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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第四章 黎明少年
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不慣れと、不可解

「落ち着いてきた?」

「うん……」

 広げたビーチパラソルの下にレジャーシートを敷き、荷物番を兼ねて残った有村は、隣りで自分と同じく体育座りの草間を見遣る。

 彼女は丈の長い淡いピンクのパーカーを着ており、前開きのファスナーは首元までしっかり上げていた。その所為で頬が赤いのだろうが、先程崩れ落ちそうになった草間は度々零す『有村くんが過ぎて気絶するかと思った』というのに、大袈裟ではなくだいぶ近い状況だったらしい。

「僕も、前を閉じた方がいいかな」

「ううん。暑いし、大丈夫。さっきはごめんね。ちょっと、ビックリして。でも、もう平気だから……」

「ふふっ」

「……なに?」

「いや?」

 もう平気だ、なんて、きつく膝を抱えた状態で良く言えたものだ。他の五人を送り出して十分ほど経つが、草間はまだ一度も有村の方を見ない。

 彼女がこうも視線を外すのは久々のことで、理由は恐らく普段隠れている場所が目についてしまうからだろうと察しが付く。なにせ草間は有村だけでなく、藤堂たちも見ようとしないのだ。意識し過ぎだと落合は言ったが、そうと取るには草間は妙に頑なである。

「男の子の身体を見るのが恥ずかしい?」

「そっ、そんな、ことは……っ」

「じゃぁ、ちょっと怖い?」

「う……ええと……」

「いいよ。僕だって別に、見せびらかしたいわけじゃないし」

「……ごめんなさい」

「いいって」

 これでも草間とはもう二ヶ月間ほど、恋人として過ごしているのだ。草間が単なる奥手でないことくらいはわかるつもりで、有村はファスナーを半分まで上げた。

「とりあえずお腹まで隠したから、そろそろ普通に話そうよ。喉渇いてない? さっき適当に色々買って来たから、今ならジュース選び放題だよー?」

 もちろん、紅茶もあるよ。そう言って鈴木が持参したクーラーボックスを開いてみせると、おずおずと首を回した草間がやっと小さく笑った。



 有村は基本的に、無理を押すことは日常、殆どないと考えている。

 それは勿論、容易く覆せる不得手は無理でないというのと、必要に迫られた時には努力はして然るべきという考えに基づくものだが、その観点からも草間の奥手はそれに該当しない。

 彼女は異性と距離を置きたがる節があるけれど、アルバイト先で共に働く従業員や客としてなら接するにも問題なく、慣れてくれば藤堂たちとも打ち解け、親密さの程度はどうあれ恋人を持つ身だ。落合の言葉を借りるなら男性恐怖症なのであるという話だが、有村から見るにそれは元よりかなり限定的であったか、だいぶ軽減されているようにも見えたので敢えて踏み込む必要のない事案である。

 それに草間がもし本当に異性に対して恐怖心を抱いているのだとして、手を繋いだり抱き合うくらいは構わないと許容してくれるなら、有村はその特例を素直に喜んだ。だもの、首から下はまだ早いと言われたくらいで拗ねるつもりも毛頭ない。

 事実、有村がファスナーを上げただけで、草間の問題は解決されたようだった。ペットボトルの紅茶でコクコクと喉を潤し「ありがとう」を向ける時、彼女はもういつもの可愛らしいハニカミを惜しげもなく見せてくれたので、有村にとっても問題なしだ。

「ごめんね、有村くん。やっぱりそうやってくれてると、恥ずかしくなくて嬉しいです」

「でしょう? そういう無理はしなくていいって、いつも言ってるのに」

「そうだね」

 しかしそうして会話が続くようになり、笑い合ったりもする内に、気にかかるようになったことが、もうひとつ。

 自分もファスナーを上げて気付いたのだけれど、これはフードを被っているのと同じくらいに暑い。まるでサウナだ。草間は顔に触れる髪が汗に濡れていて、頬の赤みも徐々に強くなっている。

