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フィアとハンドメイド

 まだまだ暑さは続くが、直に秋が訪れると思えるような日であった。


 昨晩降った雨のおかげか、今朝方からひんやりとしている。肌寒さを覚え、アーヴァインは秋冬物をしまっていた洋服箪笥に向かって朝から想いを馳せていた。


「うーむ……」


 歩く魔導書の二つ名で呼ばれる彼は、若くして魔導学院(アカデミア)で一目置かれる天才魔導士だ。三十路を越えてはいるが、魔導研究だけで生業を立てられるのは老年になってからが一般的で、研究者としては十二分に若い。


 若さを証明するように、今日も今日とて彼は灰色の脳細胞をフル稼働させる――今は洋服箪笥に向けてだが。


「どうしたものか」


 抽斗(ヒキダシ)の中にお目当ての物が見つかったものの、依然として表情は晴れない。


 発掘されたのは、子どもの衣服だ。白いワンピースは細やかに刺繍が施されており、値段が張ることは一目でわかる。


 立派なローブを着た彼もそれを手にした瞬間、一気に所帯染み見てる。親というものをよく知らないアーヴァインであるが、端から見れば彼もまた子煩悩な親の顔をしている。


「私の目に狂いがなければ、もう小さい」


 顔つきはともかく、感覚が少しズレているのはご愛敬。眼鏡を持ち上げる姿は、格好がついているように見えないでもない。


 見つめること数秒、ふむぅと言葉が漏らされては後に溜め息が続く。


 弟子の育成は、魔導学院で教鞭を執る者の任務である。後進の育成がなければ、魔導士として認められることもない。研究者は往々にして時間をとられることを嫌がるが、弟子を取れば教壇に立つ時間数の軽減も考慮されるので悩ましいところ。


 尤もフィアを引き取った時点で覚悟は決まっていた。どちらかと言えば、堂々と自宅に籠れることは願ったり叶ったりだ。


 とはいえ弟子を取ることに異論はないが、子育て、まして女児となると、やもめ暮らしには想像以上の困難さが待っていた。


「別の物を買い与える……、のは簡単ですけどね」


 衣服を堂々と掲げ、中年に近づいてきた男は悩みを隠すことなく独り言ちた。渋い表情をしているのは、壊れた玩具を廃棄した際に、手がつけられない程フィアに泣かれたことを思い出したからだ。


 日頃からワガママらしいワガママを言わない愛弟子だ。その彼女がこよなく気に入っているこの服はなんとかしたい。


(フィアは小さいから、着ようと思えば着れるか)


 己を納得させようと心内で呟くが、どこをどう見ても袖の丈は短い。本人は喜んで着ても、同級生から笑いものにされること請け合いである。


 すくすく成長してくれて嬉しいが、その反面に育て親としての悩みが年々増えてしまう。どうすれば可愛い弟子の顔を曇らせることが避けられるのか――主夫の顔でアーヴァインは唸った。


「よく似た服、売ってませんかねぇ……」


 この白いワンピースは、二年も前に買い与えたものだ。普段はカラス色のローブを着たきりの娘が、珍しくねだったことを鮮明に覚えている。


 袖を通す機会も少ないだろうと大きめのサイズを買った筈なのに、もう丈が合わなくなるとは。これまた藍色のローブを着続ける師は、眉間に皺すら寄せていた。


「くぉらアーヴァイン、このタコ助が!」

「……まったく、デリカシーのない」


 屋敷の扉が騒々しい音を立てて開かれた。堂々巡りであっても、突然の出来事に思考が中断されるのはどうにも不快であった。


 はぁ、と大仰な溜め息をアピールしてみるも空しく消えていく。無礼な客は、家主の振る舞いに気を向けることもない。長い赤髪を戦慄かせ、歩く魔導書への挨拶も抜きに喰ってかかる。


