3話 失われた絆、迫り来る終焉
葉月の消滅から、早くも2日が経過した。
その間の三人は、散々たるものだった。
夜白は葉月の消滅を受け入れきれずに半ば壊れ、裕は何をしても無駄だと感じたのか、一日中ぼーっと空を眺めるだけだった。
そんな惨状の中、楓だけは行動を始めていた。
研究室に篭り、あらゆる伝承を調べ、試し続け、その結果を記し、また次の伝承を実行する。
それから5日。葉月の消滅から一週間が経過した頃。夜白がついに正気を取り戻した。
「楓…」
研究室にて、自身の身体に改造をしていた楓に、降りてきた夜白が声をかけた。
「お前から声をかけてきたのは久しぶりだな。もう平気なのか?」
「まだ信じられないけど…現実に起きた事なのよね。私に起きたのと同じように。」
夜白は、かつて自身も消えた事のあるという経験から、それが事実であるとどうにか理解したようだ。
「それで、楓は自分の腹を掻っ捌いて何してるの?新手のドM?」
「戻ってきたと思ったらいきなり失礼だな。俺の身体能力を記憶させた細胞を埋め込んでるところだ。」
葉月が教えてくれたヒントの一つ。他者への影響を失うことで自身の消滅を促すのだとすれば。
「今の俺は、頭こそそのままだが身体能力は、つまり外部からの抵抗力が人並みに落ちている状態だ。ならば、運命の執行に抵抗できる状態に、まずは自身を回復させる必要があるのさ。これから行うことには、これが必要不可欠だ。」
「そう。まだ運命を覆そうとするのね。」
「約束だからな。葉月との。」
葉月の最期の言葉。あれは葉月が最後に運命に抵抗した証にして、自身への半永久的な影響を与える『約束』という鎖だった。
「そしてもう一つ。いいニュースだ。」
「後で聞くから、先にそれ終わらせて。腹を掻っ捌きながらいいニュースとか冗談じゃないわよ。」
「おう。裕を引きずってテーブルに座っててくれ。あと2分で終わる」
夜白が部屋をあとにしたのを確認し、楓はすぐに患部を縫合し、立ち上がる。
「うん。成功だ。」
自身のいつもの感覚が戻ってくる。最後の確認として、目の前で拳銃を発砲する。
普通の人なら頭を貫かれ息絶えているが、楓の額は銃弾を弾き返し、さらに傷一つ付いていない。
「よし」
完全に自身の力を取り戻した楓は、階段を一階飛ばしで駆け上がり、夜白たちの待つリビングへと急いだ。
「まぁ、こうなってるよね。」
楓の予想通り、リビングには夜白しかいなかった。
「裕は?」
「話しかけても『何をしても無駄だ』の一点張り。」
「予想はしてたが…ひどいことになってるな」
楓はそう言うと夜白に「ココアでも飲んで落ち着いてろ」と言い残し、裕がいるベランダへと出た。
「おい。裕」
「楓か」
「来い。拓哉を取り戻すぞ。今は拓哉の力が必要だ。」
「取り戻したところですぐ消えるんだろ?意味がねーよ。」
「はいはい。お前の傷心はわかるが、今は行動しろ。いつものお前なら「運命なんてぶっとばしてやる」とか息巻いてるだろーが」
「運命に抵抗なんて初めから無理だったんだ。現に葉月は俺たちの目の前で消えた。何をしても運命からは逃れられない。」
「俺に任せろ。どうにかしてやる」
「…葉月を救えなかったくせにか?」
裕の瞳に、わずかに生気が蘇る。だが、それは
「自分の大切な人すら救えないで、なんとかする?冗談も大概にしろよ。お前は誰も救えてねーじゃねーか。葉月の失語症も、元はと言えばお前が引き金だろうが。」
裕は今まで溜め込んでいたであろう、楓への怒りを吐き出し始めた。
「俺は、お前が嫌いだった。どんなこともやってのけるくせに、自分を人間だと疑わないお前が。俺たちが必死に努力して、ようやくたどり着いた実力を、あっさり抜き去るくせに、友達ヅラしてるお前が。葉月が消滅して、一番傷ついてるくせにそれを隠して、抵抗をつづけるお前が。誰にも頼らず、自身のみで全てに打ち克つお前が!過去を振り返ることなく、未来しか見ないおまえが!」
裕は立ち上がると、楓を力一杯殴りつける。
「…俺たち人間はお前には届かない。何をしても。俺たちが苦しみの中で足掻いて、もがいてる気持ちなんてお前にはわからない。お前は失敗を知らない。後悔を知らない。出来ない事を知らない。そんなの…」
ただの化け物だ。
「裕。歯ァ食い縛れ。」
これまでにない威圧感と、とてつもない殺気に裕が防衛本能的に歯をくいしばると、楓の全力の一撃が顔面を襲った。
鼻や歯どころか、頭が吹き飛ぶのではないかという威力の拳が、文字通り裕の身体を通過した。