 これでは体調を崩すのも時間の問題と他愛のない会話で場が和むのを待ち、有村は言葉を選んでそっと切り出してみた。

「あのさ、やっぱりちょっと暑くない?」

「えっ」

 弾かれたようにこちらを向く顔に、僕は着てるよ、と付け加える声色が妙に慌てていた。

 気遣いはそこそこ出来るつもりでいるのだが、草間が相手だと有村はどうも思い付いた正解に自信がない。

「いやね。こう、変な意味で言うんじゃないんだけど、草間さんすごく暑そうだから。もしかして、もう少し薄手のとか持ってないのかなぁと思って。用意いいでしょう? いつも」

 なので、つい先回りに忙しい遠回しな口振りになってしまい、「ああ……」と呟く草間を見て貼り付ける笑顔の不格好なこと。変に刺激を与えないようにしたいだけなのに、その過剰分が有村を常日頃の平均値よりポンコツにしてしまう。

 張り切るとダメなタイプなのかもしれない、などという自己分析をしている場合でないのは、有村自身がよくわかっている。あとでいい。そんなのは。

「もし持ってるなら、着替えた方がいいんじゃないかな。熱中症とか、具合が悪くなったら大変」

「そう、だよね」

「……持ってる?」

「うん。持ってはいるの。ただ……」

「ただ?」

 俯く草間に目線を合わせようと体育座りから胡坐に変えた有村は、もう少しで完全に二つ折りになるところだった。

 チラと寄こされる視線に、ニコリと笑って応える。それが出来る場所で構えていないと、草間はいつ、何をどう早とちりするかわからない。不思議な子なのだ、とても。

「そっちは少し丈が短くて。一回着たんだけど、お尻が、ちょっと」

「そう……」

 普通丈だね、とは言わず、脚を出したくないならタオルをかけておくのはどうだろうと、有村は引き続き言葉を選んで打診する。

「もう一度着替えに行ってもいいし、草間さんがここでも構わないなら、僕は背中を向けているからさ。いいって言うまで絶対に振り返らない。約束する」

 首から下を見たくないくらいなのだもの、自身が見られるのも存分に抵抗があるはずで、困惑気に眉を下げる草間を前に女性に対してそういう興味のない有村は初めて、この手の言い訳がましい物言いをした。

 痛くもない腹を不必要に隠しているみたいだ。妙に緊張するし、慣れないことはするものじゃない。

「せっかく来たんだしさ。草間さんにも体調とか気にせず、楽しんで欲しいんだよね……」

 言えば言うほど今度はこっちが余程意識してるみたいだ、と。そうならないように心掛けるほど語尾が尻つぼみになったから、不慣れに弱い自分が有村は久々に恥ずかしくなる。どんなことでも一回目から卒なくこなすというのこそ、有村からすれば王子様より他人事だ。

 するとそんな覚束ない提案が通ったのか、草間は着替えるならまたロッカーに行くけど、と、また一瞬だけ視線を上げた。

 何か探るような眼。丸くて可愛い。そうじゃない。

 まだ何か心配事があるのかと、有村は何でも聞くよの笑顔を湛えた。言ってご覧と口元ばかり気にしていた。なのに。

 口より速く動いたのは、草間の右手。それが何故か、ファスナーのつまみを掴んだ。

「やっぱり、変、だよね。海まで来て、こんな厚手の着てるなんて」

 弱々しい声と同じく、小さな肩を窄めた草間はどうにも思い詰めたような表情で、もう片方の手を太腿の上できつく握る。そうした反応に有村は焦りを覚え、すぐさま「変ってことはないよ」と自身のパーカーの襟を揺らして見せた。

