フィアとコーングリッツ・シリアル
魔導学院、それは栄えある魔導士の養成校。国家のさらなる繁栄を目指し、王国は魔導の探求に金と心血を注ぐ。
魔力はすべての生命が持つものである。であるが、魔力を元に奇跡を起こす魔法を使える者はその半数にも満たない。まして魔法を自在に扱い、新たなる奇跡を追求構築できる魔導士と呼ばれる存在になるものはほんの一握り。
魔力は確かに存在する。だが未だによくわからないものであり続ける。困ったことに、灯り、時計、風呂に冷蔵庫に洗濯清掃装置――これらの魔導器によって暮らしは支えられてしまっている。
よくわからないもののままでよろしいのだろうか。考えるまでもない問いだ。魔導の次代を担う人材の発掘と育成に国費を多分に投じることには、多くの国民が納得するところ。
今日も今日とて、学院では未来の魔導士が研鑽に明け暮れている。
「わああああぁん!」
とっぷりと日が暮れた校舎に何とも悲痛な泣き声が響く。
首がブンブンと振られれば肩口まで伸びた黒髪が揺れる。生来の紅い瞳をより赤く充血させ、魔導士見習いの少女――フィアは何に誰に憚ることなく泣いていた。
「できないっ! お師様、できないよぉ……」
とうとう机に突っ伏してして泣き言を溢す始末。
おんおんと泣いてみせたところで、いつでも慰めてくれる師はただいま出張中。であればこそ、こんな時間まで居残りをかましている。不甲斐ないままではいられない。
しかしできないものはできないし、悔しいものは悔しいのだ。一頻り暴れた後とあり、トレーニング用の魔導器も床へと落下する。たった今落とされたこれは、一抱えの正方形。その板の上に小さな正方形が更に配置されており、その表面には模様が刻まれている。それが縦横三つ、計九つが規則正しく並べられている形だ。右下の正方形は簡単に取り外しが可能で、バラバラに動かされてしまった模様つきの正方形を正しく動かすことで一枚の絵が完成する――有り体に言えばスライド式のパズルだ。
ただし、魔導士養成校でただのパズルが出される訳はない。このパズルを動かすには魔力が必要。それも適切な分量の魔力を十分な分量だけ流し続けることが求められている。
精緻な魔力の制御――つまりはフィアの苦手が目の前に突き付けられている形だ。机から転がり落ちたパズルは、無残にも元ある模様がわからない程に焼け焦げてしまっていた。歩く魔力炉と呼ばれる彼女の、純粋過ぎる魔力が注ぎ込まれた結果がこれである。
「お、おぉ……」
嗚咽交じりに泣くフィア。その横からは別のパズルが動くカチカチという小気味よい音が混ざる。
言い分を聞いてもらえるならば、誓ってサボってなどいないと言いたい。それは足元に転がるパズルだったものたちの数を見ればわかることだろう。諦めなかったからこそ、居残りの果てに今がある。
他にも居残った者はいるが、みな夕暮れ空を見ては帰宅の途についてしまった。例外的にこの場に残った人物は二人だけ。
「今あるパズルは全部焼けてしまったし、一旦置きましょう」
葉の揺れるように優しい声音が届けられた。よいしょ、と椅子から立ち上がると、実際に頭から生える広葉樹が揺れて声と同じ音を立てる。
「せ、先生ぇ……、でも、でも、まだできてないんだ」
フィアはようやく顔を上げ、担任のリークを見つめる。ある魔法を探求するあまり、植物と一体化してしまったこの魔導士は、それこそ木々のように物言わず見守ってくれていた。同じく、となりでお手本になろうと辛抱強くパズルを動かし続けた同級生も、担任に続いて口を開く。
「こんな遅くまで頑張っていたこと、フィアがサボってないこと、それはボクが証人になるよ」
「エンファーーっ、う、うぅ」
ぐずぐずとまた泣いてしまう。しかしこれは嬉しい方の涙だった。おかっぱ頭のちんちくりん仲間がくれる言葉が、どこまでも染みた。
『あら、こんなこともできませんの?』
基礎中の基礎ですのよ、との言葉を幻想してしまったのだ。実際に誰かに言われた訳でもない。だがしかし、おでこが広い癖に心の狭い金髪の魔導士見習いはそう言うに違いない――嘘か本当かは置いて、フィアは本気でそう思っていた。
