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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第四章 黎明少年
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お世話係、襲来

 瓏と小葉が七人に用意した料理は、即席とは思えないほど豪勢だった。

「さぁ! 腹一杯食ってくれ!」

 目の前の膳に並ぶ品々は、瓏曰くの子供向け。牛、豚、鶏、ラムと肉のオンパレードだ。しかし脇にはちゃんと野菜中心の小鉢が三つ付いており、それぞれの料理自体も男性陣にはボリュームがあるスタミナ料理風、女性陣には品数を増やしてヘルシー志向と抜かりがない。

 それを見て有村は内心、さすがと唸る。おもてなしの手本はやはり、ここのもので間違いない。

 顔の前で手を合わせた鈴木たちが口々に「いただきます!」を言うのを待ち、どれから食べるか迷うと楽し気に身を乗り出す落合と、その手前で小鉢を突き、声には出さず『んー』と唸った草間の愛らしさに小さく笑った有村は、配膳を終え隣りへと戻って来た瓏を座ったままで出迎える。椅子から見上げるこの角度は、奇しくもよく慣れ親しんだ首の捻り具合だった。

「ありがとうございます。瓏さん」

「いいや、このくらいはお安い御用だ。いつも言ってるだろ? ここではもっと甘えろって」

 この宿にいる間は王様にしてやる、というのが昔からの瓏の口癖だ。そこに偽りがないのを、ほんの少しだけ悲しい色が混ざっているのを、有村は当時からよく知っている。

 その頃からの別れ際の挨拶で瓏は有村の頬を掌で軽く二度叩き、ついでにあと三十分もしたら和斗が着くと教えてくれた。言われて気付いたのだが、有村の携帯電話はポケットの中で電源が落ちていた。充電切れではなく、だ。切った覚えはないのだけど、最後に触ったのは和斗に電話した時だから、ちょっとだけGPSが気になったのかもしれない。

「お前は反抗期まで可愛いモンだ」

 反抗した覚えもまた有村にはなかったので、前よりちょっと痛かったなと頬を擦りながら見送った瓏の背中に思うのが、ただの違和感なのか照れ臭さなのかもよくわからなかった。

 とりあえず、和斗にはあとで謝らないと。電源を入れた携帯電話には嵐のようにメールが流れ込んで来る。最後の五件くらいは、件名に『洸太?』だけ。早く謝らないと大泣きされるパターンだ。それは、かなり困る。

 しかし、今はまず食事だ。せっかくの料理を冷ましてしまうのは気が引けて有村も箸を手に取り、早くも空きつつある山本の皿に肉を分けてやる。牛、豚、次は何にしようか様子を見ていたら、斜め先の席で唇に箸を当て動きを止めた落合が「なんか申し訳ないね」とポツリ、思い出したように呟いた。

「迎えに来てもらうだけでも悪いのに、こんな美味しい物たくさん食べさせてもらってさ。お風呂も、なんかもう最高でした」

「それはよかった」

 風呂上がりにはメイクをしない主義だとかで眉が殆どないのが残念だが、そのない眉を下げた落合の素顔は正直、メイクをしている時よりあどけなくて可愛いらしい。

「気に入ってくれたなら何よりだよ。僕は別に、なにもしていないけれど」

 より正直に言うと、手前に座る草間はもっともっと可愛かった。失礼ながら、三人の中で一番。可憐というべきか、特に瑞々しさを纏う清潔感が素晴らしい。纏め上げた髪と露出した首筋の黒と白のコントラストがまた格別で、さり気なく見つめては何度でも有村の視界を豊かにする。

 メイクと落してもよもやパーツが欠ける程の大きな変化はなく、何より透き通る白い肌が綺麗だ。頬と唇に程よい血色があり、間に久保を挟む距離でも肌理の細かさが見て取れるよう。吸いつくような肌という表現があるが、正にそれだと思ったのだ。弾力はお墨付き。数枚の層を省いた素顔の頬は、モチモチしているに違いない。例えば藤堂の妹、十歳のみさきのように、触れたらきっとクセになるほど()()()()()()はずだ。

「…………ん?」

 あれ。また何か変なことを考えた気がする。

 木の実を頬張るリスみたいに丸く膨らんだ草間の頬から目を逸らし、有村は誰にということもなくニッコリと微笑んで見せた。出来はまずまず。なのに間違っている気がしてならなかった。