「ノックくらいしなさいな」

「うるさいうるさい、うるさーい! あんた、何してくれんのよ!」


 怒り心頭、冷静な抗議も他所にブン投げられてしまう始末。西の魔女ことレーラは、アーヴァインの襟元を掴んで頭を揺さぶりにかかった。


 美しい女性であるが、犬歯も剥き出しに迫る様には辟易とするもの。そもそも、他人の家に入って一番にする行為ではないだろう。


「痛くもありませんが、不快ではあります」


 ズレた眼鏡をゆっくりと持ち上げながら、天才魔導士は言葉に魔力を乗せた。


 あくまでも非礼を注意する側として、振られた腕は袖を揺らさないように気が払われていた。途端、掴みかかった魔女は、一瞬で離れたソファへ送り出される。


「痛っ――何、空間転移? こんなこと、されなくても離したわよ! あんたはもーー、言えばわかることにすら高位の魔法をポンポンポンポンと、ふざけんじゃないって話よ!」

「……私は一体、何に怒られているんですかね?」


 彼女もまた大魔導士と称される部類であれば、魔法で軽くあしらわれると自尊心も傷ついてしまう。レーラはふんぞり返って威張り散らすことで、見た目だけは体面を保たせていた。これも学生時代から続くものなので、アーヴァインは見なかったことにして済ませる。


 一欠片の良心に従ってフォローをしようと思う彼を前に、西の魔女は運ばれたソファーで足を組んですらいた。抗議を続ける彼女の怒りは強く、魔力を溜め込んだ髪は蛇のように震えて眼前の魔導士へ睨みを利かせている。


「貴女もいい歳なんですから、少しは落ち着いてください。不本意ですけどお茶くらいは出しますよ」

「相変わらず偉そうな……。嫌いよ貴方、本当に嫌い! 何が嫌いって、歳のことよ――歳はあんたも変わらんだろ!」


 頬を紅潮させて咆える魔女は、年齢不相応に幼くも見えた。口が悪いのは仕方ないとして、あと少しでいいから素直であれば――また別の同期の口癖が思い出され、バレないようにアーヴァインは苦笑する。


 学生時代と変わらぬ表情をするレーラ。しかし学生気分でいるつもりのない彼としては、切り替えも兼ねて必要以上に優雅にローブの裾を翻してみせた。台所へと向かう途中、肩を竦めることも忘れない。


 いらぬ詮索は受けたくないので、手にしていたワンピースは密かに箪笥へと戻された。


「それで、今日はどんなご用で?」


 丁度お湯も沸いており、紅茶が手早くレーラの前に出された。音も立てないようにそっと置いかれたが、直後に魔女の拳がテーブルに打ち付けられてカップが躍る。


 どんな相手でも礼や品を欠かないようにと心掛けていたが、ついついアーヴァインの顔も顰められる。


「ご用も何も、あんたんとこの弟子が用件よ! 教室丸ごと極寒地獄に変えるとか、あんた一体どんな教育してんのよ!」

「……申し訳ない」


 弟子を育てることには苦労が付き物――フィアが何かをしでかしたと悟った。瞬時に顔つきを神妙なものに変え、天才魔導士は西の魔女を伴って魔導学院へと向かう。

 



「あー、保護者が来ましたね」


 魔導学院では初等部を受け持つリークが、いつもの穏やかな土気色の表情で師たちを迎え入れた。


 自然系魔法を得意とする彼女は、自ら植物と共生する魔導士だ。植物との相性が良い――を通り越して良過ぎたため共生は進み、容姿は“人っぽい樹木”と呼んだ方が通りがよい。


 そんな生命力溢れる彼女であるが、首だけで振り向く姿にはいつもの強さは認められなかった。むしろ、よく笑ってられるねというのが素直な感想だ。髪と同化した葉っぱは、本体の様子など素知らぬ様子で揺れていた。


「リーク、何と言う……」


 思わずアーヴァインは唸った。上級の魔導士でありながら、身体のほとんどを教室ごと氷漬けにされた姿は何とも無残。彼女が対処し切れなかったのは、余程のことと思わなければならない。


