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フィアと家庭菜園

 季節は夏――陽が強く照らす中、額に汗を浮かべた男が耕作に精を出す。野良仕事にあっては、流石にいつも着ている紺色のローブは脇へ置かれている。


 この国ではどこにでも居るような農夫らしい姿。その手にされた鍬が振るわれれば、ザクリと小気味よい音が上がった。


「ふぅ……」


 軍手に包まれた手で汗が拭われ、一息が吐かれた。農作業は国の基盤の一つであり、民の大半は何らかの形でそれに従事しているが、この男が新たに拓いた畑の規模は小さく、明らかに商売目的ではなかった。


 作物を育てるためには大変な労力がかかる――というのは一昔も前の話だ。魔導士育成を国が掲げ出してしばらく経った今となっては、農業にも魔法が転用されている。


 歩く魔導書と呼ばれる彼にかかれば、額に汗する必要もない筈だ。その中にあって、態々(ワザワザ)鍬を振るってみせていた。


「今日はこのくらいにしておきましょうか」


 昼を回って高い位置に太陽が昇れば、刺さる日差しは強い。額に浮かぶものを再び拭い、アーヴァインは満足そうに呟いた。


 年齢としては三十も半ばとあり、肉体労働はそろそろ辛くもなる。だが、最高峰の魔導士とも呼び習わされる彼はこうした作業を好んだ。天才魔導士でありながら二つ名に“変人”と不名誉なものを頂く由縁である。


 尤も、当の本人は周囲の評価などを気にした様子はまるでない。むしろ、既に出来上がった野菜の収穫と、秋には何を育てようかと如雨露(ジョウロ)に溜めた水を畑へ注げば、嬉しそうに口角を持ち上げた。


『何をニヤついているのよ、気持ち悪い』


 にこやかさのただ中、ふと同期が長い赤髪をいじりながら睨んでくる姿を、彼は思い出してしまった。


 土いじりを喜ぶ姿が好ましく思われいないことは、彼も承知している。悪く言われたことを思い出すと、気分はやや滅入った。それでも日頃、魔導学院(アカデミア)でしている研究や指南とは異なるこの作業は、時間に追われる彼の心を癒してくれるものだ。


「今日収穫してもいい。ですが、明日になるともっといい……明後日となると流石に時期を逸しますか。植物は、やはり素晴らしいですね」


 今日も今日とて同僚に因縁を吹っ掛けられたアーヴァインは、心が荒んでいた。赤髪の魔女が突っかかって来れば、不毛なやり取りにばかり時間がとられてしまう。平常心を喪うようなことはないが、決して面白いものでもない。


「全く、いつまで見習い気分のままなんですか。我々は幾つになったと思ってるんですか……」


 三十を疾うに越えたんですよ、と同期を思えば溜め息も出てしまう。こうして苦言を呈するのは簡単だが、レーラは彼の修行時代もよく知っているから性質が悪い。形勢が悪くなれば、未熟な頃のことを引き合いに出される。


「おっと、いけない。何でもないことでも考え込むのは、悪い癖ですね」


 溜め息に気づくと半ば自動的に自嘲が漏れた。


 常に余裕を持って笑っていろ。余裕がないなら無理矢理にでも笑え――今は亡き師の教えを思い出せば、自然と笑みも戻る。


「今では私も師匠なのですか……あ、しまった――」


 研究もそうであるが、農作業も彼にとっては楽しくも難しいものだ。


 集中するあまり、時間の経過をすっかり忘れてしまっていた。時間管理が苦手だと、己の不甲斐なさを嘆きながら懐から時計を取り出してみせる。


「お、御師様ーーーっ!」

「やっぱり時間を忘れていましたね」


 没頭し過ぎていたがために、弟子の帰宅時間をすっかりと忘れていた。キュウリの収穫は明日に決めるが、彼の予定では今頃は丁度よく育ったトマトを冷やしてフィアを待っているつもりであった。


「すみません。私としたことが、うっかりしておりまし――」

「御師様ーーーっ!」


 弟子へと振り返ったところで、アーヴァインは言葉を途切らせて吹っ飛んだ。


 フィアが如何に小さくとも、頭から飛び込んで来られては溜まったものではない。魔導士としての風格は別として、色白で細い彼は成長著しい弟子の一撃を鳩尾に受けて地面へと転がった。


