番外編 歩く魔力炉とアニミズム(前編)
太陽なんてどこで見ても同じだ。
明るさ、その景色模様は同じであるというのに、温感一つでどうしてこうも受け取り方が変わるのか。肌を撫でる緩やかな風は熱が篭って生っぽく、とてもではないが慣れそうにない。ついでに視界はいつもより黄色が差し込んでいる始末。
「ぷあっ」
一声を精いっぱいに投げてみた。うだるような暑さを前に、魔導士の卵はカラス色のローブを捲りたくなる衝動を抑えにかかる。あっちぃなぁと思ったとしても、淑女はみだりに肌を晒さないのです。
吹き晒す風に煽られ煽られている。
それにしても、太陽光の強さがいつもとまるで異なるではないか。ここも街中であるのに陽光を遮るものがまるで少ない。むしろ地面や建物から照らし返されるものが強く、不平も強くなる。自身が埒外の生き物であるのに、この魔導に生きる少女は自然たちを睨んでもみせる。しかしそこはそれ。不平と抗議で眉は顰められつつも、未知に対しては多大なる好奇心で紅い瞳をぐるりと回してみせた。
「ははっ、瞳は死んでないけど、さしもの歩く魔力炉もお疲れと見えるね」
傍らからは快活な声が届く。魔力炉と呼ばれた少女は、ぐるぐると回していた視線を同伴者へ向ける。
「いやいや旧知のとおり、あたしは魔力量ばかりの特価性能でしてね……。エンファ、貴女の元気さの方がむしろ規格外、いや規格上回りなのかなーと、思うっちゃ思うのだよ。でも負けてないぞ」
元気というか、陽光体耐性? 葉緑素搭載ボディってズルくない? などと不平はエンファの体質にも向けられる。不平はあるが、だからと言ってそこに負けたとあっては偉大なる師の名が廃る。
意気込み、ふんす、と鼻息荒く踏ん張ってみたが、それはそれ。やっぱり暑いものは暑い。
砂漠化が進行して日差しの強いこの地域で、エンファもまた自分と同じ色の野暮ったいローブを身に纏っているのだ。同じ条件の下で涼やかに語る彼女の様子を見ているとモヤモヤしたりもした。
幼少期はおかっぱ頭の地味系魔導少女であったのに、今や背丈ではすっかりと差がつけられていることも張り合いポイントだ。
(おかっぱは死語。ショートボブってやつだったかな?)
歩く魔力炉はその赤い瞳で、改めて同期の頭からつま先を眺めてみる。ちんちくりん仲間であった筈なのに、スラリと伸びた背、眼鏡越しに見える涼し気な瞳、物腰の穏やかさも含めて今では彼女のことは才女と評するのがよい。
「おたくもおたくんとこの師匠も超弩級だけど、うちの先生も結構アレな部類だからさ」
さっぱりとした笑顔でエンファは言う。
彼女の師匠は、自然系の魔法を研鑽した末に植物と一体化すらした異色の魔導士。肌は緑、髪は広葉樹――その師匠にならってか、エンファもまた幼き頃からは様変わりを果たしていた。
笑えば小首が傾き黒い前髪が揺れる。そこには幼少期の面影も見えるが、瞳はブラウン、肌はライトグリーンと益々植物の色に寄っている模様で。自然を体に降ろした彼女は実に落ち着いて窘めてくるではないか。
ここはボクのテリトリーなんだから、そうやっかむなよ。そう言っているようでもある。
「あー、うん、それはそう。ここが魔力磁場の強い地域だったなら立場逆転……。納得だよ」
実際にそうだ。環境っていう変数の違いじゃないか――うんうんと首が振られる。
背丈が伸び、少しばかり大人になった魔導士目前の少女は、そっと視線を横へ切った。友の異色さから目を背けた訳ではない。慣れ親しんだ地元と異なるこの景色に、少々面食らってのものだ。
視界の端に広がる黄色黄色そして黄色。比喩でなく砂の山が建物ごしに見えること見えること。だがこれは彼女にとって真新しいだけで、そこでは当たり前のように人々が暮らしている。さて、今回は接触すべきか見るだけで終えるべきか。観測者としてなら放っておくべきなのだが――