「これよこれ、あんたんとこの弟子の仕業よ。ほんと、何してくれてるのよ!」


 流石は歩く魔力炉だわ――怒りを隠すことなくレーラが皮肉を言うが、それも無理はない。トホホと言葉を溢すリークの傍には、学院の児童たちが集まって騒ぎ立てていた。


「せ、先生ーーっ!」


 師の姿を見つけるや否や、リィーンは金髪を振り乱して頭から飛びかかった。レーラは見事なタックルを受け、硬い廊下に腰を強かにぶつけているが気丈に振る舞う。


「あんたが無事でよかったわ」


 優しい表情を浮かべる彼女を見て、アーヴァインの頬も緩みかけた。だが弟子の顔が胸に納まった途端、レーラから再び罵詈雑言を浴びせられたので真顔に戻った。


(まずは現状把握だ)


 子どもたちと一緒になって騒ぐ西の魔女の良し悪しは置いておきたい。少し煩わしく思わないでもないが、教室丸ごと愛弟子が氷漬けになっていたかもしれないのだから、彼女の反応は穏やかな方だ。


 同期の振る舞いの悪さを心の中で消化しつつ、アーヴァインは歩く魔導書らしい顔をして視線を動かした。


「先生、助けが来ましたよ!」


 蝶ネクタイを締めた、おかっぱ頭の少女が声を大きくする。一度は落ち着いたリークの愛弟子であるエンファも、学院の名物先生が揃ったことで緊張の糸が切れたようであった。


「あっはっは、なーにを泣いてるんですか。あたしの売りはタフネスですよ? バッカス先輩に任せておけば間違いないんですから、笑いなさいな。ね、先輩?」


 泣きそうな顔をする愛弟子へ向けて、リークは豪快に笑ってみせた。日頃このような笑い方をする彼女ではないが、何せ首から下が凍らされているので、出来るのは笑顔を向けるくらいだ。


「すみません、リーク」


 眉間に人差し指をあてて、アーヴァインは唸る。学生時代の愛称を子どもたちの前で呼ばれるのは困るが、弟子が迷惑をかけているのでそのことには触れない。


 何はともあれ、リークの様子から子どもたちにケガはない様子であった。ここでようやく、歩く魔導書は自身の弟子だけを心配することが出来る。


 氷塊を無理矢理ねじ込んだような教室、その一帯にある魔力の濃淡を見極めるようにして、再び視線が動く。


「そうですね、そちらですよ」

「なるほど、これはまた……」


 教室奥へ視線が向かったところで、明るい声に肯定された――周囲の空気を巻き込んで出来上がった、白く濁る氷の奥。そこにはフィアらしき全体的に黒色の物体が映っていた。


 レーラが言ったとおりに、フィアは膨大な魔力量を誇る魔導士見習いだ。見習いであるので、魔法のコントロールは十分ではない。師としても重々承知していたからこそ、制御装置のブレスレットを与えていた。


 その上で、想定が不十分であったことを認めた。魔法を放った魔導士自身も凍ってしまっているのは、なるほど暴発としか呼びようがなかった。


「せ、先生っ! フィアを、フィアを――」

「あー、うん。とっとと引き摺り出して、折檻してやろうな」


 必死の訴えをするリィーンを宥めつつ、魔女は微笑んでは暴力的な言葉を出していた。弟子の方はと言うと、切羽詰まった様子で上手く表現が続かない。先程レーラがアーヴァインへやったことの焼き直しのように、魔女の襟首を掴んで頭をブンブンと振っていた。


「はい、まず手を離します。いいか? ようし、聴いてくれて先生は嬉しいよ……。それで、氷漬けとは聴いていたが、どういう経緯でこうなった? 泣いてるだけじゃ問題は解決しないぞ」