 その躊躇いを、再び口を開いた落合が遠くへ追い遣る。

「つかさぁ、姫様ってマジで坊ちゃんだったんだね。急に来たのにこの待遇。若干引いた。王か」

「すまなさそうに見えたのは幻かな?」

「もしかしてさぁ、泊めてくれるかもしれない別荘ってのも、こんな感じ?」

 こんな、とは、窮屈な想いをするかという問いかけに思え、すぐに否定しようと開きかけた口がふと思い出した風景に笑みを浮かべた。

 美味い空気と、豊かな緑。ここと同様に、あちらも変わりないだろうか。

 手つかずの森には先住民たる動物たちが住んでいて、自生した木々は正に生命力の塊だ。本来あるべきものしかないあの場所は、幼い有村にとって人間の臭いが殆どしない楽園だった。

「いや、行くならもっと気楽な所にするよ。ごめんね。まだ連れてくって言えなくて」

 候補は他にもうひとつあったが、皆を招待するならあそこがいいと、有村の頬は静かに緩んだまま。

 近くには所有の牧場があり、放し飼いの羊や山羊は触り放題。早朝に訪ねれば牛の搾乳や、鶏の産んだ卵を拾う手伝いもさせてくれる。飼育している馬と遊ぶのもいい。みんなで乗馬を楽しんで、そういえば確かウサギもいたはずだから、草間に見せよう。可愛いと、可愛いだ。可愛いの最上級は、はて、何という単語が当て嵌まるのだろうか。

 短い時間だったが、考えるほど有村は急激に楽しくなって来たのだ。藤堂たちに、草間に見せたいものがたくさんある。でも、そうして浮かれる思考にまた、唐突な疑問が沸く――これから向かおうという話でもないのに、楽しみだなんて、おかしい。

「行けそうではあるわけ?」

 差し込みかけた影を一瞬で切り上げさせたのは、久保だった。

「あれ、久保さんも結構楽しみにしてくれてる?」

「そこそこにね。でも、こういう場所なら正直遠慮したいわ。本当に気楽なんでしょうね?」

「うん。僕だって行くなら楽しみたいし、王様なんて柄じゃないですぅ」

「はい可愛いムカつく」

「どぉもぉ。あっ、山本くん。鶏も食べるかい?」

「食うー」

 えびす顔の山本に思わず笑う有村の胸には、また新たな不可解が燻っていた。

 膨らんだ風船みたいなものがあった気がしたのだ。そんな内臓はないはずなのに、位置としては心臓の横辺り。

 胸の真ん中。さっき透明な杭が刺さった、気管支の辺りだろうか。今は少しざわついていて、奥の方で何かがモヤモヤしている。

 これは一体なんだろう。迷った時の癖で目を遣った藤堂は、山本と鈴木の更に向こうで彼らしくもなく箸の進みが芳しくない。

「藤堂、どうかした? 味、口に合わない?」

 上品と言えば聞こえはいいが、藤堂の好みからするとここの料理は少し薄味かもしれない。

「いや、美味い。目移りしてよ。何から食おうか悩んでた」

「そう。気に入ったものがあったら言ってね。今度ウチでも作るよ」

「ああ」

 藤堂は比較的、顔に出やすい方だ。

 嫁かよと騒ぎ出す落合と鈴木が例のバトルを始めたので、それを宥める体で有村は藤堂から視線を逸らした。

 気付かない方がいいこと。そういう場合もあることを教えてくれた彼らとの時間は、笑い声が響いてこそだ。

 そうして和やかに進んだ夕餉も終盤に差し掛かり、有村が「残していいよ」と片付かない皿に眉を下げた頃、些か外が騒がしくなった。無論、集音機を搭載している有村の地獄耳においてだ。

 彼は静かに登場することが出来ないのだろうか。いや、出来なくはない。有村の従者として付き添う時には立派な紳士なのだ。草間たちの前でもそうであってもらいたいものだが、期待は恐らく、するだけ無駄。

 そろそろだな。小葉や瓏の性格を鑑みて有村は席を立ち、草間と久保の椅子の間にしゃがみ込んだ。親子ならではのお小言もじきに終わる。

「あのね、草間さん」

「なに?」

 酒を飲んだわけでもないのに、振り向いた草間の頬は赤かった。

 満腹と酒に酔うのは作用として似ているらしいが、ほろ酔いの草間は色気が出るより、やはりただただ可愛い。

「これから来る迎えのことなんだけどね? 多分、見たら瓏さんの方が大人しいって思うと思う」

「そうなの?」

「アレだって結構だったわよ?」

「うん。そうなんだけどね」

 同じ黒髪の所為かどこか似た顔の草間と久保を交互に見つめ、有村はツンと唇を尖らせる。

 口が足りないと叱られたあとだったので色々と考えてみたのだが、その上で「生まれた時から知ってるから、ちょっと過保護なんだ」と言う以外に見つからなかったのは少々無念。

