ完売で頑張ってるよー。ふたりも飲まない? 美味しいよ?」

「姫が美味しくなーれの魔法かけてくれたら買おうかなぁ」

「かけちゃう。かけちゃう。美味しくなーれっ! ひらひらぁー」

「うっ! 安定の激カワ! 出たわ。いま、揺れる姫の手からなんか出た!」

「姫もうマジ魔法少女になれるよ!」

「一杯四百円です」

「ヤバいわ……語尾にハート見える……釣りは要らないよ」

「そうはいかないよ。はい、百円。毎度ありー」

「姫もひと口どう?」

「ヤダ! 僕の唾液を採取しようとしているの?」

「言い方! ドン引くなし!」

「あははっ! やっぱ姫いると元気出るわー! あたしもちょーだい!」

「はーい」

「カワイー!」

 家人なのに、目の前にいるのに、すっかりと無視されたことも切ない鈴木は、隣りで「バカが」と呟いた藤堂の作業に没頭する横顔に救われた気がした。少なくとも、味方がいる。

 有村はニコニコと笑っていたが、瞼をしっかり閉じていた。天使だったり、妖精だったりする時の顔だ。そうと気付けば、鈴木も藤堂の『バカ』が一番しっくりきた。さすがの有村洸太御大も、引っ切り無しに三時間超の接客で疲れているわけだ。そういうモードに自分を切り替えるくらいには。

「おー! 大盛況じゃん!」

 次の聞き慣れた声が届いたのは、二回目も持たせたカップへ向けて伸ばした両方の掌をヒラヒラと左右へ振り、有村が『美味しくなーれ』の魔法をかけていた真っ最中。

「つかこれ、普通に姫様効果じゃん?」

 宙に浮く手がそのまま通りへ向けての手振りになり、近付いて来たのは落合だった。

 片方の手には携帯電話。有村に振り返していたもう片方の手は、立ち止まるなり先客の顔を覗いてハイタッチに形を変える。

「おっ、マイマイとさおりん! 久しぶりー!」

「君佳ー! なに、なんかまた髪色明るくなってない?」

「夏休みだもん。するっきゃないでしょっ!」

「似合うー!」

 餅は餅屋。女の相手は女に任せた方がいいらしく、有村もまたそう思ったのか別の客の相手を始めた。いつの間にかドリンクをありったけ作り溜めていた藤堂も接客に回っており、二人体制になった店頭で鈴木も三人を気にしている暇がなくなる。

「君佳ひとり?」

「んーん。絵里奈と仁恵も一緒。ちょっとコンビニ寄るって言うから、先に来た」

 なので何の気なく耳に入ったその言葉だけが、鈴木に有村を小突かせた。

 顔だけを振り返らせて、小さく笑う。細めるに留める目にも、どうやらしっかりと聞こえていたらしい。

 それから五分もしない内に落合の手の中で携帯電話がメールを受け、間もなく喋り通しだった女三人が大きく手を振り出した。

「麻衣と沙織じゃない。やっぱり地元ね。さっき向こうで湯川さんにも会ったけど、灰谷さんとか会田たちも見たって」

 人混みを横切るのに、先頭を切る久保が近付きながら言う。その姿を捉えた鈴木が見るに、振り返さなかった方の手は後ろにくっついた草間の手を引いているようだ。

「お待たせ、君佳」

「コンビニ混んでた?」

「列が店内、半周しそうだったわよ」

「マジか!」

 草間は立ち止まっても俯いたままでいた。長谷と野田が声をかけても頷くだけで、何か言い返していたのなら周りの音でかき消されるくらいの小さな声だ。

「…………」

 テーブル越しに落合が向けて来る弱々しい目配せに、鈴木は『わかってる』の溜め息をひとつ。クラスの男子なら全員が知っている。草間は口の立つ長谷と野田が苦手なのだ。落合と久保以外に、得意な女子がいるとも思えなかったけれど。

 だから久保は手を繋いだままでいるのだろうし、落合は草間を隠すように長谷と野田のふたりと向き合っているのだと思った。実のところ、鈴木もこのふたりがあまり得意ではない。去年は藤堂に、今年は姫、姫、と有村に。そうやってその他を空気扱いするから、たぶんクラスの男子人気も低かった。言うほど、可愛くもないし。

 そんな中、衰えない客足に藤堂が有村の脇腹を突いた。何を言うでもなく、顎でテーブル脇の五人を指す。藤堂も恐らくあのふたりが好きではないのだ。何とも思っていない有村が一番酷いと思う鈴木が、丁度最後の瓶を運んで来た山本にレジを任せ、空いた場所に入って接客を続けた。