「う、うぅ、ですの」


 心配になる角度で頭が揺すられたが、西の魔女はあくまでも平静であった。リークに尋ねても構わないが、弟子を落ち着かせるために敢えて話すよう促してすらいた。


「レーラ先輩って、あんなに穏やかでしたっけ?」

「いえいえ、よくご覧なさい」


 ひそひそ話をする大人二人。問われたアーヴァインは、魔女のこめかみに青筋がくっきりと浮かんでいることを指摘した。弟子から見える分には怒っているように見えない――何とも器用な表情の作り方であった。


 機嫌の悪さをぐっと堪える姿を前にして「彼女も成長したのですね」と、アーヴァインはニヤニヤと笑う。その直後、極小規模の爆発系魔法が学院の廊下を(ハシ)った。




「――ですの。こういうことですの!」


 ひんひんと涙を溢しつつ喚いて、おデコの広い魔導士見習いは語る。落ち着いてはきたが、恐怖体験をありありと思い出して少しばかり泣いてしまっていた。


 以前の勝負で出た特大火急(ファイア・ボール)然り、フィアの魔法は発現したが最期あらゆる物を呑み込んでしまう。


「そうか……」


 タイヘンダッタワネ、などと感情の乗らない声でレーラは応えた。勿論、見た目には厳しくも温かい師の顔を保っている。保ってはいるが、内面的には非常に鼻白む思いである。


 これ程の大惨事だ。一体どれ程の緊急事態があって魔力が暴走したのか、西の魔女としても学院の教師としても興味と責任を自覚している。だが、真相は何度聞いてもどうでもいい話ではないか。


 目の前にリィーンがいなければ、彼女は確実にアーヴァインの頭を全力で叩きにいっている。弟子には「手を上げる魔導士は魔導士に非ず」と普段から豪語しているので、自らがひっくり返すわけにはいかない。


「調理実習をした結果、教室丸ごと氷漬け。流石バッカス先輩の直弟子、やることがダイナミック!」

「先生っ、笑ってる場合じゃないよー!」


 変わらずカラカラと笑ってみせるリークの首へ、弟子のエンファは飛びかかった。頭に同化している樹木は常緑高木、鮮やかな緑の葉っぱが揺れてザワザワと音を立てた。


「……申し訳ない。責任は、取ります」


 頭痛を覚えつつ、言い訳も出来ないアーヴァインは謝るしかなかった。


――お菓子づくりをしましょう。


 その言葉から始まった本日の授業であった。夏も深まり、長期休暇を前にしたなかでの試みだ。学院に所属する子どもたちの多くは、親元を離れて学んでいる。「帰省の際、家族へ日頃の感謝を捧げるためにお菓子の作り方を覚えよう」そこには魔法が介在する余地もない。


 だが結果はこの通り。教室一杯に生み出された氷が、今なお溶ける気配もなく鎮座している。フィアがしでかす瞬間、担任は魔導の限りを尽くして子どもたちの安全を確保するも、本人は逃げ遅れて首から下が氷漬けの状態にされてしまった。


 彼女の性質上、子どもたちを廊下へ放り出すには、枝葉や根っこを伸ばすことが一番手っ取り早い。教室中に手足を伸ばしたものだから、それはもう逃げようがない。文字通り根こそぎ凍りついていた。


「しかし、天下の魔導学院でありながら、この場にいるのは子どもたちだけですか?」


 他人事のように言っている場合ではないが、おかしいな、と歩く魔導書は首を捻る。


 廊下に投げ出された子どもたちの姿は見えるが、大人は凍ったリークだけ。ボルドー老辺りが好みそうな状況であるが、子どもたちの声を除けば随分と静かであった。


「あのねあのね先輩、長期休暇前ですよ。校外学習やら実習やら、学内に教員はほとんどおりませんから。手の空いている教員ってのは、自宅で研究してるような変わり者ばかりですよ」


 同じく魔導学院の教員でありながら学院の行事を把握していない彼へ、一人残されたリークは笑いかける。ついでにレーラに向かっても同じく笑みを向けた。


 比較的穏やかであるが、学院の仕事をしようね、役目を果たそうね、と彼女は不平を投げかけているのだ。受け取り手には豪速球に感じられたものだから、実際は不平が投げつけられたと言っていい。


