最終話 結末、そして再開
憐命の女神。
その名はローエングリン。
古くから伝わる「アーサー王」の伝説の登場人物。
別名「白鳥の騎士」。
そして。
この騒動を引き起こした張本人でもある。
「おいロリン」
そんな、神を信仰する人なら咽び泣くくらいの大物を前にして、無神論者の俺は敬意のかけらもなく、不遜にそう呼ぶ。
ロリン。
俺がこいつにつけた「名前」。
そして、
気づかれないように張った最後の切り札。
「君は神を信じていないのかい?…曲がりなりにも神様を目の前にしてるんだ、少しは敬意を表したらどうだい。」
ロリンは呆れたように俺につぶやく。
「無神論者なんでな。神様だろうと何だろうと知らん。」
俺の返答にさらにため息をつくロリン。その何気ない仕草さえ神々しく、気を緩めれば膝をつき、忠誠を誓ってしまいそうになる。まずいな、この俺にすら影響を与えるとは…
「まぁいいか。わかっているとは思うけど、一応教えてあげるよ。私が消した、というか鏡の世界に飛ばした人たちを元に戻すには、君が消えるしかない。君は本当に危険な存在だ。というか、君の持つその頭脳。世界の理すら書き換えることが可能なその力は、いつか必ず世界を滅ぼす。」
…一応ただの人間なのだが。
「ロリンよ、だとしたら俺の家族はどうなる?俺なんかよりはるかに異常度は上だ。まさかとは思うが、俺らをまとめて処理するわけじゃないだろうな。」
「この際、ロリンという呼び名をつけたことを責めはしないよ。君以外の君の家族は、すでに力を失っている。君も一度無くしただろう?」
…確かに。一度俺は一般人レベルまで能力が落ちた。
緊急避難で作成しておいた記憶細胞のおかげで元に戻ったが。
「君があのまま力を無くしていれば、私はここまでする必要はなかった。あの状態からまさか力を取り戻すとは思わなかったからね。」
だから、君を消さざるをえないんだよ。
正確には、君の記憶、今の君を構成する根幹を消すことで、君は、今の君の人格は消滅する。
そんなことを言って、ロリンは何かを唱える。
途端、俺の記憶が更に曖昧になる。
人、物。ありとあらゆる記憶が、次々に俺から消えていく。
忘れてはならないことも。
今、目の前にいる物が何なのか、それすら曖昧になっていく。
あれ?
俺は今、何を…?
というか、
俺は…誰だ?
目の前にいるのは、誰だったっけ?
何も、思い出せない。
何も…ない。
俺の中には…
目の前の女性が、剣を片手に近づいてくる。
「君は、よく戦った。」
戦う?何と?
「何ヶ月という長い間、1人で戦い続けた。」
わからない。
言語すら、言葉すら俺の中から消えていく。
「だから、君に敬意を表し、自ら葬ってあげるよ。」
理由はわからない。
なのに、俺は。
今まさに自分を殺そうとしている物に対し、
「さようなら…」
たった一つ、記憶に刻まれた言葉。
すべての鍵となる、その言葉。
その人間の生きた証。
その言葉。
「…楓」
その言葉を聞いた瞬間、俺は確かに笑っていた。
振り下ろされるその剣を見据え、俺は小さく呟く。
「その皮膚は鋼のように硬く、何物をも通すことはなし。」
言い終わると同時にロリンの剣が俺の身体を両断…することはなく、甲高い音とともに弾かれる。
「なん…で」
驚いた表情を浮かべるロリン。
そりゃわからないだろう。
「どうしたよ。ロリン。」
だから、俺はもう一度、彼女に付けたあだ名を口にする。
「どうして…全て忘れたはずの君からその名が出てくる!」
君が私に付けたあだ名を!
そう声を荒げるロリンを見つつ、心の中で安堵する。
これで条件は整った。
これで、この事件を終わらせられる。
「俺は、二つの危険な賭けをしていた。」
一つ目は、ロリンが俺の名を口にするという賭け。
もう一つは、
「お前が、ロリンという名を認めることだよ。」
名前。
この世にあるありとあらゆる物に付けられる物。
個々の識別、種別ごとの名、通り名、あだ名、学名…理由はたくさんあるが、そのどれもが、その存在を表す上で最も重要なもので、だから人はあらゆるものに名前を付け、その存在を忘れないようにする。
ならばこそ。
名前がなければどうなるだろう?
