表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第四章 黎明少年
130/379

迷子日和

 今日の草間は出会い頭から、随分と張り切っている。

「そう、ここ! このバス停から四つ目で降りて、歩いて十分くらいだって」

 ツバ広のカンカン帽子でせっかく陰になった目元が、まるで燃えているみたいな熱さだ。

 じりじりと照り付ける日差しを避けるには心許ないバス停の屋根の下、身に纏う白いワンピースのスカートよりヒラヒラした七分丈の袖を揺らし、草間は肩に掛けたバッグから手帳を出して指差し確認。

「うん! 大丈夫。道もちゃんと聞いてきたし、今日は、任せて!」

 それは所謂フラグというものなのではと思いつつ、有村は今日も可愛い草間が隣りに居るだけで満足で、素直に「うん」と微笑んだ。

 バスに揺られながら聞いた話では、昔、草間たちが通っていた小学校の近くには親子二代で通うような古い駄菓子屋が一軒あったそうだ。文房具屋でもあったその店は近隣に住まう子供たちの御用達で、藤堂たちが話題にしたのもそこのことだろうと、次の停車場所を告げる車内アナウンスで気が抜けないながらも、草間は懐かしそうな顔をした。

「そんなに広くないお店で、いっつも混んでた。お店の外にもたくさん居てね。おじさんとおばさんがふたりでやってたんだけど、おじさんが何気なくベーゴマ回したりしてて。知ってる? ベーゴマ。大きな台みたいなのにお菓子がいっぱい並んでて、奥の方とか取れなくて。言うとおばさんが取ってくれるんだけど、いつも隣りのを指差すの。たぶん、ちょっと耳が遠かったんだね。中学に上がって、少ししたくらいだったかな。気が付いたら、辞めちゃってたの。お店」

 ゲームとかもあったんだよ。そう言って、なにやら両手の親指を交互に押す仕草をした草間は案の定、ポールから手を放して数秒もせずバスの揺れに負けて大きく揺らぐ。

「はっ! ごめ……っ」

「結構揺れるねぇ」

「う、うん……」

 抱き止める形で受け止めた有村が「役得?」と悪戯気に笑うと、真っ赤になった草間が無言で俯いた。

 サラサラと降りる髪の隙間から覗いたうなじまで赤くて、それを捉えて微笑みを大きくする有村は既に今日の幸せの最高潮という気分なのだが、実は数時間前に一撃を食らった脇腹がまだ痛かったりする。

 寝ている無防備な身体に鋭い肘鉄を放った藤堂が、あとで付けた赤みに謝って来るほどの強打だった。夜には痣になるかもしれないくらいの色、らしい。別になっても構わないのは、見せる相手がいないのもあるし、そうして身体を張った甲斐があったからだ。

 久々に、心底嫌そうに、気持ち悪いと言われた。それでいい。何はともあれ、有村は家を出た瞬間から、今日は憂鬱に捕らわれまいと決めていた。せめて帰宅するまでは。草間と過ごす格別な時間を無駄にするほど馬鹿じゃない。

 草間のプランでは、駄菓子屋へ行った後、地元駅の商店街で催されている夏祭りに出向こうという運びだ。有村が勤めるノクターンのある方ではなく、草間が勤める書店がある駅のこちら側には二つの商店街があり、それらが競うように年々盛り上がりを増しているらしい。その話をして気付いたが、祭りの後半戦であるこの週末、有村は藤堂と共にその一角に店を構える鈴木の実家で手伝いをすることになっていた。

 実のところすっかりと忘れていたものだから、草間が商店街の話をしてくれて良かったと思った。通るなら下見がてら行ってみてもいい。そんな話をしているとバスは間もなく目当てのバス停へ辿り着き、タラップを降りた草間はまた手帳を開いて「よし!」と気合を入れた。

「まずはここを真っ直ぐ行って、二つ目の角を右。よし、行こう! 有村くん!」

 草間の両手が手帳にかかり切りで繋げなかったのが残念だったけれど、その力強い目があまりにも可愛らしかったものだから、有村は隣りについて歩き出した。

 そこは特に目印になる店も見当たらないような住宅街の真ん中だった。似たような細い路地が網目状に入り組むだけで、舗装されたアスファルトの道路と道路の間に私有地らしき土の細道もある。

 だから、有村は何となく結末が見えていた。

 やっぱりフラグだったか。

「次の角を左に曲がると、レンガの家が……あれ? ない。え? レンガじゃない。え? え?」

 一本間違えちゃったかな。そう言って草間が引き返すのについて行くが、その角にもレンガの家はない。

「あれ? あれ? もう一本向こうかな」

 十字路に差し掛かる度に草間はクルクルと回り、そうやって何度か『一本向こう』へ行った。

「ごっ、ごめんね、有村くん。このっ、この辺で合ってるはずなんだけど」

 細い首筋を流れた汗は暑さの所為か、それとも。いずれにせよさすがの寒がりもそろそろ日陰は恋しい頃で、有村はやっと随分前から微かに聞こえていた車の音のする方へと視線を投げた。