「……一事もない」


 我に弁明の余地なしと、アーヴァインは顔を隠すようにして眼鏡の淵へ指を添えた。少しの間沈黙が流れたが、無言で腕を振って役目を果たす。


 彼とて、ただ黙っている訳ではなかった。


 現象として現れた氷、その発現を導いた魔法を読み取り、現象の成り立ちを逆算して魔力を流す。次の瞬間には、今もあり続ける氷の根本が消失した。


 そのほとんどが消えはしたが、幾らか残った水分は教室の床づたいに溢れ出す。ついでに氷の支えを失ったリークが落下し、廊下に顎をぶつけていた。


「あたたた、ちょっと乱暴ですねぇ」


 伸ばした枝葉を戻しながら、おどけた調子で彼女は語る。困難な状況は解決したが、問題そのものは解決していない。この事態を招いた張本人の処遇が残されている。


 だが、子どもたちの姿を見れば、リークとしては叱責などは二の次でよかった。泣いていた者も、教室に一人取り残されていたフィアの安否を今は心配しているのだ。


「さて、みんな。取り敢えず腰を落ち着けよう。それから考えましょうかね……。その前に掃除かな?」


 緊急事態は脱したのだからと呑気にしていたが、この状況をよく思わない者も当然いた。


「ごめんなさい、リーク。いい加減に限界だわ」

「ちょっと、レーラ先輩!」


 ようやく起き上がった彼女の隣を、赤髪の魔女が駆け抜けた。


「くぉら、このへっぽこ魔導士見習いが!」


 火を吐かんばかりの勢いでレーラが教室へ突入する。不穏さを感じたリークが再び枝を伸ばすも、それらをすり抜けて西の魔女は宙を走った。


 すぐさま、お菓子を抱えたままの元凶(フィア)の襟首が掴まれた。


「え、え、お?」


 怒る魔女が腕を持ち上げれば、小さなフィアはぐいんぐいんと揺さぶられてしまう――状況が掴めないのか、目を白黒させるばかり。不意の出来事に、抱えていたものを思わず取り落とす程度には驚いていた。


「ああー、お菓子が、一生懸命作ったお菓子がーーっ!」

「ええぃ煩いわ! あんたがウチの子にやったこと、思い知らせてやる!」


 言葉の熱さとは真逆に、魔女はその身を氷へと変質させる。瞳は金に、フィアを掴んだ腕は水色に輝いた。


「やめて先輩!」

「ああ、なんだ、冷た――痛っ!」


 リークが繰り返し枝葉を伸ばし続けるが、身体そのものが氷になった魔女へは近づくことすら出来ない。本気のレーラを相手にするなら、命の取り合いになることも覚悟しなければならない。


 逡巡する間に空しくも、捕まれた教え子は再び凍結されてしまった。


「せ、先生……」


 その状況を複雑な心境でリィーンは見つめた。師がこれ程まで怒っているのは、自分が危険な目にあったからだ。そのことは単純に嬉しい。


 だが、両手放しでは喜べないことがある。


「先生、止めてくださいまし! フィアは、フィアは――」

「だまらっしゃい! そもそも私はこの娘の学院入学ですら反対だったんだ。いくらヴァンが監督しようが、この娘はこうなるのよ!」


 ふん、と鼻息荒く西の魔女が滾る。折角氷が溶けたところであるが、アーヴァインに迫る実力を持つ彼女だ。うっかり学生時代の愛称で嫌いな男を呼んでしまう程に自制を失ってしまえば、呼吸をするだけで教室は氷漬けに戻り始めていた。


