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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第四章 黎明少年
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親友、曰く

 砂浜を進み藤堂が有村を連れ込んだのは、朝着替えに入った更衣室に備え付けのシャワールーム。

 騒ぎを背にした時には人気の少ない場所を探して更に遠くまで行くつもりでいたのだが、歩き出して間もなく有村にさして時間が必要でないとわかるや否や、藤堂は行き先をこちらへ替えた。周辺も中も閑散としていたのはただの幸運だ。

 海水を落とさせるにも、頭を冷やさせるにも、水を浴びせるのが手っ取り早い。

「お前、もう口動かせるだろ。何か言いたいことは」

「……ない」

「そうか」

 そうして藤堂はシャワーバルブを全開にすると、有村を押し込んだ個室のドアに左肩を預ける。大きめの平たいシャワーヘッドから降る水は、腕組みをしてフードの下を見つめる藤堂の足も大いに濡らした。

「そのまま乾くとお前の大嫌いな水臭いってのが染み付くからな。少しの間、我慢しとけ」

 我に返っても有村は顔を上げない。ならば藤堂に出来ることは僅かだ。

 しばらく経ってからパーカーを脱がせ、シャワーを止めて、それを思い切り絞ってから肩にかけると、藤堂は有村の髪を掻き上げてやる。こんな夏の盛りに、有村の奥歯はガチガチと鈍い音を立てていた。寒空の下に放り出されて、凍えきってしまっているみたいに。

「俺のを貸してやるから、午後はそっちを着てろ。サイズがデカいって文句を言うなよ」

「……言わない」

 有村は真っ直ぐに垂らした左腕の肘下辺りを、右手で強く握った。

 多分、背中の傷が痛むのだ。



 黒いパーカーに袖を通し「やっぱり大きい」と言った有村を小突くと、ようやく見られた微笑みに藤堂もまた口の端を上げる。

「戻るか?」

「うん」

 普段は着ないLサイズの服はどうも、有村には少し緩過ぎるらしい。解放的なのとだらしがないのは別だという有村のささやかな拘りだ。

「僕、何か変なことをした?」

「覚えてないのか?」

「あんまり」

 洗った白いパーカーと、髪を拭いて濡れたタオルは藤堂の肩にかけられていた。この炎天下ならすぐにでも乾きそうだ。

「別に何もしてない。お前はただ、溺れたガキを助けただけだ」

 それを期待するみたいに、ふたりの足取りは二往復目にして一番遅く、散歩みたいに砂を蹴った。

「お前、本当に泳げないわけじゃなかったんだな」

「そうだって言った」

「でも前に溺れたって」

「溺れたからって泳げないわけじゃないよ。まぁ、初めて泳いだけど」

「初めて? フォームは」

「進んで行く道理はわかる」

「またそれか。泳げるかもわからないのに飛び込んだのか」

「泳げるかどうかはどうでも良かった」

「そうかよ」

 助けたくて無我夢中だったと言わないのは、中々どうして有村らしい。あの少年は結果的に助かっただけ。真顔でそう言って寄越す有村の屁理屈は、藤堂も嫌いじゃない。

「無事でよかったねぇ」

「そうだな」

 サンダルに入り込んだ小石を落としながら他人事のように嘯く偏屈もまた、嫌いじゃない。有村には他人にしてやったという気がないのだ。例えばこんなにもトラウマを穿るようなマネをしたあとでさえも。

 有村の理屈では、自分がしたいように振る舞った結果、相手が勝手に助けられたり、手間がひとつ省けたりする、らしい。ヒーローなんて柄じゃないとでも言いたげに。でもその実で有村は呼吸するようにヒーローだった。ある一時期たまたま運が良かった自分とはやはり違う、と藤堂は思う。