「僕も着てるし、大体の人が何かしら羽織ってるじゃない」

 彼女のように下に水着を着ているのかも定かでないほど、しっかり着込んでいる人は少ないとしても。有村が案じているのは、ただただ草間の体調、それだけ。

 けれど向き合う顔は更に下を向くばかりで、じきに不穏な気配まで漂い始めた。こういうことは草間といると稀にあって、その都度有村はどこで引っかかったのかを悩むが、判明するのは大体あとになってから。

 今回もまた草間が口火を切ってようやく、躊躇の理由を理解した。

「もう一個の、短いからっていうのもあるんだけど。私、絵里ちゃんとかキミちゃんみたいに水着が似合う体型じゃ……あの、おなかとか、気になって」

 そういうことか。外見内面共に自己評価の低い草間は、度々そうして消えてしまいたいような顔をする。

 可愛くないとか、背が低くてちんちくりんだとか、そんな台詞には有村だってもう慣れっこだ。草間はもっと自信を持っていいのに。

 間違いなく、このビーチで一番可愛いのは彼女だ。有村にとっては、だけれど。

「気になる、か。まぁ、気になるなら仕方ないけど、君は全くふくよかではないよ? 腕や脚を見るだけでわかる。女の子らしくて、丁度良いよ」

「うん……」

 たとえ本当に自分ひとりが草間を最上級と思っていても別に構わないし、寧ろ誇らしい有村は人差し指を唇に当て、やっと自然に笑えた気がした。

 だって、一寸の偽りもなく草間がパーフェクトなのだ。それをどう伝えるか、それだけなら何を躊躇う必要もない。勢いづいた有村は正に水を得た魚だった。先程までが嘘のように、面白いほど舌が良く回る。

「僕からすると、逆に久保さんや落合さんは若干痩せ過ぎている気がするな。ここだけの話、スレンダーなこととプロポーションが美しいのは別の話だと思うんだよね。女の子の美的感覚とは違うのかもしれないけど。僕は、触るとちょっと柔らかい草間さんくらいが健康的で、安心感があって好きだよ」

 仕上げにニッコリ微笑むと、瞬きの多くなった草間の頬が更に赤くなった気がした。

「そ、そっか……」

 もう茹蛸みたいだったのだ。それもまた可愛い。

 正直、草間は何をしても可愛かった。微笑ましいばかり。一足先に和んだ有村から、あらゆる力が抜けていく。

 だから、途轍もなく驚いた。

「…………っ!」

 勢いよく上げた顔が勇ましいなと思ったのも束の間、なにやら意を決したらしい草間はクルリと背を向け、ゴソゴソと弄った鞄から服を取り出すと、次も勢いよく着込んでいたパーカーを脱いだのだ。

「――――ッ」

 その行動には当然、急に晒された背中にも面食らい、有村は思わず息を飲む。

 何を突然、思い切ったことを。草間は稀に、唐突に思いもよらない行動に出ることがあるが、これは今までの中でも上位クラスだ。代わりの白い上着を羽織るのも素早かったが、目を逸らす暇はなかった。

 そして。

「どっ、どうですか!」

 背を向けた時と同じく正座の姿勢でこちらを向いた草間の、燃えてしまいそうなほど真っ赤な顔。

「へ、変じゃないですか!」

 両方の白い太腿に置いた、小さな握り拳。それに目を取られると視界に入ってしまう、二段のフリルと白い腹部、小さなヘソ。

 きつく両目を閉じる草間に他意はないのだろうが、漲る緊張は二本の腕を固くして、挟まれた胸が必要以上の主張を見せる。下と同じく、フリル付き。そこから零れ出さんばかりの柔肉に一瞬目が行った有村は、信じ難いほど脈が暴れた。

 ただの肉だ。そう思っても気まずいものは気まずい。それ以外にない。顔を逸らしても草間がその状態である内は駆け出した鼓動が治まりそうになくて、有村は明後日の方向を向き静かな深呼吸をひとつ。