「レーラ、それ以上は……」


 同期の怒りも尤も――ではあるが、今の彼はフィアの師匠であった。腕は、やはり軽く振られただけ。事も無げにアーヴァインは魔女の魔法を打ち消した。


「お、おぉっ!?」


 氷の解けたフィアは、濡れた床におしりを打ち付ける。何が何だかわらかない。ただ、師匠が助けに来てくれたとだけ理解するも、その彼にいつもの笑顔はなかった。


「弟子のしたことは、私の責任。申し訳ない」

「御師様……」


 見れば、アーヴァインが頭を下げている。呑み込めないことに変わりはない。だがそれでも自分がしでかした結果なのだろうと、フィアは師に並んで頭を下げた。「ごめんなさい」シンプルに謝るが、言葉を出した後で少女の目からは涙がこぼれた。


「それで許されると思って!」


 氷を溶かされた魔女は、次には赤い長髪を炎に変えて凄んだ。余りの怒りにリィーンが戸惑っていたが、その暴挙も今度こそは止められた。


 広がる緑色、分厚い葉が炎の前に立ちはだかる。


「はーい保護者の皆様、ご協力ありがとうございました。後は担任のお仕事です」

「何なのリーク! 私はね――」

「先輩、相手は魔導士とはいえ子どもです。氷漬けでもやりすぎ。これ以上するなら、あたしが受けます」


 魔女の言葉を遮って、リークは早口に述べた。真剣な瞳は彼女の覚悟を物語っている。校舎外に繁る植物たちを招き込んでいることから、本気さが窺えた。如何に西の魔女が卓越した魔導士であったとしても、今この場はリークの支配下にある。


「お帰りは、あちらですよ」


 いいからとっとと帰れ。自身の弟子が危険な目に遭っても怒らなかった、そんな温厚な魔導士が目の色を変えて魔女を押し出した。


 魔導士に年齢というものは関係がない。だからこそ、フィアがしでかしたことに大人が首を突っ込まざるを得ないことにもなる――だが、これ以上は大人が口を挟むものでもない。担任としての矜持で、植物系の魔導士は魔女の尻を蹴った。


「あんたね、あんた!」

「レーラ、帰りますよ」


 あざっすバッカス先輩、そんな緩い言葉を耳にしつつアーヴァインは回れ右をしていた。肩を抱かれたレーラがギャーギャーと騒ぎ、頭を小突きもしていた。


 それは彼にとっては大したことではなかった。涙を溢しながら謝り続けるフィアのことだけが、気掛かりであった。




「御師様、怒ってる?」


 帰宅したフィアが一番に出した言葉が、これであった。後になってから自分が何をしたのかを知り、どうしていいかがわからずにいる。もじもじと両手の指を絡めているのは、不安が強いからだ。


 師が自分を見捨てることはない。それは確かだが、破門くらいはあるかもしれない。指遊びはやめても、ローブの端をぎゅっと握ってしまう。


「怒ってはいません。ですけど、私は少し悲しい気持ちです」

「ご、ごめんなさい」

「……言い付けを思い出してくれて、ありがとう。私へ謝るのはそれで十分です。悪いことをしたらまず謝る、それを大事にしましょう」


 元気はないが「はい、御師様」と素直な返事があって、アーヴァインはようやく人心地ついた気がした。


 彼は怒っていなかった。どちらかと言えば、開口一番が大人の顔色を窺うものだったことに、ショックを受けていた。同時に育て親、魔導の師、両方での未熟さを噛みしめた。


『フィアを怒らないでくださいまし!』


 学院を離れようとした時、リィーンが追いかけてまで言っていた。その言葉はどちらに向けられたものかはわからなかったが、ここまで強く怒る弟子の姿にレーラも毒気を抜かれてしまった。


 むしろ魔女はやり過ぎを反省したようで、リィーンの目線に高さを合わせて謝ってすらいた。


「御師様……、私、どうしたらいいかな」


 唇をへの字に曲げ、フィアは言う。幸いにしてケガ人はいなかったが、大事には変わりない。一方あれだけのことをしておきながら、怒らないでほしいと言うクラスメイトがいる――良き友人がいることに、師は多少救われた心境であった。