「さて、そろそろ件の建造物までもう少し」
頑張ろうね、フィア。と声は続く。
卒業研究の前段階、フィールドワークの地として、彼女らはこの砂漠広がる地域へ足を延ばしていた。
砂塵も舞い踊る市街地であるが、風に横顔を殴られても人々は血色よく声を飛ばしている。やれ今日のリンゴはうまいだの、やれいい鶏肉が手に入ったのだとか。フィアの目から見ても往来は賑やかなものだった。
相変わらず瞳を泳がしていると、子ども連れのご婦人と目が合う。随分物珍しい視線を向けられた感じもあったが、自分こそが異物なのだろうと異邦人の彼女は思う。
「バザールは初めて?」
「あー、これがそうなんだ」
歩く度にジャリジャリと砂が音を立てる。雑踏もいいところで、耳に飛び込む音はバラエティに富む。しかして煩さよりも興味関心が勝つ辺り、フィアは研究者らしい。ものは知らぬが聞けばそれとなくわかるものだ。わからなければ益々楽しい。
否。情報収集、比較、分析、分類、仮設検証はすっかり癖になっている。その上で感想を口にするのは無粋だが、敢えて言うならば――
「うん、騒がしいのではなくて、とても活気がある。あたしが知らなかっただけで、ここもまた一つの世界だ」
極々当たり前の話。この当たり前を理解するために魔導士は要素を集める。能力だとか本能だとか、そんなおためごかしの説明は許しません。実感を以って、普遍的に体系的に、現象を理論立てて腹落ちさせる者こそが魔導研究者というものだ。
「ふふっ――」
「な、なんだ、何かおかしいことをあたしは言っただろうか!?」
「いやいや、フィアさ、変わってないなって……。おたくは愛いやつだなぁ、ってね」
「お、おう?」
端からすれば突然の愛の告白にも聞こえるが、それは懐かしむ声だった。“あたしも最早一端の淑女”とフィア自身は思っているが、受け取る方は違ったらしい。同期の台詞は続く。
「バザールも実に興味深いが、今日は研究の一環で来ている。ボクの遺跡調査に付き合わせてすまないが、これはこれでキミの研究にも貢献するところがあると思う」
「急に真面目になるじゃ――」
「あ、すみませーん! お約束していたエンファマールとフィアです」
ノリでの会話が即座に切り替えられた。
目的地につくや否やエンファは担当者へ速やかに情報を伝えているではないか。フィアはと言えば、よそ行きの顔をするので精いっぱいだったりしたが。
エンファが声をかけたのは、作業着に皮張りの兜をかぶった青年だ。業務ながら面倒くさそうに椅子から立ち上がっては会釈が返された。ボソボソと交わされた言葉の中で、名前はトリアらしいことがわかる。
その青年が指さすのは、石を積んでできた建造物。つまりは遺跡だ、要するに彼はその監視員で、こうして異国の学生を対応してくれているということだ。入口に置かれた椅子は何とも不釣り合いだが、現代人が用意したものなので文句も言えまい。
フィアが漫然と眺めていると、トリアとやらは随分と冷めた目で業務連絡を寄越してきた。
「まぁ入ってもらっても構わないがー、知ってのとおりここは文化財の指定を受けてんだ。いくら魔道学院のお嬢ちゃんだろうが、無茶はいけねぇ……、わかってもらえるね?」
「あいはい、至極了解しております。学院からの指示、御街で受けたご許可の範囲で学ばせていただくものであります」
「……きっかり一刻後には昼休憩に入る。そこを守ってくれんなら、おれはそれでいい」
「ご協力感謝であります。竜殺しの所属する当学院は、御街へこれからも協力的でありましょう」
「さっさと覗いて、とっとと帰ってくれ」
「重ね重ね感謝を」