 バスで来た道とは別の大通り。先の物より交通量の多そうな雰囲気に、焦る草間の肩を指先で突いた有村の口角が上がる。左の方が少しだけ、右より高く。

「ねぇ、草間さん。一度来た道を引き返すのもいいけど、知らない場所に来たんだし、せっかくだから少し探検してみようよ」

 あっちの大通りはどうだろうと指差す方をチラリと見るが、草間はすぐに有村を見上げて泣き出しそうに眉を歪める。

 言いたいことはわかる気がした。迷子になって呆れたの。もう駄菓子屋さんに行くのが面倒になったの。彼女の目はそう不安気に揺れている。カンカン帽子のツバの下で。

「勿論、目指すは駄菓子屋さんだよ? でもさ、知らない場所ってワクワクしない?」

「あ、うん……でも……」

 有村は顎を上げ、風のにおいを嗅ぐ。その仕草に草間がつられて真似ながら「何か匂う?」と訊いて来るが、彼女の小さな鼻に感じる香りは何もない。

「でもね。なんか、向こうの方から楽しそうなにおいがしてる」

 ワクワクするにおい。キラキラするにおい。きっと、素敵なものに出会えるにおい。

 半分意図的だった有村の企む笑顔に、草間が笑えばこちらのものだ。

「お願いだよ、草間さん。これが藤堂やのんちゃんなら暑いし早く行くぞって即却下だし、山本くんなら何か美味しい食べ物屋さんを見つけなきゃって変な使命感が沸く。純粋に楽しみたいよー。ね。ちょっとだけ」

「うん……」

 先にレースを付けたワンピースの大きな袖を摘まみ、有村は少し揺すってみたりした。前にそうして駄々を捏ねる子供を見たことがあったのだ。有村が覚えた、持って生まれてしまった忌まわしい目を使わない、二つ目の強請り方。

 間違いたくなくて、草間のことはレンズ越しの上目遣いでチラチラ見た。

「遊んでよぉ」

「……もう。ずるいよ有村くん。その顔は」

 小さな声で礼を言われた気がしたのだけれど、これでやっと役立たずになった手帳から草間の手を奪えて嬉しい有村はそれどころではなくて、つい訊き返した返事に首を横へ振るハニカミをただ可愛いと思った。

 そうして意気揚々とふたりが出たのは、乗用車やトラックが絶えず行き交う、二車線ずつの大通りだった。空間の把握が人より少し得意なだけで有村は道路に詳しいわけではないから付いた名前は知らないが、きっとこの先には大嫌いな高速道路が待っている。そんな雰囲気の漂う、騒々しい舗装路だ。

 予想通り、そういう通り沿いは住宅より商店が目立ち、まだ暗い居酒屋や出しっぱなしの提灯を下げた焼き鳥屋を覗いてみると、長い年月をかけて染み付いたらしい香ばしい匂いがして少々空腹を煽られたりした。

 大衆的な店を好む佐和は、こういう店には有村を連れて行かなかった。カウンター席を許してくれるのはラーメン屋だけ。個室がない店は論外と言われた所為で、テーブルに椅子が上がっている店内が有村にはとても興味深く思える。

「藤堂が働いてる居酒屋って、こんな感じかな」

「えっ、藤堂くん、居酒屋でバイトしてるの?」

「あの顔で、って思った?」

「思わないよ!」

「本当に?」

「本当……うん。ちょっとだけ、接客業かぁ、とは……」

「正解。殆ど裏方でいるみたいでね。ずっと焼き鳥とか、魚焼いてるんだって」

「あ! だからバーベキューの時、焼き加減絶妙だったんだ!」

「そうだった?」

「あれ? そうでもなかった?」

「あれは山本くんのアシストのおかげだと思うなぁ。彼はただの食いしん坊じゃないからね」

「そうなの? 料理とかするの?」

「するみたいだね。でも、あれはきっと感性だ。彼の舌はすごい」

「そうなんだ」

 途中で、なんとか工務店という類の店も幾つか見た。

「あっ、木材屋さんだ!」

 草間が一番良い反応を見せたのは、そこだった。

「子供の頃、近所にあってね。私、木を切った匂いっていうの? おがくずの匂い? が、結構好きで」

 三メートルはザラであろうかという角材は並んでいたがシャッターは閉まっていて、何の匂いもしなかったのが残念になった有村が今度何か作ろうかと言うと、草間は笑って椅子がいいと言った。

「あの金魚たちを置けるようなの。今のはちょっと、小さいから」

 日陰を選んで歩いていたのに、さっきの路地より暑い気がして緩みかけた有村の手を、草間はギュッと握ってくれた。

「また、会いに来てね」

 嬉しかったのに、握り返したかったのに、有村の手は言うことを聞かなかったのだ。それが少し寂しくて、有村は差し掛かった横道を覗き込んだ。

 正直を言えばこの一瞬、草間に後頭部を向けたいだけだった。

 でも、それは何かの導きだったのかもしれない。立ち止まった短い横断歩道から見て一本奥の角に、小さな旗がひとつ立っている。風が吹き込むのか随分と揺れていて、予想が得意な有村が目を細めても、視力自慢の草間が背伸びをしても書かれている文字が読めないから余計に気になった。

「行ってみようか」

「そうだね。手作り……なんとかって書いてあるみたいだけど」

 見えるかと訊いて来た草間を遠くを探る目のまま見下ろすと、眉を固くした有村の顔を「目が悪い人の顔」だと言って、幼い少女のような声がクスクス笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