「御師様?」

「ああ、すみません。ちょっと考え事を」


 沈黙が続いてしまったことを詫び、アーヴァインは眼鏡の淵を持ち上げる。


「ごめんなさいと言って回るのは……、そうですね、多分もういいでしょう」

「え? 謝らないでいいのか?」


 驚きに目を開く少女であるが、師はゆっくりと首を振る。謝らないでいい理由はないが、何度も謝られるのは、聴かされる側にとって気分のいいものでもない。


「ごめんなさいよりも、貴女を庇ってくれたお友達に向けては――」

「ありがとう、だ。御師様!」

「そうですね。言い付けを忘れていなくて、嬉しいですよ」


 アーヴァインからいつもの微笑みを向けられたことで、フィアも破顔した。


(処遇については、魔導学院のお偉方と話すことにして。後は我が家でどうするか、か)


 今度は長く沈黙しないよう気を払い、アーヴァインはフィアに手を出すように告げた。


 出された腕は細いが、二年前と比べれば確かに大きくなってきている。成長を認めると、余り見せたことのない厳しい師匠の顔つきをしてみせた。短く呪文を呟いて、制御装置の力を二段階は引き上げる。


「当面、教員の許可ない魔法は禁止します。いいですね?」

「……はい、御師様」


 相変わらず素直な返事である。しゅんとした声音になっているが、それも仕方がない。彼女からすれば、魔法を完全に禁じられなかっただけでも十分過ぎた。


「御師様、その、あの、お菓子……」


 再び涙目になって、フィアは言う。視線の先はテーブルに乗せられたものに向けられている。落として不格好になってしまったチョコレートだ。


「何でしょう、師匠に教えてくれますか?」


 叱りつけるのは終わりと、アーヴァインは屈んで目線を同じくする。チョコが溶けることを嫌がったのだろうが、何故魔法を使ってまで凍らせようとしたのか。それは彼女に聴かないとわからない。


 そもそも、今日の授業のテーマは「お菓子の作り方を覚えよう」だった筈だ。


「あのね、御師様には家で作ってあげるんだ。でも、時間がかかっちゃう」

「そうですね」


 訥々(トツトツ)と語る子を前に、自然と彼の表情は柔らかいものになる。この後の言葉を聴いて、フィアが優しい子どもに育っていることが知れた。


「ミラが帰ってきた時、すぐにあげたかった。ミラ、知らない土地で魔法の勉強頑張ってる」

「だから、冷凍保存したかったんですね」


 やったことの是非は問わず、アーヴァインは出来るだけ優しくフィアを抱きしめた。成長するにつれて触れることは控えていた彼も、涙を堪えて話す姿を見ては躊躇もない。


「泣き虫だけど、私、お姉ちゃんだから」

「立派なお姉さんですとも。ミラはきっと喜んでくれますね」


 結局泣いてしまったが、フィアが成長していることが感じられる。


 今も口には出さないが、アーヴァインは自分の育て方が正しいのだろうかと思うことが多々あった。正しいかは相変わらずわからない。それでも、誰かのために一生懸命になれる彼女を見ていると、育て方は間違っていないと言い切れる。


「さて、お風呂に入ってさっぱりとしてらっしゃい」


 今日も慌ただしい一日であった。明日を思えば、早く眠らせてあげたいのが親心か。


 ついでに、早く眠って欲しい理由がもう一つあった。中年に差し掛かりつつあるので、アーヴァインは徹夜が響くようになっていた。


 この後に弟子が寝静まった頃を待ち、町へと赴く予定が出来てしまった。馴染みの仕立て屋を叩き起こしては、白い生地の切れ端とレースを手に自宅へと戻るつもりだ。先程、腕を見た時に密かに採寸は済ませている。


 「会議資料もまだ纏められてないなぁ」などとにこやかな顔で、彼はぼやくことになる。弟子の成長に合わせて、丈の短いワンピースに夜通し針を通すのであった。




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