「なんて言うか、彼はまだ僕を五歳児くらいに思っているところがあってね。未だに、段差で僕の手を引こうとする」

「有村くんなのに?」

「うん」

「それは……なんだか大変そうだね」

「いい人なんだけどね。そろそろ少年って歳でもなくなってるのに気付いてくれればと、たまに思う」

「アンタも苦労するわね」

「痛み入ります」

 同情的な目を向けるふたりに「だからあんまり驚かないでね」と締め括ったのを最後に、全員の耳にも廊下を走る足音が聞こえたようだ。箸を止め、グラスを下ろし、なんだなんだと首が動く。

「来たか」

「うん」

 その中でひとり静かに席を立った藤堂は、やはり自慢の親友だ。

 それから僅か数秒後。

「こぉたぁっ!」

 出だしで軽く裏返る再会しな定番の雄叫びと、重なっていたのかなと思うくらいの間隔で勢い良く開く一枚目の二枚目の扉が立てた破裂音はほぼ同時。

「無事かっ!」

 そして被害を最小限に収めようと草間たちから離れて出迎えた有村が風船を早く割る競技みたいにきつく抱きしめられたのも、まま同時だ。

「怪我してないか? 怖い目に遭わなかったか? 誰にも意地悪されてないか?」

 この質問三点セットも彼の定番。

「……してない、けど。いま、かるく背骨が悲鳴をあげている、かな……」

「なにぃ! 誰だ、お前に痛い想いをさせてるヤツは!」

「いま、なんだ……でも、来てくれてありがと、かず――」

「礼なんかいい! 来るに決まってるだろぉ。お前が呼ぶなら、どこだって!」

「ごめ……も……」

「ああ洸太! 洸太……俺の可愛い洸太! そうか、お前も震えるほど喜んでッ」

「……おれ、る……」

 明日から筋トレ増やそ。

 視界を赤と黄色でチカチカさせながら、和斗に抱き締められる度、有村は大体そう思う。



 毎度のことながら解放されてもしばらくは震えが治まらない有村に代わり、間に割って入った藤堂が和斗を皆に紹介をした。

「この人が有村を弟みたいに可愛がってる寺島和斗さんだ。こんな風だが医大生で、なにかと頼りになる。それは、間違いない」

「はじめまして! みんな、遅くなってごめんね!」

 短い紹介の合間に『こんな』を挟む藤堂は正直者。床に手を着きへたり込んだまま薄ぼんやりと思う有村の背中を、草間と落合が擦っている。

「有村くん、大丈夫?」

「死んだ?」

「背骨が、かるく……」

 和斗に折られるのが先か、折られないくらい逞しくなるのが先か。生まれたての小鹿みたいにプルプル震える有村が考えるに、要はそういう話だ。

 約三週間ぶりの再会を鈴木や山本が和斗と分かち合っている内に背中の痛みは徐々に鎮まり、仕上げに肩から上半身を回してゴキッという鈍い音を立てると、有村はゆっくり立ち上がった。なんというか、短時間で人体の進化を経験した気分。和斗に対して何か思っても仕方がないので、出来るだけポジティブに有村はそう捉えることにしている。

 藤堂のうっかりではないが、和斗は実際『こんな』でも頼りになるし、良い人間だ。有村が知る限り彼ほど他人の為に身を粉に出来る人は少ない。

「和斗、彼女たちを紹介する」

「おう! 悪かったな。つい、興奮して」

「いいよ。和斗のハグはまぁ、特別だ」

「こぉたぁ……」

「でも帰りが遅くなっちゃうから、今夜はもうハグはいいよ」

「わかった。じゃぁ、またあとで」

 心配をかけたお詫びと礼を告げた流れで、有村はまずより和斗に近い方にいた落合を紹介した。気さくな彼女も和斗のハグに身構えているのか若干の逃げ腰で、そんな様子が少し面白い。

「落合です……あの、今日は色々とありがとうございました」

「構わないさ。露天風呂には入ったかい?」

「はい」

「いいお湯だったでしょう? 海の疲れも癒せたかな?」

「はい。かなり」

「それはよかった!」

 次へ移る前に「和斗は女性にハグをしないよ」と落合に耳打ちをし、有村は久保の紹介に藤堂の幼馴染みだと付け加える。すると和斗は藤堂を振り返り、拳と掌でポンっと音を立てた。これから言うことは有村も思ったから、よくわかる。