 目線は必要最低限に視界の隅で確保したまま、草間が羽織るパーカーのファスナーの留め具を摘まむと、直接肌に触れないよう細心の注意を払い一気に引き上げた。

 一番上まで、キッチリと。

「…………っ」

 そうしてファスナーのつまみから離した手が、奇しくも降参を意味するような形で固まる。なんだ、これ。純情な鈴木でもあるまいし、定まってくれない視点はそのまま、有村の動揺の表れ。

 なんだ、これ。そればかり思う。泣いたことなどないのに、なんだか泣きたい気分になるのだけれど。確実に、目の奥が熱い。と、いうより、顔面がやけに熱い。

 こんなのは、はじめてだ。

「ちがう。違うんだ、草間さん。君はやっぱり気にするような体型ではなかったし、肌もキメ細かくて綺麗だから、白い水着にとても映える。フリルっていうのもいいね。そういう女の子らしさは君にこそ似合うよ。すごく可愛い」

「…………っ」

「ただ。ただ、ね。君のその純粋というか、純朴というか。そういう風体と合わさると、なんというか、胸が痛い」

「…………っ」

「それは君の美徳だよ? 僕は君のそういう奥ゆかしいところが好きだし、本当に、とてもよく似合ってる。見せてくれてどうもありがとう。その気持ちもすごく嬉しい。でも――」

 心苦しさに沈黙の草間を見遣ると、彼女は予想通り今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 無理もない。草間の一大決心を、たったの数秒で切り上げさせたのだもの。だけどファスナーを上げたことに悔いはない。間違ってもいない。有村にとっては。

 困惑の草間と目が合うと、有村の唇は少し紡ぐべき言葉を迷ってから不恰好に片方の端を上げる。

「――今度は僕が上手く話せなくなりそうだから、出来れば、前を閉じておいてもらえる?」

 そして、その目は浮かべた表情以上に頼りなく揺れた。

「……似合ってはいた?」

「もちろん」

「ふとって――」

「ない。全く」

「見たくないってことでは――」

「ない。有り得ない。君は寧ろ……その、とても魅力的だ。女性として。可憐な顔立ちとのミスマッチが――」

「ミスマッチが?」

「――いや、なんでもない。可愛い水着だね。まるで、君が着る為にあるようだ」

「そんな……っ」

 校内で実施されるテストより余程速い速度で駆ける思考が火を噴きそうだった。

 必死に言葉は吐き出したけれど、言ってはいけないことを口に出さなかったかもあやふやだ。何故なのか理解に苦しむけれど、とにかく必死だった。わけもわからず、意味も、定かでなく。

 今更女性の身体つきに何を思うでもないし、現に浜辺を歩く他の女性には何も感じないというのに、瞬きをする度に真っ赤になった草間の顔と二箇所のフリルがチラつくのは何故だ。あと、少し横長に見えたヘソ。つるんとした腹の真ん中に。小さい。可愛い。そうじゃない。

 草間の羞恥心が伝染したのか、急なことで困惑したのか。その理由を理解するには、きっと少し時間がかかる。なのに、それをもたらした草間は独り言の体で「にあう」などと呟き、嬉しそうにはにかむのだ。

 その顔もずば抜けて可愛い。今は少し勘弁してほしい。そのくらい、有村には余裕がない。

「せっかくいっぱい悩んで選んだんだから、見せた方がいいってキミちゃんに言われてて。似合うって言って貰えて、嬉しい……」

 そう言って俯き加減の顎先にかかる場所で静かに抱き込まれた草間自身の両腕がまた、幼顔に似合わず豊かな胸元を強調したりする。

 だから、そういうのが気まずいんだって。原因不明の居た堪れなさに、有村はそっと砂に落とした目を伏せた。

 本当に、どうしてしまったのだろう。前方の海の近くでビーチバレーを楽しむ三人組、上に何も羽織る気のない落合を見ないようにフワッとしたボールしか返せない鈴木みたいな、初心な男でもないのに。

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