だから、バカにせず付き合ってくれる級友がありがたかった。
「ありがとうエンファ……。ところで先生はどこに行ったのだ?」
よしよしと背を撫でられ、震える肩もゆっくりながら落ち着きを取り戻す。さてそろそろ帰りましょうかという段になったが、担任の先生の姿が見当たらない。
本当だね、とエンファが顎元に手を添えて唸る頃、突然に窓の外から光が飛び込んで来た。
「フィア、これでやってごらんなさいっ!」
光に続いて張られた声を追えば、果たしてリークの姿は校庭にあった。今正に魔法がなされたのだろう、グラウンド中に張り巡らされた枝葉が先生の藍色のローブへ戻っていく様が見られた。
生命力豊かな枝がグラウンドを走った跡、そこにはバカでかい正方形が計九つ用意されているではないか。「正真正銘、本日のラスト。全力でおやりなさい」先生の声がよりクリアに聞こえたのは、エンファが窓を開けてくれたからだ。
うんうんと頷き、フィアは両手を五本の手指を胸の前で合わせるようにして揃えた。
「ふっ、ふっ、ふっ、ふぅ――」
お膳立てを受けて歩く魔力炉は息を吐く。呼気が短く繰り返されることで、彼女の中のスイッチが押される。自分のものなのに持て余す程の魔力。それを滞りなく動かすためのスイッチは、思いの外固い。
“今は”まだ、そのスイッチを押すのに儀式による後押しが必要だ。好敵手との決闘では流れるようにできた全力も、教室を氷漬けにして以来、制御装置が二段階引き上げられたため難しい。
だけれども今日だ。今日は久々に許可を得た。全力でやっていいと許可を得た。
だから、これまでの何時よりも丁寧に。残った力を爆発させるのではなく、余すことなく使い切るイメージでフィアは臍から魔力を巡らせる。
腹から腸を回り、胃を心臓を経由して左手へ魔力が集まる。既に高い魔力が集まってはいるが、ここはステイ。
まだだ。リーク先生が全力と言ったんだ、先生の魔法はグラウンドを地中奥深くまで貫いた筈、このパズルは自分が全力を出さないと動かせない程の立方体に仕上がっている筈。
「先生が助けてくれるんだ、エンファが力を貸してくれるんだ」
そして何より、御師様が帰って来たときに驚かせたいし喜ばせたい。
二つ名の通りに滾々と湧き出す魔力が左手へと充填される。高純度大容量の魔力が廻った結果、制御装置はバキンと金属が引きちぎれる音を立てて変形した。これまで締め付けられた螺旋が三段程伸び、正に止めどない魔力が放たれる。
「どおおぅりゃあああああああぁぁっ!!」
地面を揺るがして完成させるパズル。正しい面に揃えたときに見えた模様、そのメッセージはこの場の三人にとって忘れられないものとなった。
一夜明け、いつもより少し早くフィアは起床した。寝ぼけ眼をこすりながら洗面所を目指したが、いつもと勝手が違ったので台所へ出てしまった。
「あら、意外と早起きさんなんすね」
先生からおはようが出されれば、フィアもおはようございますと応える。枕が変わると少し眠りが浅くもなる。
(みらいのしゅくじょは、お行儀よくできるのだ)
御師様の言い付けに倣い、家ではかまわずしてしまう大あくびを堪えた。
リークはフィアの師匠であるアーヴァインとは先輩後輩関係になる。彼女はアーヴァインに格別の恩がある訳でも弱みを握られている訳でもないが、歩く魔導書と呼ばれる彼のことを好ましく思っている。異色の魔導士である自分に、分け隔てなく接してくれた友だと思っている。であれば、リークが彼の愛弟子へ無条件に愛情を注ぐことは不自然でもなんでもない。
教師としては生徒の特別扱いは如何なものかと思っても、人としてはこれっぽっちも間違ったことはしていないと言い切れる。そういう話だ。
先生と隣人の丁度中間の顔でリークは言う。
「えーっと、フィアの朝はパンだろうか? うちはサラダとコーヒーだけで済ましてしまうのだけれども。リクエストはあるかい?」
