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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第一章 初恋少女
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心地よい手

 手を、繋いでしまった。


 咄嗟に適当な店が思いつかず、草間は歩きながら視界に入った店を考えなしに指差した。

 それは先日久保たちと作戦会議をしたあのファストフード店で、近付いてみれば外からでも中の厳しい混雑具合が窺えたのだが、なんと言っても土曜日の昼時、飲食店はどこも混み合っている時間帯で、どうしようかと顔を見合わせたのはほんの数秒。ただ今でしたら二階にまだお席のご用意がございます、という店員の元気な声に促され、ふたりは自動ドアからもはみ出した列の最後尾に就くことにした。

 有村は空腹で、草間は少しでも早く涼しい場所に入りたかったのだ。この暑い中、どこへ行っても大差ないはずの街中を歩き回るよりはずっと良いという消去法だったのだが、その選択はどうやら大正解だった様子。

 さすがは混雑慣れしたファストフード店という具合で、列は順調に短くなっていく。それに合わせてじわじわと歩を進めながら、草間はついさっきまで有村に繋がれていた右手をスカートの影でこっそり握ったり開いたりしていた。

 まだ少し、感触が残っている気がする。自分の手を軽々と包んでしまった有村の手の温かさなどが、微かに。

 本気で振り解けば容易く離れてしまいそうな力加減だった。強引ではなくて、でも、ちゃんと繋がれていて。長い指や手全体の骨張った感じが、いつも手を引いてくれる久保の柔らかな手とは違う安心感をくれるようで、草間は本当にちょっとだけ、クセになっちゃったらどうしよう、などと思ったりする。

 不思議だ。学校行事で仕方なくでも触れられなかった男の子の手に触れたのに、全く怖くない。

 それどころか嬉しくて、心地良さすら感じてしまいそうで、草間はもう一度レース地で膨らんだスカートに埋めるようにして、右手をぎゅっと握った。

 抑えても抑えても緩んでしまう頬を、隠せない代わりに。

「んー、なに食おっかなー」

 キュッと唇を噛んだ草間の隣りで、有村がポツリと呟く。それきり何も聞こえなかったから独り言だったようだけれど、草間はその声でふと我に返った。そうだ、私もそろそろ決めなくちゃ。右手はまだスカートに埋もれたまま。

 長い長いと思っていた長蛇の列も、横へ身体を傾けて前方を覗いて見れば、注文している客を入れてあと二組になっていた。確認して、これは急がないと、とは思ったのだ。けれどカウンター上のメニュー表を眺めると、その視界に漏れなく同じようにメニューを眺める有村の横顔が映り込んでしまって困った。

 そっちじゃない。今はメニューを見なくちゃ。そう思った矢先にチラと隣りを見てしまう。

 教室で見ているのとは逆の、左サイドの横顔もやっぱり綺麗だ。分け目の関係で右側より髪に隠れている比率が大きく、ちょっとだけミステリアスな雰囲気。いや、彼の顔は左右対称なのだから、右でも左でも本当は同じはずなのだけれども。

 髪の間から覗く瞳もキラキラしているな、とか。睫毛の色も少し薄めなんだな、とか。

 ついには好奇心に負けて観察してしまったりしていると、今日は少々緑がかって見える瞳がこちらを向いた。

「あっ」

 しまった。途端に視線を迷子にする草間を、有村が小さく笑う。黙って見逃してくれるのは彼の優しさだ。多分。

 草間がそう思うのは、こうして目を合わせるのが列に並んでからだけでも数回目のことで、左右の列との間隔が狭い所為で指二本分くらいの隙間しかない有村との距離に未だ不慣れなあまり、また会話がままならなくなっていたからだ。

 列に並んでから発した言葉は、有村が渡してくれた話題に短い返事を幾つかというくらい。これじゃダメだ、とは、思うのだ。なにせ今日の草間の目標は少しでも多く有村と話すことで、退化している場合ではない。

