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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第一章 初恋少女
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夏はここにも

「んー、結構色んなのやってんだねー」

 駅前ほどではないにしろ、整理された長蛇の列と、待ち合わせをする人々でごった返すチケットカウンターの側にズラリと並んだポスターを眺めながら、僅かに丸めていた背中をすっと伸ばした有村が呟いた。

 季節柄、今は丁度夏休みシーズンの前哨戦とばかりに、続々と新作映画が皮切りになる時期だ。今週辺りはその第一弾といったところか、大作よりはリメイク作や続編の広告がカウンター上や柱の隅を占めている。

 どうせなら来月を待った方が話題作から選べたのだけれど。子供向けの特撮ヒーローのポスターと、コミックス原作の青春ラブストーリーのポスターの中間辺りに立っている有村を見やり、草間はふとそんなことを考えた。言えば良かったかな、とか。

 本数としては充分に取り揃えられているものの、モノクロ映画のリバイバル上映などを省けば、現実的に考えて候補に上がりそうな映画は四つほど。

 その地味な並びと言ったらなくて、申し訳ないやら、勿体ないやら、全く以て豊富でないラインナップに草間は重い息を吐き出した。

「全米って泣いたり笑ったり忙しいなぁ」

 だけどアクションからコメディまで選びたい放題だ。

 悠然とそれらのポスターを順に見やる彼の横顔は、そんな草間の憂鬱などは知らぬ素振りで無邪気を湛えていた。それがまた有り難いやら余計に焦燥感を煽るやらで、草間に肩を竦めさせるわけだ。

 泣いたり、笑ったり。あとは、驚いたり。洋画の煽り文句の定型文が、これほど胸に痛かったことはない。

 ふたりの間にある黒地に赤い靄と女性のシルエットが浮かぶ見るからにといったポスターには、『全米が震えあがった』という煽り文句がついていた。彼がそれを含まなかったのが偶然なのか、わざとなのか。それさえ疑いたくなるほど、草間は真剣に思い悩んでいた。

「そう、だね」

 悪魔憑き。残酷。血まみれ。

 目の端で窺うそのポスターの文言を見れば、恐らく耐えられる範疇を越えていると想像出来る。けれど元はと言えばそういう映画を観ようという話だったはずで、草間はその場所に立ってからずっと、臆病と建前の間で答えを出せずに苦しんでいたのだ。

「うーん……」

「ははっ、悩んでんなー」

 うっかり口を吐いた呻き声を笑われ、草間は久々に有村を見上げた。

 彼は未だ顎を上げてポスターを眺めていて、「あ、この俳優懐かしー」とキャストの一覧に目を凝らしている様子だ。

「えっ、声、出てた?」

「うん。唸ってた。そんなに悩まないでいいよ。幾つかあって迷ってるなら、また来ればいいじゃない」

「え。」

「今から二本立ては時間的にきついでしょ? 俺でよければいつでも呼び出してもらっていいし。ね?」

「えっ!」

「え?」

「いいの?」

「うん。あれ? なにが?」

「また有村くんを誘ってもいいの?」

「うん。いいよ? ってか今日は誘ったの、俺だよね?」

「ああっ」

「ん?」

 顔を赤くして見上げる草間と、それを見下ろす有村の目が合うと、ふたりの間に先程とは違う沈黙が落ちた。

 ぱちぱちぱち。

 乾いたわけでもないのに、草間は忙しく瞬きを数回繰り返す。

 これきりじゃない、と、彼は言ったのだろうか。喧騒じみた周囲の騒がしさも意識の外に追いやって、草間は置物のように微動だにせず、じっと有村を見つめた。

 言葉を交わさずにいた数秒間。その時間は天井から吊るされた大型の扇風機が大きく首を振る丁度一回分だった。戻って来た風が向かい合う有村の髪を緩やかにそよがせたのも束の間、その風は草間の前髪を持ち上げ、額をすっかりと露わにしてしまう。

「わっ!」

 額を丸出しにするのは腕を出すのより恥ずかしい。慌てて髪を押さえると、過ぎた勢いがペチンと大きな音を立てた。

「いたっ」

「……ふっ」

 そんな草間の姿が愉快に見えたのか滑稽に見えたのか、有村は思わずという風に笑みを詰まらせた。

「そういうのいいから、ほんとっ」

 僅かに膝を曲げる有村の声は少しばかり上擦っていて、顔を下に向け身体を揺らせて笑うのは、いつも教室で見る笑顔とは全く違う子供のような仕草だ。

 さも楽しげなと言うか、横に裂けた大きな口といい、まさに破顔という感じ。今日の誘いをくれた時に見たのと同じ、微笑みの王子様らしからぬ無遠慮な大笑い。それに草間は釘付けになる。

「いい音したねぇ、いま。ははっ!」

 考えてみれば、終始笑顔の有村から笑い声が聞こえるのは珍しいことだった。だからこその『微笑みの王子様』なわけで、目の当たりにするとこちらが本当の笑みのようにも思え、見惚れない方が難しかった。