その威力を証明するかのように、裕の後ろ一直線のみ、まるで爆撃にでもあったかのような抉れ方をしていた。
「俺がキレないとでも思ったのか?何を言われても、飄々と受け流すと思ったのかって聞いてんだよ。」
補足だが、楓の本気の一撃は隕石すら粉々にする。そんな一撃を喰らいながら傷一つない裕は、数秒遅れて理解する。
楓が、ギリギリで拳を止めた事。それでもなお、それだけの威力を持つ事。すなわち
「戻ったのか…?」
「戻ったというか戻した、の方が正しいけどな。」
先ほどまでの威圧感は嘘のように消え、いつもの飄々とした楓は先ほどの改造の事を伝える。
「自分で腹を掻っ捌いて…って、新手のドMかよ」
「あはは、それ夜白にも言われたわ。だけど、これから先、完全な状態の方が何かと都合がいい。」
カラリと笑う楓を見て、裕は先ほどの自分の言葉を思い出し、頭を抱えた。
「すまない。さっきはあんなこと言っちまって…」
「良いって、あれが本音だったんだろ?なら仕方ねーよ」
「でも…」
「でももヘチマもねーんだよ。今は俺の事なんてどうでもいい。さっき言ったろ?」
なんとかするって。
「良いからリビングに来い。つーかお前は今までの分少しは働け。」
そう言い残して、リビングへと戻る友を見て、裕は心の底から、楓という人間の強さと、その弱さを知った。
なんだよ…
「お前も、泣くんじゃねーか」
うまく隠したつもりなのだろうが、俺には分かる。
楓の目が少し赤く腫れていた。おそらく
「あの日から、ずっと。一人の時に泣き続けてきたんだ。」
事実、葉月が消えた夜。楓は研究室で、声を上げて泣き続けた。自身の無力を呪い、嘆き続けた。
だからこそ、今、楓は運命に抵抗するために全力を尽くしている。
なら、俺は…
「手伝ってやるか。"友達"だしな。」
「よし、これで準備は万端だ。」
リビングへと集まった3人の前には、散らばったノートが、所狭しと置かれていた。
「これは?」
「拓哉と、うちの家族の情報だ。」
「戻すのは、拓哉だけじゃないんだ。」
「もう一つの実験を兼ねてる。」
楓曰く、葉月の消滅時に分かったヒントは3つ。
一つ、消えた人々は、一切の干渉を絶たれるが、そこにいる。
二つ、同一影響下で存在できるのは四人まで。
三つ、関係を変えた人間は消されるが、それ以外の関係者は消されない。
「そこにいる…?」
「ああ。葉月が消えた時、あいつは俺の言葉を遮った。その時にあいつの手は、消えていたはずなのに、確かに俺に触れた。つまり、一切の干渉ができないながらも、そこにいる。」
もちろん俺たちの声も聞こえないし、自分の意志すら持っていないがな。
と、楓はまとめて、次の話をきりだす。
「続いて、もう一つの実験についてだ。方法は簡単、同時に二人以上の影響を取り戻した時にどうなるのか。これでわかることは、戻ってくることのできる人間になんらかの基準のようなものがあるかもしれない、ということだ。」
例えば、より強い影響を与える可能性のある人間は戻ってこないかもしれない。そうなれば、影響力の弱い人間が優先的に戻る。ある程度の予測が立てられるようになる。
「さて…行くぞ」
楓の声で、三人はノートを見る。
(…?何か、大切なことを忘れているような…?)
楓は一瞬だけ誰かの影を思い出すが、それはすぐに消え、思い出せなくなる。
(しまっ…!!)
数秒後、誰も戻ってこない。
数分後、誰の影もない。
「やっちまった…か」
気がつけばその場には、楓以外の誰もいなくなっていた。
「意図的に影響を与えようとすれば消える…なら」
消えた人間を強く思うことすら、そのルールに抵触する。
「あいつら…同じ人間を思い浮かべやがった」
その人が誰なのかは、思い出せない。
すぐそばにいたはずの葉月の事を、楓はすでに忘れていた。
「おそらく、だが…」
一瞬だけ思い出した影。そのシルエットから、楓はある一人の事を思い出し、携帯に手を伸ばす。
「また1人…ってわけじゃなさそうだな。どうやら」
振動を始めた携帯に表示された画面。そこには、最近になってやりとりをする様になったある後輩の名前が表示されていた。
裕と夜白、二人を失ってしまった楓。
読みが甘かったと後悔する楓の元に、ある人物が現れる。
想定していない人物の復活。
それは、楓の頭に逆転の秘策を閃かせる。
運命との決戦。その火蓋は今、静かに降ろされる。
次回。
「逆転の秘策、神を騙る者」