ズビシと敬礼のポーズを示し、エンファはつかつかと遺跡へ進もうとする。
歯切れよい台詞を聞き、呆気に取られていたフィアであるが、手を引かれてしまっては同じタイミングで門番らしい人の横を素通りすることになる。
「ご、ご協力、感謝……で、あります!」
どんな時でも礼は尽くすもの。師匠の教えに沿って敬礼をしてはみせたが、それを見ている者は誰もいなかった。
地面に埋った石柱が群を成して壁を作っている。規則正しく立つそれらの中は進むと暗がりが広がる。口がポッカリと開いた様にも見え、さながら喉から胃袋へ送り込むような形で階段が設けられていた。
砂まみれの街では歩く度にジャリジャリとした音が続いたが、ここでは歩を進める程にコツコツと小気味よい音が耳に届けられる。そしていつしか階段を下ると涼しさが感じられた。
未知の暗闇へと踏み入れつつも、そこは学院の魔導士。呼吸と変わらぬ自然さで、歩く魔力炉は小指の先程の灯を次々と浮かべては無造作に投げ続ける。石造りの柱に魔力性の灯りが付着すれば、太陽の下と変わらぬ明るさに包まれた。
コッ――階段を下り切ると、目の前にはやたらめったら巨大な石板が二枚。ぴたりと重なったそれは扉のように映る。ただし、ノブなんて気の利いたものは見当たらないが。
「へぇ……、これが遺跡の扉? そんで奥には古代の魔導的な何かがあるって?」
「そう、そのとおり! 外にある人の営みとは別に切り離された時代を跳躍する古代文明見本市、さながらそれはタイムマッシーンのように今も時を越えて我々にその時その姿を見せてくれる。誘ってくれるんだよ、フィア氏、おたくならわかるよね? 歩く魔導書の弟子ならわかるよね? ボクもわかるよー……。この鮮やかな歴史を刻んだ石を見て感じるこのときめきは、はじめて自分の力で魔導がするりとなったときのようさ。魔導の存在は疑うべくもないが、自らの目で見て体現できたその時に神秘はここにあったというか何ていうか――」
「うん。エンファはやっぱりエンファだ。あたしは安心したよ」
「でしょ? そうでしょ? そうでしょうとも! うん? 何か心配させることでもあったかい?」
砂漠の行進中に虚勢で鼻息を荒くしていたフィア以上に、ふんすふんすと興奮する友だ。勢いでズレたメガネが人差し指でくいと持ち上げられる。
口にはしないが、このオタクめ、と思わずにはいられない。嘗ての少女時代ならば恐れ慄いてドン引きもしただろうが、問題はない。今のフィアは言うなれば魔導オタクに分類される。ジャンルは異なるがオタク仲間が健在だったら嬉しくなろうものだ。
まぁ見た目のクールさを加速魔法が如きに置き去るこの興奮度合いは、エンファに憧れる後輩たちが見たらドン引き間違いないけど。
「まったくないよ。さ、どうする? もう少し眺めるか、早速取りかかるか」
「イエス、同志よ。鑑賞タイムを提示してくれるのは実にイエスだ。ただし時間も限られているので構造を解析しながら眺めてみようじゃないか」
「実はもう解析は始まっている。会話の音韻を以って継続的に魔力運用、こいつはあたしの専売特許だ。あー、ところでエンファ、こんな魔力垂れ流しのものはだねぇ……」
「あいはい、バレたらコトだし監視員さんには内緒ね。国境を越えてここまで来たんだもの、見たい聴きたい触りたい」
本音と建前のせめぎ合い。
勿論危険なことは避けるし、遺跡を傷つけるようなこともしない。古代の魔導器には敬意を持っているし、何より問題を起こして師に叱られる方が怖ろしい。
しかしフィアが気にしているのはもっと別のことだ。
「学院に帰ってから土産話するときのことだけど……」
「あ、そっちね。わかっているとも、誰に話してもリィーンには守秘を貫く、だね」