「お、御師様、御師様聞いてよ! ひどいんだ、リィーンのやつが、ひどいんだ!」


 師へ洒落にならない角度のタックルを披露したフィアは、おんおんと泣きながら訴えかける。


「勿論聴きますとも。ですが、まずは起き上がりましょうか。元気があるのはいいことですが……」

「本当だ、馬乗りはお上品じゃない。これはシュクジョにあるまじきだ!」


 お行儀よくしましょう――日頃聞かされている言葉を思い出し、少女は今更ながらではあるが出来るだけ優雅に師を馬乗り状態から解放した。


 アーヴァインと同じ黒髪、誰とも異なる赤い瞳。それを涙で一層に赤くしていた。


 魔導の発露は血統に依るところが大きく、魔導学院は競争社会だ。親なしのフィアは何かと揶揄されることが多いが、こうして父のような母のような師の元に帰ればいつもの天真爛漫さを取り戻す。


「御師様、そんな恰好で何してたの?」


 一度嘆きをぶちまけたからか、少女は泣き止んで年相応の好奇心で問いかけた。


 平素は四六時中ローブ姿の師が、いつもとは異なる姿をしている――目新しいことが飛び込めば、現金なものですっかりケロリとしていた。


「これですか?」


 気分の落ち込みもすぐに跳ねのけてみせる。これはフィアの長所だと認めるも、ストレートな問いに、師の方は少しばかり口ごもった。野良着姿は勿論、趣味の土いじりは学生時代から何かと物言いがついてしまっていた。


 何故、魔導士が態々土を耕すのか? 趣味の話になる度、一々こう問われるのでうんざりするというのが彼の本心であった。だがそれも、愛弟子に初めて尋ねられたとあっては真摯に応えようとも思う。しかし、人を納得させられるようないい説明は浮かんでくれない。


「これは、まぁ、趣味ですね。土いじりが好きなんですよ」


 上半身を起こしながら、アーヴァインは応える。西の魔女辺りが見れば驚く程に素直な受け答えであった。それにも関わらず、フィアはまたしても師に飛び乗ってみせた。


「御師様! 御師様程の魔導士なら、魔法で何でも出来るんじゃないか? どうして魔法を使わない……って、こんなに問い詰めては、私がリィーンみたいだ! ああ、どうしよう」

「うーん、困りましたね。取り敢えず屋敷へ戻りましょう、貴女も私も泥だらけですよ」


 よいしょ、と掛け声を出して師は弟子を持ち上げる。細い身ではあるが、小さな少女を抱えるくらいは腕の力で十分に事足りた。




 屋敷へと入ったとは言え、泥まみれの二人は玄関で問答を繰り広げていた――それもフィアが一方的に投げつけるものであるが。


「御師様、今日もリィーンが私の魔法をバカにするんだ! 聞いてますか、あいつひどいんだ!」

「聞いていますよ。取り敢えず、泣くか尋ねるか、選びましょう……私としては着替えて仕切り直すことをお勧めしますが」

「じゃあ、泣く……御師様ーーーっ!」


 決断が早いことは素晴らしい。だが、結局は事態が好転することもなく、ティアは師の野良着に顔を埋めてビービーと泣き始めた。顔を持ち上げると鼻先から何から泥に塗れてしまっている。


 この間、嗚咽混じりに吐き出されたものは、いつものとおりであった。


 魔導学院では、魔導の才ある子どもたちの養成が進められる。行く行くは国の繁栄を担う魔導士となれるように、魔導の何たるかが叩き込まれるが、魔導士見習いであるフィアたちは一般の学童とそこまで変わった授業を受けている訳でもない。


 火球の一つで草原を焼き払えるのであれば、魔力のコントロールや魔導理論といった基礎が中心である。それでも、才能のみ込まれる魔導士見習いは課外として実践授業が取り置き組まれていた。


