第1章 揺らぎ揺らぐ想いの種
数日が過ぎ、私は1人見知らぬ土地にいた。
家から遠く離れた所で1人、海を見ていた。
「叔父さんたち怒ってるかな…」
何も言わずに家を出てきちゃったし、と1人呟く。
いや、案外気づいてないのかもしれないな。なんて。
そう思っている自分にまた嫌気が指す。
「私1人がいなくなった程度、今の状況的に気にすることでもないしね。」
家を出る前に見に行った、義兄のことを思い出す。
邪剣カララント。裏切りの騎士が持っていた、不治の魔剣。
その剣によって傷つけられた物は、ありとあらゆる事象を弾き、時間経過による治癒すら許さない。
3ヶ月たった今も楓の胸の傷は治らず、人工心肺で辛うじて命を繋いでいる。
あの義兄が、機械を外されたら死ぬ。
およそ考えられない事が起きている事実に、またどろりとした絶望が溜まる。
「香織の試練が終わったとするなら、次の試練が来るはずだけど…わたしにも試練ってあるのかな」
『ありますよ?貴女は前の試練の時に、なかむらけである事を自覚したのですから』
突然後ろから聞こえてきた声に、反射的に距離をとる。
聞き覚えのある。この声…
『こんなところで何をしてるの?皓子。』
「香織…!!」
3ヶ月前に失踪した義妹の姿が、そこにはあった。
「どうしてここに…」
『次の試練が始まる事を伝えにきたんだよ。といっても、試練の相手は私じゃないけどね。』
香織の顔で、香織の声で話すそれは、いつもの彼女のようでありながら、確実に何かが違う。
まるで、元々分かれていた二つのものが混ざったような、胸にストンと落ちるような雰囲気。
「次の試練って…次は誰なの」
『皓子だよ』
香織が現れた時、予測できていたおかげか、香織の言葉で動揺することはなかった。
私が、次の試練の対象…
『あまり口出しはできないけど、今回の試練はかなり面倒だから、みんなの力を借りて挑んだ方がいいかも。』
「え…?試練って他の家族は干渉できないんじゃ…」
『他のみんなならそうだけど、皓子の場合は別だよ。というか、それが試練みたいなとこあるから。』
香織の言葉に、安堵と同時にもう一つ、明確な黒い感情が生まれる。
「それは、わたしが」
『ストップ。皓子、それ以上は言っちゃダメだよ。それを口にしたら、試練が失敗になっちゃうから。』
いつのまにか目の前にいた香織に口を塞がれ、言葉を飲み込む。わたしが言おうとした言葉、それは…
『試練は近いうちに始まるから、早めに家に戻った方がいいよ。』
「香織は…戻らないの?」
口を突いて出た言葉に、香織は困ったような顔で
『まだ、戻れないかな。今の私はロリンちゃんと違って、能力の凍結を受けてない状態だから、今戻ると試練にどんな影響を及ぼすか分からないから。』
と、そんな事を言う。と言うことは…
「え、自分の意思で離れたの?」
『うん。楓に致命傷与えちゃった負い目もあるし、これ以上迷惑かけるわけにもいかないから…』
わたしたちが取り戻せなかったと考えていたのは大間違いだったのか…
「もしかして、誰かにそれ伝えてある?」
『ううん。誰にも言ってないよ。だからみんな、私が試練の結果失踪したと思ってるでしょ?』
「それはそうだけど…」
改めて、目の前の義妹の顔を見る。
そこには、かつての気弱な雰囲気はなく、どこか晴れ晴れとした表情が見える。
あぁ、この子はきっとこっちが本当の姿なんだな、なんて考えて、ふと気づく。
「香織、一つだけ質問して良い?」
『試練のことじゃなければ、一つと言わずいくらでも質問して良いよー』
「楓、今どこにいるかわかる?」
『え、家かロリンちゃんの鏡世界じゃないの?』
「もしもし、俺だ。今香織の後ろにいるぜ」
わたしが気づいたもの、それは…
遥か向こうから弾丸のように飛んでくる、死にかけだったはずの義兄の姿だった。
『え、なんで?カララントの攻撃受けてなんで回復してるの?』
「え、まず飛んできたことに対してツッコミ入れないの?」
『だって楓だし。』
そう答えた香織の顔は、微塵も疑いを抱いてなかった。