「ありがとう。アレは本当に煩いんだよ、この間は雨の日に傘を差さなかったらすっげー怒られた。大体通せたよ、視覚化頼める?」
「リィーンはリィーンで教本オタクだもんね。了解、投映受容」
オタク談義の間に調査は進む。
二人がしているのは非侵襲的な調査方法の一つだ。調べたいものに魔力を流し込んで形を把握する。ただしそれでは共有ができないので、フィアは鋳型に流し込まれたそれとそっくり同じものをコピーして投射、エンファが魔力の波形を受け止めて描画した。さながらスクリーンに写真が映し出されたようでもあった。扉の向こう側へは魔力が通らなかったので、純粋に古代の石扉を分析する。
立体的に見るために、奥行きを再現するために、複数枚の写真が宙に並べられた。傷一つつけずに対象物を輪切りにしてしまうという寸法だ。
「えっと、多分あれが核になる魔石で……、そこからバイパスが出て錠につながってる感じかな」
「やっぱりそう思う? 鍵穴がないってことはさ」
「魔石起動分の魔力補充ってことだと思うけど、扉がこの大きさだと、ねぇ?」
流石は古代だ規模が違うぜ。呟いたエンファはしゅんとする。対してフィアは瞳の輝きを保ったまま。
「エンファ氏、エンファ氏、あたしの二つ名をお忘れじゃないかい?」
「やったぜ、歩く魔力炉! ああもう言ってる傍から魔力を注いでいるだなんて、慈悲に慈愛に感謝と恩寵よ。さぁさぁ唱えておくれ、古より伝わりし“あの呪文”を」
「ではではご期待にお応えしまして――」
コホンと軽く咳払い。
魔力が充填されたら扉は自動的に開くだろうが、これは様式美だとかロマンというやつなのだ。フィアの唇からオープンセサミが呟かれる。
古代文明の大扉だ、御伽噺ではゴゴゴと音を立てて勿体ぶって開かれるのがお約束。だが意外や意外、ウィーンという滑らかな音と共に石の扉はすんなり開かれた。
「理想的には少し残念であるが、現実的には音が小さいのは重畳」
言葉にはガッカリを、その顔にはわくわくを、異なる感情を同居させてエンファは言う。
本当に扉が開くとは思ってもいなかった。ひょっとしたらはあったが、目的は神殿入り口の構造調査だ。実際にギミックや中身を調べるなら学院の許可が必要になる。何にせよ、監視員の方に騒がれるようなことがあっては不味い。
未知があると見たい聴きたい触りたいがどうしても出てきてしまう。少し早まったことをしたと反省もあるが、オタク心に素直に従ったのだ。悔いはない。
「ありがとうフィア、おたくのお陰で本調査の申請ができるよ。中身についてはまたいずれ……」
今日はここまでだけど、悔いはない。ないったらないんだ。見ろ、友は自分なんかと違ってしっかり抑制できているじゃないか――そうやって自身を説得にかかり、エンファは静かにしている隣の人へ視線を投げる。
だがそこには誰もいなかった。
「なに浸ってるの? 置いてくよー」
スタスタと扉へと歩むフィア。
「ちょっ、待ちたまえ! 今日はここまでだろう」
「だって時間はまだあるじゃないか。もう帰るの?」
「ちょっとだけ。ちょっとだけなら……」
「ふふふ、そう言うと思ったよ、マイフレンド」
二人して足を踏み込むと、またしても意外なことに遺跡の内側は適温であった。階段から扉の前までは口腔から胃袋の印象であったのに、それが様変わり。まるで噂話で聞いた、権力者御用達の高級宿のよう。
「エンファ、これさ、アレだよね。最上階の部屋の窓際で、汚職為政家がワイン片手に街を見下ろすやつだよね」
「いやー、違うと思うけど、うーーーん……、伝わる。悲しいかな、オタクのボクにはフィアの脳内イメージが見えるよ」
多分、赤ワイン。