 ふたりの気遣いを有難く頂戴した有村はドリンクをふたつ持ち、テーブルから離れて五人の方へと歩み寄る。

「はい、一杯四百円です」

「買うって言ってない」

「買ってくれると信じてる」

「なによそれ」

 ひとつは久保に、もうひとつを渡そうとした草間の手が久々に、提げるビニール袋の持ち手を強く握り込んでいた。

 荷物がなければ、きっとスカートを掴んでいたであろう小さな拳。関節に滲む白が、有村の胸に煙の塊のようなわだかまりを生む。

 モクモクと。モヤモヤと。その感情の名前が見つからなかったのは、まだちゃんとスイッチを切れていなかったからなのか、それすら有村にはわからなかった。

「草間さん」

「……うん」

 わからないから、草間の顔が見たかった。

 草間の黒目がちの丸い目を見て、彼女に笑って欲しかった。

「喉、渇いてない?」

「……うん」

 渡したカップは受け取ってくれたものの草間は更に俯いてしまい、それが寂しかったのだけ有村は自覚した。

 草間がふたりを苦手にしているのは知っている。彼女の人見知りがすっかり改善されたわけではないことも。自分を含め、藤堂たち、この七人で過ごす時間だけも気兼ねなく過ごせるのなら最良だ、くらいに考えていた。内気な部分も、草間の持ち物に違いはなくて。

 でも、揶揄う素振りで「照れてんの?」などと横槍を入れる長谷に、有村はつい「シィー」っと口の前に人差し指を立てていた。しっかりと、長谷の目を見ながら。

「照れ屋さんなの。草間さんの可愛いタイムを邪魔しないでよ」

「出たよ。姫の彼女贔屓」

「するよ、そりゃぁ。だからこんなこともしちゃうもんね。さ、帰った帰った」

 シッ、シッ、と払うように手を揺らした有村を、長谷と野田が順に「酷い!」と突き飛ばす。素直に突き飛ばされてふらつくのがいいような気がしたのに、有村の足は地面を捉えたままだった。

「あのねぇ、野暮って言うんだよ? カップルは温かく見守りましょ?」

「だからって追い出すかね!」

「毎度あり!」

「姫ぇっ!」

 渋々去って行くふたりに手を振り、人混みに紛れたところで有村がひと息吐くと、落合がすなまさそうに礼を言う。

「さんきゅ」

「いえいえ」

 落合にも悪気はなかったのだ。それくらいはわかるから、文句を言いかける久保の前に割って入り、有村は二の腕を強く叩かれた。

 叩かれた意味もよくわかる。あんな風にふたりを追い返したら、草間が気に病まないはずがない。確かに少し考えれば別の策もすぐ思い付いたのだけど、有村は自分でも不思議なほど後悔していなかった。

 ホラと久保に促され、一歩前へ出た草間がやっと視線だけ上げる。

「……あ、あの、これ……よかったら、みんなで」

「ありがとう」

 差し出されたビニール袋には四本のペットボトルが入っていて、これを買うのに混み合うコンビニに行ってくれたのか訊くと、「そうよ」と答えた久保の返事は溜め息交じりだった。

「……ごめんなさい……」

 周囲の喧騒に紛れて、草間が呟く。

 この瞬間、言ってしまえば久保も落合も、有村にとっては野暮だった。人目があるところで触れ合うのを、草間は特に恥ずかしがるから。

「ねぇ、草間さん。僕、いま飲み物より欲しいものがあるんだけど」

「え……なに? 買って来る」

「顔、上げて?」

 触れなければいいのだろうか。抱きしめるのは以ての外でも、指先さえ触れなければ草間は許してくれるだろうか。

 おずおずと上がる草間の顔は予想通り、今にも泣きだしそうだった。髪くらいは妥協してもらえるよう願いながらその顔にかかる毛先を指で除け、有村の頬は自然に緩む。

「うん、元気出た。来てくれて、ありがと。これ、あとでみんなで頂くね」

 正確には、元気が出て、それだけ疲れていたのを知った。その場その場を乗り切ったつもりではいるが、自分がどんな接客をしていたのかあとで藤堂に訊こうとも。

 ただ本当に背中が軽くなったような気分にはなって、そうしてくれた草間をもっと見ていたかったのだけど、あまり長く見つめていると草間より先に久保が動き出しそうで有村は切り替えがてらパチンと手を打ち鳴らす。

「て、ことで、この二杯は僕の奢り。飲んでみて? これね、本当にすっごい美味しいから」

「ちょいちょい姫様! あたしは?」

「あ」

「あたしはー!」

 返金はちょっと意味が違うかな。そう言った有村は落合に両手で押され、今度は一歩半も後ろへ下がった。

 長谷と野田に、有村が思うことはなにもない。ただ落合たちが特別になっただけ。

 そうして一足先に特別になっていた草間が格上げされて、特別の上を何と言うのか、ヘラヘラと笑いながら閉じた瞼の裏で有村は少しだけ考えていた。

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