「で、どうだった。久々の水は」

「あまり気持ちの良いものじゃなかった。臭いし」

「そうか」

 ふたりのそばへは誰も近付いて来なかった。今の有村には藤堂が発する以上の近寄り難いオーラのようなものがある。

 若しくは太陽の下で今にも倒れそうな青白い肌がいやに病的だったからだ。戻ったらすぐに甘い物を食わせなくちゃな。そう思案する藤堂もさすがに、水着に飴は仕込んでいない。

「気持ち悪い」

「飲んでんじゃねぇか、水」

 藤堂は立ち止まり、差し掛かった小屋を親指で指した。 

「なら、ラムネで口直しするか」

「いいって」

「半分ならどうだ」

「じゃぁ、ひと口だけ」

 炭酸嫌いの有村は初めてのラムネに大いに噎せ、何より飲むのが下手だった。一気に流し込めないくせに、勢いよく煽るからだ。苦手なのに躊躇わない。それが単なる無鉄砲でも、有村が振る舞うとそうでないような気がするから不思議だ。

「コレ、どうやって取り出すの?」

「割るしかねぇな」

「えー」

 有村は涙目になりながら空になった瓶を太陽に翳し、中のビー玉をカラカラと揺すっていた。やはり、その中身に喉を傷めたことなど、なかったような顔をして。

「じゃぁきっと中に入ってるのがいいんだね」

 今度はビー玉の気持ちにでもなってみたのだろうか。

 キレーだなぁ、などと呟くのを見て不意に持ち上げたかけた手を、藤堂はすぐに引いた。頭でも撫でてやろうとしたのか、バカバカしくて少し笑えた。

 先程までいたビーチパラソルとレジャーシートの陣地は、すっかり乾いて白くなった砂の城が目印になってすぐにわかった。離れる前より少々空いているように思うのは、ここが騒ぎの中心になってしまったからか、特に子供の数が減っている気がした。

「姫様! セコム!」

 ふたりの姿を目に留めるなり立ち上がった落合が一目散に駆け寄って来る。同時に立ち上がったはずなのに、草間は何やら後方でまだもたついていた。

「大丈夫? うわ、顔色最悪じゃん。無理しちゃダメじゃん! 聞いたよ。姫様、昔海で溺れたことがあって、入るのすっごい怖かったんでしょ?」

「え?」

「なのに飛び込むとか、どんだけいい人なの!」

「いや……」

 溺れたのは海ではないのだけれど。そう目線で投げかけられた藤堂がパラソルの方を見遣ると、影から外れて仁王立ちしていた鈴木が前へ突き出した右手の親指を立てていた。

 なるほど、そういうことにしたらしい。それは目を合わせてふたりで悟った。

「さっきの子さ、あのあとパパさんが来て、ちゃんと元気に帰ってったよ。なんかグループで来てたらしくて、パパさんズは他の子連れて海の家行ってたんだって。その間見てるってあのママさんと友達が残ってたみたいなんだけど、話に夢中になってる間にボート出して沖に出てたって言うんだから、ホントしょうがないよね」

 うんざりしたような、自分も相当に憤っているような硬い表情で、落合が一気に捲し立てる。有村は「そっか」と呟くだけで、まだ顔に表情と呼べるものがない。

「ビックリしたのはわかるけど、あれはないって。しかもさぁ、わけわかんないこと言うはずなの。酔ってんだもん。もうね、ベロベロ」

「ん? ここ、ビーチは酒禁止だろ? 看板あったぞ、向こうに」

「そう! そうなんだよ、セコム! なのにもう泥酔間近って感じだったの!」

 真っ直ぐ歩けなかったんだよ、と落合の声が音量を上げる。最初からマナーを守れない非常識な人だったんだと、それよりは少し常識人だったらしい父親たちの低姿勢ぶりを持ち出して、落合が家族丸ごと可哀想だと言った。