だって、エントランスからロビーが伸びて真っすぐ行けば大理石っぽいカウンター。赤い絨毯が敷かれて、さらには両サイドに螺旋型の階段が伸びる。白壁には絵画、天井にはシャンデリア、他にも他にも……、これを高級宿と呼ばずして何と呼ぶのか。
「エンファの研究とはちょっと違う趣だよね」
「まぁそうだね。だけど大扉のギミックは本格的に調べたい」
どっちかと言えば、おたくの守備範囲では? 研究対象としては見ていなかったが、そう言われると、フィアはそうだとも思う。
魔導的措置の施された扉の向こうには、嘗て人が使用したであろう痕跡がある。これは何の施設で、誰が何の目的で使用したのか。ただの施設でないのは明白なのだから魔導オタクとしては血が騒がない訳がない。
「フィア、あれっ!」
ギッチョン、ギッチョンと規則正しい音がする。それも複数。エンファが示した先には一列縦隊で進む子どもたち? の姿があった。
上手から下手へ。えっほえっほと歩くのだが、その体は銅でできているようだった。継ぎ接ぎハンドメイドで作られたらしい姿で、フィアの膝丈程度の三頭身。それらは短い手足を振って進む。身体はみな一様だが、顔らしい部分には宝珠がはめ込まれており、その色が個々に異なる。金属でできた一つ目小僧さん――フィアは直感的にそう形容した。
小僧さんたちは一糸乱れぬ、だがやや覚束ない足取りで下手側に突然開かれた穴へ入って消えて行く。
「――エンファ、帰ろうか」
彼らがどこへ行くのかはわからないが、背筋に薄ら寒いものを感じた。友も同じだったようで、頷きながら既に後ずさんでいる。
(空間転移は師匠が使うところを見てる。けど、これは……)
師、アーヴァインが為すそれは人ひとりを移動させるもの。歩く魔導書と呼ばれる程の魔導士でもその程度。では、大人数を一度に移動させる門のような空間転移魔法とは一体何なのか。それだけの魔法を維持させるなんて、どれだけの魔力が必要か。
ハッキリ言って、興味関心よりも怖ろしさが勝る。
「おや、お客さんとは珍しい」
撤退を決め込んだ途端に声をかけられたとあって、二人の少女は目を白黒とさせた。叫ばなかっただけでも褒めてほしいくらいだ。
小僧さんたちの最後尾、スラリとした人型の何かが歩いて来るのだ。残念ながら声の主で間違いない。
そいつを見た瞬間に脳のアラートが喧しく鳴り響く。
見た目は白髪の美青年。執事服をパリと着こなし足運びもキビキビとしているが、親しみやすい笑みが浮かべられている。
だが瞳が不味い。宝石と見紛う橙色――ここまで鮮やかな色ならば、純度の高い魔力を持つ、世界そのものとつながる者に違いない。その証拠に魔法にこそ昇華されていないが、青年から漏れ出る魔力の波が肌にぶつかってくる。
猛獣だとかの部類だ。敵対すれば一瞬で喰い殺される。魔導士の卵である二人は生誕から今現在までの走馬灯を見ては、生き残る方法がないか必死で記憶を検索した。
(お客さん、お客さんと言ったぞ)
現段階では侵入者とみなされていない。なら次は、次は――
「こんにちは! あたし、フィア・ウォーレン。こっちは友達のエンファです」
「お邪魔しています……」
敵対しない、敵対しない、まずは怪しい者でも危害を加える者でも盗人でもありませんを伝えろ。手足が震えるがそれは無視して脳の配線を切り替えて話す。察して挨拶を続けてくれたエンファだが、随分とフィアを睨んだ。
自分は本名を名乗ってこちらは愛称だけを伝える辺りの策士さが恨めしい。それだけ名前は大事なものだ。“無抵抗です。呪いをかけるならどうぞ、でも友達は勘弁してね”をやりやがったのだ。エンファが不機嫌になるのも無理はなかった。
(ごめんよエンファ。最悪のことがあっても、あたしは疑似空間転移ができるから)