どっちでもどーぞ、とエプロン姿の人型植物がにこやかに言っていた。
ありがたい話であるが、フィアはゆっくりと手を上げて大丈夫だと意思表示してみせる。
「ご、ご飯は、じ、じじ、自分で……」
何とも弱い意思表明であった。
それでも教え子の気概を見た先生は、やはりにっこりと笑ってエプロンのポケットから箱を取り出す。
「バッカス先輩からの預かりものです」
「御師様から?」
出された箱を両手で丁寧に受け取りつつ、フィアは小首を傾げる。一日出張の間は先生の家でお世話になるお約束。だけれども、ご迷惑をかけないようにせめて朝ごはんは自分で準備すること――これもまた師とのお約束だった。
少々の疑問を抱きつつ、預かりものという箱に目を落とす。そこには“困ったときにはこちらを”とのメッセージが添えられている。
どれどれ、と中を確認しようとするも蓋が開きません。
「んーー、ぎぃいいいっ」
押しても引いても開かない。踏みつけてやろうかと思った頃、寛大ながら底意地の悪い面もある師の、その意図するものに思い至る。師もまた学院の教師。パズルで苦戦する姿を見通していらしたのだろう――やや乱暴ながら魔力を流したところ、箱は中身を御開帳。
出てきたものにまた、フィアは涙してしまう。これは悔しい方の涙だ。
「で、できないからって、あたしができないからって!」
箱に収まるのは、これまた箱入りのコーングリッツのシリアルであった。そう、中身はシリアルだ。牛乳を注ぐだけで食べられるアレ。
貴女に料理はまだ早いと言われた気がして、フィアは、お、おおおぉん、と咽び泣く。「あ、あたしはこの牛乳でたぷたぷに満たされるシリアルよろしく、溢れる魔力に溺れてふやけていくんだ……」と朝っぱらから悲嘆にくれてしまう。
「いやぁ、それは違うんじゃないかい? うん。ボクは、違うと思うよ」
項垂れる少女を前に、こちらも寝ぼけ眼の同期がやんわりとツッコミを入れてくれた。寝起きとあって下がる視力を補うためのメガネ姿であるが、新鮮且つ何処かしっくりとくる感がある。思わず「メガネ、よく似合うね」と溢された言葉にはにかみつつ、エンファは続ける。
「よくご覧じあれ。これは大いなる応援だよ、フィア」
「応、援?」
ああ、そうさ、と雄弁に語ると共に、友は指でシリアルのパッケージをさす。それを目で追えば、紅の眼が大いに見開かれた。
「ぼ、ボンゴくん!? ボンゴくんじゃないか!」
「そうだよ、“ボクにもできる、キミにもできる”でおなじみの、ボンゴくんだ!」
シリアルのパッケージに描かれるのは、販促用キャラクラーである美しい細ゴリラのボンゴくん。イケメン(ゴリラ基準)の秀才(やはりゴリラ基準)ながら運動はからきしの彼は、同級生からバカにされながらも決して諦めない。ガールフレンドのコンガちゃんに用意してもらった、このコーングリッツ・シリアルを食しては努力の末にライバルたちに並び立つのだ――因みに歴とした商品名があるが、師から版権の煩雑さを教え込まれているフィアは、コーンフ何某という名を避けてシリアルと呼んでいる。
因みについでに言えば、体格はボンゴくんの方が小さく、コンガちゃんの方が大きい。それは名の由来になる楽器と同じなのだが、聞こえる音感からすれば逆じゃないかとフィアもエンファも正直なところ思っている。
「さぁ、お食べなさい。食べてエネルギーを蓄えて、そんで今日もお勉強っすよ」
プライベートで口調も砕けたリークは実に親しみやすい。愛弟子、クラスで担任する子どもたちの決意を受け取り、手際よく食卓は整えられた。
いつもはサラダだけのエンファも、フィアと揃って牛乳がたっぷり注がれたシリアルを頬張った。シャクシャクとふやける前に咀嚼して皿を空にしたらば、出すべき言葉はアレだ。パッケージにも書かれたボンゴくんの決め台詞――
「うーーーん、エクセレーントっ!」
ゴリラ的パワーで拳を突き上げ、二人の少女は意気込んで学院へと向かう。
朝の教室は喧噪に包まれていた。