 藤堂がこっそり窺う。有村の横顔はまだ、人形のようにそこにあるだけだった。

 それが、やっと動いた。お喋りな落合が、「あんなんもっと痛い目見た方がいいんだって」と、放った瞬間だ。

「痛い目?」

「掴んだじゃん、腕。手の跡くっきり」

「えっ」

「――落合」

 他のヤツらはどうした、と、藤堂の問いかけが落合を遮る。有村に腕を掴んだ覚えがないのは縦の幅を増した目を見れば明らかだ。無論、それが握り潰す勢いだったことなど知る由もないし、藤堂からすれば知らなくていいこと。

 久保と山本は先に海の家へ向かったらしい。有村が戻ったらすぐに休めるよう、一向に減らない列に並んでいるとのことだ。時間は予定していた昼より一時間ほど遅い、二時近くに差し掛かっていた。

「あたしたちも行こうか。そこねぇ、こんなにでっかいハワイアンバーガーが有名なんだよー」

 そう言って落合が顔の前に三十センチくらいを両手で示して見せた折だっただろうか、やっとこちらへ向かって来た草間が砂に足を取られ、その背中にぶつかった。

「おっふ!」

「キミちゃん、ごめん! あ、有村くん、これ!」

 勢いよく差し出された水のペットボトルを有村が受け取ると、草間は次いでポケットから出した飴やチョコレートを右手と左手の両方に目一杯乗せて差し出す。有村はまだ困惑しているようだったので、代わりに藤堂が「どうした」と声をかけた。

 どうしたもこうしたもない。毎朝の登校パレードのあとなど有村が消耗した時には甘い物というのは、既にこの七人の中で定番になりつつあるものだ。こういうフォローは藤堂より鈴木の方が向いている。

「疲れてるだろうから、ご飯の前だけど少し食べないかなと思って。飲み物と一緒にクーラーボックスに入れておいたから、冷たくはないかもしれないけど、チョコも溶けてないよ!」

「……ありがとう。じゃぁ、ひとつ」

「それね、前に有村くんがくれたのとは違うけど、中にイチゴソースが入ってるの。甘くて美味しいよ。ね、キミちゃん」

「うん。あたしたちもさっき摘まんじゃった。さすがにお腹空くしねー」

「そっか……そう、だよね」

 待たせてごめんねと言いながら放り込んだチョコレートが、有村の薄い頬の下でゴロゴロ動く。この顔は、あまり良いものとは言えない顔だ。

「美味しい?」

 期待たっぷりな顔で、草間が尋ねる。

「うん。美味しいよ、ありがとう」

 やっぱりそうだ。有村は多分、いま口の中が甘いとしか感じていない。

 本人がそうだと言うものを問い質しても仕方がないと藤堂は片付けているのだが、有村が言う美味しいは味覚ではないらしい。血糖値が上がるのをそう呼んでいるか、あとは草間の岩盤クッキーの例、有村は『嬉しい』を『美味い』に変換するのだ。頭の中で。

 ただ、すぐにもうひとつ頬張ったので、気に入ったようだとは思った。有村の気が晴れるなら、チョコレートが『美味い』のでも、草間が『可愛い』のでも、藤堂からすれば同じことだし、どっちでもいい。

 多少気配の和らいだ有村が藤堂にもそう見えたように、やっと王子様に戻るレールに乗ったと落合もまた思ったのだろう。いきなり有村に体当たりをして、ぶつけた肘で脇腹をグリグリ押しこくる。