 今日も今日とて西の魔女の一番弟子、リィーンに完敗を喫したフィアは師匠に泣きついていた。


「ひどいんだ、リィーンのやつが、ひどいんだ!」

「はいはい、聴いてますよ。西の魔女は酷い人ですからねぇ」

「うん? リィーンの師匠は結構優しいぞ。御師様がいぢわるするから、酷いことされるんじゃないか?」


 弟子の言葉に、師は思わずメガネの淵を押さえながら天を仰ぎ見た。


 説得するつもりが却って諭される結果に、アーヴァン個人としては何とも言えない面持ちになってしまう。しかしそれも、少女が真っ直ぐに人を見ているのだと理解して、微笑んだ。


「そうですね。レーラは魔導のことを抜けば、極力努力して客観的に見ればまぁ、素の彼女は案外と可愛らしい人ですからね」

「御師様! 今は私の悩みを聞いてもらっているところじゃないか。他の女の話は後にして欲しいんだ」

「……ああ、はい、すみません。フィアの話を聴かせてくれませんか?」


 もうこの娘も年頃か――師は乾いた笑いを浮かべながら弟子の言葉を促す。


 女を分かったつもりになるなんて、お前どんだけ女と付き合ってきたんだ? 己が師に言わせればこの辺りのことを言われるのだろうな、とアーヴァインは心で噛み締めた。


「でだ、それでだ御師様。今日は森で実践だったんだ」

「雨で中断になった、薬草探しでしたね?」

「違うぞ御師様! それは昨日したって言ったじゃないか。今日は取った薬草が、またチキンと育つように魔法をかけにいったんだ……」


 そこから、フィアは何があったかを訥々(トツトツ)と話し始めた。


 教員に連れられ、昨日に引き続き森を訪れた魔導学院の学童たち。自然系魔法を得意とするリークは前日から下準備を済ませており、後はフィアたちがそこに魔力を流せば課外授業は終了となる筈だった。


 座学を終えた後のピクニックのようなものであったが、魔導学院においては単なる野掛けでは終わらせられる筈もない。


 魔導学院の子どもたち、その多くは魔導士である親と師弟関係を築いている。例外的にフィアやリィーンのように、血縁関係のない師を持つものは神童と呼ばれ将来を期待されるものだ。その一方で、彼女ら前途有望過ぎる魔導の徒たち(問題児たちとも言う)は他の魔導士見習いとは異なった自尊心を持っている。


 親元を離れる、或いは親なしの彼女たちは血統ある由緒正しい魔導士見習いと、何かと比較されることが多かった。


「つまりは、そこで怒っちゃったんですか」

「私じゃないぞ? エンファもよっぽどのことがないと怒らないんだ」

「弟子は師に似るものですからね」


 納得した様子でアーヴァインは頷いてみせた。リークは同期ではないが、彼女の穏やかさはよく知るところである。弟子のエンファも自然系魔法、特に自然との交信を得意としていることを歩く魔導書は思い出す。


「問題は、リィーンだったんだ。御師様ー、弟子は師に似るなら、どうしてリィーンはあんなにいぢわるなんだ?」

「いや、師に似るならリィーンは底意地の悪い魔女になるでしょう――いえいえ、これは私の主観ですし、話が逸れてしまいましたね」


 紅の髪をした魔女が標的を追い詰める様は、ハッキリ言って慈悲などというものは微塵も感じられない。しかし今それを言っても仕方がないとアーヴァインは話の軌道修正を図った。


「うん。リィーンが昨日の薬草採取で負けたことを根に持ってたんだ。あいつめ、エンファに敵わないのはともかく“フィア・ウォーレン、貴女に負けたのは何かの間違いですわ!”何て言ってきたんだ。あたしゃもう、くやしゅーて、くやしゅーて!」


 おおん、と嘆きがらフィアは床に手をぶつけていた。


(どうでもいいですが、結構モノマネが似てましたねぇ……)


 弟子の中に、西の魔女がする高飛車な姿を見出したが、それこそどうでもいいことと、笑って切り替える。


 結局のところ、昨日に引き続いてフィア、リィーン、エンファによる魔導士見習い外部生組みの競い合いが始まってしまったということであった。弟子の話を聴きつつ、争い事が苦手なリーク女史の心労が如何程のものであったであろうかと、アーヴァインは思わずにはいられなかった。