 一度はメニュー表を眺めたものの、草間はそれをただの道具にすることにして目線を定め、ドキドキと胸を締め付けられながら口を開いた。 

「あ、あの、ごめんね。なんか、すごい混んで――」

 やっと紡いだというのに、そんなタイミングで揚げ物か何かのアラーム音が鳴り出すとは不運にもほどがある。

 完全に掻き消されたと眉を下げた草間に、有村は再び鼻の奥で零すような短い笑みをひとつ。土曜のお昼だからねぇ、などと軽い声を響かせ会話に持ち込んでくれた。やっぱり彼は優しい人だ。

「どこも似たようなもんだったろうし、決めてくれて助かったよ。あ、エビカツ美味そう。草間さんはもう決まった?」

「え? あ、ううん、まだ」

「て、ゆーか、メニュー見える?」

「見えるよっ」

「あ。別に小さいって言ってないよ? 距離の話」

「見えるよ!」

「そっかー。俺、結構薄らぼんやりで。ダメだなー、字がぼやける」

「……そうなの?」

「うん。やっぱコンタクト替えて来ればよかったかも。横着したかな。失敗」

「有村くん、コンタクトなの?」

「うん。外ではね。あ、先に言うけど色は入れてないからね」

「そ、そんなこと思わないよっ。じゃ、じゃぁ。家では眼鏡?」

「そー。視力絶望的でさぁ、裸眼だと殆ど見えないんだよねー」

 意識し過ぎてしまわないように真正面を向いて話しかけてみたこの苦肉の策が、始めてみると存外、良い塩梅だったのだ。メニューを見ているという口実もあるから目が合わなくても不自然でないし、距離は近くても思いがけず、ここ数週間で一番の話し易さだった。

 これならいける。そう確信した草間が心の中で、ぎゅっと拳を握ったのは言うまでもない。しかしその間にも列は動くのだ。前の男性が注文を終えて列を出ると、草間はいつもそうしているように二番手に回るべく有村の後ろへ下がろうとした。

「草間さん」

 その腕を有村に掴まれて、草間はビクリと肩を跳ねさせる。

「大丈夫?」

「え? あ、うん」

 どこか案ずるような表情と、引き寄せられる腕の力に草間は脚を縺れさせながら有村へと近付いた。どうやら彼は草間が前の客とすれ違う時に押されてしまったのだと思ったらしい。窮屈なレジカウンター前は確かに並んでいる時以上の鮨詰め状態で、注文の終わった客が列を後にするのに「すみませーん」とそこかしこで声を上げていた。

 そうか。促されたあとでそれに気付いた草間は、優しいんだから、なとど暢気に惚けていたのだが、そのまま前へ押し出されカウンター前にすっぽりと収まると、それを正面に見る形、つまり有村はカウンターに対して横を向き、草間を見下ろすようにして立ち止まったので、さすがにおやと小首を傾げた。

「ん?」

 右側から存分に視線を感じるこの立ち位置は多分、草間が窮屈にならないようにという気遣いだろう。実際にそうしてしっかりとスペースを作ってもらえた草間はメニューをゆっくり見ることが出来たし、せめて有村側からは圧迫感を感じずに済んだから有り難いと言えばそうなのだが。

「んん?」

 なにか、おかしくはないだろうか。

 あまりに自然に前へ出されてしまったので、草間はきょとんと目を丸めたまま頭に幾つかの疑問符を浮かべていた。これは一緒に、ということだろうか。久保たちと以外は滅多にこういった店に来ない草間は、経験したことのない状況に視線を忙しく彷徨わせる。

 ――注文って、ひとりずつじゃなくて? 先にどうぞってことでもなく?

 自分に馴染みがないだけで、寧ろそういうパターンの方が自然だったりするのだろうか。もしかしたら混雑しているから、とか。

 それならそれでと納得しかけた草間は、なんとなく自分の隣りの列を見た。

 ――あぁ、隣りの人たちもそう……だ、あ、え?

 気の所為だろうか。手を繋いだままとても仲睦まじそうに並んでいるお隣りは、どうにもカップルのように見えるのだけれども。実は、有村を挟んだ逆サイドのお隣りも、似たような。

 ――これは……っ、まさか……っ!