「なるほど、これはお似合いの美男美女だね。まるで映画の主人公だ。よろしく、久保さん。料理は口に合ったかな?」

「はい。とても美味しかったです。お気遣いを頂いて」

「そんなんじゃないさ。瓏さんも小葉さんも、君たちを気に入ったからしたまでだ。量が多いのは見逃してやってくれるかい?」

「はい」

 世話係とはいえ、年齢差はたったの五歳。一緒に育ったようなものだから、和斗はどこか思考回路も口振りも有村とよく似ているのだ。ついでに言うと、指先の動きやら身のこなしまでだいぶ近い。

 なので有村は最後に草間の紹介をするにあたり和斗が顎を引いた姿勢で正面を陣取るのを、なんとなく面白くない想いで見ていた。なんだ、その王子様気取りは。隣りに立つ草間がぱちぱちと瞬きをしたから、それも少し面白くなくて口が閉まる。

「彼女は草間仁恵さん。クラス委員をしている真面目な良い子だ」

「……それだけ?」

「あと人見知りをして、男性が少し苦手。だからあと半歩離れてくれ、彼女が緊張する」

「そうか、わかった」

 事務的になり過ぎた紹介で若干、指示通り半歩下がった和斗がじっと草間を見つめた時に心底、有村はしまったと思い目を細めたが多分それが決定打だった。

「君は……」

 せめて笑え。そして、顎先を人差し指でなぞるな。

 この僅かな嫌気がまるで自分を見ているようだったからではないと、思いたい。

 そんな有村など見向きもせず、和斗は迂闊な口を開いた。

「……なんだか、洸太がいたく気に入りそうな感じだ」

 などと、途中で遮る隙も与えずに。

「和斗……」

「眉も整えているだけで素顔でいても不自然さがないし、肌の透明感なんて格別。君は普段、あまり濃いメイクを好まないんじゃないかい?」

「和斗」

「それに何と言っても清潔感が素晴らしい。爪は長過ぎず、髪もケアが行き届いている。純粋、純白……そうか、純朴か。やっぱりそうだ。彼女は――」

「和斗!」

「――昔、お前が気に入ってた本に出て来るヒロインにそっくりだ」

「…………え?」

「…………」

 この展開も考えておくべきだった。なにせ和斗は有村と似ていて、その上で好みから何からを全て熟知しているのだから。

 何度目かの「え?」でようやくこちらを向いた草間を見られるはずもなく、有村は片手で目許を覆い隠したまま、もう一度だけ「和斗」と吐き出した。

「それ以上続けたら、僕は向こう一ヶ月、君からの電話もメールも無視をする」

 無視をする。それがどのくらい和斗にとって辛い仕打ちかと言うと、例えば一ヶ月間水すら口にするなという程度のもの。さして大袈裟な話でもなく。

 一瞬で顔から何から全身に絶望を纏った和斗は完全に目を座らせた有村の腕に縋りつき、そのまま膝を折って益々縋る体勢に縒りを掛ける。

「そっ、そんな……嫌だ……嫌だ、それだけは勘弁してくれ! 一ヶ月もお前に無視をされたら死んでしまう!」

 丁度良い高さに来た膝上に、額を擦り付けたりして。

 だからなんだ。こんなもの、有村はもう十七年間も見続けているのだ。特にこの二年間に至っては、そろそろ飽きるほど見ている。

 反省しろ。有村はそういうつもりで和斗を見下ろし、この猛省顔にあと少しの甲斐を願った。つまるところ、彼は懲りない男なのだ。

「だったら今すぐその口を噤むといい」

「洸太っ、頼む、無視はしないと言ってくれ……電話に出てくれ……メールも、十回に一回くらいでいいから返してくれ、頼むから……」

「余計なお喋りをしないと誓うなら、五回に一回は返すと約束するよ」

「本当か? する! するから。こぉたぁ」

 仕上げはいつもの足への頬擦り。有村が頬擦りに良い印象を持たないのは、三割ほど和斗の所為だ。

 チラッ。チラッ。そんな風に見上げて来る和斗は大層いじらしく瞳を瞑らにして、有村の足を抱きしめる。

「……でも、彼女だよな? 洸太のお気に入りストラップ……」

「二ヶ月間に決定」

「ッ、こぉたぁっ!」

 まったく。本当に、懲りない男だ。

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