「魔力を流すって、難しいね御師様。自然系だとエンファに勝てないからって、リィーンは私に吹っ掛けてくるんだ! だから私は全力で魔力を――」

「嗚呼、リークが胃の辺りを押さえる姿が浮かびます……」


 言葉の途中であったが、思わず彼は目元を手で覆って天を仰ぎ見た。未だ続けられるフィアの台詞には、魔界植物が云々という単語が含まれており、続きは出来ることならば聞きたくもなかった。


「御師様ー、悪いのは私だけか? 煽ったリィーンが悪いんじゃないか?」

「リィーン一人に押し付けてはいけませんね。いつも言ってますが――」

他人(ヒト)の所為にしてはいけません、です。でもー」


 わかっちゃいるけどと、不満顔でいるフィア。過剰な魔力を与えて急激に植物が活性化すれば、歪みも生まれる。巨大化するものや、人を襲おうとする異界のもの――阿鼻叫喚の地獄絵図すら浮かんでしまう。


 その不手際を優等生(リィーン)に論われたのであれば、泣きたくもなると理解は出来た。


「取り敢えず、リークが私に何も言って来ないんです。取り返しの付かないような失敗でもありませんね」

「お、やっぱり私は悪くなかったか!」

「明日はリィーンに、ごめんなさいするんですよ?」

「おぉ、御師様、私、悪かったのか……」


 爽やかな笑みを浮かべる師を前に、フィアは床へ手も膝も突いて打ちひしがれた。


(制御装置もあるのに、どうしてそれ程の魔力が?)


 項垂れる弟子を見て、ふと一つの疑問が彼の胸を突く。見習いとは言え、他の魔導士たちの魔力がフィアに干渉したのではないか――魔導の理論は整いつつあるとしても、未だ魔法という奇跡を起こす魔力というものの正体は判然とはしていない。


「どこも故障はないですね」


 弟子の左手に輝くブレスレットに触れながら、師は呟く。大き過ぎるフィアの魔力を押さえる安全弁を果たすそれに故障がない、安堵を覚えつつも疑問は更に深まった。


「御師様、どうした? お腹でも痛い?」

「いえいえ、どこも悪くありませんよ……ああ、そうか」


 徐に立ち上がった少女は、心配そうに師を覗き込む。その仕草を見て、ようやく疑問が解消された。昔から考え込むのは彼の悪い癖であった。もっと言えば、野良着のままであったと思い出しては軍手を外す。


「背が、伸びましたね」

「え、そうか? そうなのか!」


 ボサボサ頭に大きな手が添えられると、フィアははにかんでみせた。嬉しさはあるが、気恥ずかしさもある年頃だ。


 これまで以上に大きな魔力が扱えた、それは彼女の成長を示すバロメータでもあった。


「もうすっかりお姉さんですね。あー、直にミラも帰ってくる頃ですか、そりゃあ時間も経つってもんですよ」

「おー、ミラが帰って……だから御師様お庭の手入れをしてたのか?」


 短期留学に出た妹弟子の話題が出るとフィアは嬉しそうにしつつ、帰宅時の師の様子を思い返していた。一度は脇に置かれたものの、どうしても彼女としては師が魔法ではなく人力で植物を育てることへ疑問を持たざるを得ない。


「土いじりはあくまでも趣味ですよ。まぁ、秋に帰ってくるミラをこの地で育てたもので歓迎したい気もあるにはありますが」


 ここまでを紡ぎながら、アーヴァインは何かに気づいたような表情をしてみせた。


「フィア、今日の一件で自然系魔法、特に生物や植物への魔法の難しさがよくわかったことでしょう」

「うん――いや、はいです。難しいです御師様」


 言葉遣いを正して、アーヴァインの教えを待つ。師が改めて語り直す時は、大事なことを伝えようとしている時だと、最近では彼女も気づいて来ていた。赤い瞳に輝きを増して、フィアは姿勢も整える。


「魔法を使えば簡単です。ですが、考えなしに魔法を使うのは、怖いことです」

「怖い、怖いー……植物の巨大化か――ですか?」


 うーんと唸りながらも捻り出してみせたが、どうや違ったらしいと悟る。師は否定も肯定もせずに次の言葉を続けた。


「何のために、これを忘れてはなりません。ただ魔法を使うだけでは見逃してしまいますよ。自分の手で作物を育てないと、細かな変化はわからない……私がフィアの成長を、今ようやく気付けたようにね」