きっとその存在は誰からも認識されず、認識されたとしてもすぐに忘れられ、いつの間にか消えている。
名は、その魂を縛る鎖に他ならない。
魂をこの世界に閉じ込めるための。
「…!!!まさか…!」
ロリンは気がついたらしいが、もう遅い。
「ロリン。17歳。ロシアと日本のハーフ。親は海外でそれぞれ単身赴任。親の知り合いである中村家にホームステイし、香織や静也と同じクラス。」
俺は、ロリンの「人としての【設定】」を口にする。
無論、この設定は嘘っぱちだ。
真実なんて一つもない。
だけど。
認識する人間が俺しかいない今、俺が認識した世界はそのまま、世界に影響を及ぼす。
「くっ…!!!まさか私を罠にはめようとする人間が現れるとはね…!!」
「世界の認識は人によって決まる。今この世界に人間が俺しかいないのなら、俺の認識したことはそのまま現実になるんだよ。」
「神をも恐れない人間…か」
ロリンは悔しそうにそう言うと、膝をつく。
同時に、今までまとっていたローブのような服は消え、香織たちと同じ学生服へと変わった。
ロリンの神としての存在が消えたことを確認し、俺は全てを終わらせるための言葉を紡ぐ。
「そして、俺が力の全てを失う代わりに、鏡の世界と、そこに囚われている人は元の状態へと戻る。」
俺がそう「認識」すると、身体が重くなり、ついには倒れこむ。そして…。
「ほら、楓ならなんとかするって言ったでしょ?」
俺の頭上で、懐かしい声が聞こえる。
「やっぱり、楓はすげーやつだよな。」
いつもつるんでた悪友の声。
「よくやったな。さすが俺の息子だ。」
尊敬する父の声。
そして。
「信じてたよ。楓くん。きっと、楓くんなら私たちを救ってくれるって。」
俺が、最も守りたい存在の声。
「…君の勝ちだよ。楓。」
最後に、ロリンの声。
そんな、いつもの日常が戻ったことに安堵し、俺は目を閉じる。
力を全て失う、ということは。
突出した力はもちろん、生きるために必要な力すら失うことである。
それを俺が認識したならば。
俺の命は、生命力は失われることになる。
「楓…?」
ドクン…
最初に気づいたのは父だった。
目を閉じ、呼吸をせず、心臓も動いていない。
「おい嘘だろ…!!楓!楓!!!」
ドクン…
それに続いて、俺の状態を知った裕が俺の名を呼ぶ。
みんなを元に戻し、さらなる上位からの干渉を止めるためには、これしかない。
「楓くん!!」
ドクン…
「楓!」
ド…
「楓君…君というやつは…!」
うるせぇ。
きっちり5人。5人全員が俺の名前を呼んだのに呼応して、埋め込んだ細胞が活性化する。
その細胞には二つの仕掛けがあった。
一つは、俺の名前を鍵とし、現状がわかる程度の記憶を蘇らせるもの。
もう一つは…
「…っ!!」
5人の呼びかけを鍵として、自身の生命活動を復活させ、すべての記憶を取り戻すというものだ。
「とはいえ…さすがに危ない賭けだった、か。」
突然むくりと起き上がった俺を見て、みんな声が出せなくなっていた。
「どうしたよ。俺の顔がそんなに変ごぅっ!?」
言い終わる前に4人の体重に押しつぶされ、空気が肺から絞り出される。
「楓くんー!!」
「死んじまったかと思ったぜこの野郎ー!!」
「現に一回完全に死んでるから。というか親父!お前が一番重いんだよどけ!」
「一回死んだって…なんで復活できたのよ」
夜白が呆れた顔をしながらも助けてくれる。
「俺が細胞を埋め込んでたろ?あれに仕掛けをしておいたんだよ」
「君は…底がしれないね…」
ロリンは微笑みながらそう言う。底がしれないね、とか何涼しげにしてんだ。こっちはお前のせいで死ぬハメになったんだからな?
「親父、こいつ家に置いていいよな?」
「なんだ、楓の彼女か?」
ぴくっ
親父のからかうような一言に反応した小さな阿修羅像。てか葉月、お前そんな顔できたのかよ。
「な訳ねーだろ。こいつはロリン。今回の一件の黒幕だが、すでにただの人間に戻した。だから葉月。首がもげる前にやめてくれ。死ぬ。」
渋々といった表情で俺の首から手を離してくれる葉月。スッゲェ痣になってんだけど。
「黒幕?」
「あぁ。憐命の女神様だ。」
…おいやめろ。可哀想な目で俺を見るな!
「ロリン、お前からも説明しやがれ。」
「ワタシ、ニホンゴ、デキマセーン」
こいつ…!!見た目が日本離れしてるからって外人キャラで逃げやがった…!!
「楓君…?本当に彼女じゃないのかなぁ?」
…ヤバイ。復活したはいいが修羅場った!
「よく思い出せ!さっきこいつ普通に名前呼んでたろうが!」
「…ロリンさん、だっけ?本当なのかな?」
「あ、あぁ、本当だ…」
葉月の剣幕に一瞬で外人キャラをやめるロリン。
うわ、(元)神様をビビらせてるよ…
「これで、一件落着…じゃ、ねーか」
そう、まだ終わってない。
おそらく、また近いうちに同様のことが起こるだろう。
そして、多分それは、俺には対処できない。
これは一つの試練。
天上の神様からの挑戦状。
俺たちに対する宣戦布告。
「親父。」
「わかってる。」
アイコンタクトで親父に伝えると、自信たっぷりに返事する。
まだ、俺たちの抵抗は終わらない。
次回予告。
なかむらけ次男、徳光。
彼の眼の前に、新たな試練が姿を見せる。
目に見えるものだけが真実じゃない。
目を凝らせ、見極めろ。
自身の本当の姿、その意義を。
次回、新章。
「始まりは紫煙と共に。」