 狼狽えた拍子に肩の先が有村の胸に当たり、草間はまた体温を上げた。

 見た目だけなら、恐らくは三組共カップルと思われるだろう。なにしろ体勢や位置関係がそっくりだ。それに気が付いてしまった草間はまた煩く高鳴ってしまう鼓動を押さえようと、久保に叩き込まれた例の呪文を心の中で繰り返し唱えた。

 悪霊退散。そんな気分で。

「いらっしゃいませ! 本日は店内でお召し上がりですか?」

「はい、店内で。草間さんはどれにする?」

 ただの人。ただの人。

 そう念じている最中に声をかけられ、草間は思わずしどろもどろに「えっとぉ」と言葉を濁した。

「じゃぁ先に注文しちゃうね。それじゃぁエビカツとテリヤキとチキンで一個セットにしてもらって、ドリンクはアイスコーヒーで」

「サイドメニューはポテトでよろしいですか?」

「あー、オニポテにしてください」

「かしこまりました。お連れ様は、ご注文お決まりですか?」

 パンッ。

 祝詞を上げる草間の中で、舞い込んで来た火種が羞恥心に火を着けて、なにかが弾けた音がした。

 ――おつれさまっ!

 なんという響きだろう。深い意味も他意もない言葉だとわかるのに、この気恥ずかしさ。この破壊力は何だ。別に友人同士でもそう言うが、脳裏に『カップル』という単語がこびり付いている今、草間の耳にそれはそういう風には届かない。

「ふふっ」

「な……ッ」

 そんな草間を、有村は面白そうに笑みを堪えて眺めていた。

 その笑顔の、さも愉快そうなこと。彼はまたオーバーリアクションだとでも言いたいのだろうが、草間にとってはこれでも抑えた方だ。仕方ないではないか、緊張してしまうのだから。

 肩を揺らしてこちらを見て来る有村へ向け、なにも笑わなくても、とか、少しくらいはひどいとも思って口をへの字にすると、彼はもっと楽しげに笑う。だから、それがひどいと言うんだ。思っているだけで、口になど出していないけれど。

「お連れ様ですって」

「有村くん!」

 まぁまぁ、などと宥める声すら半笑い。チラと見ればカウンターの向こうの店員もニッコニコ。

 ここまで来たら草間の居た堪れなさも振り切れるというものだ。

「さ、注文をどうぞ?」

「するよっ、しますっ」

「どうぞ、どうぞ」

 くくっ、と喉の奥で押し殺したような声を背に草間は膨れっ面でカウンターに身を乗り出すと、ピンと立てた人差し指で目の前のメニューを指差した。

「かしこまりました。それではお会計――」

 ご用意して参りますと頭を下げた店員がいなくなり、草間はやっとひと息吐く。注文するだけでこんなに焦ったのは初めてだ。

 背中を向けドリンクを用意する店員におかしな風に思われなかったかなとか不安を募らせたりしているというのに、有村はまだ薄ら笑いを浮かべている。ひどい。そう思った時、草間の恥じらいはほんの少し、その『ひどい』に負けていたらしい。

「笑うなんて」

 そう言って、悔しい草間の手が知らず知らずの内に有村の腕をトンと小突いていた。

「ごめん。先、座ってていいよ。来たら持ってくし。けどさぁ」

 なにがそんなに恥ずかしかったのと訊かれても、まさかカップルに見えるかもと思って、とは返せない。

 何か言い返してやりたい気持ちはあるのだが口を開けば墓穴を掘る予感しかしなくて、草間はせめてもの抵抗に「知らないっ」と息巻いた。なんだか、今日の有村はちょっとだけ意地悪だ。

 たくさん笑ってくれるのは、嬉しいのだけど。

「少々お待ちください」

 戻って来た店員のその言葉を受け有村にもう一度「出てていいよ」と促されたので、このままここにいてもモヤモヤと胸の中を乱されるだけだしと、草間は大人しく好意に甘えることにした。

 が、その前に。忘れてはいけないと鞄から財布を取り出す。

「これ、ちょうどです」

「……律儀だねぇ」

 また笑われる気配がして、草間は顔も上げずに急いで列をあとにした。

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