 再度頭を撫でながら、アーヴァインは優しく微笑んだ。話を聴くことに夢中で、気づけば日が傾き始めている。弟子の方も嬉しそうにしているが、立ち尽くしたまま夜を迎えるのもいかがなものか。


「御師様、何を言いたいか、わからんぞ!」

「うーん……そうですか」


 背丈や魔力は伸びたが、理論や精神の熟達はまだ先か――とは言え、弟子の成長の一旦を目にした彼は特に落ち込む様子もない。むしろ、問題児だと言われる彼女がここまで大きくなったかと、妙な感慨の方が勝る。


「御師様、何を黄昏れてるんだ?」

「いえね、フィアが大きくなったってことは、私もすっかりオッサンなんだろうなと。少しばかり、ね」


 ついでに時の流れを実感し、自身が歳を喰ったと自覚してしまう。いつもの笑顔に自嘲的な色合いが含まれていることに気づけば、弟子は何かを思い立ったように腕を大きく広げていた。


「フィア?」

「私は、自分で成長したかよくわからん。けど、師匠が言うならそうだと思う。よし、わからんから試しにやってみる!」

「え、ちょっと。フィア、お止めなさ――」


 制止の声も届かず、歩く魔力炉と呼ばれるフィアは膨大な魔力を一気に解放せんと気合を入れた。同時、魔力は瞳と同じく赤色を灯して少女の全身を覆って行く。


「でやーー!」


 気合の入ったような抜けたような声が上がり、彼女を包む光は一層強くなった。


 魔力が植物を育てるように、その力は人体へも大きく影響する――早く大人になりたいと願う少女が魔力に願いを込めればどうなるか。果たしてそこには、すらりとした四肢を持つ美しい娘が現れていた。


 カラス色のローブに普段隠れた手足は、学童用のそれからはみだし、白い肌を伺わせる。元より大きな瞳は、燃えるような赤色の中に女性らしさを浮かべている。髪はボサボサのままであるが、櫛を入れれば大層な美人に見えないこともない。但し――


「痛っ、痛たたたたっ!!」


 左手を押さえながらゴロゴロと床を転がり回ることがなければ、素直に美女だと思えたことだろう。身体を大きくするのはよいが、衣服はそのままである。魔力制御のブレスレットのサイズも変化は当然にしてない。


「い、痛い、御師様、腕が、う、でがあああぁぁ!!」

「だからやめなさいと……仕方ないですね」


 溜め息交じりに、アーヴァインは魔法を展開させる。他者の魔力運用を、その法則を見抜いては逆算するようにして元の状態にまで戻す――魔法の発動自体を簡単に打ち消すこの荒業は、彼が天才と呼ばれる所以だ。愛弟子相手であれば、何をしようとしたかなどは瞬時に見抜くことが出来る。


「成長したなら、出来ると思った……うん、師匠、あんまり成長してなかったぞ」


 いつもの少女然とした姿に戻り、フィアは納得したように笑っている。


「当然ですよ。背丈は伸びても、魔力の制御に関してはまだまだなんですからね?」

「うーん、やっぱり大人にはなれなかったか」


 以前にも似たようなことをして、その時もキツめに叱ったことを彼は覚えている。時間操作等というものではなく、魔力による細胞の活性化であるだけまだマシではあるが。


 薬に副作用があるように、魔法にも反動がある。大抵は魔力消費にペナルティがつく程度だが、確かに世界が平衡を保つような節が認められている――時間に干渉した場合はどのような反動が表れるのか、それはアーヴァインにもわからない。


「そんなに急いで大人になって、どうしようというんですか。身体が大きくなっても、魔力制御が上手くなる訳ではないとは何度も言いましたね」


 眼鏡の淵に指をあてながら、視線を外してみせた。衝動的に叱りつけたくもなるが、叱っている本人を前に同じことをするのだ、何か理由があるのではないかと師匠らしく寛大に待つことを選ぶ。