心の中で詫びている間に、橙の瞳をした青年も名乗ってくれたようだ。緊張でフィアは彼の名前を右から左へしてしまったが。そんな事情を知ってか知らずか、青年は口を開く。
「人間にしては……、いや、混血か。これまた珍しい」
独り言ちては口元に手を当てて何かを考える所作を取っている。いつの間にか魔力の波がぶつけられることもなくなっていれば、ようやく生きた心地がしようものだ。一層肌を青くしていたエンファもそれなりに話せるようになった。
「あ、ボクは人間です。この肌や瞳は後天的なもので」
「そうか、それも珍しいね。今日は驚きの連続だよ……。しかしよく玄関から入れたね、今の人たちには手応えがあり過ぎでしょう」
「あたしは魔力量だけは人並みを越えているので」
「ああそうか。うん、そうだね」
青年は勝手にうんうんと頷いているが、何に合点が行ったのか少女らには見当もつかない。
「見たところ学生のようだけど、ここには何用だい? 僕は永らく忘れられたままの弟妹を迎えに来たんだ」
ここはある方のアトリエでね。と説明される。
小僧さんたちのお兄ちゃんということは、やっぱり人外じゃないか。脅威は去ったが畏怖は残る。友好的に話が進んでいるので、わざわざ気を損ねる必要もない。いや待て、妹さんも小僧さんと表現してよいのだろうか……。実にしょうもないことを検討しながら、フィアは質問にそのまま答えた。
「なるほど。調査の下調べに来た筈が、試したら開いちゃったものだから。そりゃあ中を見たくもなるよね。そこで盗人警戒モードの僕と遭遇か……、ちょっと可哀想なことをしたね。キミたちは純粋な好奇心でやってきただけなんだとしたら……」
考えることしばし、「お土産でも持って帰ってもらおうか」と言葉が出された。いや、何だか申し訳ないぞとフィアは思う。考えようによっては、どころか考えるまでもなく人の家に無断で入り込んだのだ。それでお土産を持たされては腹の座りが悪くなる。
次回また調査をさせてくれたらうれしいな、を丁寧に伝えてみたが却下を受ける。何でもこのあとこのアトリエは封鎖処分を行うのだそうな。
それじゃあお土産をもらうか。変に固辞するのも仁義に悖るし、迷い込んだ先でお土産を渡されるなんて御伽噺チックでいいじゃないか。魔導士的思考でフィアは青年の提案を受け入れることにした。
「じゃあ、ここのアトリエから一つだけ物を持ち出していいことにしよう……。ああ、食べ物に手を伸ばすのはお勧めしないし、向こう側に移動させた弟妹を欲しがってもあげられないけどね」
なんという提案か。思わず少女らは互いに目を見合わせた。
古代文明の一品を持ち帰れるというのだ。益々のところ御伽噺じゃないか。しかも禁止事項らしいことをきちんと教えてくれる。
二人は遺跡の監視員さんが休憩に入るまでの時間いっぱいを使って、お土産探しと称したアトリエ探索を堪能し、いただいていくものを決めた。青年は「そんなのでいいの?」と言ったが、これがいいのです。
「縁があれば、また会うときまで」
にこやかな笑顔のまま青年が見送ってくれた。岩の大扉がウィーンと滑らかに閉じる――試すまでもなく、これはもう開くことはないだろう。
「いやぁ、驚いた。とんでもない体験だった」
「でもさ、エンファ。お土産はあたしがもらってよかったの?」
「扉を開けたのも、橙執事と交渉したのもフィアさ。おたくが持って帰りなよ」
じゃあ遠慮なく、とフィアはお土産を背負い直す。禁止事項に触れず欲しいものがいただけた。問題は如何にして監視員の目を搔い潜り、如何にして師に認めてもらうか、だ。
興奮醒めやらぬ二人だが、それこそ御伽噺の禁止事項、教訓が頭から抜けていたかもしれない。
欲に目が眩むと不味い――御伽噺に限らず、古今東西に通じるお話だ。