「バーガー食べるだけお腹空けといてよ? この甘味フェチめ!」

「大丈夫だよ。僕が結構食べるの、落合さんも知ってるでしょ?」

「そうだけどさ! バーガーにはてんこ盛りのポテトも付いて来るんだよ? ワンプレートのアメリカンスタイル!」

「ハワイアンは?」

「ハワイもアメリカ」

「ほらねー!」

 なにがホラなのだか。

 けれど、はしゃぐ落合を見て笑った有村はどこまでも柔らかな表情をしていたので、もしかして本当に美味いのだろうかと藤堂も珍しくチョコレートをひとつ。

「……あめぇ……」

「チョコだもん」

「チョコだもん」

「チョコ、だから、ね」

「チョコチョコうるせぇ。水くれ。水」

「はい」

 余計なことを言ったのも、回し飲みだと騒ぐのも、今日の所は大目に見てやる。そんなつもりで落合に一瞥だけくれた藤堂の脇では、有村が草間に詫びを入れていた。

「なんか、僕ちょっと怒っちゃったみたいで。怖いの見せて、ごめんね」

 こちらもそういうことにしたわけだ。ぼうっとしていたら腕に手の跡を付けていましたと正直に告げるよりは、その方が筋は通る。草間には多少の誤魔化しも気が進まないのだろうに、有村がそう言うならそれでと藤堂が口を漱いでいると、意外なことに草間の表情がみるみる変わっていった。

 頬が紅潮し、眉はつり上がり、ついでに目付きも若干鋭くなると、いよいよ向かい合う有村の瞬きも増える。

 怒っているというなら草間の方がよっぽど、というような顔になるまで、そう時間はかからなかった。

「怒って当然だよ! あんなの、酷いよ!」

「あーあ。せっかく治まってたのにぃ」

 呆れ顔で間に入った落合が言うに、草間はふたりが離れたあとからずっとこの調子だったのだそう。子供のことになるとすぐ怒ると落合が嘆くほど、草間は思い出したみたいにプリプリとした憤りを露わにした。

 草間の顔は頻繁に赤くなるが、照れた以外で赤くなるのを見るのは藤堂は初めて。有村曰くの、赤鬼さん。これはこれで中々草間らしい、可愛らしい怒り方だ。

 全く以て、怖くない。

「だって! 有村くんが止めなかったら、あの子ぶたれてたんだよ? 勝手に行ったのを叱るのはわかるけど、あんなのただの八つ当たりだよ! 怖い目に遭ったんだから、まずは――」

 藤堂は、珍しい物を見る目で草間を見ていた。

 有村も、恐らくは似たような目で草間を見ていた。

 けれど。

「――抱きしめてあげないと!」

 そう言い切った瞬間に、有村の方だけが僅かに眉を動かした。その気配からだけでは藤堂にも、それが同意から来る安堵なのか、草間が有村の何かに触れたのかは判断しかねる。

「……なら、君は抱きしめてあげられる母親になるといいよ」

「えっ」

「もちろん、落合さんもね」

「へ、あたしも?」

 だから目を伏せた満面の笑みで有村が放ったそれが本心なのか皮肉なのかも、藤堂が思うに難しいところだった。親が絡むとらしくなくなるのは有村も同じだ。

「ホント、お腹空いたねぇ。久保さんをあんまり待たせても悪いし、僕たちも急ごう。お昼を遅らせちゃったお詫びに、何か一品奢るよ」

「マジ? キャー! 姫様ったらバッキバキのくせに太っ腹ー!」

「アメリカンスタイルのワンプレートを完食するのが条件ね」

「来たコレ!」

 未だ仁王立ちで待つ鈴木に声をかける振りで有村は草間の脇を素通りし、そのあとに続く落合がキャッキャとはしゃぐのを、藤堂は溜め息がてらに見送る。本心か皮肉か、安堵か否か。有村は両方を同時に抱えたのかもしれない。

 面倒臭いヤツだと思いながら頭を掻き、藤堂は逆の手で取り残された草間の肩を叩いた。

「悪いな。アイツ、水に入ったのがだいぶ堪えてて、痩せ我慢に必死なんだ」

「そう、なの?」

「ああ」

「溺れたって、本当?」

「そうみたいだな。入院したとか言ってたから、ありゃぁ相当トラウマになってんだろ」

「そっか……なのに、助けてあげたんだ……やっぱりすごいね。有村くんは」

 すごい。それが皮肉でなかったのだけ、藤堂は救われたような気がした。

 怒ったかもしれないことはまだしも、命令が解除を待たずに解けたことだけは佐和に報告すべきなのかもしれない。

 有村は変化し始めている。

 草間のおかげなのか、所為なのか。どちらにせよ確実に。

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