「どう? いえ、特に何も?」


 小首を傾げる様は可愛くもある。それにしても、危険だと叱っているこの場面ではどうしてやろうかと師は悩む。かなり強い肩透かしを受けたが、まだ言葉が続いていたので何とか踏み止まっていた。


「ただ、大きくなったら師匠のお手伝いが出来ると思った。今だとキッチンに立つのも大変だ」

「折角大きくなって、やることが私の手伝いですか? 我が弟子ながら、無欲ですね」


 顎に手を当てて唸る弟子へ、アーヴァインは目を丸くする。それこそ態々魔法を使ってまでするようなことでもないだろうと思う。


「いやいや、御師様のお手伝いって大変ですよ? 御師様、炊事洗濯完璧だから手伝う隙がない!」


 彼女が吠えるようにして言うものの、師としては微妙な心境であった。美化されているというか、案外目につかないだけで苦手なものは彼にもある。


「あ――御師様は時間がダメだ。後、たまに約束を忘れる」

「そうですとも、などと胸を張りたくもありませんが、私も完璧ではないのです。そこまで気にせずとも」

「うん、だから私が秘書になる! 秘書って、色気ムンムンのお姉さんがするんでしょ?」


 ボルドーのじっちゃんが言ってた。何故か得意気に語る少女はえっへんと胸まで張っているが、弟子に妙なことを吹き込むハゲ老人に少々訝しさを覚えたりもする。


「師匠はなんだ、私が大きくなったら困るのか?」

「そういう訳ではありませんが、無理して大きくならなくていいんですよ」

「む、無理なんかしてないぞ!」

「淑女は泥だらけのまま立ち話はしません。お風呂に入ってらっしゃい」

「なんだ、師匠の頑固者、ケチ、眼鏡っ!」


 話は終わったと打ち切ってみせれば、フィアは渋々といった表情をして走り出してしまった。


「……眼鏡は悪口じゃないでしょうに」


 軽く溜め息を吐きながら、床に置かれたフィアのカバンをアーヴァインは拾い上げる。まだまだ子どもではあるが、師を気遣うくらいには成長してきたのか――何とも言い難い気持ちのまま彼も着替えのために寝室へと歩き出していた。


 考えるに、修業時代の己と比べれば我が弟子の方が幾分も素直だろうと思わないでもない。


(師匠も、私へこんな想いを抱いていたのでしょうか)


 師匠の役に立ちたい――似たようなことを師へ言った記憶が過り、頭を抱えたくもなった。本当に歳を取ったと苦労性の大魔導士は重ねて溜め息を吐く。師が冗談のように「異性の弟子を持つと大変だ」と言っていたのは、ただの嫌がらせではなかったようだ。


 早く立派になって欲しいとは思うものの、フィアが大きくなる程に距離感を変えねばならないだろうとアーヴァインはまだ少しばかり先のことを悩む。いつまでも小さな子どものままで居てくれれば、そう思ってしまうのは彼の我儘であろうか。


 悩める歩く魔導書の思考を裂くように、大きな音が浴室方向から響いてきた。戸棚でもひっくり返したかのような音であった。


「御師様ー、あ、足が、足が攣ったーーー!」


 文字にすると悲痛であるが、声音は随分と元気なものだ。ガラスの割れるような音もなく、大怪我はしていないだろうと彼の位置からでも判断出来た。身体を強制的に成長させようとした反動でも出たかと思えば、頭を抱えたくもなる。


「だから言ったのですよ。魔法には反動があると」


 ぶつくさと呟くものの、やはり弟子が心配な彼は扉越しに声をかける。


「御師様、私はもうダメだー! だから頭を、頭を洗ってくだされー」

「……早く大人になりたいんでしょう。淑女は男性に頭を洗わせたりしません」


 きっぱりと言い放ち、浴室を後にする。背後からは鬼だとか眼鏡だとかが聞こえてくるが、扉を隔ててもこれだけ大きな声が出せるのは元気な証だ。


「弟子の成長を悩めるのも、師の特権ですかね」


 それでもまだ当面はこちらが心配する側か。咄嗟に掴んで来た救急箱を小脇に抱えたまま、アーヴァインは歩き出す。


「足の攣りには果物がよかったかな」


 いつものように呟きながら、師は夕食後のデザートを考えるのであった。




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