やれ昨日の晩ごはんは何だの、やれ昨日聴いた音楽がよかっただの。実に他愛ない話で、誰もパズルのことなど気にもしていない様子だ。担任が現れてもその口が開かれるまで余韻は残る。
「はーい、始めるよー……、今日の日直はリィーンだね。号令っ」
「起立、礼、着席――」
ですのよ、というお嬢様言葉も出されていたが、椅子を引くズズズという音に呑まれて消える。
授業開始前の朝礼、その一風景。大体はリークの魔導に関係なさそうで関係が大いにある与太話がなされるところであるが、今日は少々異なった。
「じゃ、朝一でテストしまーす」
教室には、ええーー、とブーイングの嵐が吹き荒れる。子どもたちが不平を溢そうがリークはそれなりに教師経験を積んできている。子どもたちが本気の抵抗を上げていないことを肌で受け止めると、何食わぬ顔で板を座席の先頭へまとめて配る――例のパズルだ。昨日の復習だとわかるとホッとする子や、居残りの記憶に震える子、バラエティに富んだリアクションがそこにあった。
「フィア、頑張ろうね」
では始め、の声からしばらく。教室で最後尾に座るフィア、その一つ前の席に座るエンファの手から時間遅れでパズルが手渡された。
「あ――」
思いだされるのは前日の会話だ。
『グラウンドだなんて、あんなに大きな物を動かせるのに。どうしてパズルは焼けちゃうんだろうね?』
『そこなんだ。あたしは大きくならできるが、小さくはできないんだ』
『ボクは大きい方が苦手だから、不思議だよ。逆に言えば、ボクにはグラウンドでパズルなんてできないし……、なんでだろうね?』
『それは――』
壊してしまったらどうしよう。これに尽きる。他のみんなは難なくできる。なのにあたしにはできない。強い劣等感を自覚するから、日頃は決して師以外には出さない悩みだ。
しかし、あそこまで付き合ってくれたエンファには言った方がいいと思えた。御師様の言い付けであるところの、素直であれたらいいですね、というやつだ。
「エンファ、これ――」
パズルを受け取った瞬間、友の心配りに気づいた。大きいことは苦手だけどと言う彼女らしく、九つある正方形の一つ一つに細やかなものが乗せられているではないか。
「これは、ボンゴくん……」
パズルの盤面一つ一つに施された本来の模様、それを邪魔しないように隅っこにボンゴくんが描かれている。これから流す魔力に干渉しないように、魔法で成長させた蔦で美しくも細いゴリラが心配そうにフィアを見つめている。
(美しく繊細なのは、きっとエンファだね)
これを自らの魔力の激流で焼き尽くしてしまうのか? とんでもない、そんなことをしては歩く魔導書、その一番弟子の名が廃る。否、友の心遣いを無に帰するようでは、魔導士以前の問題だ。
「うーーーーーーーーーーーん」
できた、やった、大変だった――周囲が一抜けたと喜びの声を上げるなか、フィアは唸りに唸った。
できないできないと言うんじゃあない。ボンゴくんのように、あの頑張り屋さんのようにあたしもやるんだ。そうあれるよう、魔力が弾けそうになる度に止め、繰り返し繰り返し試行錯誤を重ねた。
「フィア、やったね」
「エンファ……」
課題を一番に終え、ずっと成り行きを見守ってくれたエンファが言った。
友の賛辞にも残念ながらよいリアクションが取れない。初めてパズルを揃え切ったフィアの視界は滲みに滲んでいる。
泣くな、泣くんじゃないと思うが、一方で泣いたっていいじゃないかと思う。だって、だってボンゴくんは、苦難を乗り越えたときはいつでも涙と一緒に腕を突き上げるんだから。
課題のクリア順位は下から二番目、競争としては負けも負け。決して誇れる結果ではないとしても、クラスメイトからの「へぇ……、やるじゃありませんこと」などを耳にすれば、溢れる涙を止められない。
「うん、これは実にエクセレント」
最後の一人がパズルを完成させるのを見届け、リークはにっこりと微笑み、ささやかながら拍手を届けた。
未来の魔導士たちは日々研鑽に明け暮れ――いや、そうではない。今日も今日とて、日々もがきながら成長を続けている。