時々思うけど、楓ってなんなんだろう…
「答えは簡単だ、攻撃受けた部分を切除した。傷が回復しないなら、傷ごと取り除いてやればいい。とは言っても、賭けではあったがな。」
サラッと言ってはいるがとんでもない事をしているし、数日で完治しているあたり、人間辞めてるなぁ。
『本当、なんで人間名乗ってるのか不思議でならないよね…で?どうしてここにきたの?お兄ちゃん?』
「煽るなよ、事を構える気はないさ。皓子の目撃情報があったから、様子を見にきただけだよ。まさか香織がいるとは思わなかったけどな。見たところ体重が少し落ちてるけど、ちゃんとご飯食べてるか?」
『それ人によってはセクハラだからね?ちゃんと食べてるよ。てかなんで見ただけでわかるの。センサーでもついてんの?』
「ってちょっと待って、すごい自然に香織が自ら一人でいることを受け入れてたけど、なんで動揺してないの?」
「そりゃ、試練自体はクリアしてるんだ。香織が連れて行かれる理由はないからな。人格が統合されたことで守られるだけの自分が嫌で、自分の力で生きてみたいとか思ったんだろ?」
楓はわたしの疑問にさも当然と言った感じに答える。
『何から何まで正解なの本当腹立つなぁ…今は各地を回りながら、いろんなものを見て回ってるから、もう少ししたら家に帰るね。お母さんの料理も食べたいし。』
「そうか。母さんに伝えておくよ。あと、帰るときは連絡入れるんだぞ。」
楓はそういうと、わたしの方を見る。
「さて、俺がいない間に色々悩んでたみたいだけど、答えは出たか?」
そして、そんなふうに問いかけてくる。
なんで知ってるの、とか。
なんでそんなこと聞いてくるの、とか。
色々思うことはあるけど。
「まだ…わからない。」
今のわたしには、まだわからない。
わたしは、本当にここにいて良いのだろうか?
「そうか。無理はするなよ?お前も体重落ちてるから。というかどうやってやりくりしてるんだ?」
「なんでそんなに体重気にしてるの?…バイトで貯めた貯金を切り崩して、なんとかやってるよ。元々短期間の旅行みたいな感覚だったし。」
『ちなみに私は楓の口座からお金拝借してます。』
「そうか。必要になったら用意するから、遠慮なく連絡してくれ。香織、お前は帰ってきたら一度シバくからな。」
『今の私に勝てるの?お兄ちゃん?』
「舐めんな、とっくに対策済みだ。覚悟しとけ。」
そんなやりとりを終えて、楓は
「皓子、それに香織。家に帰りたくなったら連絡するんだぞ、迎えに来るから。試練のことは俺に任せろ、時間稼ぎくらいはできるから。」
そう言い残して、飛び立っていった。いやほんとに。
「なんで溜めなしの跳躍で飛んでいけるんだ…というか迎えに来るって、まさかあれで来るつもりじゃないよね?」
『その辺は大丈夫だと思うよー?自分一人なら確実にそうするだろうけど、他の人にはできないって分かってるはずだから。それにしても』
「うん、ほんとに」
「『心配性だなぁ…』」
シンクロしてしまい、お互いに笑う。
『じゃあ私もそろそろ行くね。次は北海道あたりにでもいってみようかな』
「わたしは…もう少しここで観光して行くよ。旅費も抑えないと。」
『あぁ、そのことなら多分解決してると思う…』
香織のその言葉になんとなく察しがつき、口座の残高を確認する。すると…
「いや多いわ。何年旅行行くと思ってんだあのバカ義兄」
とんでもない桁数の金額が振り込まれていた。バカなのか?
『シスコンもここまで来ると立派な病気だねぇ…』
香織の呆れた表情に、つい笑ってしまう。
あのバカ義兄は、わたしにも、香織にも平等に愛を注いでくれる。
わたしが悩んでいたことを、あまりにも簡単に解決してしまう。
『家族』である事を、当然のように。
「お土産、何買っていこうかな」
わたしが何を考えていても、彼らにとってわたしは家族の一員なんだ。
その事実が、わたしの泥を溶かしていく。
わたしの絶望を。
このときはまだ、わたしには分からなかった。
わたしにとっての試練、というのは
わたしにとっての絶望を意味していたことに。