 これは、とても貴重な物が見れてしまったかもしれない。

 呆然とするあまり口も緩んだ草間を有村は更に笑い、実際に浮かんでいるのかはわからないが、人差し指を折り曲げて目尻の辺りを拭うような仕草をした。

「なんかもう話、全然噛み合わないし。なにその顔、すっごい間の抜けた……っ、あははっ、ダメだ。やっぱりいいね、草間さん。ゆるいってか、ふわっふわで……もうっ」

「なッ……! え、えっ?」

「いやいや。悪い意味じゃなくてね? そういうの癒されるなぁって。ホント、和む」

 あーあ、などと間延びした声を出して、有村は自分の頬を二回叩いた。それでも消えない半笑いに草間が口をへの字にすると、有村の笑みに困り顔が混じる。

「顔に出過ぎ。迷ってるってよりは、困ってるって感じかな。真面目なんだから。エグいのはダメだって言ってたじゃない? 心配なら他のでいいし、草間さんが観たいのを選んでよ。俺は本当になんでもいいから」

「――本当に?」

「うん。たまには映画館で映画が観たくなっただけ。だから気にせず好きなのを選んで? 映画なんて半分博打みたいなもんなんだから、つまんなくてもそれはそれだよ」

 面白いに越したことはないけどね。とりあえず全米と気が合わないのはわかってる。

 立て続けにそんな言葉を口にして、有村がピンと『震えあがった』ポスターを指先で弾けば、それが選択肢からも外されたようで草間は途端に息がしやすくなった。

 そうか、本当に何でもいいのか。目が合う時に感じるふわふわとした夢心地とはまた違う温かな視線にそっと手を引かれて軽くなった草間の心は、次第に落ち着きを取り戻していく。

「……ありがとう」

「いいえー。だからそんな困った顔しない。ね?」

 普段から穏やかな人だと思っていたけれど、ふたりきりでいると一層にそう強く感じる。相手を気負わせず過剰な気も遣わせないような彼の振る舞いは、他人といるだけで緊張してしまう草間にはこの上なく有り難いものだ。

 日常的に草間を甘やかしつつもどこか仕方がないなという雰囲気で待っていてくれる久保とは違い、有村の向けてくれる気配はあくまで一緒に考えようかという風で、それがまたくすぐったいくらいに心地良い。

「それじゃぁ、ね」

 これがいいな。

 そんな空気に飲まれてしまったのかもしれない。草間は小さく息を吐き出すと、自分でも驚くほどすんなりと一枚のポスターを指差した。

「りょーかい」

 ハイスピードカーアクション。そう銘打たれたポスターに背を向けてふたりはチケットカウンターへ続く列の一番後ろに並ぶと、もう一度目を見合わせてクスリと笑った。



 シャリ。シャリ。シャリ。ザク。ザク。ザク。

 通路沿いに設置された大きなパラソルの下のベンチに腰を下ろして、ふたりは先を平たくした太めのストローを手に、山盛りのかき氷と奮闘していた。

「本当にこれでいいの?」

「うん。これがいーの」

 荒削りの氷が鮮やか過ぎる赤いシロップをふんだんに纏って、またひと口、有村の口の中へと運ばれる。

「んーっ、つめたっ。まだちょっと早いかなと思ったけど、今日はあっついし丁度良かったね」

 シャリ。シャリ。

 草間はまだ少し居心地悪いような気分のままで、黄色のレモン味を崩していた。

 選んだ映画は今の回が始まってしばらく経った頃で、次の上映までは少し時間があった。何処かに入るには足りないような、けれどただ待っているには退屈なような微妙な時間だ。

 どこか見に行こうか、どうしようか、と話しているうちにチケットを買う順番がやって来て、草間はただ有村が慣れた様子で座席などを選んでいくのを横で見ていた。

 そのあとだ。チケットを二枚受け取った有村はくるりと草間に背を向けて、「さぁて、どこに行こうかねぇ」などと呟いたかと思えば、チケット代をと言う草間にそんなのはいいと言ったきり、スタスタと歩き出してしまったのだ。

 いつも色々くれるから、と背を向けたまま有村は言った。彼が言うに、これは草間が作って渡していた菓子などの礼のつもりらしい。それを聞いた草間は礼などいらないと、駆け足で追い縋った。

「あれはっ、私が勝手に持って行ってるだけで」

 受け取ってくれるだけで充分なものに礼などは貰えない。そんな気持ちで眉を寄せる草間を振り向いた有村は、その顔を見るなり溜息をひとつ。草間に負けず劣らずな困り顔を浮かべて所在無さげにうなじを掻くと、仕方がないという風に広場に停めてあった移動販売のワゴン車を指差した。

「じゃぁ、アレおごって?」

 有村の指の先には、昔ながらの『かき氷』の旗が揺れていた。

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